霊を強くも弱くもできる力を持つ私たちに、未来の選択も託されている

あなたは、

「幽霊が現れやすい時間」

があるとしたら、それはいつだと思うだろうか?

日本では

「午前2時から2時半」

の時間帯を

丑三つ時

と呼び、霊が活発に動き回る時間帯だと考えられている。

しかしこのような考えかたは日本に特有のものではなく、たとえば英語で

The Witching Hour

と言えばそれは

「午前0時から4時」(さらに絞れば、3時から4時)

の時間帯を指し、同じく霊が活発に動き回る時間帯だと考えられているようだ。

またこれは時間帯に限った話でもなく、たとえば

「滝などの水場や湿った場所、それにトンネルなどの暗い場所や、風通しが悪い場所、あるいは死を連想させる、病院や墓場……」

といったような場所は、一般的に霊が現れやすいものだと思われているのではないかと思う。

 

だが私は以前にも

霊存在はいつでも、どこにでも、誰のところにもいる
最近はひと昔前よりは減っているとは思うが、それでも夏になるといろいろなメディアで「心霊特集」といったようなものを見かける機会が増えると思う。そしてその立場は基本的に「恐怖を煽る、おふざけ半分」のようなものがほとんどであるように見え、それは攻...

と書いたように、霊というのは時間にも場所にも囚われることなく、いつどこにでもいるという認識でいたほうがいいと思っている。

ただそのうえでそこにも書いたとおり、私たちが

ここにはいかにもなにかがいそうだ

と思うこと自体が霊を力づけるので、その意味ではやはり、

「霊が干渉しやすい条件」(私たちが干渉を受けやすい条件)というのもあると思う。

またこれを別の観点から言えば、

夜は一般的に私たち肉体人が眠ったり、そうでなくても昼間よりは活発に動いていないことが多いので、「衝突・相反するエネルギーが少ない」(霊のエネルギーが通りやすい)

という点から説明することもできると思うし、水場についても

「水はあらゆるエネルギーを通しやすい」(いろいろなエネルギーの媒体になりやすい)

という理由を挙げることはできると思う。

だからその意味では、私たちの直感(古来からの考え)もそれなりの理があるとは思うのだが、それでも現在の私たちが霊と縁遠くなっているのは、やはり現代科学の影響力が大きくなったことなどにより、

霊なんてものは、どこにも存在しない

という前提(信念)が、広く共有されているからなのだと、私は思うのだ。

 

だがもしそれだけなのであれば、私たちは霊の影響を限りなく小さくしたうえで、自分たちの意志と決断だけによって生きられていそうなものだ。だが実際には、私たちの多くは、

守護霊の応援・支援の力はほとんど実感できず、一方で負の霊の影響だけはほとんど無防備に受け続けている」という事態に陥っている

ように見える。

だとすればそれはなぜなのかと考えてみると、それは結局のところ

自分の人生(未来)がよくなる(よい方向に向けられる)とはとても思えないし、自分の味方なんかいない。それどころか周りは敵ばっかりだし、未来はどんどん追い詰められて、ますます悪くなる一方だ

という思いが、私たちに広く蔓延しているからではないのかと、私には思えるのである。

私たちの人生の中核を成す自分自身のなかにそのような基本姿勢がある(刷り込まれている)と、当然の流れとして守護霊の力は弱まり、負の霊の力は強まる。そしてこれは、

「負の霊が干渉できる足場を多く深くする」

ということでもあるから、ますます負の霊とのつながりが強くなってしまう。これこそまさに

「負のスパイラル」

と呼ぶにふさわしいものだと、私は思う。

 

だからその現状を認識したうえで、なんとかそれを打破しようと思ったら、そのためにはやはり

私にも、自分を応援してくれている存在が確かにいる

ということを意識するのがまず大切な第一歩だと思う。

ただもしかしたらあなたは

さっきの話を逆用して、「負の霊なんかいない!」と思い込めば、その影響力を削げるんじゃないか?

とも思うかもしれない。それはあながち間違いとも言い切れないのだが、実際には「霊」というのは

「エネルギーそのもの」

でもあるので、どんなに負の霊の存在を否定してみようとしても、ただ生きているだけで否応なしに知らされる哀しいニュースや、怒りや不安を煽るような情報などに触れることによって、どうしても彼らに力を与えてしまうことになる。

だからその意味でもやはり、

実際にはいるものをいないと思い込む

よりも、

実際にいるものをいると認識したうえで、そのうちの誰と結びつきを深めるかを、自分でよく選ぶ

という方向性を採ったほうが、結局はより根本的な力を育めるのではないかと思う。

そしてもうひとつ、

自分の人生の主体(最終決定権)は、自分にある。だから私は私の意志によって、私が望む方向に向かっていくこと(望むものを育んでいくこと)ができる

ということを、改めて認識しておいてほしいと思う。それは今までも何度となく伝えてきたように、

「自分の持っている力を認識して、うまく活かすため」

なのだ。そして私たちひとりひとりが今いちど本気でそれに取り組み、さらにお互いを励まし合い支え合うことができれば、未来は少しずつ少しずつでもよくなっていく以外にないのだ。その未来は、私たち自身が創っていくものなのだから。

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  1. より:

    ブログをいつも拝見させて貰っています。

    守護霊はいない、という霊能者もいますが

    dilettanteさんは守護霊はいる、という認識なんですね。

    私も、直に感じた事はありませんがいて欲しいと思っています。

    この記事から思う事は

    やはり、ポジティブシンキングが大切なのかな?という事です。

    マイナス思考をしていると負の霊に付け入る隙を与えてしまい

    ポジティブ思考をしていると守護霊と繋がりやすくなり

    加護を受けやすくなる、という事ですよね。

    私は元々落ち込みやすくてストレスも感じやすく(いわゆるHSPです)

