私は自分を霊媒体質者だと認識し、それを自らの意志と選択によって自他のために活かしていこうとしているという意味で
「霊媒師」
だと自認している。だがそれは、現代的には
「精神病患者」
と呼ばれているひとたちや、あるいは
「多重人格者」
とされるひとたちにとても近しいものとして判断されるだろうとも思っていて、そういった観点から、彼らには個人的にいつも強い関心を寄せている。
それに私はかつて

という文章のなかで、とても有名な多重人格者の実例として
「ビリー・ミリガン」
というひとを取り上げ、私が彼から受ける印象や感想などについてまとめながら、自分と彼との違いなどを自分なりに考えてみたりもした。
そんな私が、こないだたまたま見つけた番組で、あるひとのことを知った。そのひとはからだは女性であるが精神的には男性に寄っているようなので、ここではとりあえず「彼」と呼ぶことにするが、その彼(haruさん)がその番組で取り上げられていたのは、彼のセクシュアリティが主な要因だったというわけではない。
彼はharuと名乗る主人格以外に10人の別人格をその身に宿しながら生活し、それを医師にも正式に認められている、多重人格者だったのである。
私は今まで彼のことをまったく知らず、すべて番組をきっかけに知ったのだが、彼は
というTwitterアカウントも持っており、そこでは
国内で気軽に会える多重人格の人。上野駅からの交通費と飲食代等を頂けたら嬉しい
と、希望するひととは積極的に交流しようとしているということもわかった。
そして、そんな彼の様子が番組で赤裸々に紹介されているのを観るのは、私にとってとても感慨深いものだったのだが、そのなかでも最も大きな感想のひとつは、
やはり、彼と私にそれほど大きな違いがあるとは思えない
ということだった。
たとえば彼(これを説明していたのは、「圭一」さんと呼ばれる別人格だった)は、よくある
「人格の交代」(表に出る人格の決定過程)
についての疑問に対して
肉体を通して経験していることは、全人格が見ることができるモニター(ディスプレイ)に表示されていて、VR体験に近いものだと言える。そしてその前に机があって、表に出ている人格以外も、その人格が起きてさえいれば、記憶や状況を共有している。そしてその机の傍には椅子のようなものがあり、僕たちはそれを「コックピット」と呼んでいるのだが、そこに座ったひとが、その間表に出て活動することになる
というような説明をし、そのうえで、
ただ主人格のharuは、他の人格とは別に普段は「水槽のなかに沈んでいる」ような感じなのだが、その近くにも特別な席があって、その席に主人格であるharuが座っている場合は、もうひとつのコックピットに誰が座っていようとharuが優先され、表に出ることになる
というようなことを付け加え、さらに興味深いことには
なにか大きな決断を迫られたときには、別人格による「有識者会議」が行われる。そこで喧嘩になることもよくあるが、最終決定権はharuにある
というようなことにまで言及していたのである。
こうなると、私から見れば
これは、私と守護霊の関係に置き換えてもまったく問題なく通用する説明じゃないか!
と言うしかないものだったのである。ただ彼は医者から
「解離性人格障害」(いわゆる「多重人格」と同義と見なしていい)
という正式な診断を受けていて、その枠組みのなかで自分の状況を理解しようとしているが、私はそうではなくて、それを
「霊媒行為」(霊存在との交流)
という枠組みのなかで理解しようとしているという違いがあって、そこから認識の差が生まれているというのが、彼との最大の違いなのではないか、逆に言えば、それ以外は私と彼にはほとんど違いはないのではないかというのが、私の率直な感想だったのである。
さらに言い換えると、
もし私が、それが霊であるという認識や事実を隠したまま、まるで「自分のなかで生まれた人格」であるかのように装って霊媒行為を行えば、私は「多重人格者」としての正式な診断を受けることも充分に可能なのではないか?
