基本的に「なんでもあり得る」世界において、どんな自分を育て、どうそれを保っていけばいいだろうか?

「悪魔の証明」

と呼ばれるものがある。これはごく簡単に言ってしまうと

「『○○が存在しない(あり得ない)』ということを証明すること」

であり、それは

「『○○が存在する(あり得る)』ということを証明すること」

よりはるかに難しいということの指摘も含んでいる。

だからこれは

なにかが絶対に存在しない(あり得ない)ということを言い切れるのか?

という問いにもつながってくるのだが、こうした問いについて今の私としては、

基本的に、「どんなことでもあり得るのがこの世界だ」と思っておいたほうがいい

というふうに思っている。

私は今生生まれたときから、霊の世界があると思っていたわけではない。だが今の私は、それが存在しないとはどうしても言えないところにまで、体験と実感を深めている。だから、特に今の日本のような社会では

霊の世界など存在しない(妄想だ)

と思っているひとが多いことはわかっているのだが、私はそれに与することはできない。

だが多くのひとに共有されている思想に真っ向から抵抗するのも、多くのひととは真逆の思想を信じるのも難しいことだというのはわかっている。だから私としては、

せめて「霊の世界もあるかもしれない」と思っておいてはもらえませんか?

というくらいの提案ができればまずはよしとしようと思っている。最低限それだけの柔軟性を保っておいてもらえれば、あなたが死んだとき、あるいは霊感が開いたときに、その混乱を少しは和らげることができると思うから。

もちろん、今の私がすべてを理解しているというわけでは決してない。ただそれでも、私がこうして生きてきて改めて実感しているのは、

私たちひとりひとりには、とてつもない力が秘められている

ということである。そしてよく、

私たちのなかで「特別な存在」などというひとはいない。誰もが同じくらい特別だからだ

というように表現されることがあるが、私もまったくそのとおりだと思うのだ。

誰かが世界を赤く染めようとしている一方で、別の誰かは青く染めようとし、また別の誰かは黄色に、白に、黒に茶色に紫に……と、それぞれの思惑に基づいて動いていると、最終的にどんな色になるのかは、誰にも予想がつかない。それが世界の実態を最も単純に表したものだと私は思う。そしてここでとても重要なことは、

世界は基本的に誰にでも開かれている。そしてそのなかで、私たちは、それぞれがそれぞれに影響を与え合っている

ということだ。だからこそ誰かの想い・思惑だけが通るということもないし、自分の予想・理解を超えたこともよく起こるというわけだ。

 

今の社会ではあまりにもよくあることなので、感覚が麻痺してしまってもしかたがないとは思うのだが、よく考えてみると、たとえば

「自殺」

というのは、

「実は相当にあり得ないはずのこと」

だと、私はいつも思っている。

「自分で望んで生まれてきて、そのタイミングも期間も環境も自分で決めてきたはずなのに、それでもそれを自分から棄ててしまう」

というのは、かなりあり得ないはずのことだとは思わないだろうか?だが、それは実際にたくさん起きていることだ。

守護霊もいるが負の霊もいる。そして計画は常に変更される余地があるし、机上の理論は常に現実に凌駕される可能性を孕んでいる。そしてなにより、本人の選択がすべてに優先される。そのうえで、本人に影響を与えることは誰にでもできる。したがって、自殺さえも強制的には禁止できない。強制的には禁止できないというなら、それは起こり得る。

ごく端的に言ってしまうと、このような説明により、自殺という

「あり得ないはずのことも、あり得る余地」

が生まれるというわけだ。これが、この世界の仕組みなのである。

こうしたことを理解するというのは、本当につらく、哀しいことでもある。だがだからこそ、それも理解しなければ、対処することができない。対処するというのは、

「自分が起きてほしくないと思っていることを、防げるようにする」

ということだ。無防備無頓着でいると、自分が起きてほしくないことも、起きる可能性がある。だからそれを防ぐには、その背景や仕組みを、理解しなければならないと、私は思っているのだ。

 

