話し合うことはとても大切なことだ。友達であれ家族であれ、同僚であれ仲間であれ、話し合えるなら話し合うに越したことがないとは言えると思う。
そしてその大きな理由をひとつ挙げると、
話し合うことで、誤解を解く方向に進んでいけるから
だとも言えると思う。
私たちは、自分でも驚くほどよく誤解をしている。こうしたことについて、たとえば仕事の場などで、相手になにか指示(依頼・通達)をしたあとで、
今なにを言われたのか、自分の口でもう1回言いなおしてみて
と言ってみると、相手が言いなおした内容が、自分の意図と既にだいぶズレているなどという話もある。だから本当に、誤解とはそこらじゅうに転がっているものなのだと思う。
こう考えてみるとなおさら、話し合うことの大切さはいくら言っても言い尽くせないほどなのだが、そのなかには他のどんな相手とも異質なひともいる。それが、
「自分自身」
である。
少し思い起こしてみると、たとえば学生時代の
「進路指導」
の場などで、
自分自身とよく向き合って、気持ちを整理してみなさい
などと言われることは誰にでもあるのではないかと思う。そして肉体人に限らず、守護霊からも、このようなことを言われることはよくある。それに私自身も、混乱しているひとに向かって
ゆっくりと自分を見つめながら、想いを整理してみてください
というようなことを伝えることはよくある。
こうしたことは言い換えれば
自分自身とよく話し合ってみてください
ということなのだが、実のところこの
「自分自身との話し合い」
については、他の誰との話し合いよりも、場数を踏むことが難しいとも言える。これは完全に、自分の意志のみによってしか、行われることがないからだ。だから極端に言えば、そんなことをいちどもしないまま、人生を終えることだってできると言える。そして他のどんなこととも同じことだが、これもまた、
「最初の一歩」
を踏み出すのが最も力を要する。だからある程度慣れてしまうまでは、そんなことをしてみたいとも、そんなことができるとも、思えないかもしれない。
そもそも、あなたももしかしたら、
自分は自分でしかないのに、なぜ自分自身と話し合う必要があるんだ?自分と話し合ったところで、新しいものが出てくるはずがないじゃないか?
というような想いに駆られてしまうかもしれない。だがこの先入観は、やってみると意外にも崩れ去るものだ。というのも私たちは本当には、
自分のなかになにがあるのか?
ということについて、ほとんどなにも知らないからである。
と言っても、少し考えてみれば、こんなふうに
自分自身と話し合うことが大切なんですよ!
というようなことを言っているひとというのは、既にたくさんいると思う。だからこの考え自体はなにも新しいものではないのだが、ここで霊媒師という立場からこの文章を書いている私の目線から言うと、
そもそも「思考」や「自分自身」という概念の捉えかた自体が、今の主流派とはだいぶ異なっている
という自覚がある。そしてだからこそ、私はなおのこと、自分自身と話し合うことの重要性に確信を持つことができる。これを先に挙げた疑問に即して言うと、
あなたが「自分自身」だと思っているもののなかには、実は意外なほど多くの「他者」が含まれています。だから自分自身と話し合うことは、とても多くの発見を、もたらしてもくれるんですよ
というのが、私の答えなのである。
これを踏まえたうえで、まだ自分自身と話し合うことに慣れていないあなたのためにも、ここからはより具体的な例を示しながら見ていこう。
たとえば
タバコをやめたいんですけど、どうしてもやめられないんですよ!どうしたらいいんでしょうか?
というようなことを言うひとはよくいる。
もちろんこれに対して、今はだんだんと増えてきている
「禁煙外来」(依存症治療施設)
などの力を借りることもひとつの方法なのだが、もしこれを今の文脈に即して、
「自分自身と話し合う」
という角度から取り組んでみるとすると、それは自分自身に対して、たとえばこう訊いてみればいいということだ。
あなた(私)は本当に、たばこが好きなの?
こんなことを想定すると、あなたはもしかすると
そんなの当たり前じゃないか!好きだけどやめられないから、こんなに困っているのに!
と思うかもしれない。それに実際、自分で自分に訊いてみても、同じような答えが返ってくるかもしれない。
だが私は前に、

という文章にもまとめたとおり、そして先ほども言ったとおり、私たちが一般的に
「自分自身」
と見なしているもののなかに、実際にはたくさんの「他者」が混じっていることを、あなたよりよく知っている。だからそんな私は、最初の問いに最初の答えが返ってきた時点で、そのやり取りを打ち切らないでほしいと思う。そしてさらに、同じことを何度も訊いてみてほしいのだ。
あなた(私)は本当に、たばこが好きなの?
そうするとどこかのタイミングで、答えが変わるかもしれない。というより、その可能性は充分に高い。だからこそ、自分自身とよく話し合ってみることには、意外なほど大きな価値が隠されているのである。
あるいはまた別の角度から、こんなふうに訊いてみるのもいいと思う。
あなた(私)は本当に、たばこをやめたいの?
そうするともしかするとまた
そんなの当たり前じゃないか!やめたいけどやめられないから、こんなに困っているのに!
と言われてしまうかもしれないが、これも徹底的に訊き続けてみると、また違った答えが出てくるかもしれない。そしてこれはもちろん他のどんなことにも応用できるのだが、なんにせよ最も重要なことは、
「他の誰でもなく、あなた自身の想いを訊く」
ということだ。これは、
あなたの家族は、あなたにたばこをやめてほしいと思っているの?
と訊いているのではないし、
今の社会は、あなたにたばこをやめてほしいと思っているの?
と訊いているのでもない。これは徹頭徹尾
あなた自身は、いったいどう思っているの?
ということを、訊いているのである。そしてこれは本当に驚いてしまうほど、今の私たちはその
「自分自身の本当の答え」
を、ほとんど知らないのである。
ただもちろんこの答えが、たとえば
誰より私の家族が、私にたばこをやめてほしがっている。そして私は、大切な家族のその願いに応えたいと思う。だから私は、たばこをやめたいんだ
というようなものだとしても、それはそれでいい。
大切なひとに寄り添いたい
と想うことは、素晴らしいことだ。だからこそそれを、
「自分自身で決めて貫く」
ことが、なにより大切なのだ。
その
「自分自身で掴んだ核心」
を確かめ糧にするために、自分自身と話し合うことは、とても大切なのである。
また、これは以前

