「負の霊」という表現は本当に適切か?ある守護霊と私との、率直な意見交換

私はこの『闇の向こう側』の最初期から今まで、何度となく

「負の霊」

という表現を遣ってきた。

「スピリチュアル」の世界でよく言われるのが、 (魂の)曇りを取りなさい 邪気を払いなさい 私たちは度重なる輪廻転生のなかで...

だがこのことに関して、先日ある守護霊が私に疑問を投げかけてきた。そしてそこから、とても学び多い話し合いを持つことができた。だからその顛末をここに記録して、あなたとも共有しておきたいと思う。

 

あなたはなぜ、「負の霊」という表現を選んだのだ?それはそのように表現することが最も適切だと思ってのことか?

彼の疑問は素朴なものだった。そして私は、彼が守護霊として、私たちの喜びを願っている存在として活動している霊だと理解したうえで、だからこそ率直に、こちらの想いを伝えることにした。

そうですね、私の表現の代わりに、「悪魔」や「邪霊」、あるいは「低級霊」や「サタン」というような表現を用いるひとたちもいるのはわかっていたのですが、それだと私としてはどうもしっくり来ないので、頭を捻って選んだのが、「負の霊」という表現だったということです。そして今のところ、これがいちばん適切な表現だと、私は思っています

しかし相手にも、私にそれだけの質問を投げかけるだけの想いがあるので、案の定話はこれだけでは終わらなかった。

ではなぜ、「負の霊」という言葉を選んだ?「プラス」と「マイナス」を思い起こさせるような表現を選んだのは、どのような理由からだ?

しかし私も、自分なりの想いを持ってこの表現を選んでいるので、やはりそれを率直に、伝えていくことにした。

それは単純に言って、「本来はみんな、喜びを深める方向に進むために存在している」という前提があるからです。この前提は、間違っていませんよね?そのうえで、喜びに向かい、それをお互いに支え育み合う方向を「正」(プラス)としたら、その反対方向、つまり相手が喜んで存在することを快く思えず、讃えることもできず、むしろそれを邪魔し破壊する方向に動いている存在を、「負」(マイナス)と定義したわけです

それならば、それをそのまま用いればいいのではないか?つまり、「喜びを深める方向に歩む存在」と、「喜びを浅くちいさくする方向に歩む存在」とがあるというふうに表現してはいけないのか?

そうですね、そうすると私が危惧するのは、「すべてが個々の自由である」というところに話が着地してしまう可能性があるということなんです。ですが実際には、本来すべての存在が、喜びを大きく深く育み合うために生まれてきたのであって、少なくとも最初から、「負の霊になるために生まれてきた存在」というのはいないはずです。だとするとやはり、喜びを浅くちいさくする方向に向かって歩むのは、あなたの本来の道ではない、その状況は「異常」なんだということを、私は誰にでも、特にその本人にも理解してほしいのです。だから、その問題の存在を見えにくくするような表現は、私は選ぶのに躊躇があります

なるほど。ただな、それでもやはり、「負」という言葉から受ける印象は、あまりにも暗く気持ちが悪い。だがそれを、たとえば「喜びがちいさくなっている存在」というふうに言い換えれば、かなり雰囲気が変わる。「喜び」という言葉が保つエネルギーは、とても大きいものだから

そうですね、あなたの言うことも理解はできるのですが、それでもやはり、私には大きな懸念があるんです。そうやって、「喜びは、ちいさいひとと大きいひとがいるだけだ」とか、他にもたとえば「人生には本当には、必要なことしか起こらない」などと、すべてをいいように言い換えすぎてしまうと、たとえそれが間違ってはいない、むしろほとんど真実だと言っていいようなものだとしても、それでもだからこそ、重要な視点をなくしてしまうような気がするんです。それは、「危機感」です。私は、私が「負の霊」と呼ぶ存在が保つ力を、侮ってはいけないと思っています。それになにより、彼らの力がどれだけ私たちに影響を及ぼしているかを、よくよく考えなければいけないと思っています。だからこそ、私たちはすぐに仲違いし、互いを攻撃し合い、生まれてきたことを喜べず、自殺さえしてしまいます。そして守護霊として活動されているあなたもおわかりのように、私たちの心はとても脆い。そしてそれは、必要な教育が為されていないからでもあると思います。だからこそ私たちは、自分の内面を、感情を、もっとよく見つめなければいけないと思っています。「これは本当に、私の想いなのか?」「これが本当に、私の望んでいる行動なのか?」と、いつも問わなければいけないと思っています。そうしなければ私たちは、すぐに自分を見失ってしまうから。だからその危機感を、表面的にいい言葉を用いることで見えにくくしてしまうことは、長期的に見れば、少なくとも今の私たちにとっては、危険のほうが大きいと思っているのです