そういった理由により、実は私は今回、今までは公開をためらっていたある経験を、ここに共有することを決めた。それは私が今までで最も驚いたこと、

「そんなことが起きるはずがないと思っていたのに、そんなことさえ起こり得るのかと心底驚き、動揺した経験」

についての話である。

結論から言ってしまうと、それは

「人生を乗っ取る」

という話である。そしてこれは、

「生きている肉体人が、霊に主体を明け渡した(奪い取られた)結果、その霊の意志によって動かされるようになってしまった」

ということとも違う。もちろんこれも充分に哀しいことで、起こってほしくないことなのだが、今回私が共有したいのはその上を行く事態だ。

つまりそれは、

「自分が構想を練り、学びたいことや出会いもすべて計画し、生まれる準備もほぼすべて終えていたのに、いざ生まれる段になって、自分がその肉体に宿る直前に、別の霊に先を越されてしまい、本来自分が生きるはずだったその人生を、別の霊に奪われる」

という事態である。

私がなぜそのような事態を知ることになったのか、詳しい経緯をここに書く気にはなれない。ただ私は、ともかくそのようなことを知らされた。その結果私はひどく驚き、動揺し、落ち込み、しばらくして私が知る限り最も信頼のおける霊の方々に、できる限りたくさんの意見を求めた。そもそも、その情報を私に伝えてくれた相手も、私が深い信頼を寄せる相手ではあったのだが、それでも私は、どうしても確かめずにはいられなくなった。そんなことが実際に起こり得るということを、受け入れたくなかった。

だから私は訊いた。

「自分が準備した人生を、生まれる前に他の霊に奪われる」なんて、そんなことが本当にあり得るのか?そんなことが、許されていいのか?

するとあるひとは、

もちろんそれは、本当に哀しいことだ。多くのひとの人生に影響し、自分にとっても決していいものはもたらさない。そんなことが何例もあってはいけないし、実際私も他にそのような例を知りはしない。それは、「起こるべきではないこと」だ。だがそれが「決して起きないこと」かと問われたら、そこには確かに、起きる余地がある

と、私に静かに言った。彼も、とてもつらそうだった。

別のあるひとは、

それは確かに、「限りなく真っ黒」に近い。ほとんど「禁忌」と言ってもいいようなことだ。だがそれでも、それは「限りなく真っ黒に近い、グレー」なんだ。だから、どうしてもやろうと思ったら、できないことではない

と言った。

また私は、私の知る限り最も

「霊の堕落、弱さ、醜さを直視し、しかし決して自らは負に呑まれず、自分の理想を追求している霊」

にも見解を求めた。すると彼女は、さらりとこう言った。

そりゃあ、こんだけの霊がいるんだもの、なかにはそんなことをやってのけるひともいるだろうね

ただ彼女は、そこにひと言、

それでもそんなことは、私でもやらないけどね

と付け加えもしたのだった。

 

そのときの私の気持ちを、うまく表すことは難しい。ただ悄然としたというのが、いちばん実態に近かったかもしれない。しかし私は、しばらくしてその

「他者の人生を奪った当人」

に、会って話すことにした。本当はもう会いたくないという気持ちも相当に強かったのだが、それでも意を決して、会いに行くことを決めた。その居場所を突き止めるのは難しいことではなかった。それに相手も、いつかは私に話をされるのを覚悟していたのだと思う。ただ私のほうを直視しようとしない相手に対して、私は努めて冷静に、こう切り出した。

お前が、かつて他者の人生を乗っ取ったという話を聴いた。本来はお前が生きるべきではない人生に乗り込み、本来はお前ではなかったはずのひとに、成り代わったという話だった。それは、本当のことなのか?

すると彼女は、驚くほど落ち着いたふうにこう言ったのだった。

さぁ?でももしそうだとして、私が悪いって言うの?

私は、相手の性分を理解しているつもりだった。それに相手は、他者の人生を乗っ取るようなひとだ。だからそのくらいのことを言われるだろうというのは、予想の範囲内ではあった。だがやはり、実際にそう言われるというのは、予想以上に私の心を揺らした。だから私は、冷静でいることができなかった。

じゃあお前は悪くないっていうのか!生まれるっていうのが、どのくらい大きな決断だと思う!そのひとつひとつが、どれだけかけがえのないものだと思う!同じ人生は他にないっていうのに、大切に育んで準備したそれを掠め取られるのが、どれだけ哀しいことだと思う!そんなことを、お前はなんとも思わないのか!

