「なんでこんなことを勉強しないといけないの?これになんの意味があるの?」と問われたら、あなたならどう答えるだろうか?

ねぇ、あなたのいる霊界?っていうのは、いったいどんな世界なの?いったいどんな仕組みで、そこは動いているの?

私が霊存在と関わりを持つようになった最初の頃、私はそのとき現れた霊に、このように訊いてみた。

すると彼は、間髪入れずにこんな答えを返してきたのである。

あのなぁ、じゃあお前は、どうしてここが日本だと知ってるんだ?そして日本っていうのはアジア圏の国のひとつで、他にもアメリカとかロシアとかいろんな国があって、しかも言葉もバラバラで、だけど日本も他のどの国も、地球って星の一部なんだって、どうしてお前はそんなことを知ってるんだ?教わったからだろ!他の誰かが、お前にひとつひとつ教えてくれたから、お前はそんなことを知ってる。そうだろ?だからな、俺はこの世界の仕組みなんて誰からも教わってないから、そんなのいくら訊かれたって知らねぇんだよ

私はこれを訊いて、深く納得するしかなかった。

 

確かに私たちは、自分が依って立つ世界観や知識の多くの部分を、誰かに与えられて育っている。地球が丸いことも、地球が太陽系の一部であることも、私が直接目視して確かめたわけではない。それどころか、アメリカなどという国が本当にあるのかどうかさえ、私自身がその場に行って確かめたことはない。そしてそれは決して、私だけに限ったことではないだろう。

だからここから改めて確認できることは、

「教育がいかに重要なのか」

ということである。同じ遺伝子を持った存在でさえ、違った教育を受ければ、まったく違った価値観・世界観を持つことになる。まさに私たちは、教えられたことを基に育つのである。

しかしだからこそ、そんな教育の現場では、様々な葛藤や問題がいつも存在していると言ってもいい。だがそうではあっても、教育自体が重要であることはほとんどすべてのひとが合意していることであると言えるだろう。だからその結果として今の日本では、中学校を卒業するまでの15年間(さらに言えば、進学率から言って実質的には高校卒業までの18年間くらい)は、義務教育に沿ってある一定の内容を学ばさせられることになっている。

そんななかにあって、もしあなたが誰かの保護者かあるいは教育者であれば、おそらくほぼ100%と言っていいほどの確度で、あなたもこんなことを言われたことがあるのではないかと、私は思う。

それは、

なんでこんなことを勉強しないといけないの?これになんの意味があるの?こんなことが将来なんの役に立つの?

という言葉である。

最初に言っておくと、これは私自身にもかつて湧き上がったことがある想いである。そしておそらく、直接口にするかしないかは別としても、これをまったく感じたことがないというひとはいないと言ってもいいのではないかと思う。だから私も、こう言いたくなるひとの気持ちがわからないわけではない。だがだからこそ、もし誰かからもしこのように問われたら、今の私なら迷わずに、こんな答えを返すことができる。

あのね、それはむしろ逆なんだよ。なんでこんなことを勉強しないといけないのか、それになんの意味があるのか、将来なんの役に立つのかさえわからないからこそ、あなたはまだこれを学んでおいたほうがいいんだよ

 

私はこの『闇の向こう側』の最初期に、

私たちは普段、自らが酸素を取り入れ、二酸化炭素を吐き出していることを意識していない。同様に、からだの無意識のはたらきによって、いのちが維持さ...

という文章をまとめ、そのなかで

だから、スピリチュアル(霊的)な知識は、生きていくうえで「必要」ではないが、うまくいけば人生を「より豊かにする」可能性を秘めている。そしてさらに言えば、あなたがひょんなことからスピリチュアルな世界とつながりを持ったとき、そこで必要以上の混乱を避けることができるかもしれない

と書いている。だが今の私は、このときの私の考えと基本的には変わっていないとはいえ、これだけでは充分ではなかったと思うようになっている。それは、

そもそも「スピリチュアル(霊的)な知識は、生きていくうえで『必要』ではないが、うまくいけば人生を『より豊かにする』可能性を秘めている」ということさえも、現代の一般的なひとたちには、それほど理解(合意)されていない

という認識を新たにしているからだ。

だがこれは、実のところ私自身の身に覚えがない話でもない。私だって自分が霊的な体験をするようになるまでは、取り立てて霊的なことに関心があったわけではない。霊的な知識・理解が自分の人生をより豊かにするということにさえ、まったく想いを馳せていなかった。それにこれは、別に霊的なことに限ったことではない。私が三角関数や対数が苦手だったうえに、そもそもそういったことを学ぶ意味さえわかっていなかったのは、

「それが自分の人生を豊かにする可能性がある」(それは自分の人生に深く関わっている)

ということを、まったく感じられていなかったからだ。

しかし今の私は、三角関数が測量で活かされていることや、対数がPHやデジベルやマグニチュードなど、日常的なことにも深く関係していることくらいは理解できるようになった。今の私には、それが

「意味もわからない、誰の役にも立たないものではない」

ということは、もう明らかである。だから、そういったことを真剣に学び活かそうとすることを素晴らしいことだと思えるし、その道に適性と関心があるひとを心から尊敬してもいる。そして、そのようなことを他の誰かにも教えていこうとすることを、とても大きな価値があることだと確信している。

だがそれを踏まえたうえで、私は今のところ、三角関数や対数について、もっと深く追究したいとは思っていない。それは少なくとも現時点で私自身が、たとえば測量やマグニチュードやデシベルの世界に深く関わることはないと思っているし、深く関わりたいという意志もないからだ。言い換えれば、そういった事柄については、私よりずっと強い関心と適性と体験を持っているひとがたくさんいるだろうから、そういったひとたちに任せることにしているのである。

 

だから、先ほど私が

なんでこんなことを勉強しないといけないの?これになんの意味があるの?こんなことが将来なんの役に立つの?

