精神の暴走を、肉体を活かして止める方法を考えている

もう死んでしまいたいです

毎日自殺することを考えています

こんな話を、私はもう数えきれないほど聴いてきた。そして、私のところに届くものでさえこれほどあるのだから、実際にそんなふうに思っているひとはもっといるし、率直に言えば、生まれてから死ぬまでに一度も自殺を考えずにいられるひとなど、私も含めひとりもいないのではないかと思う。

だがそんなふうに自殺を考えたり、実際に自殺してしまうひとのすべてを私が助けられたわけではもちろんない。本当はこんなことを

「もちろん」

などと言いたくはないのだが、そんな個人的感情をさておいてありのままに見れば、それが現状である。

しかしこの『闇の向こう側』の最初期に

これを読んでいるなかに「理性」という言葉を耳にしたことのないひとはおそらくいないだろう。多分小学生高学年くらいになればすでにぼんやりとでも知...

と書いたように、私たちの肉体は自殺に向かうようなものではない。実際自殺を実行しているその最中でさえ、肉体はなんとかして零れ落ちそうないのちを繋ぎ留めておこうとしている。だからやはり、

自殺の本質は「精神の暴走」にある

ということはできると思う。そして、その精神の暴走を煽り立てるものを、私は負の霊団と呼んでもいる。

 

では、どうすればその精神の暴走を鎮め、止めることができるだろうか?その答えは簡単には出せないが、それでもそのひとつの方法が

「『自殺しても苦しみの解消にはまったくならないどころか、却って苦しみを深めるだけだ』ということを理解してもらう」

ということなのではないかとは思っている。そして実際、たとえば

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

にしても、その核心にはそのような想いがある。それに実のところ、私がどんなに苦しくても苦しめられても自殺だけはしないでいられるのは、私自身が誰よりも、この事実を痛感してしまっているからなのだ。

 

とはいえ、本当に限界まで追い詰められているときというのは、誰の言葉も届かなくなってしまうものでもある。そしてそこまで行ってしまったら、もはや

「論理的な正しさ」

や、

「言葉として納得できるかどうか」

ということ自体が、意味を為さなくなってくる。

たぶんほんとは、あなたの言うとおりなんだと思うよ。でもそれでも、もうダメなんだ。無理なんだ

と言ってからだを棄てたひとのことを思い出すと、なおさらそう思わずにはいられない。

 

だから私は、ここで精神ではなく、肉体を入口にした自殺の止めかたを、考えてみたいと思う。私を信じられるかとか、その表現に納得できるかなどには関係なく、もっと単純に、切実に

なんとかして、肉体を活かして精神の暴走を止められないか?

ということを、考えてみたいのである。

するとまずひとつ思い浮かぶのが、

1,少し長めに、お風呂(湯船)に入る

という方法である。これはシャワーでもまったくダメというわけではないのだが、できれば湯船に入ってもらったほうがいい。そしてもっと言えば、少しでいいから塩を入れたお湯に入ってもらえればより望ましい。それにもちろん、その気力が湧いたら、全身をしっかり洗ってもらえたらいい。ここまでできれば、だいぶエネルギーが晴れるのではないかとも思う。

ただこれは、そもそもこれらの行動自体にある程度の労力と時間を要するから、強い自殺衝動に襲われているときにとっさにできることではないと思う。それに、負の念というのは一筋縄ではいかないものなので、もしかすると

