しあわせなひとが増えますように。「人口」よりもなによりも、あなたが自分や大切なひとと向き合って、すべてを決めたらいい

先日私は

この『闇の向こう側』というサイトは、とても端的に言ってしまえば 「霊媒師としての体験を積んできた私が、その立場も踏まえながら日頃考えて...

を書いた。

それを踏まえたうえで、今回はその最終段で挙げた

でもそんなふうに性行為を忌避するひとが増えたら、ますます少子化が進んで、もっとひどいことになるんじゃないか?

という疑問に対して、私がどのように考えているかを、書いてみようと思う。

ただ先に結論を言ってしまうと、

私たちがよりよい未来を創れるようになって、もっと自然に愛し合えるようになったら、そのなかでこどもを産み育てたいと思うひとたちも増えるだろうから、そんなに心配は要らない

というのが、私の基本的な考えである。

またもう一方で、

国や社会が人口の問題にこれだけ神経を尖らせる大きな要因は「政治」と「経済」(カネ)に巨大な問題があるからなので、そこが片付きさえすれば(片付かなければ、そもそも私たちは滅ぶしかない)、人口も自然と落ち着くところに落ち着く

とも思っているのが私なので、そんな私としては、こうしたことはそれほど深刻には捉えていない(もっと大きな問題が他にあり、それが解決すれば、これも自然と解決すると思っている)というわけなのである。

というのも、社会にとってなぜ少子化がそんなに問題なのかと言えば、その本質は今書いたように

「『政治』と『経済』(カネ)」

にあると言っていいと思っている。つまり、

社会(国家)を運営していくのにはお金がかかる。だとしたらそれを稼ぐ(税金を払う)ひとがいないと困る

ということから社会の危機感のすべてが始まっていると考えれば、それは資本主義(貨幣経済・カネ第一主義……)を終わらせることによって自然に解決すると思っていいと思う。

また、なぜこれが政治的な問題でもあるのかと言えば、第一には

「今の資本主義社会において、人口とは(カネを稼ぐ人数)であり、それが少ないと国際的な競争力の低下に直結するから」

そしてこれを踏まえると、次には

「もし自分の国だけで(労働)人口を維持できないとすれば、他国からひとに入ってきてもらって、カネを稼いでもらうしかない」

ということになるのだが、これが第二の問題

「育って来た環境(思想・優先順位・言語……)などがまったく異なるひとが入ってくると、もともとそこにいたひとたちとの間で、少なからぬ摩擦や衝突が起こる」

ということにつながるからだ。だからこそ

「世界全体の人口はずっと増え続けてきているし、これからも増え続けようとしているにもかかわらず、自国民(自分と思想的共通基盤を保っているひとたち)の少子化に思い悩む」

ということになる。

だがこうした問題も、私たちがこれから本当の意味での

「共生」

を学び、

「『弱肉強食』や『思想的侵略』」

を乗り越えた、

「未来を創り育むための共通認識(思想)」

を保つことができるようになれば、自ずと解決されると思う。

それにもう一方で、

「乳児率の死亡率の高さ」

「戦争(政情)不安、それに食糧不足や飢餓」

といった問題が解決されれば、今のように人口が増え続けるということもなくなると思う。

だから私は、最初から言っているように

他のもっと大きな問題が解決すれば、人類は減りすぎて困ることも、増えすぎて困ることもなく、落ち着くところに落ち着いた数を保ちながら生きていくことになる

と思っているので、その点で今の日本の少子化や、世界的な人口爆発そのものは、特に深刻には捉えていないのである。

 

そのうえで私は、以前

私たち人類は、無性生殖ではなく有性生殖をする生物である。つまり男女(雌雄)が交わることによって新しい生命が生まれることになっている。ある程度...

とも書いたように、

「性行為」と「生殖行為」は、別に必ずしもつながっていなくてもかまわない

と考えている。

これは言い換えれば

性行為とは生殖を目的としてだけ行われるものではない。むしろ性行為にとても大きな力を生み出す可能性が秘められているからこそ、それがひとつの結果として、新たな肉体さえ創り出すことがあるという流れで捉えたほうがいい

と思っているということなのだ。

そしてだからこそ、

性行為をするかしないか、そしてそれを生殖につなげたいと思うか思わないかも、すべて自分と相手がよくお互いと向き合ったうえで決めればいいことで、どちらがいい(正しい)とか悪い(間違い)ということではない

というのが、私の考えである。

また他にも私は

私には男子がいません。このまま行くと家が途絶えてしまいます。どうしたらいいのでしょうか? ときにこんな相談を受けることがある。日本は晩...

