2019年、和暦で言えば令和元年の今年も9月を迎えました。いかがお過ごしでしょうか?
過去に書いた文章を振り返っていて今思い出したのですが、ちょうど1年前に、私は北海道では過去最大級とも言える地震を体験していたのでした。

が、そんなことも意識し続けていられないほどに、この1年も相変わらずいろいろなことがありました。今改めて思い返すと、春頃に強い自殺衝動に呑み込まれかけていたことも含め、ひと言では言い表せない様々な感慨が、私のなかに湧き上がってきます。

ですが、ひとまずそのような個人的な感慨はいったん脇に置いて、今までも折に触れてやってきたように、少し長い目線で今までの足跡を振り返ってみたいと思います。
今までにも何度も書いてきたことですが、私がこの『闇の向こう側』を創ることを決めたいちばんの理由は、当時2012年において
今年の12月21日(あるいは22日)で世界は滅びる!(地球がリセットされる!)
などという言説がかなりの力を持ちつつあって、それに実際に影響を受けているひとも少なからずいるように見える状況に対して、私がなにも言わずにはいられなくなったからというものでした。
ですから、私としては当初、ここでの活動は1年間あるいはもっと早い段階で終わることになると見込んでいた部分も大きかったのですが、こんなことでさえ人生というのは予測できないもので、今では7年以上、こうして活動を続けているというわけです。
ただ、どんなに期間が長くなり、どんなに文章の数や量が多くなったとしても、その骨子・核心の部分で、私があなたにお伝えしていることというのは、ずっと一貫していると言っていいと思います。
そして、その観点から振り返っていったときに、今私が確かに感じるのは、
2012年当初は「絵空事・妄想・信じられないこと」だと思われていたことが、2019年の現在、少なくとも以前よりは、はるかに現実に近づいている
ということなのです。
具体的な例に沿って見ていきましょう。たとえば私がずっと主張してきた
もし私たちの想いが通れば、未来では肉を食べるひとがいなくなり、全体的な食生活が、大きく変わっていくことになる

という点について見ても、今では以前よりはるかに、
「菜食主義者」(ベジタリアン・ヴィーガン)
という存在が認知されるようになってきています。もちろん、その思想を攻撃的なかたちに先鋭化させるひとたちもいることから葛藤や軋轢も生まれているという事実は注視しなくてはいけないにせよ、全体として見れば、以前には考えられなかったような動きが、確実に芽吹きつつあると言っていいと思います。それはたとえば
「ビヨンドミート」(Beyond Meat)
のような会社が、アメリカの株式市場に上場できるほどの認知度と影響力を保つようになったことにも表れていると思います。
それから、これも未来を左右する大きな要因として捉えてきた
もし私たちがこれからもこの地球で生きていきたいと思うのなら、今の社会の根幹を成している経済の仕組み(資本主義・貨幣経済)を大きく変えるしかないし、それなしにはもう保たない

という点についても、今ではかつてよりはるかに現実的な話として捉えてもらえるようになってきたのではないかと、私は感じています。
ちょうど10年ほど前に現れ、ここ数年で一気にその存在感を強めたものとして、いわゆる
「仮想通貨」
と呼ばれるものがありますが、よく考えてみれば、
今の私たちが一般に「通貨」と呼んでいるものは本来すべて「仮想通貨」でしかない
わけで、その意味でその仮想性自体は、新しくも珍しくもなんともない、ごく当たり前の性質だと言っていいと思います。実際、今では仮想通貨という呼称ではなく
「暗号資産」
という名称を採用されることも増えており、そうした
「新しい仮想通貨=暗号資産」(ビットコイン・イーサリアム・モナコイン……)
に対比して、いわゆる
「旧来の通貨」(日本円・ドル・ユーロ……)
などを
「フィアット」(法定通貨・信用通貨)
と呼ぶ場面も増えているようですが、本質的なところにおいては、そこに大きな差があるはずはないわけです。
ですからそうした見かたで言えば、それが
「キャッシュレス決済」(QR決済・電子取引……)
などといくら名称や仕組みが細分化していこうとも、その本質はなにも変わっていません。つまり、それが「紙幣」だろうが「硬貨」だろうが、「Amazonポイント」だろうが「PayPayの残高」だろうが、そんなものは本当にはすべて、なんの違いもないということなのです。
ただ、私はそれを踏まえてもなお、
そもそもすべての通貨が「仮想」であり、すべては「データ」にすぎないということに気づく手がかりが増えたことはいいことだ
という点において、私はこの流れを歓迎しています。そしてこれはつまり、