すると彼女は、熱くなる私を楽しむように、微笑みながらこう言った。

同じ人生は他にないから、それがかけがえのないものだから、だから欲しいんじゃない

私は、言いようのない気持ちに言葉を失った。すると彼女は、さらにこう言ってきたのだった。

すべてを深く理解したいっていうわりに、考えが浅すぎるんじゃない?そんな、鬼の首取ったみたいに慌てて。そんなこと、よくあることじゃない。限定1枚のチケットに、1万人が応募しました。お金を出しても、買えるのは1人だけ。それとなにが違うの?

そんな論理が通るはずがない。わかって言っているのか、本当にわからないのか?

それとこれが同じなわけない!人生っていうのは、自分で大切に準備して、練り上げて、決断して生きるものなんだから!それをチケットと一緒にするなんて、そんなのわけが違う!

そう?だってもしあの子が準備だけしてやっぱり最後の一歩を踏み出せないまま終わっていたら、その人生は最初からなかったことと同じでしょう?どんなに早くから準備してたって、実行できなきゃ意味がないんだから。相手は迷ってた。私は決断した。私のほうが先。私のほうがその人生にこだわった。私のほうが想いが深かった。だから、私が宿ったの。あなたより私のほうが、この世の仕組みを理解してると思うけど?

なぜ、相手のほうが私より余裕があるのか?なぜ、私のほうが相手より動揺しているのか?私は、彼女の性分を理解していると思っていた。だがいまや、私はそれが単なる思い込みでしかなかったのだと、これ以上のないかたちで、突きつけられているのだった。彼女は、さらに続けた。

双子の姉妹がいました。片方に彼氏ができたのに、もうひとりにはできませんでした。でもふたりはそっくりで、ほとんど見分けがつきません。それに彼は、誰から見ても魅力的でした。だからひとりは双子の片割れになりすまし、彼の部屋に行って、恋人として過ごしました。こんなの、よくある話でしょう?でもこれって、恋人を見抜けなかった彼も、油断してたもうひとりにも責任があると思わない?

なんでも混ぜこぜにして話を逸らすんじゃない!双子みたいにからだがふたつあったわけでもないし、生まれたあとに成り済ましたわけでもない!ひとつだけのからだを、1回限りの人生を、生まれる前から、始まる前から奪ったんだ!なんでそうやって、話を煙に巻けるんだ!

それでも、彼女には通じなかった。

だからさ、自分が準備したってんなら、ひとに奪られる前に生まれればよかったじゃない!私は、盗んだわけじゃない!あのからだは、まだあの子のものじゃなかった。誰のものでもなかった!だから、私が私のものにした。私が最初に決めて、私が最初に飛び込んだ!それは、私が決めたから!そして、「そんなことはできない」と、誰もが思い込んで、油断したから!それにそれを、私の手の届くところに置いたから!だから、私は悪くない!私が悪いって言うんなら、同じくらいみんな悪いのよ!

私たちの隔たりは、最後まで埋まらなかった。そしてその後の何度かのできごとを経て、私は少なくとも、私自身が彼女を説得することに力を注ぐのをやめることにした。それよりも、それによって失われたものをできる限り取り戻し、最終的にはそれ以上の状況を創り上げること、そこに力を注ごうと決めた。どれほど時間がかかっても、それを実現してみせよう。私は改めて、そう決めたのである。

 

これは、ここ数年の間にあったことである。私はそれまで、こんなことがあり得るなどとは、想像もしていなかった。しかし私は

「自分の想像を絶することも、確かに起こり得る」

ということを、このとき改めて痛感したのである。

私がこのことをあなたと共有するのを今までためらっていた大きな理由のひとつは、

「こんなことも起こり得るということを知らせることで、あなたを余計に怖がらせることを避けたかったから」

という点にあった。ただたとえば以前

今のひとたちの一般的な感覚では 「霊」 という言葉は 「幽霊・お化け・死者」 というようなイメージで捉えられることが...

