私は負の霊からたくさんのことを学んでいる。だからこそ彼らにも、しあわせになってほしいと思う

私は霊媒師のなかでもさらに少数派だという自覚をずっと保っているのだが、それは

「負の霊に対する接しかた」が特に異質だから

というのも大きいと思っている。

とはいえ、今の社会では霊媒師という生きかた・技術職のひと自体がそういない・見つからないので、少ないサンプルからでは厳密なことは言えないのだが、それでもたとえば宗教団体や、たまにメディアに出るようなひとたちを見ていると、負の霊に対しては、

  1. 守護霊団の力で押し切るか、あるいは守護霊団に引き渡して処遇を任せる
  2. できるだけ無視し、自分の想念を彼らに同調させないようにすることで、自分と断絶させる(影響力を削ぐ・無視する)

かのどちらかに依る(あるいは2つを組み合わせる)のがほとんどであるように見える。

もちろん、それぞれの捉えかた・認識によって私の言う

「守護霊団/負の霊団」

をそれぞれ

「神・天使・高級霊・ハイヤーセルフ・ガイド……/悪魔・魔物・悪鬼・低級霊・未浄化霊・デーモン……」

などと読んでいる場合もあるが、結局は同じことである(ただ、その呼びかたにはそれぞれが相手にどのような感情・印象・理解を持っているかを反映されているだろうから、そこに違いがあるだろうとは思う)。

そして、たとえば

除霊ではなく浄霊。悪魔祓い師の後継者不足を、私がむしろ喜ぶ理由
「エクソシスト」 という言葉がある。これは1973年に同名の映画が公開されたことで日本でもよく知られたものだと思うが、これは日本語にすれば 「悪魔祓い師」 という意味の言葉である。そして私にとっても重要なことは、この役職は...

で紹介した事例は1の実例のひとつと言えると思うし、2の実例というのは、

「そもそも負の霊団の存在に言及すらしないひとたち」がたくさんいる

ことがその証だと思うし、もっと言えば「事故物件」でも「心霊スポット」でもなんでもいいのだが、

相手のことをとても怖がる一方で、彼らの想いや背景を知り、相手を理解したいと思うひとはほとんどいない

ということ自体がまさに無意識にでも2のような考えがあることを暗示しているとも思う。

だから、そんななかで私のような態度で臨んでいると、こういったことに相当の理解があるひとたちにさえ、

そんなふうに彼らに近づくことそのものが、ひどい業を背負うことになるとは思いませんか!危ないですよ、わかってるんですか!

などと言われてしまうことがあるが、私としてはこれ以外に解決の道はないと思っているので、ずっとこういうふうにしているというわけなのである。

また、1のような考えのひとたちからは、

己の力を過信してはいけませんよ!彼らは私たちの手に負える相手ではないのですから、神に委ねるべきです!

というようなことを言われることもあるが、私からすると、守護霊であれなんであれ、そうした存在・立ち位置のひとよりずっと、私たちのほうが負の霊に近いところにいる(だからこそ実際に、いつも影響を受けている)のだから、彼らを理解し処遇するには、私たちのほうがずっと適任だと思っている。誰が、自分とはまったく違う、なんなら自分のことを知りもしないひとに、裁かれたり未来を決められたりしたいだろうか?私なら、絶対に嫌だ。

だから私は、少なくとも私自身は、こういうふうな接しかたのほうがいいと思っているし、性に合っているのである。

 

だからこうした想いと理由により、今の私があるというわけなのだが、そんな私はいつも、負の霊にちょっかいを出されたり話し合ったりという日常のなかで生きている。というより、本当にはあなたもそうなのだが、私はそれについてあなたより深い自覚を保っているし、そもそも深く自覚したい・理解したいと思っているということなのだ。