なるほど、あなたの立場もわかってきた。だが私の立場からも言わせてほしい。私たち霊は、あなたたちが一般的に思っている以上に、言葉や想いによって多大な影響を受けるものだ。だからもし、自分に「負の霊」というレッテルを貼られ、そこに侮蔑や軽蔑の想いを載せられたら、本人はそれでなおさら、喜びから離れてしまうのだ。言葉には、それだけの力がある。あなたもそれはわかっていると思う。だからこそ、改めてそのことを、よく考えてみてほしいのだ。それに負の霊と言っても、いろいろな程度がある。たとえば誰かに少しいたずらをして転ばせてしまう霊もいれば、殺意を向けてくる霊もいる。それをひと口に「負の霊」とまとめられても、苦しくなってしまうということでもあるんだ

確かに、そういう面はあるでしょうね。でもそれは、たとえば「守護霊」という言葉でも同じだと思います。広い意味で「守護霊」と呼べる存在のなかにも、相手が特定の活動をしている間だけ見守る霊もいれば、何度生まれ変わってもずっと見守り続ける霊もいる。付き合いの長さも、想いの深さも、みんなそれぞれだ。だけどその多様性はあるとしたうえで、ともかくそうした存在を総称して、「守護霊」と呼んでいる。だから、私は「負の霊」も同じように遣っているんです。だからもちろん、そこに程度の差があるというのもわかります。でもそのうえで、それでも言えることは、「たとえ本人は『転ばせただけ』のつもりでも、それが相手にとっては、大きなダメージになることはある」ということです。そしてそれが負の霊として行われたことであるならなおさら、それはたいした意味がないときには起こされないと思います。だからこそそれがもし大事な場面、たとえば結婚式だったり、試験に向かうときだったりしたら?そしてそれが原因で服が汚れて台無しになったり、周りから白い眼で見られたり、さらに大変な目に遭ってしまったとしたら?もちろんそれでも、殺意よりはいいとも言えるでしょう。ですがそれでも、「自分の行動には、ときに想像以上の大きな影響力がある」ということは、わかっていてほしいと思うのです

このことに関連して、この翌日こんなニュースを見つけたので、さらにいろいろなことを考えてしまいました。

結婚の契約をしてわずか3分後に離婚したケースが、クウェート史上、最短と記録された 夫がつまずき転んだ妻を「愚か者」と侮辱したため、妻が判事に結婚の白紙を要求した ネット上では女性に同情の声が続出、ドバイでは15分後に妻と離婚したニュースもある

そしてそのうえで、「霊は肉体人が思っているより、言葉の影響を強く受ける」ということには、私も改めて気をつけておきたいと思います。ただその一方で、霊であろうがなんであろうが、他人がつけた名前やレッテルに、自分がずっと影響されなければいけないのかと言われれば、そんなことはないと思ってもいます。たとえば私は今までにも、「最低の人間」だとか「詐欺師」だとか、あるいは「社会のクズ」だとか「病識のない狂人」だとか、いろいろなことを言われてきました。そしてそれは、いくら数を重ねたとしても、それなりに傷つくことでもあります。でもだからこそ私は思うんです。「自分が何者かを決めるのは、周りが自分をどう呼ぶかではない」と。あなただって、周りから守護霊と呼ばれたから、守護霊として在るわけではないでしょう?逆に言えば、周りから守護霊だとか、神だ仏だと言われているからというだけで、そのひとたちが本当に守護霊だとは限らないということも、私は知っています。「俺が神なんだ!」と名乗る傲慢なだけの霊や、「守護霊」と見せかけて実際には近くから本人を陥れようとしている存在がいることも、私は実感的に経験してきました。だから負の霊だって、周りがなんと言おうがどう思おうが、自分が心から誇りを保てることをやっているなら、「自分は負の霊なんかじゃない!」と、強く思って生きればいいと思うんです。だけど実際には、負の霊は本当には、そんなふうに思えることはない。彼らのやっていることは、誰よりも彼ら自身にとって、誇りあることではあり得ないから。だから誰よりも彼ら自身が、自分が負の霊であることを知っている。だからこそ、彼らはやはり、負の霊なのだと思うのです