に書いた体験もそうなのだが、私は

自分にとってつらく受け入れ難かった体験ももう一歩踏み込んで共有することで、あなたには同じ体験をしないで済んでもらうために、そういう可能性も織り込んで、備えてほしい

という想いのほうが大きくなってきたのだ。

それにもちろん、私自身がこの問題になんとしても対処したいと強く思っているので、もう2度と、誰の人生も乗っ取らせはしない。たとえ乗っ取りたいという霊が現れたとしても、その想いより私の想いのほうが優るので、それは実現しない。ましてそこにあなたの想いが加われば、もう誰にもそんなことはできない。そのために、私はここに共有しておくことにしたのである。

それに、

「なんでもあり得る」

というのは、

「なにをしてもたいした違いはない」

ということでは決してない。

私は以前から、

なぜひとを殺してはいけないのですか? かつてこの素朴な問いがテレビの討論会で聴衆のこどもの口から発せられ、その場の誰もが明快な答えを提...

と考えているが、なんでもできるからと言って、なんでもやればいいというわけではないのだ。それにどの道を選んでも、行き着く先は同じだというわけでは決してない。そして、

「いろんな選択肢はあるし、どれを選ぶのも自分の好きに決めていいけれど、選んだ結果は、自分が見届けなければいけない」

というのも、この世界の原理なのだ。だから、どれを選ぶかはよく考えたほうがいい。それになにより、私はあんな

「裏道をこじ開けた」

彼女が、しあわせを手にしているとは思えない。だからその観点からも、私は誰にもそんなことはしてほしくないし、させようとも思わない。他者の用意した人生にあなたが乗り込んだところで、あなたにはうまく扱えないからだ。あなたは、あなたの役を演じたらいい。その脚本を練る時間は、いくらでもあるのだから。

 

私たちには、無限の選択肢がある。そしてあなたには、本当は、そのどれを選ぶこともできる。だがだからこそ、そこからなにを選び、どう育んでいきたいかを選ぶことにこそ、かけがえのない意味と価値があるのだ。なにを選んでも、なにをしようとしても、それに相反する想いを持つひとはどこかにいる。だがそのことを理解していればこそ、自分の想いを深め、練り上げることもできるのだ。

だから私も、今日もそうやって自分を成長させたいと思っている。それは自分の大切なものを護るためでもあり、自分が生きていたい世界を創るためなのだ。そのためになら、あらゆる可能性を追究し、努力する価値がある。そのための世界が、ここにあるのである。

コメント

  1. ひか より:

    文章力がないため分かりにくかったら申し訳ありません。この、乗っ取った霊は今も肉体を持って生きているんですよね。では、その人は生まれる前の記憶がある状態で生きているという事なのでしょうか。それともその霊と肉体側の意識は切り離されている状態(肉体側の意識は生まれる前の記憶を知らない状態)なのでしょうか?私は霊感がないのでよく分からないのですが、もし後者であれば肉体側の意識は何も知らないからその人はすごく可哀想ですよね…。私は生まれる前の記憶はありません。でももし、自分が誰かの人生を奪ってこの世に生まれてきた存在だと分かってしまったら、私は生まれてきた事に物凄く後悔と罪悪感と罪の意識を感じてしまうと思います。

    • Dilettante より:

      ひかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      では、その人は生まれる前の記憶がある状態で生きているという事なのでしょうか。それともその霊と肉体側の意識は切り離されている状態(肉体側の意識は生まれる前の記憶を知らない状態)なのでしょうか?