これでからだも清まったから、いよいよ死に支度も終わったな

などと思わせられる可能性さえある。だからこの方法だけでは、まだまだ弱い。

それなら次に

2,息を吐ききる

という方法を提案してみたい。よく

落ち着かなくなったら深呼吸をしたらいいですよ

と言われることはあると思うが、私はこれだけでは充分ではないというか、核心を突いてはいないと思っている。そして一般に深呼吸と言った場合は

大きく息を吸ってから、吐いてください

大きく息を吸ってから、その倍の時間をかけて、息を吐いてください

というようなことが言われることも多いと思うが、私の考えはこれとも違う。

私が言いたいのは、もっと単純に

ただ徹底的に、徹底的に、息を吐ききってください

ということなのだ。

なぜなら、私たちが通常生活している場所には酸素が満ちている。そして本来呼吸は自分で意識しなくても行えるものである。だから、あなたがそこでどれだけ息を吐いても、あなたはまず窒息することはない。だから安心して、息を吐いてくれたらいい。

しかしこういうふうに伝えても、まだこんなことに慣れていないからなおさら、あなたは息を吐ききれない。私の経験上、

あなたが「息を吐ききった」というところから、さらに2割は吐けると思ってください

と言っておきたい。大事なことは

「息を吸うのはからだがやる」

ということだ。だからあなたは、からだが息を吸い始めるまで、ただただ、ただただ、息を吐いてくれたらいい。そしてこれこそが、私が負の念に対処するために、日常的に行っていることでもある。だから、あなたにもやってみてほしい。これを10回もやったら、少なくともその直後に自殺するのは、かなり難しくなるはずだから。

とはいえ、この方法でさえ、誰もが実践できるとは限らない。

なんと言われても、窒息しそうでやっぱり怖い

と思われるかもしれないし(ただそれでも、死の恐怖を実感してくれれば、それだけでも自殺は少し難しくなるから、まったく無意味ではないのだが)、あなたが本当にギリギリの状態にあり、負の念に深く長く絡め取られているようなときには、ただ息を吐くことでさえも、まったくやる気にならないかもしれない。

 

そう、あなたがもし本当に極限のところにまで追い詰められているなら、もはやすべてに無気力無感動であり、なにをするのも億劫で、すべてが嫌になっていると思うのだ。まさに、

以前から と書いてあるように、私は今まで、対面あるいはメールを介して、そのひとの守護霊さんからのメッセージを伝えてきた。ただ ...

と守護霊さんが言うとおりである。

もしもう少し余裕があるのなら、私がここに書いたものをなんでもいいから、迷ったら

自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜな...

からでいいから、音読してみてほしい。そうすれば、黙読するよりもっと、私の想いがあなたに染み込むと思うから。

だがもしあなたがそれさえもできない状況であるなら、今の私に思いつく最後のお願いは、

ほんの少しでいいから、私のことを思い出してください

ということだ。

本当はあなたにも、いつも守護霊がいる。そして彼らは、決してあなたに自殺してほしいとは思ってはいない。あなたの苦しみも哀しみもすべて共有したうえで、それでもあなたと一緒にいて、あなたを励ましているのだ。

しかし今のあなたには、それが実感できてはいないだろう。それにそんな存在を否定するこんな社会のなかではなおさらだろう。だがそれでも、あなたは私の存在だけは、否定しきれないと思う。たとえあなたと直接関わったことが一瞬もないとしても、私は確かにここにいて、同じ世界に生きながら、あなたにも生きていてほしいと、心から願っている。だからそんな私のことを、ほんの少しでもいいから、思い出してほしいのだ。

あなたが私をあなたのどこかに置いてくれている限り、あなたはどんなに自殺したくても自殺できないはずだと思う。先に言ったとおり、私と関わってもなお自殺してしまったひとはいるし、私が知る以上にいるとも思う。だが私のことをあなたが振り切れないでいるうちは、私の想いをあなたが少しでも受け入れてくれているうちは、あなたはどんなに自殺したくても、生きてくれると思う。そしてそんな存在になれるように、これからも成長していきたいと、私は思っているのである。

 

だがそうすると、あなたは今度は逆に、

本当は死にたくて死にたくてしかたがないのに、あなたのせいで死ねなくなったじゃないか!