彼は私の話を最後まで静かに聴いて、こう言った。

そうだな。誰もがあなたのような理解を持っているなら、本当にはなんと呼んでもいいのかもしれないな。だがあなたが言う「負の霊」という言葉から、いわゆる「悪魔」や「悪霊」と同じような印象を持つひともいるから。そしてただそこにいるだけで、そして少し写真に写り込んでしまっただけで「悪霊」扱いされる風潮が、霊界をおかしくしてしまってもいるから。だからそういったことは、改めて伝えていってほしいと思うよ

そうですね。わかりました。ただこれでも、「悪霊」とか「魔物」とかよりは、ずいぶんよく考えた言葉を遣っているつもりではあるんですよ。それに私は、「負の霊」という言葉を、「そのときの状態」について言っているだけで、「そのひとの本質」について言っているわけではないんです。だって負の霊としてあるべき存在などいないのだから。それは自然ではない、歪んだ状態だから。だから私は、それが「不自然」であることを、「異常」であることを、伝えたいと思っているんです。だって、それはそのひと本来の姿ではないから

そうだな。ただ今はしかたないから、今のところ必要な区分けだから、そう呼ばざるを得ないということなんだな

そういうことです。だってそんなこと言ったらほんとには、「善人」と「悪人」の区分けだって要らないじゃないですか?そうですよね?

そうだな。そのとおりだ

そうなんですよ!だから本当には、私とあなたが話すぶんには、なんの複雑な確認も要らないんです。ただ今の社会では、そうではないことが多いから、それどころか一般的には、霊の存在そのものが否定されているから、そしてそれでいて、あまりにもめちゃくちゃにされているから、だからその危機感のなかで、どこからどう合意を図っていくか、私も私なりに、真剣に取り組んでるんです。それは、あなたにも納得していただけませんか?

そうだな。それは私にもわかった。だがだからこそ、あなたがよりよく伝えられるように、私も私の想いを伝えさせてもらったのだ。霊はあなたたちが思っている以上に、肉体人から影響を受けてもいる。だからそのことを、改めてわかってほしかったのだ

ええ、それはわかりました。だから私も、改めて負の霊について考えてもらうため、このやり取りをこのまま記録して公開しようと思います。ただやはり、「守護霊」という言葉の収まりのよさに比べて、その本質を端的に言い表すのにいい言葉が、今のところ「負の霊」以上には見つからないんです。過剰に恐怖を煽りたくもないし、やたらと彼らを敵視したくもない。だけどやはり、危機感は忘れたくないし、忘れてほしくもない。私が肉体人の立場でいると、そういう微妙なバランスのなかで選ばざるを得ないということなんです。私が言う負の霊とは、そういう意味なんです。

わかった。それがそのまま、他の方々にも伝わっていくといいな。私も、そう願っているよ

 

こうして、彼との対話は終わった。そして私は約束どおり、このやり取りをここであなたとも共有することにしたのである。そしてこのことで、またあなたにもなにかを考えてもらえれば嬉しく思う。そしてもちろん、私やあなたに関わる負の霊にも、一緒に考えてもらいたいと思うのだ。

私は、負の霊であるあなたを憎んでいるわけではない。今のような世界を嫌うあなたの気持ちは、私にだってわかる。だがだからこそ、私はあなたに抗っている。あなたを憎んでいるのでも、嫌っているのでもない。あなたの今の在りかたに、精いっぱい抗っているのだ。だってそんなことを続けていたら、あなたはますます、あなたではないものになってしまうからだ。

私は、私でないものにはなりたくない。私の大切なひとたちに、そのひとではないものになってほしくない。だから、あなたに抗っているのだ。あなたをあなたでなくするその力に、その負の力に、抗っているのだ。私は、あなたの本質を敬っている。だから、そこから遠ざかるすべての力に、抗っている。だからこそ、私は今のあなたにさえ、全力で抗っているのだ。そのことを、理解してもらえたらと思う。そしてそのことを理解してもらうためになら、私はこれからもあらゆる言葉を尽くして、その可能性に挑み続けていこうと、そう思っているのである。