ということなのである。それに実際に私が日頃から付き合っている霊のなかから、
「ある程度社交的で、私以外のひとに認知されるのも嫌がらない、こうしたことに特に協力的な霊」
に当たりをつけてみたところ、どう少なく見積もっても10人20人とはすぐ合意が取れた。だからますます、その可能性は具体性を帯びてくることになる。
だがもちろん、私はそんなことはしない。なぜなら
彼らは「私のなかで生まれた存在」でも、「私から分かれてできた存在」でもなく、「それぞれの歴史と背景を持ったうえで私に関わっている存在」であるということを、互いが確信しているから
だ。だから、私は
「解離性人格」
と一緒にいるわけではない。それは、誤診である。だがそれでも、私のありのままをある観点から伝えれば、私は本当にそのような枠組みで理解されることになるかもしれない。
それに今回、haruさんの通っている
「千代田心療クリニック」
からも、
『解離性人格障害』いわゆる『多重人格』は世界的にも専門医が少なくほとんど治療がなされていないのが現状です。誤診されることが多くきちんとした診断や治療がなされていないので、正確な統計は出ていないのですが、現在の日本でもその患者数は多く存在すると思われます
というコメントが出されていたので、こうしたひとはやはり今の日本にも多くいるのだろうと思う。それに、haruさん自身も
少なからず、人は誰でも人格は持っているんだと思います。社会生活に支障を来たしているかどうか、頭の中で他人の声が聞こえすぎて眠れない、記憶がないことで困っている、などが大きなポイントではないでしょうか
haru@メンタルなんにんもいる人 on Twitter“少なからず、人は誰でも人格は持っているんだと思います。社会生活に支障を来たしているかどうか、頭の中で他人の声が聞こえすぎて眠れない、記憶がないことで困っている、などが大きなポイントではないでしょうか。 ”
と言っているが、私もそのとおりだと思う。だからあとはそれをどう解釈して、どこに
「正常/異常」
の線を引くかの問題だけなのだとも思う。
それに、先ほどのクリニックのページをもう少し掘り下げてみると、
解離性障害は、ひそかに増えつつあります。
頭がぼーっとしたり、言ったことを覚えていなくて人から責められる、現実感がなく感覚が麻痺している、などの症状があれば解離性障害が疑われます。
それは耐えがたい精神的な苦痛から逃れるために感情や記憶を自分から切り離すような、自分を守るための心の働きによって起こります。
解離性障害の中に解離性同一性障害、いわゆる多重人格がありますが、医学的には極めて稀な疾患とされており、ある診断基準に「統合失調症と診断されたことがある」という誤診が診断基準に入っているくらいであり、きちんとした診断や効果的な治療がまだまだ行われていないのが現状です
千代田区の解離性障害治療なら心療内科の千代田心療クリニックへ 渋谷区 港区 催眠療法 EMDR 休日診療千代田区永田町駅から徒歩2分の心療内科・精神科のメンタルクリニックです。港区、渋谷区、江東区からもお越しいただけます。-解離性障害ページです。休日診療も行っております。
と述べられたうえで、そのような症例の分類として
4. トランス及び憑依障害
自分が自分であるという認識と感覚を喪失している状態を言います。
もっと具体的にいうと霊魂、神あるいはその他の力に取り付かれているように振舞います。
とまで書かれているのだから、もしかしたら
私は彼らを霊だと思っている
という認識を隠す必要すらないのかもしれない。
ただ、それでもやはりここにも書かれているように、
それは耐えがたい精神的な苦痛から逃れるために感情や記憶を自分から切り離すような、自分を守るための心の働きによって起こります
という認識のほうがまだまだ主流なのだろうし、今回のharuさんも、また他の人格たちも、そのような説明を受け入れ、そのような枠組みのなかで、自分を理解しようとしていた。
だが、よく聴いてみると彼らも、
こうした理由で生まれたんだと思います
というような感じで、
「思います」
と言っているのだから、確信はないのだろうと思うし、haruさんは
それこそ3歳くらいからずっと「そんなことしちゃダメだよ!」というような声が聴こえていたので、みんな普通だと思っていた。「話すまでもないこと」だと。みんなそのアドバイスの声があるはずなのに、どうしてそのアドバイスを聴かないんだと思っていた
と言っていたので、私からすると
そんなに早い段階で人格が分裂するなんて説明のほうに無理があるんじゃないか?っていうか、こんなのもう守護霊そのものじゃないか!