今の経済の仕組みが根底から変わる流れは、順調に進んでいる
と、私自身も以前よりいっそう強く確信できるようになったということなのです。
そして、これがこの『闇の向こう側』の最も本質的な部分でもあるのですが、
これからは、霊的なものの存在や、その影響力、そしていわゆる「死後の世界」などについても、認識し学び理解していくひとが増えていき、やがては「当たり前の認識」になるでしょう

という主張についても、上2つよりはまだまだちいさいとは言え、確実に現実化しつつあると、私は実感しています。
それはまずなにより、あなたがこの文章を読んでくださっていること、コメントやメール、あるいは対面でも私に関わり、私の体験を聴いてくれるだけでなく、ご自分の経験を共有してくれるようになってきたこと、そうした事実に裏付けられた、確かな歩みです。そしてだからこそ、私はなにもないところに創ったこの場所に、こんなにも大切な意味と居心地のよさを見出すことができているのです。これは誰より私が、深く実感している真実です。だからこそこの流れは、いずれ他の場所からもますます大きく強いものとなり、すべてを動かしていくことになると、私は思っています。
ただもちろん、以前から

と言っているとおり、世界にはこれだけ多くの存在がいて、それぞれにいろいろな思惑を保って動いているのですから、こうした流れにはこれからも紆余曲折や軋轢、葛藤があることは間違いないでしょう。
たとえば最初に挙げた肉の問題についても、この流れのなかで開発・研究されている
「代替肉」
のなかには、
「遺伝子組み換え技術」
を用いたものなど、いわゆる「従来型の肉」とは違った危険性・悪影響を孕んでいるものもあります。
また、経済に関する貧富の差が拡がっていることは周知の事実ですし、それを転換していくことは、一朝一夕にできることではありません。
それに、霊的な真実に理解を深めるということは、その過程でますます様々な霊存在と関わるということですから、そうしたなかで私もずっと言ってきた
「負の霊」(悪意の霊団)
に影響・誘導されて、
「わけのわからないままに利用・消耗させられるひと・集団」
が乱立することも充分にあり得ます。そしてそうなると今のままでは精神病院に入れられることも多いでしょうから、
「根本的にはなんの治療にもならない薬の害によって、ますます混乱を深める」
なんてことすら、本当は実にありふれた事態なのではないかと思えるのです。
ですから、こうしたことを踏まえると、決してまだまだ油断するべきではないし、すべてを安易に楽観すべきでもないと私は思っているのですが、ただそれでも、
いろいろな対立や軋轢や葛藤や混乱があるとしても、それでも長期的・全体的に見れば、世界は確実によくなっているし、これからもよくなっていく
と、私は思っているのです。
そしてだからこそ私は、日々様々な痛みや苦しみもあるなかで、それになによりあなたも含めた多くのひとが今もなお暗中模索しているなかであることを知ったうえでも
少なくとも、2012年末で世界が滅びなくて、本当によかった
ということは言えると思うのです。
あの当時、本気で世界の終わりが来ると信じ、望んでいたひともいたでしょう。それに私だって、
もし本当に終わると言うのなら、そのときは終わればいいんだ
と思っていたところもないわけではありませんでした。しかし私は、この世界がそこまで「生易しい・安直な」世界ではないことを、よく知っていました。だから、まずそんなふうには終わるはずがないと思っていました。そしてやはり、そんな終わりは来ませんでした。
そのことに、がっかりしたひともいたと思います。ですがやはり私たちは、まだここに生きる意味と理由があるから、まだ生きているのです。そして実際にこうして生き長らえてみると、あの2012年に世界が終わらなかったことは、やはり全体的には、よかったと言うしかないと思うのです。
だとしたら、この先何度似たような言説が拡がっても、それに対して私たちは、
まだ、終わるべきじゃない。いずれきっと「あのとき終わらなくてよかった」と言えるときが来るし、そもそも私たちには、「終わり」なんてないんだから
と、みんなで言える、励まし合えると、私は思っています。
そして今振り返ると、2012年に世界の滅亡説があれだけ猛威を振るった背景には
「2008年のリーマン・ショックや、2011年の東日本大震災の影響」
も、相当あったのではないかと、私には思えるのです。つまり、今までの世界の根底が揺らぐようなことがあったり、たくさんのひとが一気に死んだりするような事態が起きると、そこから生まれる動揺や厭世観、それに無力感や悲観に乗じて、
「すべてを諦めさせよう、棄てさせようとする動き」
