「北海道胆振東部地震」と命名された先の地震から、早くも1週間が過ぎました。いかがお過ごしでしょうか?
私はそのときの想いを

という文章にまとめて共有したのですが、未だ余震や電力不足などは続いているとはいえ、あれからさらに少しずつ、復興は進んでいるところです。
ただそこにも書いたとおり、これは単に
今回は北海道で起きて、私もそこにいた
というだけで、ほんの少し遡るだけで、日本のなかでもあらゆる天変地異が起きていますし、世界に眼を向ければもっとそうですし、そのなかにはもちろん、たとえばアメリカのハリケーン「フローレンス」のように、これから直面することになるものも多々あります。
ですがこれは別に
「天変地異」
という、ある意味とても象徴的でわかりやすいできごとに限ったことではありません。
私がここでもずっと書いてきたように、これからの数十年というのは、確かに今までも絶えず変化し続けてきたと言える私たちの歴史のなかでも、さらに劇的な変化と言えるものが起きることになる時代だと、私は強く確信しています。そしてその理由は、
このままの社会では、もう数十年も保たない
という、これ以上なく単純な理由によるものでもあります。
そしてこれもいつも言っていることですが、
未来というのは「誰かの単一な・絶対的な・圧倒的な力により、ひとつに定まっている」わけではない
ので、未来についてなにかを断定することは私にも、誰にもできません。
ですが仮に私たちをいつも励まし、見守り、応援してくれている守護霊さんたちの意志が通ったとしても、それは負の霊の意志や願いとは確かに違うものであるとはいえ、守護霊さんも別に「すべてを現状の(流れの)まま維持すること」を望んでいるわけではないので、その未来はやはり今のままではあり得ません。そしてその変化は根本的には
「価値観」(教育)
の変化であると言え、そこから当然
「衣・食・住・医療・政治……」
のあらゆる分野に及んでいくことになるでしょう。
ですからそれはある意味では
「天変地異どころではない、全面的な革新」
が起こるということです。
その一例として、たとえば私は
資本主義という経済システムも、根本的に変わる
ということを、ここにも書いてきましたが、

そんななかでこないだ、私はこんなものを見つけました。

この文章は公開直後から多くの反響を呼んでおり、そのなかにはもちろん賛否両論があるわけですが、ひとつ確かなことは、
社会的に相当な影響力を持っているひとでさえ、「こんなこと」を言うようになってきた
ということだと思います。そしてこれ自体が、既に確かな
「変化の顕れ」
なのです。
そしてもうひとつ、
人間が動物を食べている事も含め、食生活の在りかたも、根本的に変わる
ということについても私は何度となく書いてきましたが、

それについても今では、こんな話が出てくるようになってきています。

もちろん、この2つの動きにしろ、どれも
「これが完成形」
というわけではなく、これからも何度も試行錯誤・深化・紆余曲折を必要とするものでしょう。
ですがそれでも、
この『闇の向こう側』ができてからの6年の間でも、既にかなりの変化の萌芽が、あちこちに見えてきている
というのは、間違いないと思います。そしてこれはこれからも、これからこそ、続いていくのです。
ただそんな変化の渦中にあるというのは、やはりとても大変なことです。いくらそれが、
本当には、すべて(の可能性を)理解したうえで生まれてきた
のであってもです。もちろん私もそのことを、私なりにではありますがこれ以上なく痛切に、突きつけられ、知らされてきました。
ですがそんななかで、私がどうにかこうにかここまでやってこられたのは、あなたがいたからです。この文章を読んでくださるあなたが、私を励まし、理解しようとし、排除しないでいてくださったあなたがいなければ、この『闇の向こう側』も、もうここにはなかったかもしれません。少なくとも、今のようなかたちでは、存在できなかったでしょう。
そしてこれはもう一方では、あなたが単に私からなにかを吸収してくださったからだけではなく、あなたのほうからも、私に様々な想いを、体験を、共有してくださったおかげでもあります。それはときには公開コメントとして、ときにはメールとして、そしてときには直接の声として、私に伝えられてきました。そのひとつひとつが、私に力をくれたのです。
そしてそれは、別に単純な
「いいこと・嬉しいこと・しあわせなこと……」
だけではありませんでした。むしろ比率で言えば、今でも圧倒的に
「つらいこと・哀しいこと・苦しいこと……」
のほうが多いです。ですがそんなふうに
こんな状況でも、まだすべてを投げ棄てることなく、生きることを選んでいるひとがいる・いてくれている
という事実が、私を助けてくれたのです。
私が大切なひとに自殺されても生きてこられたのは、あなたが大切なひとに自殺されたのに、生きていてくれているからです。私が大切なひとと理解し合えず、想いをうまく伝えられないまま別れても生きてこられたのは、あなたが大切なひとと理解し合えず、想いをうまく伝えられないまま別れても、生きていてくれているからです。私が大切なひとがいなくなってしまっても生きてこられたのは、あなたが大切なひとがいなくなってしまっても、生きてくれているからです。そして私が自殺しないで生きてこられたのは、本当には、あなたが自殺しないで、生きてくれているからです。だから私は、今もあなたと一緒に、生きているのです。
そしてそんな私は、そんな私自身の体験を踏まえ、この『闇の向こう側』にさらにもうひとつ、新たな「場」を加えることにしました。
それが、