と思わずにはいられなかったのである。
ただ彼の主治医も言うように、いずれにせよ
「彼のなかには自他に危害を加えるような危険な存在はいない」(だから、「人格の統合」といった「治療」は必要ない)
というのはとてもいいことだと思うし、そうやってみんなが協力し合って和やかに生きているのであれば、彼らの出自を無理に掘り下げる必要もないだろうとは思う。
だがそのうえでもひとつだけ言うとすれば、やはり彼が
人格の交代・選択は自分の意志では自由にできない。ただその場その場の状況に強い興味・関心を持っている人格が出てくるので、ある程度の想定や予測は立てられる
と言っていたことに関しては、
もう少し自分で制御・選択ができたほうがいいし、それができないなら、それはまだまだつらいだろうなぁ……
という感慨は持つ。だから私としては、それはぜひ修練してほしいし、そもそも修練できるものなのだということを、理解してもらえればと思っている。それに先に書いたように、彼のなかにいる人格のひとりである圭一さんが
主人格のharuは、他の人格とは別に普段は「水槽のなかに沈んでいる」ような感じ
と言っていたことはやはり当たり前ではなく、彼が未だに大きな苦悩を保っていることの証だと思われ、聴いていて私も心苦しかった。
だから最後のほうに彼が、
本当は、今でも死にたいと思うことはある
と言っていたのにも、驚きは感じなかった。
ただそのあとで彼が
それでも僕が生きてこられたのは、そんな僕に他の人格たちが、「生きているだけで花丸だよ」とか「今日は生きることが仕事だった」などと言って励ましてくれるから
だと言っていたのを聴いて、
やっぱり、守護霊と同じじゃないか!
と、改めて強く感じた。それに彼が
自分が言われてきたこういう励ましの言葉を、今つらい状況にあるひとたちにも届けたいと思ってこの番組に出ることにした
というのも聴いて、本当に素晴らしいことだと、心から感銘を受けたのである。
さらに言うと、私にとってもうひとつ感慨深かったのは、
「彼の状態に『医学的な説明がついている』ことによって、スタジオにいた弁護士も含む多くのひとたちも、基本的には彼の話を疑わず(詐欺だとも演技だとも思わずに)、そのまま受け入れていた」
ということである。先に言ったとおり私が一瞬
じゃあ私も多重人格者だということにして診断も受けたら、もっと多くのひとたちにすんなり話を聴いてもらえるのか?
と思ったのはこうしたことによるのだ。だがそれだと
「霊的な要素」
を省かなければいけなくなるし、そもそも彼がやっている役割の二番煎じをしたところで意味もないのだから、やはり私は私らしく、霊媒師であるという自覚のもとに、私なりの伝えかたで、あなたと経験を共有しながら一緒に生きていけたらと、そう思っている。それに今私は北海道にいるので、おそらくharuさんと今生で関わることはないと思うが、たとえ認識と解釈にいくらかの差があろうとも、いつか私の経験を彼や彼のようなひとにも活かしてもらえることを、心から願っている。先にも引用したように、
解離性障害は、ひそかに増えつつあります
ということは既に把握されつつあるのだし、だとしたらそのようななかでいかにしあわせに生きていくのかは、ますます多くのひとにとって、切実な問題になっていくのだから。今回は
haruさんのように安定した日常生活を送れているのは、極めて稀なケースと言えるでしょう
と言われていたし私もそうだろうと思うが、そんな現状はこれからは変えていくべきものだし、変えていけるものなのだから。
さらに言うと、こうした「別人格」を龍や鳳凰などのように
「私たちの想像力の結晶として生まれたもの」
という文脈で捉えることもできると思いますし、それを個人単位で行った
「タルパ・トゥルパ」(人工霊)
という概念も組み合わせて考えていけば、ほとんど一切の齟齬なく説明できる可能性が充分にあると思いますが、いずれにせよこうしたことは今一息にまとめられるものでもありませんので、これからも折に触れて考え続けていきたいと、そう思っています。
残念ながら、その後haruさんのTwitterアカウントはいつしか凍結されてしまったようです(2020年11月現在)。この凍結がいつまで続くにせよ、医学界からも「正式な診断」を受けたうえで、自身の体験と日常を発信しているだけのアカウントを問題視する必要がどこにあるのか、私にはまったく理解できないのですが、ともかくこれが現在の社会の、少なくともTwitterにおける現状なようです。
そしてこういう実態を見ればなおさら、私としても非協力的なプラットフォーム上(たとえばSNSなど)で活動をしようという気は削がれるわけですが、だからこそ私はまずなによりこの『闇の向こう側』をこれからも大切に育んでいけたらと、そう思っています。

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