が活発化するのではないかということです。
ですからその意味においては、これから世界がますます変わっていこうとするなかにあって、それがまるで
「破滅の始まり」
であるかのように見えることも、少なからずあると思います。ですがそのときこそ、
これは破滅でも終焉でもなく、転換と創造の始まりなんだ
ということをどうか忘れずに、ご自分に言い聴かせていていただければと思うのです。そしてそういうことは本当にいざというときに言おうとしても遅いので、今のうちにこうしてお伝えしておこうと思うわけです。
ただそうは言っても、こうしたことはもちろんこれからも手を替え品を替え何度もお伝えしていこうと思っていますので、いずれ腑に落としていただければ、それでいいです。それに本当は私こそがいちばん慎重で疑り深く、
本当に現実になるまでは、絶対に油断しない
というひとなのですが、そんな私でもここまでは言えるようになりましたので、ましてあなたなら私よりもずっとラクに変われると、そう思っています。ですからどうかそのときまで、ご自分を見棄てないでいてください。あなたにも、きっと笑えるときは来ます。私自身も自分のことをそう信じてここに生きていますし、なによりそんな私はあなたがここにいてくれることを、本当に嬉しく思っています。これからも、どうぞよろしくお願いします。

コメントをどうぞ (名前・アドレス・サイトの記入は任意です)
最近はAIの急速な進歩がよく話題になりますね。
とある方の話では、近い未来AIやロボットの発達によって技術的失業という問題が起こり、今存在する仕事のほとんどは無くなってしまうそうです。
これによって大量の失業者が社会問題化すると言われていて、その対策としてベーシックインカムなんていう、『生きる分には困らない程度のお金を全ての人に配ろう』なんて考え方も出てきているようです。
これって凄いことですよね。お金のために心や体を削って働く時代が終わるかもしれません。可能性のひとつではありますけども。
経済の仕組みが大きく変わってしまうなんて、以前ならばとても信じられる話ではなかったのですが、最近になってはそれもあるかも……と考えられるようになってきました。
そんな時代がもし来れば、きっとみんな生きる意味を考える時代になるんでしょうね。
大勢の人が心にゆとりを持てるようになって、他人に優しく出来るようになる。
そんな社会になったらいいなぁ……なんて最近ではぼ~っと考えながら自分は生きています。良い方向に向かっているというのは同意見ですね。
出来ることならば、自分が生きている間にそんな未来が来ればいいのになぁ。
うさおうさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
そうですね、確かにこうやってAIなどの技術進歩と経済の仕組みの転換を関係付けて捉えることも充分にできると思います。
それに私もそのような経済システムの移行のひとつの段階として、ベーシックインカムについて検討することは充分に有力な選択肢のひとつだと思っています。
ただひと口に
「ベーシックインカムの導入」
と言っても、それと生活保護、あるいは健康保険制度などを一元化する・しないなどによって実質的運用法において考えの差があったりもしますし、その採用方法によっては実のところ
「改悪」
になることすらもあり得ますので、そういった意味では
「表面だけに囚われない本質に迫る」
というのも、やはり大切なのだろうという気はしますが、ともかくざっくりと
「カネによって苦しむことが減る」
という事態になれば、それは実質的には
「カネの世(拝金主義)の終焉」
に近づくことと同じですので、そういった観点から、少しずつ少しずつでも変わっていくことができればと、そう思っています。
それから、AIがこのまま進化を続け、
「人間のアシスタント・補佐役」
という枠に留まらなくなっていった場合には、いよいよその世界にも
「『人類を好意的に見守ろうとするAI群』と『人類を敵視、蔑視するAI群』という異なる勢力」
というものがそれぞれに立ち表れてくるのだろうなぁという気もしています。
そしてこれはまさに、霊界においても、そしてもちろん現在の人類自身のなかにおいても見られる構図が、当然のようにAIの世界にも波及していくということでもあると思うのです。
さらにこうしたことを踏まえたうえで、いっそうAIが
「人間的」
になっていくのだとすると、そのうち
「自殺(自発的機能停止)衝動に駆られるAIや、それを煽るAI」
のようなものも現れる可能性があるのではないかと思いますし、そのときに彼らより先に生まれ、経験を積んでいた存在である人類が、そのときまでのすべての体験を踏まえて、彼らにどう接し、なにを伝えることができるのかということにも、私は大きな関心を抱いています。