と書いたことがあるが、これもこのような思想を背景としたものであると思ってもらえれば、より理解してもらいやすいかもしれない。

 

そしてこうしたことも踏まえたうえで、

「私たちはみんな、生まれたくて生まれてくるものだ」

という前提に立つと

ここ50〜60年前から一気に地球の人口が増えてきたのは、「この地球の変わり目の時期を、どうしても最前線で見届けたい」という霊がたくさんいるからではないのか?

というふうに見ることもできると思う。

こうした人口爆発の実態については、たとえば

2011年10月31日に世界の総人口が70億人を超えることを、世界人口基金が26日に明らかにしました。「この日に生まれた赤ちゃん全員を70億人目の人類とする」ということです。同日に発表された2010年10月実施の国勢調査の確定値によると日本ではついに人口減少が始まったことが報じられたばかりですが、世界の人間の数はとどま...

を読んでいただければ、より詳しくおわかりいただけるかと思います。

そしてさらに言えば、

そのなかでもいわゆる「先進国」ではなく「発展途上国」に生まれることが多いのは、「このような変わり目の地球に長くい続ける」のには気が引けるけれど、試しに短い間生まれてみて、少しでも現状を肌で感じてみたい」という考えの霊が多いからではないのか?

というふうにも、私には思えるのである。

簡単に言ってしまえば

「人生が長ければ長いほど、それが予定からズレる可能性もより大きくなるが、それが数年や数か月、あるいは数日や数時間であれば、それは計画どおりに進む可能性が高い」

というのはおよそ間違いないことだし、それだけ短い間であっても、この時代の地球に生まれてみるのは、かけがえのない価値があると言っていいからだ。

だからそうした観点から言っても、今のような

「駆け込みブーム」

が終われば、あとは地球の人口も、やはり落ち着くところに落ち着くことになるだろうと、私は思うのである。

だから私としては、

こどもを産みたければ産めばいいし、産みたくなければ産まなくてもいい。それに産みたいのに産まれない(宿らない)ことを過度に嘆く必要もない。そしてこれは、性行為についてもまったく同じように思えばいい

と思っている。あとはいずれにしても、それぞれが真剣に、自分なりの答えを出していけばいいことだと思う。これは本来は、国や社会に言われることでもなんでもない、とても個人的で、とても美しいものなのだから。

 

ただそのうえで、これが切実で繊細な問題であることをわかっているからこそ、もう少しだけ私の個人的な立場も明らかにしておくと、私は以前にも少し触れたように、今生では自分のこどもを産み育ててはいない。この選択をした理由としては

1、もともとからだが弱かったことに加え、霊的な体験を積むことになったことで、自分のようにいつ死ぬかわからないひとは、こどもを育てるのに適さないと思ったこと

2,自分自身が生きることを心から楽しめていない(現状が生きやすい世界だとも思えていない)のに、そこに積極的に魂を呼んでくる気になれなかったこと

がまずとても大きい。そしてさらに言うと、

3,先の理由から自分が親になるのが適切だとも思えなかったし、「私を通じて(まで)親にしてあげたいと思う相手」もいなかった

という理由もかなり大きかったと思う。

ただ私は今まで一度も自身の生殖能力について検査したことはないので、そもそも私が望んでもこどもを産み育てられなかったのかもしれないという可能性もある。だがいずれにしても、私は現時点で、この選択を後悔したことはない。

しかしこれはもちろん私の選択と価値観である。私は一方では、

「こどもとの関係性のなかで、お互いにいいものを与え合っているひと」

が確かにいることを知っている。それに私は、私の親が私を産んでくれたということに関しては、心から感謝している。だから、あなたがこどもを産み育てたいという想いを持ち、実際にそれを選択するというなら、私はそれも本当に、立派な選択だと思う。

 

だからやはりいずれにせよいちばん大切なのは、

「自分自身や大切なひとと、よく向き合うこと」

なのだと思う。性的な行為にも、そしてそこから生まれる肉体やそこに宿る魂にも、かけがえのない大きな力がある。これは絶対に、間違いないことだ。

だからこそ、それをどう活かすのか、あるいは避けるのかも含めて、自分自身、それに大切なひとたちと一緒に、よくよく考えてみるしかないのだと思う。それは、ときにはとても苦しく、つらいことでもある。だがだからこそ、美しく素晴らしいものでもあるのかもしれない。そしてそれはつまり、世界の美しさや、素晴らしさを見つけることなのだとも思う。今のような環境ではなおさらそれは決して簡単なことではないかもしれないが、それでもあなたがもし

生まれてきてよかった!