です。
そこにも書いてありますが、これは端的に言うと、
「あなたの声・想い・体験を、共有するための場所」
として創ったものです。今までも私のもとにはそういうものがたくさん寄せられてきたのですが、そのなかで私以外のひととも共有したいと思えるものを、ここに書いていただければと、そう思うのです。
もちろん今までどおりそれぞれの文章のコメント欄を活用していただいてもいいのですが、そうするとどこに書いていいかわからないもの、またはいろいろなテーマにまたがってしまい、特に適切なものが見つからないようなものもあるでしょうから、そういうものは一括して、ここに書いていただければと思います。
そして今までは、基本的にすべてのコメントには私から返信してきましたが、ここに書かれたものに関してだけは、私からの返信は基本的にしないでみようかなと、今のところ考えています。このことによって
「より複線的で多面的な交流ができる、掲示板的特性」
を、持たせてみようかと思っているからです。
ただそうすると、たとえば
私にも霊が見えるようになってきたのですが……
病院に行きなさい!
というようなやり取りが起こる可能性も、あるとは思います。そしてその両者の
「見解の違い」
によって、収拾のつかない議論が起こってしまうということも、あり得ると思います。
さらに言えばそれは私が以前軽い気持ちで匿名掲示板で活動してみたとき
に体験したことでもあり、それはそれでとても貴重な経験になったのですが、そのときの記録は今でも残っていますし、今回のこれに関しては、そういうことをするのが、私の目的ではありません。
ですからとりあえず今の私としては、
あなたになにが起きたか、そしてあなたがそれに、どんな解釈を与えているか、そしてその結果、今のあなたはどうなった(どう変わった)のかを、書いてみてください
ということを、お伝えしておきたいと思います。
たとえば私のところには
毎晩眠る前に守護霊さんに話しかけるようにしたら、よく眠れるようになった
頭のなかに湧いてくる嫌な気持ちに毅然とした態度を採るように心がけたら、少しずつ少しずつ前向きになってきた
肉を食べるのをやめてみたら、イライラしにくくなった
というような実体験が、たくさん寄せられてきています。それが私のところにだけあるのはあまりにももったいないので、よかったら他のひとにも伝えてあげてほしいというのが、この場所を創った大きな動機のひとつです。だからたとえばそんなことを、書いてみていただければと、そう思っています。
あるいは今までにも、たとえば



のように、私以外の肉体人からの貴重な体験談を、ご本人との合意のもとでここに載せたことがありますが、こういうようなものもきっと、多くのひとにとても参考になるものだと、私は確信しています。ですからよかったら、ぜひ教えていただければと、そう思っています。
そしてそこにも書いたとおり、これは
霊の世界が実在する可能性を考えるようになってから、あなたはそれまでとどう変わりましたか?
ということを、お訊きするものでもあります。
少なくとも今の日本では
霊存在は確かに存在し、私たちにもいつも影響を及ぼしている。それにそもそも私たち自身が、もともとは霊存在だ
ということは、理解されていませんし、誰かがそんなことを言ったとしても、それは
「キワモノ・眉唾もの」
として扱われてしまう話だと思います。
ですがだからこそ、仮にでもそんなものがあるという可能性を踏まえて生きるようになったあなたがそれまでとどう変わり、そしてどう生きているかということをみんなで共有するということは、とても大きな意味を持つものだと、私は思っているのです。ですから、よかったら、教えてください。
ということで、とりあえず始めてみようと思うのですが、もちろんすべてのことはやってみないとどうなるかはわかりません。それに、始めたからといって、すぐにわかりやすい変化があるとも思っていません。最初の書き込みが、そうそうすぐ来るとも思っていません。ですが、それならそれでいいです。ですが逆に、予想以上の拡がりを見せて、今は予測できていないいろいろなことが起きるのかもしれません。
ですから、そのときはそのときとして、とりあえず今は、こうしてまず始めてみようと思います。そして今改めて思ったのですが、前の