にも書いたことだが、このような問いの変型のひとつとして
私は今、もしかして傷ついてるんじゃない?
私は今、本当は泣きたいんじゃない?
というように訊いてみるのも、とても大きな意味があると思う。それにこれは私も特に実感を込めて言えることなのだが、自分が今本当はどう感じているのかについて、今の自分がよく理解しているとは限らない。だからこれはたとえ日記にまとめようとしても、本当のことを書けるとも限らないのだ。
今日は楽しい1日だった
今日は哀しい1日だった
と日記に書いたとしても、それは
「その時点で振り返って、その時点の自覚に基づいて書いているもの」
に過ぎない。だからもしかしたら、そこに真実が映し出されてはいないかもしれないのだ。
こうした観点から、私は最近
「自殺者の遺書の信頼性」
について、ますます疑いを強めるようになってもいるので、そうしたことについて書いたコメントにリンクしておきます(同じ文章のなかのコメントなので見た目は同じになっていますが、クリックするとそれぞれ違うコメントに飛びます)。


だからまず、私たちは
「自分の本当の気持ち」
と向き合わなければいけないのだと思う。
もちろん、本当には師の言うとおり、
「ずっと変わらない本音」
など、ほとんどないのかもしれない。

しかしそれでも、
今の自分が、いちばん大切にしたい、育てていきたい思考・エネルギーはなんなのか?
ということは、よく考えてみる価値のあることだと思う。なぜならそうして初めて、あなたはあなたとして、あなたの選んだ人生を歩んでいけるからだ。あなたが選んだ人生には価値がある。それはあなた自身が生まれてきたことによって、最初から証明されている。そう思えないとしたら、今のあなたは自分自身を誤解している。だからあとは、あなたがあなたとして、それを生きてみればいいのだ。そしていつかは、その誤解を解けばいい。

あなたなら、きっとできる。そしてそのために、自分ともっと話し合ってみたらいい。それに私もそのあなたの歩みに深い共感と敬意を保ちながら、今日もこうしてあなたと一緒に、生きていってみたいと、そう思っている。

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こんばんは。Dilettanteさん。
ぐうの音も出ません。本当にその通りですね。
先日、煙草を吸っている患者さんに、”煙草はいつ辞めても効果があるんですよ”と伝えたら、とても喜んでくれました。
そして、患者さんは続けて、医師に”煙草止めないで病気の治療を始めても意味がない”と言われ、悲しかったということ、(実際には悲しかったとは言っておらず、その医師を責めるような言い方でしたが、そのように私は感じた)当時は大人が子どもに煙草を勧めるような時代(高校生を狙って大人が販売していたらしい)で、仕方がなかったんだというような話をしてくれました。
この記事を読んで、この経験に関して、色々思うところがあります。
なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
そうですか、そんなことがあったんですね。
たばこというのは現状において
「吸うことには害しかないと言ってもいいと、誰もがわかっていながらやめられない」
(筋金入りの愛煙家でさえ、たばこの害を否定してはいない)
という意味で、とても象徴的な行為だとも言っていいと思っています。
私自身も、自分で
「悪いクセ」
だと自覚しているものがいくつかあるのです(その代表的なものが、自分を過剰に責めてしまうことです)が、そういったものとどう向き合っていくのかについても改めてよく考えてみたいと思います。
ただ現時点でひとつはっきりと言えることは、
よりよい方向に変わろうとするのに、遅すぎるということはない
ということなのでしょうから、私もこのことを肝に銘じて、生きていきたいと思っています。
これって限定しないと悪意をもった存在も答えるのでは?
なるさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
ええ、あなたの懸念は私から見てもとても大切なものだと思います。
ただそのうえで、たとえ
守護霊さん
私を応援してくれる方々
などと限定して呼びかけてみたとしても、それでもなお悪意ある存在が入り込む余地はあるというのも確かです。そして、それを経験と場数によって補える面は間違いなくある一方で、その余地を完全になくせることはないと思っておいたほうが、むしろ本当の意味でも安全だと思います。
ですが、自分がそれだけ多様な存在から影響され続けていて、だからこそ自分のなかには多様な想いや考えが混在しているのだということを理解するためにこそ、自分自身と話し合うことには大きな意味があるのだと思います。
そしてその
「多様な材料」
からよく選び取って自分らしく織り込んでいくことで、少しでもいいと思える自分を創っていけたらいいなぁと、私もいつも、そう思っています。