長くてつらいなら、文章の表題と終わりだけ読んでくれたらいい

これは前に

私はこの『闇の向こう側』の最初期に掲げた のなかで、 コメントなどをどうするかは、必要が出てきてから、考えてみた...

のなかでも触れたことなのだが、私はこの『闇の向こう側』を創った当初、

私はこのサイトにもあまり執着せず、ひとつの文章を30分〜1時間くらいで書ける分量に留め、不定期で新しい文章を追加していきたい

「業」(ごう・カルマ)という概念がある。私はこれを、 「ある存在の行いすべて」 と捉えている。そしてそのうちの大部分は、当人が肉...

と思っていたにもかかわらず、今ではこれを書くのに3時間はかけるようになった。そしてこれは霊媒としての体験を積むようになってさらに拍車がかかったことも確かだと思うのだが、そもそも私はいろいろなことに思考を巡らせることも、それを文章に落とし込みながら振り返り整理することもずっとしてきたことであったので、そんな私が想いを込めて書けば書くほど、どうしてもそれは長くなってしまう傾向にあることは自覚している。

ただ一方で、私自身は他者が書いた文章や物語などを読むのが好きなので、それが数千字になっても特に長いとは感じないのだが、特に現代のようないくら時間があっても足りないような世界に身を置いているならなおさら、この感覚は一般的なものではないのだと思う。

と、このような自覚は以前から少なからずありはしたのだが、最近になって

私は長文を読むのが苦手なので、もう少しまとめてもらえないですか?

などと言われたり、あるいはおそらくほとんど文章を読んでいないだろうと思われる段階で、私にいろいろと質問をしてくるひともよく見かけるようになった。

もちろん、どんなものであろうと感想はそれぞれだと思うし、それを私に伝えてくれるのはありがたいと思う。それに、自分が知りたいことは、直接私に訊いてしまったほうが、より自分の関心に即した情報を得られると感じるのも自然なことだと思う。

だがそれでも、お互いの間にある程度の共通理解がなければ、私の言いたいこともうまく伝わらないだろうとは思うし、せっかく書いた文章が活かされないのは残念だと思う。

だから私はここで改めて、

もしあなたにとって私の文章が長くてつらいなら、文章の表題と終わりだけ読んでくれたらいいです

ということを、あなたにお伝えしておこうと思うのだ。

たとえば、この『闇の向こう側』で長いこと最も多く読まれている

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

において、私が最も伝えたいことは、まず第一に

私は、自殺して後悔しなかったひとに出会ったことはありません

ということだ。そしてそのうえで、文章の最終盤を見てみると、

私は自殺を乗り越えた霊も数限りなく見てきた。だから、真の意味で「遅い」ということはないのだが、彼らと同じ後悔を、あなたにはしてほしくない。死ぬ方法を考えるより、生きる方法を一緒に考えてはもらえないだろうか?これは私だけでなく、多くの存在の、心からの願いである。

と書いてある。そしてこれがまさに、私がこの文章であなたに伝えたいことの核心なのである。

だから究極的には、この想いさえ伝わって、あなたのなかに浸透してくれれば、他の部分は読む必要がないと言ってもいい。それに、あなたも気づいてくれていて、だからこそいちばん多く読んでもらえていると思うのだが、この

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

という文章は、想いは、そして

死ぬ方法を考えるより、生きる方法を一緒に考えてはもらえないだろうか?

という願いは、この『闇の向こう側』の、私の、中核にあるもののひとつである。だからここにさえ納得して、あなたが生きていてくれるのなら、別に他のどの文章も、読む必要はないと言ってもいい。だから本当は、私の文章は、そしてこの『闇の向こう側』は、とても素朴なものなのである。

とはいえもちろん、たとえば冒頭に挙げた

私はこの『闇の向こう側』の最初期に掲げた のなかで、 コメントなどをどうするかは、必要が出てきてから、考えてみた...

のように、表題が問題提起になっているものもある。この場合は、それを読んだだけでは、結論はわからない。だがその問題提起を踏まえたうえで、文章の終わりのほうを見てみると、

私は、来世があることを確信している。私が永遠を生きる存在であることを確信している。だからいつかは、いつかには、私が成し遂げたかったことを成し遂げられると思う。

そしてそれができたら、また次の景色を見たくて、また生きていくのだと思う。だからこそ、私は、私たちは、永遠の存在なのだ。

だから、その道中で、傷つくこともあるだろう。これからももっと、傷つくこともあるだろう。しかし私は、傷を癒やすことが苦手だ。それにあなたのすべての傷を癒やすことも、少なくとも今は、まだできない。だがだからこそ、そんな私はせめて、自分の傷を活かそうと思って、これからも生きていこうと思う。私は、自分で自分の傷を癒やせるとは思っていない。しかし自分の傷を活かすことは、自分自身でもできると思っている。あなたももう薄々気づいていると思うが、私がここに書いていることのすべては、その記録なのである。

と書いてある。これが、表題で提起した問題に対する、今(そのとき)の私なりの答えなのだ。そして私は最初に

「私の実感、経験、そして相当程度の確信」があるものしか書かない

「業」(ごう・カルマ)という概念がある。私はこれを、 「ある存在の行いすべて」 と捉えている。そしてそのうちの大部分は、当人が肉...