などと思ってしまうかもしれない。そしてこれこそが、

昨日、私はかなり強力な霊と対峙していた。だからその記憶が少しでも鮮明なうちに、ここに記録しておこうと思う。彼は闘いのなかで、とても多くのこと...

で言われたことでもあるのだ。

だがそれでも、私はやはりあなたに生きていてほしいと思うし、それを伝え続けようと思う。なぜなら私は、どんな紆余曲折があろうと最終的には、あなたの人生には生きるだけの価値と意味があると信じているからだ。そしてそれは、本当はあなたが信じていたはずなのに見失っていることを、私が今は代わりに信じているということでもあるのだ。

私はなんのために生きているのだろう? なんか楽しいことないかなぁ…… 私たちはふとこのような想いに駆られるときがある。これは別の...

だからたとえ今のあなたになんと言われようと、私はあなたの味方なのである。

 

なんだか、

「精神の暴走を肉体を活かして止める方法を考える」

はずだったのが、やはり最終的には想いを伝えて終わることになってしまった。だがどんな経路を辿ろうとも、私はあなたが生きていてくれたらいいのだ。だからそのための方法を、どうしたらあなたに生きていてもらえるのかを、私はこれからもずっと、考え続けたいと思っている。

コメント

  1. なすび より:

    こんばんは、Dilettanteさん。

    Dilettanteさんの指導の下、息を吐く練習をした時のことを思い出します。

    すごくきつかったのだけれど、視野が明るくなり、頭がクリアになったことを覚えています。

    そしてかけてくださった、

    これが医療だよ

    という言葉が今でも忘れられません。

    私事ですが、明日からの2ヶ月、ハードな毎日になりそうです。

    心がやさぐれそうになったときは、風呂に長めに入ってみたり、呼吸を整えてみたりして立て直していこうと思います。

    もっとも心がやさぐれるときって、忙しくてそういう時間もあまり取れないときなんですけどね。。

    弱気になってはダメですね。時間は自分でつくるものだから。

    外向きにはかっこいい事を言うけれど、実はうじうじ気にしてしまう私です笑

    明日から頑張ります。

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      ええ、あれは私にとってもいい想い出ですし、なによりあなたがその効果を実感してくださったことが、とても嬉しいです。

      2か月は長いと思いますが、人生と同じで、いつも100%全力でと思いすぎるとつらくなってしまうと思いますので、うまく波というか、緩急を作ってあげていただければと思います。

      具体的に言えば、生理的に必ず起きるトイレに立つ時間を利用して、息を吐ききってみたり、少し伸びをしてみたり、そんなふうに意識を緩めてみるのもいいのではないかと思います。

      ただそんなことを意識すること自体がつらいということもあると思いますので、もっと単純に言えば、トイレに立ったときくらいは、少しぼ〜っとする時間を取ってみようと思うくらいでもだいぶ違うのではないかと思います。

      これはすべて私自身を振り返りながら言っていることでもあるのですが、

      いかにリラックスする時間を取るか?

      ということを考えるのがとても大切なのではないかと思うわけです。

      あなたのようなひとは怠けろと言われても怠けられないくらいだと思いますから、むしろ無理をしすぎないことのほうに注意するくらいでいいと思います。

      などと外野からいろいろと言ってしまいましたが、ともかくあなたらしく、1日1日を乗り越えていってくださいね。

  2. 無名 より:

    生きて苦しみを味わうより魂の墓場に閉じこもって、二度と生まれ変わりたくありません。

    ていうか、例え生きてればいつか幸せになれるのだとしても、もうそんなものいりません

    私は生きて、いつになるか分からない幸せを手に入れるよりも、永遠にあの世にいたいです。あの世で後悔したとしても、自分で死を選んだんだからしょうがない、もう元には戻れないし、自分ならいけるとか思ってバカみたいに自分に期待した被害妄想激しい自分を悔やみ続けたいと思います。

