共感されたいのか、新しい認識を得たいのか?お互いが得たいものと、お互いが与えられるもの

なんだお前、みんなから同情されたいのかよ?バカじゃね〜のか?死ねばいいのに

これは私が先日ここに

少し考えてみただけでも、こういう状態で私が文章を書き残すというのは今回が初めてではなく、今までにもときどきあったことだと思うが、ともかく、今...

を公開した直後に、負の霊から言われた(私のなかに浮かび上がってきた)言葉の一例である。

それで私は、よりいっそう自分自身と向き合うこととなり、その結果さらにいろいろなことを考えたので、そのこともここに公開して、あなたと共有しておこうと思う。また、これも元からそうかと言えばそうかもしれないが、前回の文章も今回も(さらに言えばここ何週間かのメールやコメントへの返信も)、どうもたどたどしいというか、読んでいて流暢ではないと感じられるかもしれないが、ともかくこれが今の私の実情だということで、そのまま記録しておきたいと思う。

そう、私はまず第一に、私の状態を記録しておきたいのだ。これは、まず誰より私自身が、

こんなにひどい状態のときもあったのに、そこからでも這い上がってこられるものなんだなぁ……

という実例を、あとで振り返るためである。そしてこれは、

本当にひどすぎる状態のときには、それを記録しておく気力も体力も湧かないから

という理由でもある。

実際、たとえば私が霊的な体験をするようになった最初の数年間の記録というのは、もうどこにも残っていない。ただこれは、本当は当時も一部を記録しておいたのだが、そのときはもちろん『闇の向こう側』もなかったし、家族にも誰にも自分に起きていることを伝えていなかったので、

もし万が一にでもこんな記録が誰かの目に触れたら、ほぼ間違いなく病院に送られて、2度と出てこられなくなるかもしれない

と考えて、そこから多少なりとも落ち着いてきた頃、念のため黒の油性マジックですべてを塗りつぶしたあとで裁断し、すべてを燃やしてしまったのである。

私は今でも、その判断がまったく間違っていたとは思っていないが、もしそのときの記録があったら、その数年間、私が毎日をどうやって乗り越えていたのか教えてほしいという気持ちはある。

そして現在、こうして『闇の向こう側』を創ったあとの私がひどい心理状態に陥ったときの記録は、それなりにここに残してある。だがそれも、本当にどん底だったときではない。だから実際、たとえば今から2〜3週間ほど前の記録はここにない。もちろん記憶はあるが、はっきりとはどこにも残っていない。そういった意味もあって、やはり記録できるときには、記録を残しておいたらいいというのは、確かに思っていることだ。

 

が、いったんそれを確認したうえで、それでもただ単に記録を残したいだけであれば、私だけが読める場所に残せばいいのだと考えれば、やはりそれをこの場所に公開する理由に、

これを一緒に共有したい

という想いがあるのは明らかであり、ではなぜわざわざ共有したいのかと考えれば、そこには冒頭の彼が言うように、

同情されたい

という気持ちが、まったくないとは言えない。だから彼の言うことは、少なくともその点に関しては、別に間違ってもいない。

 

ただこれを踏まえたうえで、いったん視点を換えてみると、私はあなたにこうして私の話をするのと同じくらい、

「あなたがあなたの話を聴かせてもらう」

こともある。

そしてそのときの私の気持ちというか考えのなかには、

なんでもかんでも、やみくもに同情すれば(同情してみせれば)いいということではない

というのも大きい。

ただこの

「同情」

という言葉も難しいもので、なんだか同情と言うと、

「相手を哀れんでいる・自分よりちいさな、より弱々しいものとして軽んじている」

というようなニュアンスが含まれてしまう気もするので、ここではより素朴な言葉として、

「共感」

と言い換えておこうと思う。

そしてこのようなことについては、以前

他者とうまく関わっていきたいなら、相手に心を開いてほしいと思うなら、相手への共感を示すといいですよ というようなことは、よく言われるこ...

という文章もまとめたことがあるのだが、ここではそれも下敷きにしつつ、もう少し掘り下げて考えていこうと思う。

 

それで、なぜ私が

なんでもかんでも、やみくもに同情すれば(同情してみせれば)いいということではない

という考えで話を聴くかと言うと、

そもそも他者である私が(少し話を聴いただけならなおのこと)相手に完全に共感できると思うことが間違っている(だから、自分にも相手にも嘘はつきたくない)し、もしたとえ私が相手に完全に共感できたとしても、それで相手の問題は、まったくなくならないから

というのが第一の理由にある。ただこう言っている一方で、私もこれがそう単純な話でないことも自覚している。つまり、もし相手と完全に共感し合うことができたとしたら、その時点で相手の問題は、気持ちは、多少なりとも軽くなると思う。もちろん、私自身もそうだ。

「自分と違う存在であるはずのあなたが、私の気持ちにそこまで共感してくれた」

という奇跡は、確かに私たちを癒やす。だからそこに強い力があることはわかっているのだが、それでもやはり、

「共感するだけ」

では足りないのだと思う。というか、問題を解決するには至らないのだと、私は思うのである。それは、

自分が自分の考え(選択)に基づいて生きてきた結果として現状があるのだから、それとまったく同じ考えを持つひとが増えても、根本的には変わらないから

だ。

たとえばあなたが自殺したいとして、私があなたに完全に共感してしまったら、私もあなたと一緒に自殺したくなってしまう。そうすると、自殺したいひとが1人から2人に増えただけで、根本的な問題は、なんら解決しない。本当の問題は、

どうやって、死にたくても生きていけばいいのか?