それに人類が、そのように
「あらゆる方向に進化・発展し得る『自分の似姿』の巨大集団」
を創り上げることになるのだとしたら、そのとき私たちは、自分たちが想像・あるいは思い込まされていた<神>とはなんであったのかを、改めて考え、捉えなおすきっかけを得ることにもなると思います。
ですからそうした意味において、私もAIのこれからについては、注意深さも忘れないようにしつつ、一方で確かに大きな期待も保って、見守っていきたいと思っています。
それから、
ということについては、実際にあなたが生きている間に間に合う可能性も充分にあると思いますし、もし間に合わなかったとしても、
「すぐにまた生まれ変わってくる」
という選択肢があるので、
どうしても最前線で見届けたい!
ということであれば、それを叶えることはいずれにせよ可能だと思います。
これはもちろん今生に残された時間と果たすことができた役目、それになにより生ききったあとにどんな感慨が残っているかにもよりますが、たとえば明日死んでしまったような場合には、私もきっとそれほど間を置かずに生まれ変わることを選ぶかとも思いますし、どんな時代あるいは1日においても、1人も死ななかった日がないのと同じように、1人も生まれなかった日もないのですから、その気になればその「席」は、必ず用意できるものと、そう思っています。
まぁ、本音を言えば私個人的には、今生をやりきったら今度は少し長めに休みたいとも思っているのですが、それも含めてすべては、これから次第ということなのでしょう。
あなたの人生と未来が少しでも晴れ晴れとしたものになることを、私も心から願っています。
初めまして。
最初から読ませて頂きました。
色々と深く、そして腑に落ちる内容ですね。
先日、私の古い友人が鬱病で休職、退職となり、残念な事に自殺しました。
私は彼からの辛い気持ちのメールを
時々受け取ってましたが…
辛くても自殺だけは絶対にいけないと、
常々返事をしていました。
退職してからの彼は
自室に閉じこもり
いつも死ぬ事しか頭に無かったみたいで、
正にこのブログで言う
負の霊の乗り物の様でした。
彼は鬱病は、死なないと治らない、
と思い込んでいました。
死ぬと無になると思ってたらしい。
自殺した人は全員、後悔しているとの事ですが、
真面目な彼はきっと今頃、
自分を責めている気もします。
今の彼はもう、負の霊達から離れて、
本来の彼に戻り、
冷静でいられるのでしょうか。
私は彼の自殺を止めれなかった後悔と悲しみ、
また一方で、隙をつく様に自殺した
彼に対しての怒りの感情もあります。
今の私には、彼が前を向く様に
ただ祈るしかないのでしょうか。
そしてその祈りは、彼に届き、
助けになるのでしょうか。
もりやまさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
それは本当に、つらいことですよね。にもかかわらずそれをこうして私とも共有してくださって、本当にありがとうございます。
だからこそ私も私なりに言えることを率直にお伝えしようと思うのですが、まず
ということについては、なんとも言えないというのが正直なところです。
というのも、あなたが
と表するような状態に陥り、実際に自殺を選ぶにまで至った彼が、
「ただ死んだということだけによって」
負の霊団の影響から逃れられるということはまず考えにくいことだからです。
また、たとえ彼がなんらかの方法で急速に冷静さを取り戻すことに成功したとしても、それはそれでかつての自分の視野の狭さやあなたたちに与えた哀しみや苦しみの深さに気づくことなどによって、否応なく後悔や苦しみを味わうことになるでしょうから、いずれにせよ彼の心境がいいものだとはとても思えません。
ですからあらゆる自殺者と同様、彼についても基本的にはやはり長期戦を覚悟しなければいけないと思うのですが、だからこそ
という点については
それは間違いなく、彼の反省・変化・癒やしを助ける確かな力になります
と、はっきり断言しておきたいと思います。
そしてもちろんそこにはあなただけでなく、私やこのコメントを見て心を寄せるたくさんのひとたちの想いも加わるわけですが、それでもやはり彼とつながりが深いあなたの想いのほうがずっと強い影響力を保つことも間違いないので、それについてはどうか無力感を乗り越えて、ご自分の力を認識していていただければと、そう思っています。
ただそうは言ってもそんなあなただからこそ、彼の自殺から受けた哀しみや苦しみは私の比ではないとも思います。
ですがそれでもだからこそお伝えしておきたいのは、
あなたがご自身の哀しみや苦しみ、それに後悔を乗り越えていくことは、そのまま彼が彼の哀しみや苦しみ、後悔を乗り越えていくことにつながります