    あの世で仮にまた生まれ変わりたいと思っても、(私はできる、生ききることができる、と思って生まれたのに失敗したんだ。何度やっても同じことだし、できもしないことをやろうとすることが間違ってるんだ。)って必死に自分を説得して、二度と自分を幸せになんてしたくないです。

    • Dilettante より:

      無名さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      あなたは今は苦しすぎてそう思えないのだとは思いますが、それでも今この瞬間はあなたはまだ生きているわけですから、もしどんなかたちだとしても今生を生き抜くことができれば、

      私はできる、生ききることができる、と思って生まれたのに失敗したんだ

      ということにはならなくなるので、そう決めつけるのはまだ早いと思います。

      とはいっても、今のあなたからすればもう生ききることはできない、さらに言えば自殺してしまいたいと思っているからこそそのようにおっしゃるのでしょうが、一方でここに書けば私に止められるということはわかったうえでここに書いたというのも確かなのでしょうから、やはり私は、あなたが自殺したいというのも、こうして止めたいと思います。

      それにあなたは今の時点で、生まれてきたことに後悔しているからそのように自殺に近づくのでしょうが、それでも実際に自殺したことを向こうでずっと後悔するよりははるかにましです。これは私には、断言できることです。

      もしそれでも今生がどうしようもなく嫌なものでしかなかったら、2度と生まれ変わらなくてもいいです。というかそもそも、誰かに言われて生まれ変わるような必要はまったくないからです。

      ですからこれが最後でもいいですから、生きていてください。

      どうかよろしくお願いします。

  3. ヌーボー より:

    2年程前に、守護霊の言葉と励ましの言葉をDilettante様から頂いた者です。

    その節はお世話になりました。(あの時は本名でしたが、ここではHNを使いますね)

    あの時の精神の不調は多大なものでしたが、打って変わって今の現状は穏やかで、人生が上手く行ってさえいる感じがする程のものとなりました。ありがとうございます。私の生活を先に進めるキッカケとなったのは、このサイトの文面と、管理人様の、誰もを受け入れようというスタイルのお陰であると思っています。

    良い知らせだけなら良かったのですが、ここから何故コメントをこの記事にすることになったかのご報告を一つ。

    どうにも最近、精神の乱れ等は皆無なのですが、代わりに(?)とても強い「無気力感」とでも言いますか、人生に対する虚脱感を感じるようになっています。そんな折にこちらの記事を拝見いたしまして、ドキッとさせられたという次第であります。

    以前の強く「死にたい」という(まさに負の霊団の影響であろう)念は微弱、又は皆無となっているのですが、なんといいますか…「もう、自分の人生、いいかなぁ」みたいな無気力無関心が、生きることが辛いではなく、生きることが面倒という状態にシフトしてしまっていたようなんです。これはマズイかなぁ、となっていた所に、この記事を目にすることになった訳です。

    つまるところ、これは精神の暴走(狂気)かな、と気付けました。以前のような激しさは無くとも、静かに(そしてより狡猾に)死の呼び声に知らず知らずのうちに引き寄せられていたようです。何かを人のせいにすることは控えていたのですが、これはこれで「負の霊団」の手法なのかもしれませんね(引き寄せた原因が今回は掴みづらい所が、より恐ろしい)。

    気づきを、ありがとうございました。記事のタイミングが神がかっていました。自分を間違えることなく過ごせそうです。

    自分で死にたい!となるのではなく、もう、死んでも良いのかもしれないな、となっていたのは「真綿で首を絞められるとは、このことなのだろうか」とも思いました。

    死の呼び声は、時には甘美にさえ聞こえてしまう。全くもって、恐ろしいことです。

    • Dilettante より:

      ヌーボーさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      ええ、以前公開した

      以前から と書いてあるように、私は今まで、対面あるいはメールを介して、そのひとの守護霊さんからのメッセージを伝えてきた。ただ ...

