霊は私たちに、大きな影響を与えている。それは特に
「思考や感情」
に干渉するというかたちで関わり、そこから私たちのからだや行動にまで影響を与えてくる。こうしたことは、霊をある種の
「電流・イオン」
のようなものだと考えれば、さらに理解を深めやすいかもしれない。
だがともかく、私もそうやって霊からたくさんの影響を受けていて、あなたも同じように霊からたくさんの影響を受けている。そしてそんな私たちがお互いに関わり合いながら、この世界は動き続けている。こう考えると、その影響関係がいかに複雑で多彩なものであるかは、実のところ言葉では言い表せないほどだと、わかってもらえると思う。
そして、こうしたことを踏まえて考えると、
どこまでが私で、どこからがあなたなのか?
という問いが、実に深遠かつ切実なものとして浮かび上がってくると思う。
そしてここで言う
「『私』と『あなた』」
というもののなかには、それぞれどんな縮尺(スケール)の存在を当てはめてもいい。
たとえば、これを一般的な意味での
「個人」(肉体)
を単位として、
どこまでが「私」で、どこからが「守護霊さん(の影響)」なのか?
と問うこともできる。
すると私の守護霊さんに限らず、その答えとして
私はあなたの一部であり、あなたは私の一部なんだ
というような言い回しをされることは多い。しかしこれは、実のところ負の霊も用いる論法であって、彼らに
俺たちはお前のなかにいるんだ!お前が、俺たちに力をくれてるんだよ!お前が、俺たちを呼んでるんだ!
というようなことを言われるのは、実にありふれたことである。
そして、こういったことに一定の理解があるひとに、だからこそ
あなたは「負の霊」と言いますが、それは本当は、あなた自身の一部、あるいはあなたのなかの残像なのではないですか?ですからあなたが苦しむのはあなた自身のせいであり、実はあなた自身が、「負の霊」なのではないですか?そしてあなたは自分自身と闘っているのに、それを「負の霊と闘っていると思い込んでいる」だけなのではないですか?
というようなことを言われることもある。
これは先日

のなかで、
それはあなたの罪悪感が、夢に表れているということなのではないですか?
というように解釈するひともいるとは思う。それに実際、私は過去に傷つけたり哀しませたりしてしまった多くのひとたちに対して罪悪感を保っているという自覚もあるし、そもそもずっと昔から、いわゆる
「自己肯定感」
のようなものは低いと断言できる。だから、そうした影響がまったくないとは思っていない
と書いたことに相通じる話だとも思うのだが、私自身
私のなかに「負の霊が足場・侵入口にできる感情や、苦しみの種」がある
ことは自覚している。だからその意味において、
あなたが苦しむのはあなた自身のせいだ。あなたはあなた自身と闘っているんだ
と言われたら、それはそのとおりだ。
だがそれでも、その痛みや苦しみといった
「種」
を、やたらと煽る存在がいることは確かであって、それは「私自身」ではない。
「私と共鳴している存在」
であるという意味では、その関わりには双方に原因があり、相互に影響を与え合っているとは言える。だがそれは、私自身ではないのである。そこを整理しないと、それはまた別の意味での
「自傷行為」
につながってしまう。だからこそ私はあなたも負の霊の影響を受けているということを、あなたにお伝えしようと思っているのである。
ただこれを踏まえたうえで、さらに掘り下げて進んでいくと、そこにはまた一段と深い問いにも発展していく。それを具体的に考える糸口として、私にときどき寄せられる、こんな質問や感想について考えてみようと思う。それは、
『闇の向こう側』を読んでいるとやたらと具合が悪くなったり、眠くなったりイライラしたりするのですが、やはりあなたは悪魔に取り憑かれているのではないですか?
というようなものである。
あとはこれと似たようなもので、たとえば
私はずっと自然派の生活を心がけてきたのですが、こちらと関わった直後にカップラーメンを食べたい欲求が抑えられなくなりました。これはきっと、あなたを取り巻いている悪い存在が、私を唆したとしか思えません!