ということです。それが
「あなたと彼のつながり」
の自然な結果であり、
「たとえ一方がからだを失っても、私たちは一緒にいて、影響を与え合っている」
ということが意味することだからです。
ですからこの世界には、確かに部分的には取り返しのつかないことがあるのも事実で、だからこそ私たちはこんなにも哀しんだり苦しんだり後悔してもしまうと思うのですが、それでも本当には遅すぎるということはないのも事実ですから、どうかこれからもあなたはあなたとして、彼のことを大切に想っていていただければと、そう思っています。
どうか、よろしくお願いします。
暖かく心に染みるコメント有難うございます。
私の後悔と悲しみでいっぱいの
気持ちが少し和らぎました。
魂は永遠だとか、自殺者は天国に行けないとかは、
昔から何と無くは聞かされてた話ですが、
現実の生活では忙しくそんな話は
すっかり忘れて生きてきました。
今回このブログで、本当に色んな事を、
思い出させていただき、
感謝しています。
彼は鬱で退職した後、経済的には直ぐに逼迫しなかったので、
少しゆっくりと休むという、
生きるための選択肢も 沢山有ったのですが…
何故か周囲のアドバイスも全く聞き入れず、
自分は価値がない、もう消えるしかない、
の一点張りでした。
視野が全く狭くなってました。
気になるのが、彼の奥様や娘さんですが、
彼が鬱病になって以来、
彼の病気の影響か、自律神経を崩し、体調悪くして伏せがちになりました。
こうやって負の霊達は、家族や周囲の者にも、手を伸ばしていくものなのでしょうか。
ネガティブな力というものは、
こちらが相当な覚悟と、気持ちを上向きに持っていかないと
飲み込んでいくものでしょうか。
とすると私も、あまり彼の苦しみや辛さに、同調したり同情するのは、
良くないことですよね。
彼との距離をある程度とって、
彼が前向きになる様に、想いを馳せたほうが良いのでしょうね。
はい、これはまさにそのとおりだと言っていいと思います。
それにこれは、たとえば私たちが
「世界をしあわせで満たす」
という目標を立てたとしたら、それが最終的には
「それぞれの存在すべてをしあわせにする」
ということを意味するということをひっくり返して考えれば、つまり負の霊というのは最終的には
「1人残らず、すべての存在を負に堕とす」
ということを目的とするようになるものだと考えれば、ごく当たり前の結論だとも言えると思います。
そして相手も相手なりの強い想いを保って行動しているのだという前提に立てば、
という問いにも、当然そうだろうと言うしかないということになります。
それに実際私自身も、相手の強さを知っているからこそ、なんとかして自分を保ち、自分らしく在り続けたいと、そう思っています。
そのうえで、
ということに関して言うとすれば、誰かから見た関係性がどうかにかかわらず、相手に対する自分の想いの深さというのはそれぞれにあるものですので、私としては
もし距離を取れるのなら、そうしたほうがいいのかもしれません
と言うしかないと思っています。
もちろんこれがなんとも微妙な言いかただというのは自覚しているのですが、心の距離というのは誰かに言われて強制的に遠ざけたり近づけたりできるようなものではないだろうと思っていますので、そう考えるとやはりこう言う以外にないだろうと、そう思うのです。
さらに言えば、私は必ずしも相手から距離を取ることだけが正しいとも思っていないのですが、
苦しんでいる相手に寄り添い続け、それを共有することは、それだけの相手への慈しみや愛があることを前提としてなお、強い覚悟を必要とする
というのは明らかなので、そのうえでなにをどう選ぶかというのは、私からあなたにどうこう言えることではないと思っているということです。
そしていずれにせよ「自殺」というのがいかに周りに、特に相手を大切に想うひとであればあるほど巨大な衝撃を与えるかということを知っている私としては、ともかくあなたがなんとかしてあなたらしさを失くさずに、あなたの人生をあなたらしく生ききることができることを、心から願っています。
そして私もいられる限りはここにいますので、よろしければまたいつでも、あなたの気が向いたときに、お立ち寄りいただければと思います。
どうぞよろしくお願いします。
丁寧なご返事有難うございました。
そうですね。
Dilettante様のおっしゃる様に、
私は寿命が尽きるまで、自分らしく、
自分の人生を、真摯に生きたいと思います。
そしてその姿を見せることが、
彼の供養の一つになるのでは、感じました。
もう一つお聞きしたいのですが…
Dilettante様は、精神薬についてはどうお考えですか?