という方針を立て、基本的にずっとそれに沿って書いているので、そのとき(過去)の私が書いていることは、今の私が思っていることとまずほとんど変わっていない。もちろん私の経験が積み重なることによって、その認識がより深まることはあるにせよ、その骨子は、ずっと変わっていないと思う。私は結局のところ、

あなたに、生きていてほしいです

と言っているだけだとも言えるのだ。だから実際、私の文章は、

私は心から、そう願っている。

などと願いを込めて終わっていることが多い。そこで私が願っているのは、あなたが生きていてくれることなのだ。どんなにつらくても、苦しくても、そのつらさや苦しみに圧し潰されずに、あなたが望んだその人生を、最期まで生き抜いてくれることなのである。それが同じ時代同じ地球に生まれた私があなたに望む、いちばんのことなのである。

 

だがもしかしたらあなたは、

それならなんでそれだけのことを、こんなに長々と、こんなにたくさん書くんだ?最初と最後だけ読んでくれたらいいっていうなら、その最初と最後だけ、書いておけばいいじゃないか?

と思うかもしれない。

だが私からすると、確かに最初(表題)と最後に、私の想いが凝縮されているのは事実だとしても、だからと言ってそれ以外の部分が無駄だとか、まったく読んでほしくないと思っているわけではないのだ。もちろん、できることなら、もしよかったら、全部読んでみてほしいとは思っているのだ。

では、その

「表題と最後の間に長々と書かれているもの」

はなんなのかと言うと、

「私がこのような考え・想い・結論に至るまでの過程・背景・要素・体験」

なのである。

私がなぜ、あなたに生きていてほしいと思うのか?私がなぜ、あなたに自殺だけは、してほしくないと思うのか?なぜ、私は今のような私になったのか?

その過程・背景・要素・体験が、長々と書かれているものの核心なのだ。そしてそれがあなたに伝われば、あなたも私の気持ちを理解し、受け入れてくれるのではないかという切実な希望があるから、私はいつも同じことを、いろいろな角度や視点から、何度も伝えてみようとしているのである。

 

それに今の日本のような社会では、私のようなひとは

「病人・妄想者」

だと思われてしまうことが多いと、私も知っている。だから私がいくら、

あなたは、死んで無になるわけではないんですよ

あなたは、たくさんの存在に見守られて、応援されているんですよ

でもあなたの想いは常にかき乱されてもいるから、どうか気をつけてくださいね

などと言ってみても、それだけではあなたにほとんどなにも伝わらないというか、そもそも私がなにを伝えているのかさえわからないだろうと思う。実際つい先日私に

最近あなたのブログの意味がやっと少し理解できるようになり、私は本当にそう思っているのだろうか?とか考えるようになりました。

と言ってきてくれたひとがいるのだが、このひとが最初に私に連絡をくれたのはもう2年以上前のことだと思うので、やはりそれだけの時間がかかって初めて、伝わることもあるのだと思う。そしてだからこそ、私はそうやって少しずつ少しずつでもあなたに私の想いが伝えられることを、本当に嬉しく思うのである。

 

と、今回は短めになるかと思っていたのに、そうできるかと思っていたのに、やはりこの時点で4500字を超えてしまった。しかしこれが私なのだし、ここまで全部読んでくれたあなたなら、そんな私のことをわかったうえで読んでくれていると思うので、というかそうでなければ私の文章など最初から読んでいないと思うので、開き直ってもう少し話を続けようと思う。

 

今はそうした形式の本も減っているのではないかと思うが、私は実のところ

「本の本文よりも、むしろまえがきやあとがき(あるいは、マンガのカバーについている作者コメント)のほうが好き」

という部分があった。もちろん本文に興味がないというわけではないのだが、そういった

「幕間」

ににじみ出ている作者の感性が、とても好きだったからだ。私は基本的に、その作者の感性が好きだから、そこに共感できるから、あるいは心を揺さぶるなにかを感じるから、その作品に触れることを喜ぶひとだったし、今もその傾向は変わっていない。

そしてその観点で言うと、本当のところ、

この『闇の向こう側』で書かれているのはすべて、まえがきでありあとがきです

とも言えるのである。ではその

「本文」

はと言えば、それは実際は、

「私の人生」

そのものなのだと思う。

こんなことを書いているひとが、どんな人生を送っているのか?