というところにこそあるはずだからである。

もちろん、これは極端な例だと思われるかもしれないが、他のどのような問題についても、多かれ少なかれ同じようなことが言えると、私は思っている。

だからこそ、あなたは共感されたいのだと思うし、私自身だってそうなのだけれど、それでもいつでもなんにでも共感すればいいということでもなく、

「理解はするけれど、完全には共感しないでおく」

という態度が必要なときもあるのだろうと、私はそう思うのである。

 

だがこれは、ある視点から言い換えると

「私とあなたが、どこまで行ってもどこか違う(完全には同じではない)存在であることを知らせる」

ということでもある。

だからそれは、相手にとっては、特に弱っている相手にとっては、つらいことでもある。

たとえば、

もうどうしようもないので、死んでしまいたいです

というひとに対して、

たとえあなたがどれほど死にたいんだとしても、それでも私は、あなたに生きていてほしいです

と言ったとしても、

私だって、生きていられるものなら生きていたいとも思いますけど、それでもどうしようもないから、死んでしまいたいんです!どうしてわかってくれないんですか!

というようなことというのは、充分にあり得る。というか実際、よくあることでもある。それでも、私は生きていてほしいと言い続ける。私は、あなたではなく私だからだ。そして、あなたがどれほど死んでしまいたいとしても、私は生きていてほしいと思う。それは、私とあなたが、同じ想いではないからだ。そしてそれは、あなたと私が、違う存在だからなのである。

ただこれは、本当には、あなたを突き放しているのではなく、あなたを大切に想っていることの結果でもあるのだ。あなたがあなたのことをどうでもいい、だから死んでしまってもいいと思っていても、私はあなたのことをどうでもいいとは思っていない。だから、そんなあなたに私は共感できない。だから私は、あなたとは違う存在として、あなたとは違う意見を言い続ける。

あるいはたとえばあなたが誰かに傷つけられたとして、あなたがそのひとのことを許しているとしても、私はそのひとのことを許せないということもある。それは、私とあなたの想いが違うからだ。もっと言えば、あなたが私ではなく、私があなたではないから、そう思うことでもあるのだ。だからもし同じことを私自身にされたのだとしたら、私はそのひとを許すかもしれない。だがそうされたのが私自身ではなくあなたであるから、私は簡単には相手を許すことができないということだ。しかしこれは、逆に言えば、あなたもまったく同じことを、私に言いたいかもしれないとも思う。だからこれは、お互い様でもあると思う。そしてもっと言えば、これはきっと

「相手に対する嫉妬」

でもあると思う。あなたを傷つけたうえで、それでもあなたに許されているということが、きっとどこかでは、羨ましいのだろうと思う。だからこそ私はあなたが許せているひとを許せないのでもあると、そう思うのである。

 

ただこれを認めたうえでまた私自身に目線を戻すと、私は相手をより理解できたときに、相手をより許せるとは言えると思う。そしてそのためには、相手の想いをより深く理解できなければいけない。だがそのことに関しては自分は当事者なので、どうしても自分の気持ちが先んじてしまい、相手の気持ちにまで想いを向けられない。だからこそ、私には

「私と違う目線から、私とは違う相手のことを想ってあげられるひとの意見」

が必要なのだ。

だからその意味では、私もやはり共感されたいだけではないのだ。私が本当に知りたいのは、

あのとき私は、どのような選択をしたら、もっと喜べる、納得できる、自分になっていたか?

ということなのである。そこが最大の問題であり、そして私はそれを、未来に活かしたいのだ。だから私だって共感されたくないわけではないが、それでもやはり、共感されるよりも大切なこともあると、そう思うのである。

 

そしてこのような私の考えの背景には、

本当には、誰かだけが悪いということはない

という想いがあるのだろうと思う。しかしそうであるからこそ、問題はむしろずっと根深いのである。なぜならこれは、

誰かだけを責めたり矯正すればいいという単純な話ではない。しかしだからといって、このままなにもしなければなにも変わらない。だからそれぞれがそれぞれに改善点があるという前提に立って、私たちはこれから、どうしていったらいいのか?