のときもそうですし、どうやら私は
「死を意識するような目に遭うと、新しいことを始めようとする」
という習性があるようです。これは自分でもうまく説明できないのですが、ひとつ言うと
あ、そういえば、もうそんなに時間ないんだった
と思い出すような感じでもあるんだと思います。
というのも、もうあなたにも薄々気づかれていると思うのですが、私は本当は、とてもネガティブな人間なのです。自分がしあわせになれることをまったく確信できないし、むしろ放っておいたら不幸になると思っているし、長生きできるとも思っていないし、これ以上からだが弱くならないとも思っていません。それに自分のことを素直で健気だともまったく思っていないし、あなたに愛されて当然だとも思っていないし、むしろ放っておいたらまたいずれすべてを失うのではないかと、いつも危機感を持っています。そしてそれは、いつも私に絡みついてくる負の霊団も含め、いかに私に「妨害者」が多いかをよく自覚していて、彼らの力を侮ってはいけないことも、そしてなによりいかに私が弱く、かつどうしようもない人間かということも、私が誰よりも、よく自覚しているからです。私というのは、ずっと、このようななかで生きてきた、このような存在なのです。
ですがだからこそ、私はあなたと一緒に、生きていきたいと思っています。たとえ傷が癒えなくても、病んでいても、前も上も向けなくても、それでも、なんとかかんとか、生きてみようと思います。たとえ五里霧中で、一寸先どころかすべてが闇でしかないなかでも、できる限り、あがいてみようと思います。それがあなたにとって、たとえ滑稽でも、少しあなたをラクにできる「踊り」に見えたなら、私にとってそれは、まさに望外の喜びです。本当に、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。
最近の文章はこんな「楽屋ばなし」が続いていますが、次からはまたしばらく、「通常モード」に戻るつもりです。そしてどんなときも、あなたのしあわせを、心から願っています。いつかはあなたの痛みも苦しみもすべてがあたたかく癒えて、あなたがあなたであることを、心から喜べますように。

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こんにちは、Dilettanteさん。なすびです。
“Dance in the Dark” あいかわらず、ネーミングセンスが素晴らしいですね笑
自分はネガティブだとおっしゃっていますが、私は強い人なのだなぁと思いました。
正直、もし私があなたの立場だったとしたら、あなたのように生きられるか分かりません。
そうやってもがきながらも生きているあなたの姿を見て、私も頑張りたいと思いました。
私も、素直でありながら素直でないし、上を向いているようで、ネガティブです。不完全な人間同士、一緒にもがきながら生きていけたらいいなと思います。
近いうちにまた一緒に楽しい時間を過ごせたら嬉しいです。
なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
名前を気に入っていただけたようでよかったです。
他の候補としては
“Dancers in the Dark”
“Dancefloor in the Dark”
とかも検討したのですが、
でもこれだと、冒頭に”The”が要るか?そうすると、音が間延びするんじゃないか?
などと考えた末、これにしました。
そのうえで一応副題には
「闇の踊り場」
とつけましたが、タイトルそのもののイメージは
「闇のなかで舞い踊れ」
です。見てのとおりこれは命令形なのですが、これは結局、私が自分自身を鼓舞していると思っていただければいいと思います。
つまり私は強いと言うよりも、負けず嫌いなんだと思います。
自分の願いを代わりに叶えてくれる相手になら負けてもいいのですが、結局私の信念を貫けるのは、私しかいないので。
ということで、自分でも自分のアクの強さには苦笑いするしかないのですが、あなたにもうまく扱ってもらえたらと思います。
こないだも楽しい時間にできてよかったです。
これからも、よろしくお願いします。
Dance in the Dark 拝見しましたが、コメントを書く欄がどうやらないようです。
だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
ご報告ありがとうございました。おかげで、私の設定に不備があったことを発見できました。
気づいた点は修正しましたので、これでパソコンからもモバイル端末からもコメントを書き込めるものと思いますが、もしまだなにか不備があるようでしたら、またお知らせいただければと思います。
どうぞよろしくお願いします。
いつもありがとうございます。
自分自身のこころを見つめること。
それは、私の「やりたいこと」のひとつです。
『闇の向こう側』の文章を読むと、私自身を知るということが、少しずつ深まっていくのを感じます。有り難いことです。
そして、私のこころに在る「目を背けたくなるような部分」に迫っていくことも、つらいけど続けたいことです。
「だって、なんとかして成長したいのだもの!」
あせらないで進みます。はやく結果を欲しがる気持ちを抑えて、抑えて。
(魂の存在として)時間は、たっぷりあるのですよね。
「永遠のとき」・・フフフッ。。
Dilettanteさん、この場をつくり交流してくださって、ありがとうございます。
「いまを一緒に生きている」、その事実が嬉しくって、私のこころは“ぴょんぴょん”跳ねだします♪
これからも、よろしくお願いします。
門音さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
あなたがそうやって私のことを活かしてくださっていることは、なにより嬉しいです。
そして、
少しずつ少しずつでも成長したい!
という想いは、多かれ少なかれ誰もが持っているものだとも思いますが、それを改めて強く意識して力を与えているあなたは、きっとあなたの願いを叶えられると思います。
そしてそのうえで、あなたが
とおっしゃるのも素晴らしい態度だと思うのですが、私からもう1点だけ付け加えておくとしたら、
結果をあせらないことはあせらないとしても、その途中で得られる喜びやしあわせも、どうぞ思いきり味わってください。そしてどうか「道中の景色」も、存分に楽しんでください
ということも、申し上げたいと思います。
ただこれは(他のことも多かれ少なかれそうなのですが)、私自身がうまくできているわけではないどころか、むしろ苦手としていると言ってもいいことですので、その意味でその難しさも知っていますし、あなたに無理を強いるつもりはまったくありません。
ただ私も、あなたが喜んだりしあわせを感じていてくださったりするととても嬉しいということをお伝えしたいだけです。
そしてあなたもあなたらしく、あなたの永遠の物語を、紡いでいってください。
これからも、どうぞよろしくお願いします。