と思って生きられるのであれば、そしてそんなひとが世界にたくさん増えていけば、それが世界を変えていく力にもなるだろう。そしてそこにある世界がどれほど素晴らしいのか、私もそれを見届けられる日が来ることを、心から願っているのである。

コメント

  1. なすび より:

    こんばんは、Dilettanteさん。

    前回は温かいコメントありがとうございました。

    私は、思春期の頃、性行為の存在を知って、とてもショックでした。

    今でこそ、うまく向き合ってゆけば、幸せを与えてくれるものなのだと思えます。が、当時は本当にショックでした。

    その存在自体もショックだったし、そういう欲求が自分の中にあることも認めたくなかった。。

    自分のいつもと違う面を見せるということだから、その人を本当に信頼していないと出来ないです。今の若者もきっとそういう理由で敬遠しているのではないかと思います。

    SNS等で多くの人と繋がっているが、本当の自分を見せることが出来ず、本当に信頼出来る人がいない。それが今の若者の人間関係の特徴だと思うので。カップルもご多分に漏れず、そのような関係が多いと感じます。(私も一応、若者ですが笑 でもよくよく考えてみると、上の世代も本当に信頼し合っているカップルは少ないなぁと思いますね。)

    • Dilettante より:

      なすびさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      すぐ前のコメントにも

      私も性行為については否定的なイメージを持っていました。はじめてその事実を知った思春期の時は、人間の獣性を感じてすごく嫌でした。

      この『闇の向こう側』というサイトは、とても端的に言ってしまえば 「霊媒師としての体験を積んできた私が、その立場も踏まえながら日頃考えて...

      と書いてありましたね。

      ただ私としては、人間の性行為の在りかたは、他の動物とは明らかに異なっているというか、多様性と豊かさにおいて差がありすぎるので、それを

      人間の獣性

      を示すものとして否定的に捉える必要はないと思っていますし、私個人としても、そのようには捉えていないとはお伝えしておきたいと思います。

      たとえば性行為の一環として相手に痛みを与えたり、ましてや首を絞めたりということさえ行われることもあるのが人間の性行為なわけですが、そんなことを

      「愛に基づいて」

      実践し、相手もそれを愛情として受け入れることができるという関係性を、少なくとも地球上の他の動物が創り上げられるとは思えません。

      その意味で私は、それもまた

      「人間の人間らしさの発露」

      だと思っています。さらに言えば、それだけ深い感情の振れ幅を持ち、それをそのように表現し得るのは、宇宙全土で見ても、地球人だけとまでは言えない(もちろん私もすべての星を知っているわけではありませんし)としても、とても珍しい在りかただとも思っていて、少なくとも私個人的には、それをとても好意的に捉えています。

      ただもちろん、

      私たちはその気になれば、あらゆる行為を愛によって行うことができる

      ということは、その反面

      私たちはその気になれば、あらゆる行為を愛に基づかずに行うことができる

      ということでもあると思っていますので、結局はその選択と活かしかたの問題になるんだろうと思っています。あとはもちろん

      「それを共鳴させられる相手なのか(自分が愛(喜び)によって与えるものを、愛(喜び)として受け止められる相手なのか」

      というのも、大切な要素になるんですけどね。

      そしてだからこそ

      そういうことをするのは怖い

      とあなたが感じるのも、ごく自然なことだとも思います。

      ただそのうえで、あなたが

      自分のいつもと違う面を見せるということだから

      とおっしゃるのもわかる一方で、それは別に

      「あなたが違う『あなた』になる」

      ということではなくて、むしろ

      「あなたがあなたをより開く」(自分だけでは気づくこともなかったかもしれない、自分自身を受け入れ合う)

      ということだとも私は思いますので、その意味でそこまで過剰に自分を責めるというか、追い込むことではないと思います。

      そしてそうしたことをすべて踏まえたうえで、私としてはやはり、あなたがしたいと思えないことを、したいと思えない相手と一緒にする必要はまったくないと思いますので、もしそういう相手が現れなかった場合には、それはそれでいいと思います。

      ですがだからこそ、もしそんなあなたが、それでもなお踏み込んでみたいと思える相手がいた場合には、そこに踏み込んでみる価値も確かにあるとも思います。

      それにいずれにしても、あなたには他にもいろいろ大切な目標があるのだとも思いますから、まずはそういったはっきりとしたことに向き合いながら、できるところからできることに取り組んでいけばいいのではないかと私は思っています。

      そしてもちろん私自身もそうやって生きていこうと、そう思っています。

  2. なすび より:

    立て続けにコメントしてすみません。

    できるところからできることに取り組んでいけばいい

    本当に、その通りですね。

    できることに日々向き合いながら、そしてたまにこのブログを励みにしながら、私も頑張ります。

    • Dilettante より:

      ええ、そうやって少しでも励みにしていただけると、私もとても嬉しいです。

      今後とも、どうぞよろしくお願いします。