というようなものもある。これを私に直接伝えてくるというのは、強い勇気というか、正義感のようなものがあるひとだと思うが、そうだとするとこのようなひとたちの背景には、私のもとには届けられていない、もっと多くのひとたちの体験が隠されているのかもしれないと、私は思う。
だがだからこそ、こうした問いにできるだけ真摯に答えようとすると、そこにはとてもいろいろな要素が、複雑に絡み合っているとしか言いようがないことに気づかされる。
たとえばまず、
1,私に関わる負の霊が、私とあなたを関わらせないように(関わってもいい印象を持たないように)、あなたに嫌がらせをしている
という可能性を挙げることはできる。私はたくさんの負の霊に日夜妨害されているのを知っているし、あなたと私が協力したり励まし合ったりするのは彼らにとっては実に嫌なことだろうから、そういう影響があってもごく当たり前のことである。
だがこの視点を少しだけずらすと、
2,あなたに関わる負の霊が、あなたと私とを関わらせないように(関わってもいい印象を持たないように)、あなたに嫌がらせをしている
という可能性もすぐに思い浮かんでくる。たとえあなたに自覚がなかろうと、あなたがどれだけしあわせだろうと、たとえあなたがどんなに心身に気を遣っていようと、あなたにも多かれ少なかれ、必ず負の霊は関わっている。
そしてもし私と関わったことがきっかけで、あなたが自分との対話や想いの整理をし始め、負の霊の存在も念頭に置きつつ、より喜びとしあわせにあふれた人生を歩み始めるとしたら、それは負の霊にとっては計り知れない痛手である。だから彼らがそれを邪魔しようとするのは、むしろ当たり前のことである。
だが、ここからさらに踏み込んで言うのなら、
3,あなたのなか(周り)に巧妙に隠れている負の霊が、私と関わったことで刺激・触発を受け、あなたから炙り出されそうになった結果、必死に抵抗している
というふうなことも充分にあり得る。今までは
「実に居心地がよく、好き放題に荒らしても文句も言われない拠点」
だったのが、あなたに「点検」されて追い出された日には、彼らにとってはまさに「死活問題」である。だからこそ、なんとしても嫌な印象を植え付けるために、今まで溜め込んだあらゆる力と手練手管を駆使してあなたに抵抗するとしても、なんの不思議もないことなのである。
しかし、こうした
誰かが私たちを邪魔している
という、
「とてもわかりやすく、ある意味で短絡的な要素」
に囚われずに他の可能性に眼を向けてみると、たとえば
4,私が受けている妨害の感覚が、あなたに伝播した
ということもあって当然の可能性だと言える。
今までも何度か言ってきたとおり、私は特にこうして文章を書いているときには、いつもより増してひどい妨害を受ける。だからもしあなたが私自身に共鳴した場合には、私が日頃から、あるいはこの文章を書きながら受けている妨害の感覚が、あなたに伝播したとしてもなんの不思議もないのである。
だからこそ、私はたとえば

を書いたときのように、自分の状態が特にひどいと自覚しているときには、
最初にお伝えしておきたいのは、もし今のあなたが自分のことで精いっぱいなのであれば(最近の文章はそんなのばかりなのですが)、このような状態の私が書くことを読むことは、あなたの苦しみをなおさら深くする可能性があるので、注意してほしいということです
などと書いてみたり、あるいはもっと単純に、
今の私の状態はとても悪い
自殺への強烈な誘い。そんな念に抗いながら、今の私が思うこと少し考えてみただけでも、こういう状態で私が文章を書き残すというのは今回が初めてではなく、今までにもときどきあったことだと思うが、ともかく、今の私の状態はとても悪い。とはいえ、このように文章に起こせるようになったのだからそれなりによくなってい...
と書いてみたりして、あなたに注意を促すようにしているのである。
しかしそういう危険性を理解してもなお、私のそのような心境を、状況を読んで共有してもらえると、私はそれだけで確かにラクになるのだ。だからあなたが私の文章を読んでくれているというのは、本当に、ありがたいことなのである。
だが、こうしてひとつひとつを改めて深く見ていくと、
そもそも、「私」と「あなた」を別々のものとして分け、どこかに線を引くこと自体が、本質的に無理なことなのではないか?
という問いが、あなたにも浮かんでこないだろうか?
なぜなら私とあなたはなにかしら関わったその時点で、
「私たち」
として結びつき、お互いに影響を与え続けることになるからである。
もちろん、そこにそれぞれの程度の差があるのはわかっている。だがたとえば、私たちは今この瞬間、同じ地球で生きている。だとしたら、
「地球に住む私たち」
と言った場合には、そこにはたとえまだお互いのことをなにも知らず、一生直接は関わらないとしても、そんな私とあなたの関係さえもが当然示唆されている。そして私たちは、実際にそうやって生きているのだ。
だとしたら、私とあなたそれぞれに関わっている好意悪意様々な霊存在も、当然
「私たち」
に影響を与えているということになる。そしてその影響は一本の線で表せるものではなく、またそれは直線ですらなく、明らかに肉眼では見えない。だとしたら、お互いがそうまで複雑に結びついていることを前提にしたうえで、いったいどこに「私」と「あなた」の境界を引けばいいというのだろうか?
