自殺への強烈な誘い。そんな念に抗いながら、今の私が思うこと

少し考えてみただけでも、こういう状態で私が文章を書き残すというのは今回が初めてではなく、今までにもときどきあったことだと思うが、ともかく、今の私の状態はとても悪い。とはいえ、このように文章に起こせるようになったのだからそれなりによくなっていることは確かなのだが、それにしてもまだまだひどい。しかしだからこそ、まずなによりこれから先を生きていく私自身のために、そしてあなた自身が同じような思いで苦しくなったときのためにも、できるだけ真摯に自分と向き合って、率直な記録を残しておこうと思う。

まず単純に言って、今の私は自殺したいという念を送られている。ただこれは別に今日に始まったことではなく、私に限らず多かれ少なかれ誰にでも送られていると言っていいものなのだが、それにしても今回のこれは特に強烈で、先ほども書いたように最もひどいときはもう過ぎたと思っているが、その波がもう2週間くらいは続いている。

ただこれも、

自殺したいという念を送られているのではなく、そもそも自分自身が、自殺したいと願っているのではないか?

と捉えることもできる。そしてこの想いは、霊的な理解があったとしても、必ず持つものだと言っていいと思う。ましてや、そのような教育・示唆を受けたことがない現代の大多数のひとなら、そもそそれが

「送られているもの」

であるという可能性に目を向けることすらないだろう。

そのうえで私自身を改めて振り返ると、確かに、私自身のなかに自殺してしまいたいという想いがまったくないとは言えない。いかに強力な負の霊であれ、基本的には0を1にすることはとても難しく、その代わりに1を100にしたり、10000にしたりするものなのだから、その意味で私のなかに

「種」

があるからこそ、それが育っているとは言える。

そしてさらに掘り下げていくと、私が最初に自殺のことを考えたのは、それこそ10代になるより前だったことも間違いないと思う。ただそれでも自殺を選ばなかったのは、私が生まれてからずっとあまりにも弱いからだで生きていたために、言ってみればいつ死んでも不思議ではないような状態だったにもかかわらず、それでも私は死ぬことがなく、そのことを周りのひとたちがとても喜んでくれたのに、それを自分で死なせてしまうのは、そのひとたちにも自分のからだにも申し訳ないと思ったからだった。また、私を育ててくれた家族が、飛び抜けて信仰心が篤いわけでも多弁なわけでもないのに、自殺に関してはなんとしても選ばないようにと、そういった報道があったときなど、折に触れてぽつりぽつりと語ってくれたことも大きかったように思う。

そしてそこに輪をかけたのが、私が霊媒としての経験を重ねるようになったことなのは明らかである。そのなかで少なくとも私自身は、死後の世界の実在を確信し、そのうえでたくさんの自殺者や遺族、それに自殺に誘い込んでいった負の霊団の話までも聴いていくなかで、私はどうしても、自殺だけは選んではいけないのだと、これ以上ないほどに、その全身全霊に叩き込まれていったのである。

ただそんな私が、今は強烈な自殺への誘いの波のなかにいる。そして先ほども、

たとえどんなに煽られたり膨らまされたりしているにせよ、その「種」は確かに、私自身のなかにある

とは言ったが、これだけ毎日毎時間、負の霊に罵倒されたり挑発されたりしたうえで、夜もほとんどが悪夢を見るというのでは、どんなに経験を積んできたとはいえ、隙をまったくなくすのは無理ではないかとも思う。ちなみに、こんなことを毎日書いていたらキリがないのでやめているが、今回だけ参考のために記録しておくと、ここ数日で見た悪夢というのは、たとえば

「お風呂でシャンプーとボディソープをつけたら、やたらと具合が悪くなった。それで驚いて見返してみると、さっきまでシャンプーとボディソープだったはずのものは、ワイドハイターとカビキラーに変わっていた」

というようなものである。どれだけ場数を踏んでも、やはり気持ちが悪いものは悪い。

そしてここの文章をずっと読んでいるあなたならもうよく知っていることだと思うが、私は基本的に、自分のことについて喜びやしあわせを感じることがとても苦手で、その意味で言えば負の霊に対する耐性はそう強くないとも言える。それを年季と場数、それになにより周囲の支えによりなんとか補ってもらっているというのが私の実態だというのは、誰よりも私自身がずっと自覚している。だからやはり、ときどきこんなふうになるのは、なんの不思議でもないのだ。