だからその結果として、私は負の霊団と関わりのなかから多くのことを学んでいると思うし、それはたとえば

負の霊団が私たちに影響を及ぼすときの「古典的な戦術」を知ってほしい
私たちは古代から現代に至るまでの間に多くの変化を経てきたし、同じ「日本」という枠組みのなかで見ても100年前と今の姿は大きく異なっている。しかし、実のところそこで生きる私たちの性質は、それほど変わっていないとも言える。これを端的に言い換える...
「お前らが負の念に勝てない理由を教えてやるよ」。元負の霊団員からの言葉を活かせるかどうかは、私たち次第だ
この数週間、私はなかなかの負の念のなかでもがいていた。 しかし今そのどん底の状態から回復してみると、その体験はまたさらにいろいろなことを私に教えてくれたと思う。それはもちろんこれからここでも書き記していこうと思うのだが、ともか...

などにはより直接的なかたちで表され、共有されているものだと言えると思う。もちろん先日の

負の霊は「泣け!」とは言わない。涙の意味と、争いの原因について
負の霊は私たちの感情を煽り立てることを好む。だからたとえば 怒れよ!怒ってみろよ!頭に来てんだろう?ほら、ブチギレてみろ! もっと憎め!ぶつかれ!お前たちはどうせわかり合えないんだから!どっちかが死ぬしかないんだって、ほら、やれ...

もそうだ。

そしてそんな私に対し、より多くの負の霊が寄ってくるのも、考えてみれば当たり前のことだと思う。私は、場合によっては(もちろんすぐ時間が取れないときもあるが、そのときは日を改める交渉をしてでも)数時間以上負の霊と話し合うことも少なくない。そしておそらく、そんな態度を採る霊媒師がそうそうたくさんいるとも思えないので、彼らにとって私が

「貴重な話し相手」

であることは間違いないと思う。誰だって、自分の話を聴いてくれないよりは聴いてくれたほうが嬉しいし、そんなところにいたいだろう。私だってそう思う。だから、彼らが入れ代わり立ち代わり私のもとにやってくるのは、その点だけで言っても自然の成り行きだとも思うのである。霊であれば、交通費も滞在費もかからないし、一瞬で飛んで来れるのだからなおさらだ。

だが、私のほうは本当は限られた時間を生きているわけだし、負の霊と話している間にも時間は過ぎていくし、なんなら他の霊までちょっかいを出してくるわ野次を飛ばしてくるわで、実際にはさんざんであると言っても言い過ぎではないと思う。

にもかかわらずなぜ私がそんなやりかた・態度を貫くかと言えば、それは別に誰かに強制されたからでも、

誰もやらないからこそ、誰かがやらなければ!それに少数派の道を行くのも、味わいがあるんだ!

というような使命感に燃えているからというわけでもない。まぁ正直に言えばそうした要素もまったくないとは言わないが、そんな気持ちだけで続けられるほど、この世界は甘くない(そんな気持ちだけで続けるには、あまりに割に合わない)。

だからそれ以上に、私には原動力となる強い動機があるのだ。それは

私と彼らの間には、本当は、たいした差はない。ただ私は私を見放さないひとに根気よく育ててもらって今があるだけで、それがなければ、私と彼らの立場は逆であったかもしれない

という強い確信である。そしてこれは、本当には私の今生だけの時間軸に留まらない、もっとずっと昔の

「私の最初期」

にまで遡っての話でもある。だからもし万が一この文章を私の今生の家族がいつか目にしたとしても、このことをあなたたちが気に病む必要はまったくない。私はあなたたちと出会う前から、こうだったのだ。だからむしろ、私はあなたたちにも救われている。私は今生のあなたたちから、最も強く、深く

「家族」

というものを学ばさせてもらっているという確信がある。だから本当に、ありがたいと思っているのである。

 

しかし一方で、もっとこのうえなく正直に言うなら、私は今だって、どの瞬間にだって、負に呑まれる可能性がある。私は誰よりも、その自覚をずっと保っている。にもかかわらずそうならずに済んでいるのは、