      のテーマも関連してくると思うのですが、このような

      億劫だなぁ……面倒だなぁ……もうどうでもいい、生きてても死んでても、どっちでもいいなぁ……

      というような念というのは、

      もう嫌だ!死んでしまいたい!

      という念とはまた別の強力さというか、厄介さがありますよね。

      ただそれを食い止めるのに私が少しでもお役に立てたのなら、とても嬉しいです。

      前に

      楽しいかい? 私の師はいつも私にそう笑いかけ、 楽しくないのなら、なにかが間違っているんだよ と言って、飄々と自分の道を歩...

      と書いたこともありますが、誰よりあなた自身が

      あの時の精神の不調は多大なものでしたが、打って変わって今の現状は穏やかで、人生が上手く行ってさえいる感じがする程のものとなりました

      という実感を持っているのなら、だからこそなんとしてもそれを押し留め引き戻すために、妨害するほうも手を替え品を替え必死になるというのも事実です。

      ですからそうしたことも踏まえ、どうにか踏み留まって

      「その先の景色」

      に向かっていっていただければと思っています。私もいつも心から、応援しています。

  4. 凛早 より:

    こんばんは。いつもブログ記事を拝見させて頂いております。

    自殺衝動が強い時はお気に入りにいれた記事を何度も読み返して、なんとか凌いでいます。

    私は統合失調症で、引きこもりです。

    今後もし癌などになった場合、積極的に治療せずに亡くなったら、それも自殺扱いになるのですか?

    可能性を狭めたと言うことになるのでしょうか?

    また、統合失調症で本人すら訳のわかぬ内に命を絶った方も自殺扱いなんでしょうか?

    身内にそのような方がいましたが、霊能者に見て頂いたら、やはり発狂状態で暗闇の世界で暴れていました。

    供養は丁寧にしているようですが、あまり意味がないようでした。

    どうにも出来なかったと思うのです。それでも地獄行きなんでしょうか。私も年々生きる気力がなくなっていて、電車に飛び込んで終わらせようか、と考えてしまいます。

    支離滅裂な文章、申し訳ありません。一生懸命書きました。深呼吸もしています。

    • Dilettante より:

      凛早さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      今後もし癌などになった場合、積極的に治療せずに亡くなったら、それも自殺扱いになるのですか?

      可能性を狭めたと言うことになるのでしょうか?

      これについては、以前別のコメントの返信に

      改めて私が自殺をどう定義しているのか、つまり私がどうしても避けてほしいと思っているのはなんなのかと考えると

      「自分の人生が終わる(寿命が尽きる)のを、最期まで見届けないこと(=自分の人生を、強制的に終わらせること)」

      であって、それ以外であれば、どんな人生であろうと、少なくとも自殺するよりはずっといいと、私は思っているということです。

      またこの定義に拠れば、私が

      「確実に死に至らせる薬を投与する」(安楽死)

      には反対の立場である一方

      「自分が望まない治療は拒否する」(尊厳死)

      には基本的に賛成の立場であるということの意味も、ご理解いただけるのではないかと思います。

      苦しいのは誰だって同じなんだよ。俺だって歯を食いしばって生きてるんだ! こんなことを耳にすることも多いくらい、私たちは苦しみに慣れすぎ...

      と書いたことが答えになると思います。

      また私自身も、もし私ががんなどにかかった場合には、あまり(痛みの緩和など以外は)積極的には治療をしないことを選ぶと思っていますので、その意味でもそれが自殺扱いになる(=死んだあとどうしようもなく後悔する)とは思っていません。

      また、統合失調症で本人すら訳のわかぬ内に命を絶った方も自殺扱いなんでしょうか?