      これはとても重大であると同時に繊細な問題であり、かつそれぞれのいろいろな想いを巻き込んだものなので、この問いに対してはっきり答えることはしないでおこうと思います。

      ただそのうえでもう少し言えるとすれば、この

      「人生を乗っ取る/乗っ取られる」

      ということが起きたのは今生のことではありません。にもかかわらず、私はそれからしばらくの間、肉体人としてだけではなく霊としても、このようなことがあり得るということを知りませんでした。そしておそらくは未だにそんな可能性にさえ気づいていない霊のほうが、ずっと多いのではないかとも思っています。

      しかし少し考えてみれば当然のように、それはときを経た今でも、それぞれの現状に多大な影響を及ぼしています。

      私がとても大きな衝撃を受けながらも、この事実を様々な想いのなかで受け入れる(こうしたことも現実にあり得るということを認める)に至ったのは、

      「この過去と現在が、それぞれ確かにリンクしている」

      ということを思い知らされたからでもあります。

      そしてあなたもお気づきのとおり、こんなことをした彼女がなんの反動も受けずにあっけらかんとしあわせになっているということはないです。これは、これ以上なく当然のことです。だからこそ、こんなことは基本的には、誰もやろうとしないことなのです。

      それになにより、そのことを実際に実行してみるまでもなく、

      自分が誰かの人生を奪ってこの世に生まれてきた存在だと分かってしまったら、私は生まれてきた事に物凄く後悔と罪悪感と罪の意識を感じてしまうと思います

      ということを予測できるあなたなら、彼女のようになることはないでしょう。加えてこんな実例を知ったならなおのこと、それでもなおあなたが彼女の真似をするなどということは、まず絶対にないと思います。

      そのうえで、そんなあなただからこそ

      私は霊感がないのでよく分からないのですが、もし後者であれば肉体側の意識は何も知らないからその人はすごく可哀想ですよね…。

      とおっしゃるのだと思いますが、この事例ほど極端ではないにせよ、それぞれの魂の資質、もっと言えば過去生からの傾向やクセのようなものは、そのほとんどが今生にも影響を及ぼすものですから、自分がそれを忘れているかどうかには関係なく、

      自分が学ぶべきことは、すべて目の前の現実のなかにある

      というのも、確かに正しいのだろうと思います。

      ですから私としては、あなたにも必要以上に自分を責めることなく、1日1日を少しでもあなたらしく乗り越えていっていただけたらと、そう思っています。

  2. だれか より:

    自分ですべて決められる人生なのになぜ人の人生を奪う必要があるのでしょうか?

    準備する期間がおしいから?

    過去世の行動等により限られた選択肢の中からしか選べないから?

    • Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      まず大前提として、私は他者の人生を奪いたいとはまったく思いませんし、少なくとも私はそんな例をこのひとつしか知りませんので、本当のところは本人にしか理解できないものだとは思いますが、おそらくはあなたの推察する理由もそう外れてはいないのではないかと思います。

      そのうえでまだなにか言ってみるとすると、あなたが

      自分ですべて決められる人生

      とおっしゃるのは確かにそのとおりなのですが、一方で世界は自分だけの都合で動いているわけではないですし、同じ人生はふたつとないわけですから、その点において

      「自分の希望が(一度で)全部叶う」

      というわけにはいかないことも事実だと思います。

      少し微妙な例ではありますが、たとえば演劇において

      「シンデレラ」

      の役を射止めることができるのは基本的には1人だけで、それを複数、ましてや数十人に増殖させることは不可能であり、仮にそれを無理やり成立させて

      「数十人のシンデレラが登場する劇」

      というのを創ってしまうと、それはもともとの話とはまったく違うものになってしまうでしょう。最近では

      うちの子も主役(ヒーロー・ヒロイン)にしてくれないと差別だ!

      などと言い出すひとがいて、一部ではこんなことが実際に起きてしまっているという話もありますが、これは

      本来は、そもそも最初から全員が特別で、全員が主役だ

      ということの意味を履き違えた結果であると思いますし、いずれにせよそれはこんな歪んだかたちで実現させるべきものでもないと思います。

      ですからこのあたりのことを掘り下げていくと、そこに

      「彼女の動機」

      に近いものを見出すこともできるかとは思うのですが、私は彼女と直接話し合ってみてもどうしても相容れることはなかったですし、仮にいつかそれを「理解」したとしても

      「共感」

      することはないでしょう。

      それになによりそれは誰もしあわせにしないということがもう明らかになったので、私はそれをはっきりとお伝えしたうえで、同じようなことがもう2度と起きないよう、打てる手はすべて打っていきたいと、そう思っています。