「私の力」

ではない。あなたの力なのだ。あなたが私に希望を見せてくれたから、描きたい未来に向かって歩む道を示してくれたから、自分が見たいもの、実現したい未来を、私も追求してみようとしてもいいんだと教えてくれたから、あの私が少なくともここまでは来られたのである。私はそのことを、よく知っている。

だからこそ、私は負の霊を、今は負の霊になってしまっているひとたちを、放っておくわけにはいかないのである。そして私は、

もしあなたが私のことを「羨ましい」と思うなら、だからこそあなたは、私にくらいはなれる。だって「私でさえ」ここまでは来られたのだから、あなたが私よりもしあわせになれないなんてことがあるわけがない。だからあなたは、ただそのことに気づいてないだけだ。それがあまりにももったいないから、私はこうして、あなたになんとかそのことを、理解してほしいと思ってるんだ

ということを、ずっと伝えたいと思っているのだ。本当のところ、私があなたに羨ましがられる要素などまるでないのだから。もしそう思うなら、あなたが今の私しか知らず、

「あの頃の私」

を知らないからでしかない。むしろ私は、あまりにも出来が悪すぎたので、こうするよりほかなかったのであって、本来あなたが私程度にかかずらっていなければいけない理由などまったくない。そしてだからこそ、私はあなたがそんなところにいるべきひとではないということを、あなたよりも強く、はっきりと確信しているという、そういうことなのである。

 

私は、ときどきこう思うことがある。

負の霊というのは、実はそのへんのひとたちよりも、ずっと真面目で、努力家なんじゃないか?

と。

彼らは頭角を現しつつあるひとを見つけると、そのひとの弱みを探り、煽り立てやすい感情を分析し、大切なひとたち、特にそのひとに揺さぶりをかけるのに適切なひとを探しては、硬軟強弱様々な手練手管を駆使して、ときには間接的に、ときには直接的に迫りつつ、相手を弱体化させ、潰そうとする。

そして自分が関わった証拠をできるだけ残さず、さも

当然起こるはずだったことが起きただけ、いつかは壊れるはずだったものが壊れただけだ

という弁解の余地を残しつつ、いざとなれば、

俺たちが入り込む隙があったから入っただけだ!もともとの自滅願望は、破壊衝動は、虚無感苦しみ哀しみは、アイツのなかに最初からあったものだ!

と反論できる準備もしたうえで、できる限り万全の体制を敷いて事に当たっている。

さらに言えば、負の霊の仲間意識などそれほど強いものではないこともよく知っているので、

「たとえ見棄てられ裏切られても、自分だけは逃げ切れる計画」

まで頭の片隅に置いたりしている。これはある意味では、本当に頭が下がる態度だと言っていいと思う。

そしておそらく、彼らは少なくともどこかでは、気づいているのだと思う。

こうまでしないと、俺たちは「喜び」には勝てない。全員が「しあわせになりたい」と思っているその世界において、その足を引っ張ろうとするなら、守護霊よりも誰よりも、徹底的に努力して、あらゆる策を講じなければ、決して実を結ぶことはない

と。これは、率直に言って

「悲壮な、しかしだからこそとても強い覚悟」だ

とも思う。そして私は今でも確信していることがある。それは

守護霊は負の霊の力や想いを過小評価している。一方負の霊は、『自分たちなんか油断したらすぐ負ける。相手はとても強い。だから、出し惜しみしている場合ではない』と、常に危機感を抱いている

ということだ。だからこそ、彼らはこんなにも強く、そしてまるで世界の基本法則をねじ曲げたかのように思えるほどに、これほど深い根を張ることができたのだと、私は思うのだ。

 

もちろん、負の霊と言ってもそれぞれに想いの深さ、真剣さに度合いの差があることも確かなので、全員が全員そんなに強いというわけではない。だが、たとえ

「負の霊」

と呼ばれているとしても、真剣に自分のなかで考え抜き、苦しんで苦しんだ末に世界の破滅や人類の滅亡を願うようになったひとのなかには、本当に強いひともたくさんいる。さらに言えば、

これは本当に、「負の霊」と読んでいいひとたちなのか?これは単に「信念の違い」ではないのか?