という問いに対して

あのね、それはむしろ逆なんだよ。なんでこんなことを勉強しないといけないのか、それになんの意味があるのか、将来なんの役に立つのかさえわからないからこそ、あなたはまだこれを学んでおいたほうがいいんだよ

と答えたのは、言い換えてさらに補足すれば、

だからね、せめてなんでこんなことを勉強しないといけないのか、それになんの意味があるのか、将来なんの役に立つのかくらいはわかるようになるまで、学んでおいてもいいと思うんだ。そしてそこまでわかったうえで、今の自分にはその道を究める気はぜんぜんないって言うんなら、少なくともそのときの時点で、それ以上それを学ぶ必要はない。でももし逆に、それが本当に自分にとって重要な意味があって、自分がやりたいこと、実現したいことに欠かせないと思えたなら、そのときのあなたには、別に私が無理に学ばせる必要がない。だってそこまでわかったら、あとはほっといても、自分から学び続けるだろうから

ということなのである。

だからその意味において、私は

究極的に言えば、教育の最も大切な役割は「学ぶことの意味を教える」ということに尽きるとさえ言える

と思っている。生まれてからある程度の期間、私たちはかけ算を知らなくてもなんの問題もなく生きている。だからその頃の私たちには、かけ算を学ぶ意味さえわかっていない。それにもっと言えば、ある程度までであれば、私たちは読み書きや発話すらできなくても生きていける。だがだからと言って、読み書きや言語表現を学ばなくてもいいのかと言えば、そんなことはない。しかしそんなことすら、言われなければ気づかないかもしれない。だからこそ私たちは、それが

「学ぶ意味すらわからないこと」

だからこそ、それを学ぶ必要があるのである。

 

だが私は別に、いつまで経ってもまったく興味さえわかないことに、延々と時間と労力をかけろと言っているわけではない。それくらいなら、あなたがもっと関心を持てる別のことを学んだほうがいい。それに、

「これを学ぶことに意味があるということにいち早く気づいてそこに関心を持てること」

自体が、ひとつの適性なのである。だからその意味で、あなたのかけがえのない人生を、喜びも関心もないことで浪費してほしいとは、私もまったく思っていない。

だがそのうえで私は、

ただ一見して意味がわからないというだけで、学ぶのをやめたり、理解しようとしないのはやめてほしい。それは実はあなたにとっても、すごくもったいないことかもしれないから

ということは、あなたにもお伝えしておきたいと思うのだ。

とはいえ、今までのあなたにまったく縁がなかったことを学ぶのは簡単ではない。自分の世界に新しいものを採り入れ、その世界を拡げることは、誰にとっても意外に難しい。それに、わからないことがいつまで経ってもまったくわからず、少しの興味さえ持てないのは、教わるほうだけではなく、教えるほうが未熟であることに原因があるとも言える。だから私は、ここに書いてあるどんなことも、あなたに無理に押しつけてまで学んでほしいとは思っていない。

ただ私がそうであったように、あなたがもしいずれ、こんなことを学ぶことにも意義があると思えるときが来たら、そのときもう一度、ここに来てみてほしい。そうしたらそのときには、またひと味もふた味も違う景色が、あなたの眼に映ってくるはずだから。ただ率直に言うと、霊的なことを学ぶことにどれだけの意味があり、それがどれだけ身近であり、どれだけ人生に活かされ、そしてどれだけの奥深さがあるものなのかを実感してしまったら、それを追究することをやめるほうが難しいのではないかと、私は思う。実のところあなたの眼の前にいるこの私が、なによりのその証なのである。

コメント

  1. 確かに計算は必要だと思うから、学ぶことに説得力はあっても

    サインコサインタンジェント…あたりになると「いる?」と思いますね。笑

    でも好きなら学ぶべきだし、学び続けられるのでしょう。

    最近上に上がった方々の過ごし方について、ちょっとかかわれるようになりました。

    それによると、上に逝かれても学ばれる方は学び続けます。

    霊性は上に逝ってもなお磨きつづけられるのだとしりました。

    同じように、上でそういう気持ちのある方を導く魂の存在があるようで

    今はまだはっきりとは分からないのですが、ただ学びはずーっと続けられる・・・

    その力の源は「愛」で、やはり人を動かすパワーは「愛だ」と

    それを再確認できて嬉しさと感謝で一杯になりました。

    きっと私も上に逝っても学び続けるのだろうと思います♪フフ

    • Dilettante より:

      レイキヒーラーSAEさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですね、私も学生の頃はまったく理解できませんでしたが、今ではようやく

      sincostanは、要するに三角比、つまり三角形というかたちの性質と神秘について解き明かす鍵なんだ

      ということくらいは、理解できるようになりました。

      だからきっと、出発点と用いる道具の違いだと言ってもいいのでしょうね。ただ少なくとも今生の私には

      「数字」

      という出発点と道具はあまり肌に合わないので、今は別の観点と道具で、私なりに世界を探究していると、そう言ってもいいだろうと思います。

      それにあなたのおっしゃるとおり、霊であってもその気があればいくらでも学び続けられますし、そもそも

      「生まれ変わり」

      という仕組み自体が、最高の学習装置だとも言えますからね。

      もちろん私自身がこれからも何度も生まれ変わりますし、まずは100年後の地球に生まれる来世を見越したうえで、今生はできる限りの力でその舞台を整えていきたいと、そう思っています。