という視点で見れば、ここで書かれていることのすべては、そのまえがきである。また一方で、

こんな文章を書いているひとは、どんな人生を送ってきたのか?

という視点で見れば、ここで書かれていることのすべては、そのあとがきである。

だからその意味では、この『闇の向こう側』は、原理的に未完成である。そしてこの世界に

「完成」

などというものがあり得ないのだとしても、せめて私が死んで、ひとつの人生を完結させてみなければ、この『闇の向こう側』の、そして私という存在の意味は、本当にはわからないのだと思う。言い換えれば、私がここまで言ってきたことは文章だけでなく人生にも当てはまって

私が最初どんなふうに生まれて、最期にどんなふうに死んだかを見れば、そこに私の人生が、端的に凝縮されている

と言えるだろうと思うし、そのうえでそれが私にもまだわかっていないから、私は飽きもせず、というか飽きそうになったとしても結局は、またここになにかを書いて、あなたに伝えようと思うのである。

そんな私の友人に私はこないだ、

私が霊と関わったりその関係を深めるのをどこか躊躇し続けてしまうのは、私よりずっとその道を先に進んでいるあなたが、そんなにつらくて苦しそうだからですよ!

と言われてしまい、なんとも申し訳ない気持ちになった。だがそれは本当は私がまだまだ未熟だからであって、その私よりずっとずっと先を行く師を見れば、私よりずっと楽しそうにしているのだから、私がどうであったにせよ、この道を歩く価値はあると思う。そしてその私の道中の記録は、きっとあなたにもどこか役に立つと思うし、前から言っているように、たとえ私がうまく行かなかったとしても、あなたならそれを踏まえてもっとうまくやってくれると思うから、やはりこの記録は無意味ではないと思っている。

それになにより、私だって本当はもっともっと成長したいと思っているし、最後には笑ってみたいと思っているのだから、そのつもりでこれからも生きていこうと思うし、あなたとも励まし合いながら、お互い一緒にそうなりたいと思っているのである。

そして見てのとおり、ここでも私の結論は、やはりなにも変わっていない。今日も私は心からの願いを込めて、私の文章を、いったん結んでおこうと思う。そしてまた、同じようなことを言おう。伝えられる限りずっと、そう伝え続けていこう。それが、私なのだから。そして今のあなたが私をどう思っているにせよ、私の文章を読んだら、あなたにも少しであれ、私の想いが入り込む。だから、こんな私の文章を、ここまで読んでくださって、読みたいと思ってくださって、ありがとうございます。そしてもしよかったら、またいつでも、ここに来てください。私はいつでも、あなたを心から、歓迎しています。

コメント

  1. 佐藤麻衣子 より:

    コメント失礼いたします。

    定期的にこちらのサイトを興味深く拝見しているものです。勝手ながら一意見として述べさせていただきます。

    恐らく「長いので短くまとめてほしい」と仰ってくださった方は、管理人様の文章や想いにイチャモンを付けたいのではなく、せっかく為になること発信しているのだから、もう少し分かりやすいように要点をまとめて整理してほしいということを伝えたかったのではないでしょうか。

    例えば、文章もある程度のところで改行する、小見出しを付ける、言い回しを難しくせず、なるべく分かりやすい言葉を使うなど、内容というよりはテクニカルな部分であると考えられます。

    また、それは読み手への配慮にもなりますし、自分の気持ちをただ羅列するよりも、より一層読み手への伝わりやすくなることにも繋がると考えられます。

    また、長くても読んでいて苦にならない文章というのは、必ずそのような配慮がされています。

    大変失礼を承知で申し上げますが、私もせっかく為になるこの文章、もう少しまとまっていたら嬉しいと感じたことがございます。

    人は他人から指摘されると反論したくなりますし、ムッとしてしまうこともあるかと思います。私もそうです。

    また、「すでにもうやってる!努力してる!」とお怒りになるかもしれません。

    しかし、今回のブログに登場した方も私も批判したいのではく、あくまで「個人的な意見であり、お願い」として述べております。

    また、コメントしたくなるほど為になる、意義のあるブログであることも認識いただければ幸いです。

    • Dilettante より:

      佐藤麻衣子さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      まず最初にお伝えしておきたいのは、あなたのご意見にしろ冒頭のご意見にしろ、私がそれで嫌な気分になったり怒りを感じたりというようなことはまったくありませんので、どうぞ気になさらないでいただけたらと思います。

      それに

      内容というよりはテクニカルな部分である

      という点についても、まさにそうなのだろうなぁと思うところはあります。

      ただそのうえで、これは特に

      「言語の翻訳」

      について考えるときに思うことでもあるのですが、たとえば今ははそれほど目にしなくなった表現ではあるものの、英語の

      It’s raining cats and dogs!