というふうに思わざるを得ないひとたちも、私は実際に知っている。たとえば

死ね!死ね!みんな死んでしまえ!

と言うようなひとを

「わかりやすい負の霊」

に分類したとしても、

私は別に、世界の破滅を望んでいるわけではない。だが人類には、いったん滅んでもらうしかない。もう限界だ。なぜ人類だけをそんなに贔屓しなければいけないんだ?それに今までにも何度もそうやって、地球の調和は是正されてきたんだ。お前が知らないからと言って、憶えていないからと言って、今回だけを特別視するのは、おかしいと思わないのか?

というひととは、明らかに「格」が違いすぎる。だから、たとえ意見が違うからと言って、周りから

「負の霊」

と呼ばれているからと言って、油断してはいけない。侮ってはいけない。もしかしたら、本当に公平に見ることができたら

「研ぎ澄まされた正義」

「研ぎ澄まされた悪」

の間には、ほとんどなんの差もないのかもしれないのだから。

 

だがだからこそ、私は彼らにも、負の霊にも、しあわせになってほしいと思うのだ。確かに、今彼らがやっていることは、選んでいる生きかたは、好ましいとは言えない。それに、私の大切なひとが知らないうちに傷つけられ苦しめられているのを、ただ看過する気もまったくない。反省すべきところは、反省しなければいけないとも思う。そうしないと、変われないから。自分を許すことができないから。

だがそうしたことを踏まえたうえで、私はいつかは負の霊にも、しあわせになってほしいと思う。私は、守護霊から多くを学んだのと同じくらい、あるいはそれ以上に、あなたから多くを学んできた。あなたがいたからこそ、たとえ同じものを理想とは思えなくても、だからこそ私の立ち位置を、進むべき道を明らかにすることができた。これは、まぎれもない真実である。

しかもあなたは、実際にとても苦しみ、傷つき、呻くようにして生きてきた。そして苦しみの果てに、自分がどこか間違っていることに気づきながらも、しかし自分がすべて間違っているとも思えなかったから、そのようにして生きてきた。もしそれを認めてくれるなら、あなたは私と同じじゃないか?

だったら、もし私がしあわせになれると言うなら、少なくともあなたが、私があなたよりしあわせそうに見えるから、それが妬ましくてしかたがないと言うなら、あなただってしあわせになれるに決まってるじゃないか?

だから、私はあなたのしあわせをずっと願っている。あなた自身より先に、あなたのしあわせを願っている。だから、もし私がもっと強くなったら、私の願う力だけでも、あなたをしあわせにできる日が来るかもしれない。だが今のところは、まだそこまでは私の力は足りないようだ。だから私は、いつかはあなた自身もあなたのしあわせを願えるようになるようにと、心から願っている。

それでもあなたは、

願ったことがないわけじゃない!願ったって叶わなかったんだよ!

と言うかもしれない。

確かに、願ったからと言って叶うとは限らないかもしれない。だが一方では、願ってもいないはずが叶っているように見えるひともいる。だから、嫌になりそうになるのもわかる。だがそれでも、

願わないよりは、願ったほうが叶いやすい

ということは、間違いないのではないかと、私は思うのだ。だから、私は願っている。ずっと願っている。だが私は

「願うことそのものが目的」

なわけではないので、もちろんいつかには叶えるつもりでいる。そしてもちろん、叶ったら願うのはやめる。そのときは、あなたに感謝するべきときだからだ。一緒に同じ願いを持ってくれてありがとう。一緒に諦めないでいてくれて、本当に、どうもありがとう。

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