ということを考えるに他ならないからである。そしてこの問題の解決は、誰から見ても簡単ではない。そして今までの私たちには解決できなかったからこそ、こういった問題は、今までも今もずっと、ここに在り続けているのである。

またこうしたことに関して、

答えは最初から本人のなかにあるのだから、聴かされたほうがするべきなのはただただ相手の想いを聴き届けることであって、そこに一切の個人的な意見を加えてはいけない。むしろそうやって、「自分の想いが完全に認められた」と思ったときに初めて、ひとは今までとは違う自分に変われるのだ

というようなことを言うひともいて、私もそれにも一理あるとも思う。だがそれでも私としては、

自分のなかにも自分とは違う存在が関わっているからこそ、自分と向き合い続けることで変われるのだと思う。それに、相手は私に話してくれたのであって、「ただ究極的に客観的な存在」を求めているわけではないのだと思うし、なんであれ私は私でしかないのだから、私は私の想いを、できるだけ率直に伝えていきたい

と思っているし、私があなたに私のことを書いたり話したりするというときにも、私は基本的にこのような気持ちを持って、あなたに伝え続けているのだ。なぜなら私は、ずっと言っているように、この問題を解決していきたいのだから。

だから私は、新しい認識を必要としている。そしてそれは、私とは違うあなたからこそもらえるものだ。だから私は、あなたがいてくれることを本当にありがたいと思う。あなたが私に共感してくれることも嬉しい。だがたとえあなたが私とは違う意見を持っていて、それを私に伝えたりぶつけたりしてきたとしても、それで私が瞬間的には寂しく感じたとしても、それでも本当には、それもありがたいことなのだ。

 

だからこのような理由により、私はこれからも、私の体験や想いを、こうやってあなたにも共有したいと思う。そしてできるなら、私にもあなたの想いを、聴かせてほしいと思う。そしたら私は、別に無理に共感して見せることも、あえて違う意見を言って見せることもしない。今までもこれからも、私は私として、私の想いを伝えるだけだ。ただそうは言ってもやはり、これは単純な話ではない。ある意味では、あなたに徹底的に共感してみせたほうが、私はあなたに好かれるかもしれない。そして私だって、あなたに嫌われるよりは、好かれたいに決まっている。それに私もさらにいろいろな経験を積み重ねることで、もっともっとあなたに共感できるようになりたいと思う。ただそれでも私は、あなたがあなたの可能性を信じられずにいるために未来を棄てようとしているのなら、私に見えているその可能性を、示し続けたいと思う。

そして今改めて振り返ってみると、私には今まで

「食べられても眠れてもいるけれど、毎日死に(殺され)そうになっていた時期」

があった。そうかと思えば

「直接的な死の危険を感じているわけではないけれど、ほとんど食べられず眠れなかった時期」

もあった。そして今は、

「食べられていないわけでも眠れないわけでも、誰かに直接殺されかけているわけでもないけれど、自分で自分を殺したいと思わせられている」

というわけで、自分でもこのうちどれが最悪なのかは一概に言えないのだが、ともかく私は今も生きているし、これからもまだ生きていきたいと思っている。そしてそれはあなたが、かつては死にたいと思っていたはずのあなたが、それでもそうやって生きているという、なによりの

「可能性(未来)の実例」

を示してくれているからでもある。だからこそ、私もやはり、なんだかんだ言って、自殺はしないと思うし、結局はふてぶてしくも、また生き延びると思う。だからそんな私は、ふてぶてしいついでに、やはりあなたにも、改めてこう言いたいと思う。

あなたもまだ生きられるから、死ななくていい。今はまったくそう思えないとしても、結局はだいじょうぶだから、私たちなら最後には、すべてだいじょうぶにできるから、だからまだ死ななくていい。自分で自分を殺すなんてそんな哀しいことは、しなくていい。それになにより、しないでほしい。あなたがそう思えないなら、私がそう想い続けよう。そしてその想いを少しでも近くではっきりと伝えるために、私もまだ生きていよう。だからやはりすべては、お互い様なのだ。改めて本当に、ありがとうございます。

コメント

  1. ぴーすぬ より:

    私はあなたに生きていて欲しいです。

    それはあなたに救われたから、あなたに希望を感じているから、これからも励ましてほしいから、何よりあなたが死んでしまったら悲しいからです。死んでも魂はあるから、と分かっていても悲しいです。過去にそんな話の記事を書かれていましたね。

    私も幼い頃から死にたいと思っていて、この気持ちは無くならない、死後は無、だったらさっさと…と思っていました。あなたが真摯に語って下さるおかげで、希望が持てて死のうとは思わなくなりました。辛いときもありますが、自殺はしません。一緒に頑張りたいです。

    これからもよろしくお願い致します。

    • Dilettante より:

      ぴーすぬさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      ええ、年季が入った想いというのは、それだけ強力なものでもありますし、それは

      「想いかたのクセ」

      でもあると同時に、場合によっては過去生から引き継いだものでもあったりするので、本当に根深いものだと思います。

      ですがだからこそ、あなたが

      この気持ちは無くならない

      と思っていた自殺衝動を晴らすことができて、私も本当に嬉しいです。

      それになにより、私もせっかくここまで生きてきたからには、最期まで生き抜いていきたいと思っていますので、多少の危なげはあっても、なんとしてもここで踏み止まろうと思っています。

      そしてこんな私をそんなふうに心を込めて励ましてくださって、本当にありがとうございます。

      こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いします。