 

だからといって、私は自殺はしない。ただそれでも、今回の波が特に強烈なのは間違いない。別の観点から言うと、私は今回1年ぶりに、危うく寝込みそうになるほどの風邪を引いたほどだ。それで私は基本的に薬はできるだけ避けているのだが、今回は

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を処方してもらい服用したところ、数日で肉体的な不調は緩和していった。なお、私は胃腸も弱いほうではあるのだが、副作用はそれほど気にならなかったので、私の今のからだには、それなりに合っている薬だったのだろうと思う。

だからやはり事態は少しずつでも確実に好くなってきているのだが、それでもまだまだひどい心理状態でいるなかで、私が考えていたのは、

「明らかに負けると思われていたほうが、あるいは実際に負けたほうが、後々にはそのときの「勝利者」以上の立ち位置に立ったという歴史」

のことだった。

 

たとえば平氏と源氏の争いは、いったんは確かに平氏が勝った。間違いなく、はっきりと勝っていた。ところがその後、平氏は滅び、源氏が幕府を開くことになる。あのとき、もし源氏がすべてを諦めて自殺していたら、この転回はなかったのである。

こうしたことは戦国時代からの歴史を見ていくとさらに興味深いと思われるのだが、たとえば

「小牧・長久手の戦い」

では、私の個人的な見解では、少なくとも一時は秀吉側がかなりの劣勢に立っていたように見える。ところがその後政治的な駆け引きも含めて秀吉の目論見が功を奏し、豊臣政権を樹立した。

しかし秀吉の死後、家康は豊臣側から政権を奪取する。たださらに細かく見ていくと、その過程であまりにも有名になった

「関ヶ原の戦い」

において、家康方の東軍は当初明らかに不利であった。少なくとも、あれほどの大勝を挙げられるようには思えなかった。が、最終的に勝ったのは東軍であり、その後家康が江戸幕府を開くことになった。

だがそのとき、負けた西軍側の中核であったにもかかわらず辛くも処刑を免れ、その後も長年辛酸を嘗めることになった毛利家は、やがて江戸幕府倒幕の旗頭のひとつとなり、それは成功を収めた。ただこれも、関ヶ原の戦いの後から、様々な葛藤や苦悩があっただろうなかでも、毛利家が死、あるいは破滅的な生き様を選ばなかったからこそ成し遂げられたものであることは明らかである。

そしてさらに言えば、紆余曲折のなかでも200年以上続いた幕府の礎を築いた家康は、そもそも三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗を喫しているし、幼い頃から織田家と今川家の人質になったこともあり、とても苦しい時期を乗り越えてきたことには疑いの余地がない。そのときに死や破滅を望んでいたら、その後の家康はなかったのである。

 

だから私はこうした歴史を振り返ってみると、しみじみ歴史の

「一筋縄ではいかなさ」

というか、

「勝ち負けの妙」

のようなものを感じて、様々な感慨を覚えるのである。世界は常に流れ続けていて、あらゆる

「固定概念」

も、やがては流れ去っていくとも言える。

そして

「勝つと思っていたひとが負けて、その負けたひとがそのあとで勝って、そのあとでまた負けて、次は勝つ」

というようなことも、よくあるとも言えると思う。

だからそうした観点から言えば、私は武田信玄に縁のある甲信越地方のあたりや、伊達政宗に縁のある東北地方のあたりが今後どのように動いていくかに、個人的に強い関心を抱いてもいる。私は武田信玄や伊達政宗が天下を取っていた可能性も、充分にあると思っているからである(ただもちろん、そうなっていればその後の歴史も体制も大きく違っていただろうから、そのほうが今よりよかったとか悪かったということを言いたいわけではない)。

 

そしてそうしたことをすべて踏まえたうえで、もういちど改めて私自身のことを振り返ってみると、やはり私は今自殺することを選ぶ気はないし、これからもそんなことはしたくないと思う。それに以前

楽しいかい? 私の師はいつも私にそう笑いかけ、 楽しくないのなら、なにかが間違っているんだよ と言って、飄々と自分の道を歩...

