大資産家がそれを他者と分け合うのは、道徳や良心の問題を超えた、「しあわせに生きる唯一の方法」だ

社会の不平等や諸々の問題を社会の力によって解決しようとした社会主義(およびそれに関連する計画経済主義)などが破綻してからというもの、私たちは資本主義に相対するほどの代替案を打ち出せず、結果として

「資本主義の一人勝ち」

のような状態になってそれが先鋭化した結果、それは暴走と言ってもいい状態になっている。

そしてこれは(資本主義が徹底されれば当たり前の帰結でもあるのだが)今や実のところ

「拝金主義」

と言ったほうがいいようなものになりつつあるとも思う。本来はひとつの

「制度・手段・道具」

にすぎないはずのカネに大きな力が集中し、それなしで動ける余地はもうほとんど残されていないように見える。

だからこそ、本来は紙切れにすぎないはずのカネに

「金」

の字が当てられ、神のように崇め奉られていくのも、ここまで来れば自然の成り行きだとも思う。

そんななかにあって、私たちが

もっともっとお金が欲しい!

と思ってしまうのもしかたのないことだと思うのだが、実際にはそれは

「お金」

などと呼べる甘くて優しい顔だけを持っているわけではない。それを安易に

「宝」

だと見なすのも早計だ。その理由を、私は以前

現代では資本主義が世界を覆い尽くしている。だから、私たちはカネのことを考えずには生きていられないとさえ言える。基本的な衣食住から様々な「サー...

にも少し書いたのだが、今回はそれを踏まえつつ、もう少し踏み込んだ話をしてみようと思う。

現在2019年の日本における

「大金」

と言うと、それはいくらくらいを指すのだろうか?

今ひとつの指標として、2019年5月10日に結果が発表されたという

「第787回全国自治宝くじ(ドリームジャンボ宝くじ)」

「宝くじ」当せん番号をご案内しています。

を見てみると、その1等は3億円となっている。なるほど、3億円は確かに大金だろうし、宝くじを買ったひとが1等に当たれば間違いなく喜ぶだろう。

ただそこまでは行かないとしても、1等の前後賞がそれぞれ1億円となっているのだが、これだけでも充分に大金だと言っていいと思う。なにしろこれは現在の日本における

「給与所得者の平均年収・中央値」

皆さん、唐突ですが、年収はおいくらでしょうか??自分が日本という国の中で稼いでいる方なのか?はたまた、稼いでいない側なのか?今回は 「年収」 について、いろいろな角度から見ていきたいなと思っています。

の20〜30倍以上の金額である。

だからそのような背景のなかで、大金、特に

「人生を大きく動かすほどの大金」

となれば、

「1億円以上」

がそのひとつの目安になると言ってもいいと思う。

しかし世界的に見れば、さらなる大資産家というのはいくらでもいるもので、たとえば

フォーブスは5日、毎年恒例の世界長者番付を発表した。今年はジェフ・ベゾスが保有資産額を前年から190億ドル(約2兆1300億円)増やし、1310億ドル(約14兆6600億円)で2年連続の首位に立った。33回目となる今年のランキングでは、保有

を見てみれば、それが如実に現れている。

そして、その格差が

【1月21日 AFP】世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているとの報告書を、国際NGO「オックスファム(Oxfam)」が21日に発表した。

という状況にまで拡がっているならなおのこと、彼らのような大資産家のなかにはなんらかの

「財団・基金」

のようなものを設立したり、そうでなければ

もっと税金を払え!富を再分配しろ!

といったような抗議を受けたりすることも多い。

こうした状況のなかで、私は大資産家たちがその資産を他者に分配しようとしていることはもちろん素晴らしいことだと思うし、それは本当に尊い決断だとも思う。それは、誰にでも簡単にできることではない。

しかしそれを踏まえたうえで、私は一方では

大資産家がそれを他者と分け合うのは、それぞれの道徳や良心の問題を超えた、「しあわせに生きる唯一の方法」だ

という感覚を、確かに持っているのである。

先に挙げた

現代では資本主義が世界を覆い尽くしている。だから、私たちはカネのことを考えずには生きていられないとさえ言える。基本的な衣食住から様々な「サー...