    現在苦境な環境も相まってネガティブになりがちなのですが、

    そんな私にポジティブ思考を強制して来る人が何人かいて、

    それが、自分の気持ちを分かって貰えず、

    否定されたように感じて余計にモヤモヤとしていました。

    でも、、、やはりネガティブ思考だと余計負の霊の影響を受けやすいのか、、、

    とこの記事を読んで、また考えてしまいました。

    「たとえ不安遺伝子を持っていても徐々に考えを広げていって

    何があっても楽天的に捉えられるようになるのが

    人間としての修行であり成長なのかなぁ?」

    この記事を読み、そんな事を思いました。

    そしてこの事は

    頭では理解できても、何かあった時にネガティブに陥らず

    心や感情までポジティブな気分になるのは

    それなりの技術と深い納得(悟り?)が必要な気がしました。

    • Dilettante Dilettante より:

      南さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      守護霊はいない、という霊能者もいますが

      dilettanteさんは守護霊はいる、という認識なんですね。

      私も、直に感じた事はありませんがいて欲しいと思っています。

      これは守護霊を一般的に

      「人格を保った存在」

      として捉えても確かに言えることではあるのですが、もう少し意味を拡げて

      「自分を力づけるエネルギー(体)」

      として捉えれば、あるとしか言いようがないということになると思います。

      それに、今までも何度も言ってきたように

      肉体人と霊存在の違いは、肉体があるかないかに尽きる

      という基本に立ち返って考えれば、やはり守護霊がいるのはごく自然なことだというふうに言えるかと思います。

      この記事から思う事は

      やはり、ポジティブシンキングが大切なのかな?という事です。

      マイナス思考をしていると負の霊に付け入る隙を与えてしまい

      ポジティブ思考をしていると守護霊と繋がりやすくなり

      加護を受けやすくなる、という事ですよね。

      私は元々落ち込みやすくてストレスも感じやすく(いわゆるHSPです)

      現在苦境な環境も相まってネガティブになりがちなのですが、

      そんな私にポジティブ思考を強制して来る人が何人かいて、

      それが、自分の気持ちを分かって貰えず、

      否定されたように感じて余計にモヤモヤとしていました。

      でも、、、やはりネガティブ思考だと余計負の霊の影響を受けやすいのか、、、

      とこの記事を読んで、また考えてしまいました。

      これは確かにそのように捉えることもできると思うのですが、もう一方では

      負の霊の影響を強く受けているとネガティブ思考に陥りやすくなり、守護霊とうまくつながれているとポジティブ思考を掴みやすくなる

      という捉えかたをしてもいいかと思います。そうするとネガティブ思考に陥っていると自覚したときも、

      「自分を責める」

      という方向ではなく、

      「負の霊の影響力に呑まれないよう、気を引き締める」(きちんと自分を護る)

      という方向に眼を向けることができるようになるかとも思います。

      そしてそのうえで、あなたが

      たとえ不安遺伝子を持っていても徐々に考えを広げていって

      何があっても楽天的に捉えられるようになるのが

      人間としての修行であり成長なのかなぁ?

      とおっしゃるのには私も基本的に共感しますし、この『闇の向こう側』の最初期に

      「強さ」とは、いつどんなときも「喜び」を見出そうとする態度のことだ
      眼を背けたくなるような出来事や事実というものがある。それは見ようと見まいと、日々起こっている現実だ。そのような「苦しみ」に対して、そこから目を背け、逃げ出し、そして表面的な「解決」をすることは比較的容易いかもしれない。そしてそれを、「前向き...

      と書いたのもまさにそのような観点によるものでもあるのですが、一方で私のなかには

      とはいえそれは「無理に・強制的に方向づける」ようなものではない。「どんなときもポジティブでいなければいけない」と思うことは、むしろ「浮き足立つことで波にさらわれやすくなる」危険のほうが大きい

      という感覚があります。

      それに実際、少なくとも今の私は、「いつもポジティブ」でもなければ、「楽観主義」でもないという自覚があり、代わりに

      「現実主義者」(リアリスト)

      だというのが最も現状に即しているのではないかと思っています。

      もちろんこんなことを言うと、現在の一般的な認識では

      霊なんてものをあると思い込んでる「霊媒師」が「現実主義者」だなんて冗談だろう?

      と思われてしまうのも理解はしているのですが、実のところ私の感覚を率直に言ってしまうと、

      霊の存在も認めず、ましてや自分に影響を及ぼしている負の霊にもほとんど無防備な状態では、まっとうに生きられるほうが不思議だ

      ということになるわけです。

      ですからそういった意味において、私は

      自分にとってそれがときにどんなに受け入れがたく不都合なものであっても、それが「現実」であるならば受け入れる

      という態度でいるという点で、自分のことを「現実主義者」(リアリスト)だと捉えているのですが、これはどちらかと言えば

      「ポジティブよりはネガティブ寄り」

      だという自覚もあります。そしてだからこそ

      「ポジティブ(前向き)至上主義」

      のひとたちから

      そんなんだからお前はいつまでもしあわせになれない(しあわせを感じられない)んじゃないか?

      と言われてしまう余地もあるとは思うのですが、これに対しての私の気持ちを(相手にわかってもらえるように)説明するのは、少なくとも今の私にとっては、とても難しいことです。
      ですからそんな私はあなたのことを否定しようという気になるはずもなく、ただお互いにできることで支え合い励まし合いながら生きていければと思うだけです。

      こんな私ではありますが、よろしければ今後とも、どうぞよろしくお願いします。

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