とも書いたように、私たちのしあわせを望まない存在がいることも前提すれば、彼らから執拗に妨害され、苦しめられるということは、逆説的にその道の先に大きなしあわせがあることを示唆しているとも言える。なにもしなくても悪くなる方向に進んでいるのなら、わざわざ邪魔をする必要もないのだから。

だからその意味で、私が誰よりも、私の未来に、この人生の終着点に、強い関心を保っているのだ。特に裕福でも健康でもなく、なんの権力も持っていない私をこれほどまでに妨害する先にはなにがあるのだろうか?それにもし、結果的に特になにもなかったとしたら、彼らは邪魔するべき相手を見誤ったということになる。それなら、その間に別の誰かがそのぶん順調に歩めるということなのだから、それならそれでもいいのだ。

かつて私に対して、

理想を掲げてそんな生きかたを続けるあなたと、棄てるところは棄ててあなたが手にできないものを手に入れている私と、最後に笑っていられるのはどちらか、勝負してみましょう

と言ってきたひとがいて、私はそれを受けたわけでも受けていないわけでもないのだが、ともかくたとえ私がどうなったにしても、そんなひとが心から笑えるはずがないのだと、今の私はそう思っている。確かにそのひとは

「関係性の力」

をよく知っていて、その力の扱いは私よりずっと巧みだったと思う。しかしそれでも、そんな勝負を提案してくる時点で、私はそんな相手にこそ決して手にできないものがあるのではないかと、そう思っているのである。

部分的には負け惜しみのように聞こえるかもしれないし、もしかしたら本当にそうなのかもしれないが、それでも今の私はこう思う。たとえ私がうまくやれなくても、最終的に私たちがうまくできればいい。たとえ私が一時的に負けていたとしても、最終的に仲間も含めてやりたいことを成し遂げられればいい。だから、私は私にできることをやっていけばいいのだ。そのために、私はまだ生きることを選ぶ。あなたと一緒に、生きることを選ぶ。そのお互いの人生を、これからを見守り合えていけたらと、私は心から、そう願っている。

コメント

  1. なすび より:

    こんばんは、Dilettanteさん

    私もそう思います。負の霊達は、きっとDilettanteさんの人生が羨ましいのではないかなと思います。

    東進ハイスクールの林先生が言っていました。

    人のことを邪魔・意地悪する人間は暇でかつあなたに強い関心がある人間なのだと。

    ですので、再びお会いしたときに、お互いに少しでも笑顔が増えるように、頑張れたらいいなと思っています。

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      あなたのその感想を読んで思ったのですが、もしかしたら誰のどんな人生も、誰かの立場から見ると、羨ましく思える部分があるのかもしれませんね。

      それに今改めて思い返してみると、あなたと前回初めてお会いしたときも

      「間違いなく会えるはずだったのが会えなくなり、もう会えないのかと思いきや結局は会えた」

      という、まさにここで書いたことを地で行く体験でしたよね。

      ですからやはり、人生の結末を悪く思い込むのはあまりにももったいないということなのでしょう。

      それにきっと今度は、前回よりはすんなりと会えるのではないかと思っています。

      私もその日が来るのを、とても楽しみにしています。

  2. うさおう より:

    どうか負けないでください、あなたの言っていた未来を楽しみに俺も頑張ります。

    • Dilettante より:

      うさおうさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      あなたにそんなふうに言われたら、そんなあなたを置いて抜けてしまうわけにはいかないので、生きる理由がまたひとつ増えましたね。

      ですから確かにけっこう苦しくもあるのですが、結局のところはだいじょうぶだと思います、というか、今までもそうしてきたように、最終的にはなんとしても、だいじょうぶにします。単純に言って、たとえ生きることが苦しいとしても、苦しいとしか思えないとしても、それでも私はやはり死にたいわけではないからです。