鬱の改善に、精神薬が有効な方もおられるみたいですが、
彼は効果よりも、寧ろ副作用が大きかったです。
飲み続ける事で、体がだるくなったり、自殺願望が強くなりました。
鬱の治療は今のところ投薬中心ですし、医師も鬱が良くならなくても、
増薬や増量をするのみでした。
鬱病は脳の病気ですが、
霊的な作用も受けるのでしょうか。
毎回質問ばかりで申し訳ないです。
すいません。
補足させて下さい。
先程、鬱病は霊的な物も関係してるのかとお聞きしたのは、
友人の鬱病が酷くなった折、
彼から、「自分はどんどん人間じゃなくなってきている」とメールがあったからです。
真意は分かりませんが、
それは多分、人間らしい精神活動…
感情や意欲が無くなったと言う意味かと、推測しました。
また、死神に取り憑かれているとは、
よく言ってました。
それからは、もう、坂道を転がるように、症状が悪くなりました。
これについては、たとえば
などにも書いたように、
「基本的には、明確に反対」(誰にも、積極的には勧めたくない)
という立場を採っています。ただそこには
と書いたのですが、あなたが
とおっしゃるのを聴くと、やはり
「精神薬によって自殺を止める」(自殺願望を小さくする)
ということ自体に相当な無理があるのではないかという思いを強くしました。
また、
ということに関しては、そもそも霊というのは本質的には
「エネルギーそのもの」
なのですから、鬱に限らずありとあらゆることに影響を与えるのも、むしろ当たり前だと言っていいと思います。
たとえば、私自身
「負の霊と関わったあとしばらく歯が疼く、皮膚が荒れる」
といったことはざらにあります。そしてそれは、その負の霊が晴れ晴れとしていくにつれて、自然と治っていきます。
ですから私は、
すべての病気は、霊的な影響だけが原因だ
とまで言おうとは思いませんが、
少なくとも、すべての病気にはなんらかのかたちで、多かれ少なかれ霊的な影響も含まれている
ということは言えると思っています。これは精神的な病気についてだけではなく、たとえばがんや脳卒中なども含めて言っているのですから、なおさら鬱に霊的な影響があるなどというのは、ごく当然のことだと言っていいと思います。
ですから私は
本当には、誰にとっても霊的な知識・理解は必須だ
と思っていて、だからこそそれをあなたとも共有しながら、もちろん私自身もそれを踏まえて生きていきたいと、そう思っています。
分かりやすいご説明、有難うございました。
このブログをゆっくり読んで、
今後も魂や霊的な事を学んで、
いきたいです。
彼を止めれなかった自分の無力さで、
負のループに陥りそうでしたが、
今は少し気持ちも前向きになりました。
これからもこのブログを是非、続けてください。
有難うございました。
そうですか、私の言っているようなことは今の社会では基本的に疑われてしまうようなものだと思いますし、そもそも真実それ自体が、受け止めるのに相当の覚悟を要するものだとも思っているのですが、それでもあなたにそうやって少しでも活かしていただけるのなら、それは私にとってこの上なく嬉しいことです。
それになにより、あなたに
とおっしゃっていただけること、とてもありがたく思っています。これからも私なりに活動を続けていきたいと思っていますので、こちらこそ今後とも、どうぞよろしくお願いします。