もちろん、私も部分的にはわかっているつもりだし、一応仮初めの線を引いてはいる。それはちょうど
「国境」(県境)
のようなものだ。だからそれは、一応あるということにしているだけで、本当はないと思ってもいる。いや、本当の本当はあるのかもしれない。しかし、私にはまだわからないのだ。それに本当の本当の本当には、そんなものはないのかもしれない。私は、そう思っているのである。
だからそんな私としては、
とにかく、もしこんな私でよろしければ、これからもよろしくお願いします
としか言いようがない。そしてそのうえで、私からあなたに与える影響が、あなたにとって少しでもいいものであることを、心から願っている。
そして最後にもう少しだけ付け加えておくと、先に見たような
「霊的な妨害」
あるいは
「急激な変化に抵抗するからだの拒否反応」
などを前提として、
今あなたが感じている不快や苦痛は、いずれあなたが飛躍的に好くなるからこそ起こる「好転反応」なので、そこでやめずに、むしろ歯を食いしばってでも続けてください!
などと言うというのは、たとえば宗教団体や、ある種の健康法にすら見られることである。そしてそういう好転反応と呼べるような時期、現象というのは、実際にあるとも思っている。
だがだからと言って、その強さや長さはまったく一概には言えないし、それが
「好転反応」(今がつらいだけで、いずれははるかに好くなる)
なのか、
「害に対する当たり前の反応」(それは「毒」であり、摂れば摂るほど悪くなる一方)
なのかは、究極的には誰にも保証できないのである。
なにしろ私は、

という体験もあるし、そんな彼の言うことにも確かに一理あるとは思っているのだから。
だからもしあなたに
『闇の向こう側』を読んでいるとやたらと具合が悪くなったり、眠くなったりイライラしたりするのですが、やはりあなたは悪魔に取り憑かれているのではないですか?
もしかしてあなた自身が、負の霊そのものなのではないですか?
と言われたら、私はそれに対して、
「好転反応」
などを持ち出して、あなたが私の文章を読んだり、私と関わったりすることを無理強いしようとは思わない。
それは、私が、あるいは誰かが強制するものでも、強制していいものでもないのだ。あなたのことは、あなたが決めるのだから。そうでなければ、意味がないのである。あなたが生きているのは、あなたの人生なのだから。
だが、やはりあなたがどう生きるかによって、
「私たちの人生」
がどうなるかにも大きな影響があるのは確かだ。だからいろいろと言ってきたうえで、最後はやはり心から、こうお伝えしたいと思う。せっかく生きているのだから、どうにかして、なんとしてでも、いい人生を送りましょう。一緒に、いい人生を、創っていきましょう。いつも本当に、ありがとうございます。

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とても虚しく響く言葉です。
コメントに書くのは躊躇したが、書かずにはいられなかった。不快とお思いであったら、遠慮無く削除してほしい。
私の人生は辛抱と無駄な努力の毎日だった。その結果、得たものは惨めさと疲労感と憎しみ。
私は真面目に生きてきた。信仰を持ち神仏にすがった。しかし結果を得るには至らない。そればかりか心にも安らぎは得られない。
自分に運と才能が欠落しているのだ。
自殺を考える毎日。
私は親兄弟他人をおとしめたり虐めたことはない。
にもかかわらず他人からだけで無く、親や弟からも侮られ馬鹿にされる日々。
いや、これは表現が違ったか、父親や弟にとって私など眼中にないのだ。
彼らにとってうまく利用してやろうと言う対象。既に他界した母親にとっても
私は彼女の自己満足の道具であったのだ。
私は死にたい。惨めな人生を終わらせたい。自殺により私の魂が不幸なことになるのは仕方のないことだとしても、父親母親弟をはじめとした憎い存在を地獄の道連れにできなければ、私はあまりにも惨めすぎる。もう疲れた。肉体も魂も消滅させたい。
だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
まず
ということに対して、
私にとってあなたの発言は不快ではないです
ということは、はじめにお伝えしておこうと思うのですが、ただ少なからず
「哀しい・切ない」
という感情があることだけは、正直にお伝えしておこうと思います。
というのは、
今のあなたの感情や文面はすべてが断定的・確信的なので、私の言葉や想いが入り込む余地がほとんどなくなっているんだなぁ……
と思うからです。そしておそらくは、あなたは先日
というコメントをくださったのと同じひとなのではないかと推察するのですが、だとするとそのときの返信も今のあなたにはあまり意味を為さなかったのだなぁと思って、それが確かに、切ないということです。そしてあなたは
とおっしゃいますが、たとえば今回あなたに
と言われたことで私が哀しくなったり切なくなったりすること、それは確かに
「貶めた・虐めた」
とまでは言えないにしても、