のなかで、私は

「宝くじの高額当選者」

を例に挙げ、

「大金を手にしたひとが、そのカネの力に呑み込まれ、却って不幸になり、ひどい場合には破滅に至る」

ということも少なくないということを示した。そしてそれは、

「1億円程度」

ですらそうなのだから、それが

「1000億ドル」(≒10兆円)

というような途方もない金額になればなおさら、それでまともにしあわせな生活を送ることは、ほとんど無理だと思う。

先ほど確認したように、今の日本の平均的なひとにとって1億円でも充分に

「人生を大きく動かすほどの大金」

なのであれば、その10倍の10億円、あるいは100億円を一括でそのひとに渡したら、ほぼ間違いなく、そのひとの人生は壊れると思う。これは、

「しあわせになる」

の書き間違いではない。ほぼ確実に、壊れるのである。なぜなら、それが

「自分の器(容量)を超えている力」

だからだ。過ぎた力は、自分を文字通り押し潰すのである。

もちろんその器(容量)は、鍛錬によって大きくすることもできる。逆に言えば、10歳の子の人生を壊すのには、1億円も必要ない。2000万円、いや1000万円でも、ほぼ間違いなくその子は歪むと思う。

これは、いずれあなたが大学に行くときの学費にするから、それまで取っておくんだよ。なくなったら、大学に行けなくなるからね

とでも言っておけばまだいいかもしれないが、それでもそれを10年近く、適切に管理・運用することは、一般的な10歳には荷が重すぎると思う。それに、

「今回宝くじが当たったからと言って、また当たるとは限らない。カネは遣えばなくなるし、どんなに多く見えても、決して無限ではない」

という前提を何度確認したつもりでも、高額当選で不幸になるひとがこれだけいるのだから、そのように

「自分の器を超えた金額を、長期的な視座に基づいて管理・運用する」

というのは誰にとってもかなり難しいことである。

そういった観点から言えば、たとえもはや10歳ではない、一般的には

「おとな」

と言って差し支えない年齢のひとであっても、2000万、あるいは1000万でも人生を壊すことは充分にあり得る。

「1000万円を一括でもらう」

というのは、

「1年ごとに500万円を2回もらう」

ということとも、

「ひと月ごとに40万円を25回もらう」

ということともまったく違う意味を持つ。ちいさく分散されることなく、ひとつにまとめられた力を扱うのは、格段に難易度の高いことである。

ここまで考えてみると、私が

大資産家がそれを他者と分け合うのは、道徳や良心の問題を超えた、「しあわせに生きる唯一の方法」だ

と言う理由も、よりよく伝わるのではないかと思う。ここで言う

「他者と分け合う」

というのは、

「特定の誰か、あるいは不特定多数のひとたちに、財産を直接渡す」

ということに限ったことではない。そこには

「税金を払う・教育機関を建てる・環境を護る……など、ともかく自分以外の他者のために、その財産を活かす・回す」

というすべてが含まれる。逆に言えば

自分自身、あるいは自分と特に近しいひとだけのために1億円、ましてや10兆円ものカネを費やそうとして、しあわせにいられるはずがない

ということなのである。だからこそ、世界随一の大資産家ともなれば、文字どおり

「生き延びるための唯一の方法」

として、自然とその力を他者のために活かそうとする以外にないと、私は思っている。

だから、このことを理解すればするほど、

カネの世が、少なくとも今のようなかたちになったのには、相当程度負の霊の策略が絡んでいる

というのは、もうほとんど疑いの余地がないと思う。

今のカネは、あまりにも扱いが難しく、「劇薬」と言って差し支えないほどだ。

「その毒を薬に変える方法」

もあるにはあるのだが、その方法はますます見えにくくされ、仮に見つかっても、

「とても稀な用法」

にすぎないかのように偽装され、一般には普及しないよう阻まれている。にもかかわらず、それは非常に強力であり、私たちを毒し、麻痺させ、ときには文字どおり殺しもする力を持たされているというわけだ。

だがいずれこのような認識が広まっていくようになれば、私たちはその扱いを変え、毒を薬としてのみ活かすようになるだろう。そうなれば、毒は毒としての歴史を終え、少なくとも今とはまったく違うかたちのものになる。

逆にもし、私たちが一向にその認識を改められないのであれば、いずれそのカネの力は、自らの重みに耐えかねて自滅する。そしてそれは本当には、もはや誰の眼にも明らかなことである。

世界の借金総額は「2京7000兆円」に膨れあがっていた……。これが炸裂すると

だからいずれにせよ、カネの役目はもう遠からず終わる。あとは

「終わりかた」

の問題なのだが、私としてももちろん、できればそれが少しでもまろやかなかたちであることを願ってはいる。ただカネの病みはもはや世界の根幹に食い込んでいるとも思うので、それを治すために多少の荒療治が必要だとしてもしかたがないとも思う。そしてそれがどんなものであれ、それはもちろん私にとっても他人事ではない。

だからそういったことをどこかで忘れずにいながら、私も今はまだカネの力に揺れている最中の世界に生きるひとりとして、家賃を払い、生活費をやりくりしながら生きていく。そしてそう遠くはないその終わりを、私も肉体人としてであれ霊としてであれ、その力に直に翻弄された経験を持つひととして、あなたとも一緒に、見届けてみたいと思う。

最後に、こんな動画も資料として置いておきたいと思います。