      そうですね、これはそもそも

      「『統合失調症』と『霊媒体質』、あるいはその結果としての自殺衝動と負の霊の関連性」

      を考えてみると、とても哀しいことではあるのですが、やはり自殺は自殺だと思います。

      そしてそれは、

      身内にそのような方がいましたが、霊能者に見て頂いたら、やはり発狂状態で暗闇の世界で暴れていました。

      供養は丁寧にしているようですが、あまり意味がないようでした。

      ということからもやはり間違いないと思います。

      ただ以前

      私たちが死ぬと、「閻魔大王」のところへ連れて行かれ、生前の所業をすべて暴かれる というような考えかたがある。そして、相当の「悪いこと」...

      と書いたとおり、それは一般的な意味での

      地獄行き

      というのとは違うもので、ただ単純に

      「後悔と悩み苦しみのなかに身を置くことになる」

      ということだと思えばいいと思います。

      ただもちろん、それは実際にとても哀しいことなので、私もそれをどうにかしてなくしたいと、そう思っているわけです。

      そしてだからこそ、私はあなたにも、なんとか生きていてほしいと思っています。

      私の文章を力に換えてくださってありがとうございます。

      どうかこれからも、よろしくお願いします。

  5. 凛早 より:

    お返事ありがとうございます。

    少し時間をおいたのは、安楽死について考えていたからです。

    安楽死についてのDilettanteさんの立場は理解できましたが、選挙が終わった今、踏み込んで聞きたいと思いました。

    私は安楽死制度を考える会の支持者です。

    誰かが議論しなければいけない、人権問題だと私は思っています。

    安楽死制度を望む声は世界中で起きています。今後、更に安楽死はメジャーなものになっていくと私は思っています。

    特に日本では幸せな時代を生きた中高年や高齢者と違い、私達の世代は奴隷の様に採取され、職場は劣悪な環境、消費税その他税金は取られるのに恩恵は少なく、貯金も娯楽もままならず若い世代の自殺者は増え続けている状態で、未来に希望はありません。

    安楽死制度を考える会は一つの提案として、安楽死を考える機会を与えてくれています。

    現状では尊厳死しか出来ないとはおもいますが、議論はすべきだと考えています。

    よくスピリチュアルな人は安楽死を強く否定する人が多いです。
    私はアセンションだとかで盛り上がっていた頃からスピリチュアルが好きではありませんでした。

    バランスが悪い、妄想的な人が多く、宗教のように排他的でもあると感じていましたし、信者も洗脳されているように見えるからです。

    踏み込んだ話をしないのに、キラキラした話にすり替えて、まるで理論的に感じません。

    日本人が怖いです。一億総玉砕=一億総活躍。昔からそれを強制され、いつまで奴隷として生きなければなかないのか?多様性に富んだ意見がでないのか?

    何故そこまで日本人は頑張り続けないといけないのでしょうか?

    欧米では安楽死は人権問題として議論が進んでいます。私達の世代では、海外に安楽死を求めて行くようになるかもしれません。

    安楽死は自殺と同じなのでしょうか?

    現時点で安楽死という制度があれば、未来に不安や、精神不安を抱えている人に安心を与えるものだと思っています。

    また、食べれないのに点滴を打たれたり、これは人権侵害ではないのでしょうか。

    法律が富国強兵時代から変わっていないのも時代の変化に対応していないと思います。

    • Dilettante より:

      まず大前提として、私は話し合うこと、お互いの想いや考えを交流させること自体は、それがなにについてであれ、賛成する立場に立っています。

      ですからその意味で

      「安楽死制度について考える」

      ことにそのものについては、私も一切否定するつもりはありません。

      そのうえで、私が個人的にははっきりと安楽死に反対の立場を採っているのは、最も単純に言えば

      「安楽死体験者のひと(霊)の気持ちや話を、直接聴いてきた結果として、私はそう思うようになったから」

      というのが答えなのです。

      これは自殺にもまったく同じことが言えるかとも思うのですが、今この世にいる

      もう嫌だ!死にたい!自殺してしまいたい!

