現代社会を形容する表現はいろいろとあるが、
「ストレス社会」
というのもそのひとつだ。
この社会はストレス要因に満ちており、誰もがストレスと無縁ではない。そしてそのストレスが心身に悪影響を与えることもまた誰もが知っていることであり、
ストレスは万病の元です
というような言葉は、そのことを端的に示唆していると言える。
ときには、
適度なストレス(緊張感)はむしろプラスにはたらく
と考えるひともいるし、それも一理あるとは思うが、やはり現代では過剰なストレスに苦悶するひとのほうがずっと多いため、ほぼすべてのひとがストレスを解消させたり発散される方法を探していると言ってもいいと思う。そしてそれはもちろん、私も例外ではない。
だが、最近私は、
「ストレスは万病の元であり、結果として寿命を縮める」という事実は、本当は、単に悪い(哀しい・つらい)ことだとも、言い切れないのではないか?
という考えに至った。それは、言ってしまえばとても単純な、このような理由による考えである。
ストレスが寿命を縮める
ということを言い換えると、
ストレスを感じ続けている状態では、長生きできない
ということだとも言える。
だとするとこれは結局のところ、
生きていることがあまりにつらく苦しいひとは、そうでないひとよりも早く一生を終えられる
ということでもある。だとしたらこれはむしろ、愛のひとつの顕れではないかというのが、私に浮かんできた考えなのである。
では逆に、あまりストレスを感じていないひとの場合はどうか?それはもちろん、ストレスを感じ続けているひとよりも長生きできる可能性が高い。そしてこれも、
生きていることが楽しく喜びであるひとは、そうでないひとよりも長く生きられる
と言い換えられる。それならこれをまとめると
生きていることがつらく苦しいひとは相対的に早く一生を終えやすく、生きていることが楽しく喜びであるひとは、相対的に長く生きられる
ということである。そしてこれは、私たちにとって最大の苦しみである
「耐え難い哀しみと苦しみのなかにいるにもかかわらず、長く生きなければならない」
という事態が生じる確率を下げてくれている。そして同時に、私たちにとって最大のしあわせである
「喜びと嬉しさのなかで、長く生きられる」
ということが起きる確率を上げてくれている。だとしたらこれは、愛だとしか言いようがない仕組みだとは思わないだろうか?
もちろん、ひとが一生の間に感じるストレスの量が、まったく同じだとは思わない。それは結局は感受性によるものでもあるので、同じ事態を経験したからといって、それをどれだけのストレスとして感じるかはひとそれぞれである。それに極限のストレスに晒されている状況では、1日どころか1秒でさえとても永く永く感じる。そのことは、私もよくわかっている。
だがそれでも、ストレスを感じ続けていれば早く一生を終えやすく、逆にあまりストレスを感じていなければ長く生きられる可能性が高いのは間違いない。だからこれはやはり、世界(神・はたらき・システム)が
どうか楽しく、喜んで生きてほしい
と願っているとしか言いようがないのではないかと、私は思うのである。
だからもしあなたが強いストレスのなかでもがいているのなら、私もなんとかして、少しでもいいからそれが和らいでいってほしいと思う。しかしもし、どうしてもストレスを感じることを止められないと言うなら、それでも私はあなたに
その苦しみは、永遠にそのままには続きません
ということを心からお伝えしたいと思う。私たちは、必ず変われる。喜びを味わえるようになる。苦しみはやがて消えゆくものであり、喜びは深まり続けるものである。世界のすべてが、その流れを応援している。だから、だいじょうぶだ。苦しみには、必ず終わりが来るから。
そして逆に、あなたが喜びとしあわせのなかに日々を暮らしているなら、それはもちろん素晴らしいことだ。あなたのその喜びが、さらにあなたのエネルギーを高める。だからあなたは、せっかくだから、もっともっとそうしていたらいい。そしてその喜びを、他のみんなにもわかち合い続けてほしい。それにあなたは、誰よりも知っているはずだ。喜びやしあわせは、分けると減るどころか、むしろ増えるということを。
そしてあなたがどんなひとであれ、もしよかったら、私とも想いを共有してほしいと思う。わかち合ったくらいでストレスそのものは減らないかもしれないが、減らなくても共有するとなにかが変わる。それが、この世界の面白いところである。だがそれを共有すること自体が難しいと言うなら、その気持ちもわかる。だから、無理はしなくていい。最終的にはみんな、収まるところに収まる。そしてまた、それまでのすべてを糧にして、再出発すればいい。世界には、そうできる仕組みが用意されている。だから、だいじょうぶだ。だいじょうぶだと思えなくても、だいじょうぶだ。だから、ともかくだいじょうぶだということにして、今日も生きていこう。最期まで、生きてみよう。

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