      というのを見たとき、これを

      バケツをひっくり返したみたいな雨だ!

      と訳すと、それは日本語への翻訳としてはとても正しいのですが、一方で

      「『犬と猫が降っている』という原義のなかにある違和感を消し去ってしまう」

      という難点があるとも思うわけです。つまりこの「違和感」こそが、

      「自分とは違う他者へ(自分と他者は違うということ)の理解の糸口」

      になるという観点からの難点です。

      こうしたことも踏まえたうえで、表現の方法や形式はこれからも試行錯誤していこうとは思っているのですが、その際にはいただいたご意見もぜひ参考にさせていただきたいと思っています。

      それから、以前

      3月になりました。いかがお過ごしでしょうか? このサイトも開設から丸4年を過ぎたのですが、最近はちらほらと海外からのアクセスも見受けら...

      というものもまとめてはみたのですが、せっかくのいい機会ですので、近日中にまたさらに短いまとめを作ってみようかと思っています。

      それからあなたの核心に私への思いやりがあるということは、もちろん私にも伝わっています。いつも読んでくださって、ありがとうございます。

  2. なすび より:

    こんばんは、Dilettanteさん。

    この記事を読んで、なるほどなぁと思いました。

    Dilettanteさんは、自分の想いや考えを文章になさるのが大好きなんですね。相手に伝わるかどうかということも大切だけれど、それと同時に自分自身の言葉のセンス・文章の流れ、そういったものも楽しんでいるのだなぁと感じました。

    正直に言うと、Dilettanteさんの文章はとても冗長だなぁと思っていました。(←失礼ですね笑)もっと簡潔に・分かりやすくまとめた方が、人に伝わるのではないかなぁと。

    でも、必要最低限の事だけを簡潔にまとめた方が伝わるのかと言えば、そうでもないですね。特に、精神世界のことについて述べるときには、言葉のセンスや流れの方が大切だなと思うようになりました。

    どんなテーマでも最後の文章には明日に向けての希望が込められているなといつも感じています。これからも楽しみに読ませていただきたいと思っています。

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      あなたにそうやって言っていただけるととても嬉しいのですが、実のところ私にとって

      「文章を書く」

      というのは、「好き嫌い」という以上に

      「書かずにはいられない、私にとって必要な行為」

      なのだろうと思うところがあったりします。ただ少なくとも、やはり嫌いではないというのは、確かだと思いますけどね。

      それから今回改めて思ったのですが、私にはおそらく

      自分の心を動かして書いた文章でなければ、本当に相手の心を動かすことはできない

      という想いがあるのだろうと思います。

      それに、私自身が相手に、

      ぜひご自分ともっともっと向き合ってみてください

      といつも言っているのに、そんな私が自分と向き合わずに書いてどうするのかと思っているところもあります。

      そういった意味において、私が文章を簡潔にまとめようとすると、自分自身の感情を振り返っている部分というのは、間違いなくほぼすべて削ると思うんです。

      実際、初期の頃の文章を見ていただけるとおわかりいただけるかと思うのですが、その頃の私の書いたものは

      「情報・知識」

      を伝達するということ以上のことをほとんどなにも意識していなかったと思います。それが今では

      「私の感情、実態・背景」

      をできるだけ率直に表現・記録するという要素がとても強まっているという自覚があります。そしてこの性質は、今のように私が弱っているときだとなおさらだとも思います。

      ですからよくも悪くも、今の私が書いているもののほうが、以前よりはるかに

      「私が書いた文章」

      になっているという気はします。

      さらに言うと、今の私がここに書くときには

      「私のところに訪ねてきた、その相手に向かって話しかけている」

      というつもりで書いているので、基本的に下書きはしないで書いているんです。それにこれはそうでもしないと、すぐ表面や形式を繕ってしまって、私が本当の意味で、自分とちゃんと向き合わないからでもあります。

      ただそれはそれとして、これからもよりよいものにできるように試行錯誤は続けていこうと思っていますし、上の佐藤さんへの返信にも書いたように、それは近日中にかたちにしてみたいと思っています。

      そしてなにより、あなたの正直な感想を聴けたことは、とても嬉しいです。だからこそ私も、あなたにも自分にも、できるだけ正直でいたいと思っています。

      これからも、どうぞよろしくお願いします。