      と言っているひとたちの存在は、その気になればすぐに見つけられるでしょうし、話を聴くことだってできるでしょう。

      しかしその結果として生まれるもう一方、つまり

      そうやって実際に自殺したひとたちは、そのあとどう思っているのか?

      というひとたちの想いを聴かなければ、本当の意味では、その行為が持つ意味の核心には迫れないと、私は思っています。

      そしてそれが今はまだ世間的に認められていないとしても、ともかく私はそういったひとたちと話をすることができるし、実際にずっとそうしてきたので、その結果が私の価値観や選択に影響するのは、実はごく自然なことだと、おわかりいただけるのではないかとも思います。

      とはいえもちろん、現時点では私の

      「体験」

      は現実としては認められないどころか、むしろ明確に否定されるものでしょうし、そもそもあなたの経験と私の経験には違いがあるというなかで、今のあなたと私が同じ見解に至ることが簡単だとはまったく思っていません。

      ですがひとまず今の私がはっきり言えることは、

      少なくとも先に私が定義した「確実に死に至らせる薬を投与する」という意味における安楽死の結果、晴れ晴れとした想いで霊になったひとに、私は今のところ出会ったことがありません

      ということです。

      そしてもうひとつ、あなたにもぜひ考えてみてほしいことは、

      誰もが簡単に「安楽死」を選べるようになったら、それは自ら自分のからだを殺すこと(=自殺)へのハードルを上げるでしょうか、それとも下げるでしょうか?

      ということなのです。

      それにそもそも、私は

      「安楽死」

      という言葉そのものに、とても大きな違和感を覚えてもいます。確かに安楽死を選ぶことで、

      「死に至るその瞬間の安楽」

      を得ることはできるかもしれません。

      ですがそれが結果として、

      「死後に思い煩い悩む長い時間」

      につながるのであれば、それはどう考えても

      「安楽」

      ではないだろうと、私は思うからです。

      単純に言って、

      「死ぬその瞬間」

      と、

      「死んでからまた生まれ変わるまでの間」

      のどちらがより長い時間かというのは、比べるまでもなく明らかなことだと思うのです。

      ですがもちろん、これは今の多数派、特に

      死後の世界なんてものはないし、死んだら意識もなにもかもすべて無になるだけだ!

      ということを信じているひとたちにとっては、まったく「明らか」ではないのだとも、私は理解しています。

      ですから今は、こうした意見の相違があるのも、しかたのないことなのでしょう。ですがそれもいずれは解消されるものだと、私自身は思っています。

      ただひとまず

      食べれないのに点滴を打たれたり、これは人権侵害ではないのでしょうか

      という問いに関しては、

      本人がそれを望んでいないのなら、それは無理強いするものではないですよね

      という意味において、私もまったく同じ意見です。

      ですからこれは結局のところ

      「自己選択・自己決定」

      の問題として捉えてもいいと思うのですが、だからこそ

      そのような自己決定・自己選択の前提には、まず「充分な情報提供」および「自分の現在の立ち位置を把握したうえで、その先に多様な選択肢と可能性があることを理解している」ということが必要だ

      というのが私の立場であって、それを言い換えると

      相手の立ち位置を曖昧にし、現状を理解させず、多様な選択肢や可能性を提示することなく限定し狭めたなかから、「好きに選んでいいですよ」と選ばせたとしたら、それは実のところ「自己選択」という大義を隠れ蓑にした、「偏向的誘導」つまりは「洗脳」であり、「出来レース」だ

      と、私は思っているわけです。

      それぞれが選ぶ道が違うこと自体は、個性の発露であって自然なことです。ですがそこに「歪み」が仕掛けられていたのなら、それは選択以前の問題であって、看過すべきではないでしょう。

      ですからそうした意味においても、私は私の人生をちゃんと選びたいですし、それはあなたも同じなのだろうと、私は思っています。ですからその選択をよりよいものにしていけるように、これからも一緒に考え続けていけたらと、そう思っています。