      今がひどいからこそ、なおさらいい未来を創りたいですよね。

      これは一見壮大な目標のようでもありますが、一緒にやればなんとかなるでしょう。

      私はまだまだ本当に未熟者ではあるのですが、どうぞこれからも、よろしくお願いします。

  3. jubee より:

    体調は少しはよくなられたでしょうか。

    脳天気に毎日を送る私には、Dilettanteさんの大変さなど、

    本当にはわからないのだとはおもいます。

    けれど私も以前に、自殺したら楽になるかなと思った経験があり。

    ただ、高いビルから下をのぞき込み、

    「落ちたら痛そうだな・・」

    などと死ぬにしてはあまりにも情けない気持ちがわいてきて、やめたことがあります。

    今にして思えば、

    情けない自分、飛び降りる勇気すらない自分、ばんざーい!ですよね笑

    だから・・。

    どうかどうか、生き抜いて下さい。

    どんなに誘われても、それでも生きて下さい。

    折しも日本は新しい元号が発表されました。

    以前に、Dilettanteさんは大和魂のことを書かれていました。

    日本人も外国人も関係ないと。

    けれど、もしかしたら、今この時期に日本人としていることが、

    まずいのかもしれない。

    誘ってくる霊は、変わっていく日本にDilettanteさんにいられては、

    困るのかもしれない。

    生まれてくるときに、時と場所を選ぶのなら、そんなことも考えられるのかな、と。

    などと、霊のれの字も見えない聞こえない感じない私が、

    偉そうに、本当に申し訳ありません。

    ただ、こんな私でも、一ミリでも何かから気をそらす事が出来るかなと、

    お礼の意味もかねて、

    僭越ながらコメントさせていただきました。

    未来は今の想いからどんどん変わっていきます。

    休むことなくそれを形作っていく宇宙の緻密さ美しさに驚嘆しつつ、

    少しでも未来がDilettanteさんの思い描くものに近づいていくよう、

    こころから願っています。

    • Dilettante より:

      jubeeさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですか、あなたにもそんなご経験があったんですね。

      あなたはご謙遜なさいますが、そんなふうに自殺を具体的に意識するところまで行ったあなたが、今は

      脳天気に毎日を送る

      ことができるようになっているというのは、本当に素晴らしいことだと思います。それは多くのひとの参考にもなると思いますし、実際あなたの周りの霊たちも、興味深く学んでいるものと思います。それは、あなたに直接霊感(の自覚)があるとかないとかとは、関係ないんです。

      それから、私が今回日本に生まれてきたのは、細かく見ていくといろいろな理由も挙げられるのですが、実のところ単純に

      花がとてもきれいだから

      というのも大きな理由だったりします。だから本当は、そんなに大それたことでもないんです。それに四季がはっきりしていると、とても美しいですもんね。

      ですからそんな私は、もしかしたらこれからも国内でちょこちょこと動いたり引っ越したりすることはあるかもしれませんが、国外に拠点を構えることはおそらくないだろうと思います。というか現時点では、海外旅行にさえ行ったことはありませんし、その予定もまったくありません。だからやはり、私には日本が性に合っているんでしょうね。来世以降のことは、またそのときに考えますけれど。

      私のことをそうやって気にかけてくださって、本当にありがとうございます。

      そしてあなたもどうか、これからもそんなあなたらしくいてくださいね。

      どうぞよろしくお願いします。

  4. なみだ より:

    喜びとか幸せとかよくわからなくなる事もありますけど

    私はあなたが生きているということがとても嬉しいです

    心から共に笑える日がきますように

    • Dilettante より:

      なみださん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      あなた自身も自暴自棄になりかけていた時期があるにもかかわらず、そんなあなたからそのように言っていただけるというのは、またひとしおの感慨を覚えます。本当に、ありがとうございます。

      それにご自身ではそれほど自覚していないかもしれませんが、あなたは短い言葉のなかに想いを込めるのがとても上手だと思います。少なくとも、私にはあなたの想いがとてもあたたかく感じられます。

      私もあなたも笑うのはあまり得意ではないかと思うのですが、そんなあなたとも一緒に心から笑える日が来たらいいなぁと、心から思います。

      ですから私も実のところまだまだわからないことだらけなのですが、ともかくもう少し、生きてみたいと思います。