「私にそれだけの影響を与えるということ、そしてあなたには、それだけの力があるということ」
の顕れなのだということを、いつかには、理解していただけたらなぁという願いはあります。
そして私がさっきから言っていることのすべては、あなたを責めようとして言っているのではなくて、
あなたには、自他に影響を与えるだけの力があり、そうしたものの総合がお互いの人生を動かしている
ということをお伝えしたくて言っていることだということを、おわかりいただけたらなぁと思います。だからこそ、私はあなたに
「その力を向ける方向・その力の活かしかた」
を、今いちど改めて、考えてみていただきたいのです。
そしておそらく今のあなたは、あなたのご家族やいろいろなひとにされたことのせいで、自分はこんなに傷ついて苦しんで、もうどうしようもないと思っているのかもしれないと思いますし、実際あなたは今そう思ってしまうほどに傷つき苦しんでいるのだろうとも思います。
ですがそれでも、
自分がこんなに苦しんでいるなかで、他のひとは、あなたは、そんなにいい人生を送っている
というふうに妬んだり羨んだりする視点にだけ囚われている限り、あなたはたとえなにを成し遂げられたとしても虚しいままだということは、お伝えしておきたいと思います。そしてだからこそ、私があなたに向けた言葉に込めた想いも、ここまで無力化されてしまうのでしょう。
ただこういうふうに言えばなおさら、あなたは私に対しても似たような羨望や怒りのようなものを持つかもしれませんが、私としてはやはり
少なくとも今のあなたが想像するような<私の人生>は、現実に私が送っている人生や状況とは、ほとんどまったく違うでしょう
という確信を保つのです。
ですから私は、今のあなたが断定・確信していることのすべてを、いつかには、なんとかしてひっくり返したいと思っているのです。ですがそのためにはあなた自身のご協力がどうしても必要なので、こうして提案し、頼んでいるのです。私が先日
と言ったり、ここで
と言ったりしているのはそういう意味なのだと、いつかはあなたにもご理解いただければと、心から願っています。
そしてそのためにもまずなにより私自身が、伝えかたや言葉選びもますます工夫しながら、少しずつでも成長していきたいと、そう思っています。
返答ありがとうございます。
ーーーー
私の人生は良くはならない。そしてとても疲れた。
私は生まれた事を望んだことはなく、生まれた事を喜んだ事など一秒も無い。
私を産んだ両親を深く恨む。私の人生が悪くなるのは仕方ないとして、
両親兄弟の人生が良くなりその魂が天国に行くのを許すことはできない。
奈落の底に引きずり込む。一人でも多く。
消えることもできず自分だけ不幸になるのは認めない。
ーーーー
以上が、あなたの返答を読み、わたしの心の内から出てきた思いです。
そうですか、ただこれは私からするとまさに
「負の霊の思い(に支配された状態)」
だと捉えざるを得ないものなんですよね。それにあなたがたとえ無意識にでも
「わたしの思い」
という代わりに
という表現を用いたのも、その顕れなのではないかという気もします。
ですからそういった観点から、今あなたがおっしゃったことのすべてを、
「あなたが誰かから言われている言葉」
だと仮定したら、つまりあなたが今誰かから
お前の人生は良くはならない。そしてとても疲れただろう。お前は生まれた事を望んだことはなく、生まれた事を喜んだ事など一秒も無い。お前を産んだ両親を深く恨め。お前の人生が悪くなるのは当然だとして、両親兄弟の人生が良くなりその魂が天国に行くのを許すことはできないだろう?奈落の底に引きずり込め。一人でも多く。消えることもできずお前だけ不幸になるのはあんまりだろう?
と言われているんだとしたら、それに対してあなたはどう思うのか、それを本当にそのまま受け入れていいのかを、ぜひ考えていただけたらと思うのです。
そして私個人的には、
あなたがなにをやっても人生はよくならないとは思いませんし、あなただけが不幸になるしかないとも、そうでなければ誰かを道連れにするしかないとも、決して思いません
ということは、お伝えしておきたいと思います。
そのうえであなたもご自分の考えが変わるなどとは今はとても思えないかとは思いますが、私もこの考えが変わるとはまったく思えませんので、あとはそれぞれの想いが組み合ったうえで、どのように動いていくかという、そういうことなのだと思っています。ですがきっと、少なくとも
「捉えている時間軸の長さ」
という点においては私のほうが上だと思いますから、たとえ今生であなたがしあわせを感じられないとしても、究極的にはたとえ自殺してしまったとしても、それでもいつかには、あなたにもしあわせを感じられるときが来るでしょう。私のほうが、負の霊よりも本当の意味で、あなたを気にかけているからです。
ですがそんな私の想いまでも振り払うことができるあなただと言うなら、それならそれで負の霊の思いなどもっと早い段階でかき消えてしまうでしょう。ですからいずれにしてもすべては時間の問題にすぎず、最終的には私の、私たちの想いが通ることになると、私は密かには、確信しているのです。