苦しみが「必要」だとはどういう意味なのか?ある守護霊さんたちと私の、率直な意見交換

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである

アンナ・カレーニナ1 <全4巻> | 光文社古典新訳文庫
青年将校ヴロンスキーと激しい恋に落ちた美貌の人妻アンナは、夫カレーニンに二人の関係を打ち明ける。

自身の作品でこのように著したのはトルストイであるが、これを少し言い換えて

しあわせのかたち(理想形)はみんなだいたい同じようなものだが、不幸の顕れかたは実に様々だ

というふうに言うひともけっこういる。だがこれに反論して、

いや実際、不幸のかたち(なにを不幸と思うか・私たちにとっての不幸の要因とはなにか)にはそれほどの違いがあるとは思えない。ひとによって様々に分かれるのは、むしろしあわせのかたち(なにをしあわせと思うか)のほうだ

と言うひともやはりけっこういると思う。

だがこうして並べてみると、私なんかは

こうやって突き詰めていくと、なにをしあわせと思うかも、なにを不幸と思うかも、結局はそれほどの個人差はないってことになるんじゃないか?

と思うところもある。ただ、

そのしあわせに至るための方法・手段がどこのなんなのかということの発想や選択に、個人差がある

ということは、言えるのではないかとも思う。

 

だから私は、

本当は誰もが「しあわせになりたい!しあわせを実感・体現したい!」と思っている

のだろうと思っているし、私自身もそう思っている自覚がある。だが実際には、現状のこの世界にはたくさんの不幸があって、それが多種多様なのか似たようなものなのかは別としても、ほとんどすべてのひとたちが、なんらかの不幸を抱えていると言ってもいいだろうと思う。それを不幸と呼ぶのが強すぎるとしたら、

「苦しみ」

と言い換えてもいいが、そんな苦しみをまったく体験したことがないというひとは、少なくともこの世にはいないと思うのだ。

だがそんななかで、

すべては、必要だから起きるのです。逆に言えば、起こる必要がないことは、そもそも起きることがないということです

というような言葉を耳にすることはきっとあなたにもあると思う。そしてこれは、多くの守護霊が、よく言うことでもあるのだ。だがそうなると、私にはやはり、どうしても気にかかることが出てくる。そこで私はこないだ、実際に何人かの守護霊さんに対して、率直に想いをぶつけてみることにしたのである。これは、その対話記録である。

 

最初に私は、こう切り出した。

この世で私たちが体験するあらゆることは、「必要だから起きる」ということ、まずこの理解は問題ないと思いますか?

するとその場に集まった守護霊さんは、一様に頷き

そのとおりです

と言った。そこで私は、

では私たちが経験する様々な苦しみも、やはり「必要」だから起きるということになりますよね?

と重ねて訊いたが、ここでも相手の意見は澱みなく、

そのとおりです

と言うだけだった。そしてこれは、私の予想どおりでもあった。だがだからこそ、私は今回はさらにもう一歩詰め寄って、こう訊いてみたかったのだ。

ですがその「必要」と言うのはなんなのでしょうか?あなたがたはよくそういうふうにおっしゃいますが、「必要」という概念は、あまりにも広すぎる。それはいったい、「なんのために」必要なんですか?そこをもっと、別の言葉で言い換えることはできないでしょうか?

するとひとりの守護霊さんが、まず静かに

成長のため・進化のためだな

と言った。そこで私は

その「成長」というのも私自身よく遣う言葉ではありますが、やはり難しいとも思うんです。ですからここではさらに踏み込みたいんですが、その「成長」とはたとえば、「より相手を、お互いを理解し合えるようになる」とか、そういうことですか?

と続けてみた。するとやはり、

そのとおり

と言われるだけだったのだが、私もやはり釈然としない想いを抱えていた。するとそれを見抜いたのもあってか、今度は別の守護霊さんが、このように語り出したのだった。

これはあなたもよくわかっていると思うが、あなたたち私たちはみな、長い永いときを生きている。あなたの人生も誰の人生も、今回が最初で最後というわけではない。今に至るまでもこれからも、ずっとずっと続いているもののなかに、今があるんだ。そして、そのような長い永いときのなかで、いつも正しく生きてこられた・後悔なく間違わずにいられたというわけではない。だからこそ……

「その因縁を解消する必要」があると?

私は、つい話に割って入ってしまった。しかしやはりこのときも、私は

そう、そのとおりなんだ

と返されるだけだった。だから私は、さらにはっきりと、想いをぶつけることにしたのだった。

そんなことはね、今までも何度も何度も聴いてきました。だから、もうわかってるんです。でもその「因縁解消」っていう言葉もね、やはり難しい、腑に落としにくい表現なんですよ。だから、もっと別の表現、観点はないものかとお訊きしているんです。まだ私はいいんですよ。自分の来歴も因縁も、少なからず理解して、だいぶ腑に落としてはいますから。でもそれでも、苦しくないというわけではないんですよ?なのにましてや普通のひとたちに、私はなにをどう言ってあげたらいいのかと、私はまだわからないんですよ。たとえば重い病で若くして死の床にいるひとたちに、そしてそのひとを愛しているひとたちに、私はなんと言ってあげたらいいんですか?「あなたが死ぬのは、あなたの愛するひとが死んでしまうのは、あなたの成長のためなんですよ。これで昔の因縁が解消されるんですよ」なんて言えばいいんですか?そんなの、ひどすぎるじゃないですか!そんなこと言ったら、私は悪意のひとだと思われてもしかたがないと思いませんか?どうやったら、相手に届くと思いますか?私はそれを訊きたい・相談したいんですよ!

しかし、これに対して、誰からも明快な答えが返ってくることはなかった。代わりに言われたのは

……そうですね、だからあなたの立場は、あなたがやろうとしていることは、とても難しいことだというのは、私もわかっています。ただ相手の方々にも、理解が必要なんです。いつまでも理解することを拒んでいては、そこから先には進めないんです。だからそれは、相手の課題でもあるということです。そしてそのうえで裏を返せば、そういうひとたちの「理解・成長を助ける」のが、あなたの役目でもあるということなんです

ということだった。私はそれが、守護霊さんたちの慈しみや愛に基づく言葉だとはわかっていた。しかしだからこそ、さらに言わずにはいられなかった。

ですが今まさに死の淵にあるひとたちに、「実は今生が最初で最後ではないんです。私たちは何度も生まれ変わりながら今に至り、これからも生まれ変わりを続けながら、ずっと成長していくんですよ」なんて基礎知識を伝えたところですんなり受け入れてもらえるとは思えません。それどころか、そんなの「相手の弱り目に付け込んで、世界観を刷り込んでいる」と思われてもしかたがないじゃないですか?私はそういうやりかたは嫌なんです

私はずっと自分の素直な気持ちをぶつけていた。だが相手の守護霊さんたちも、やはり一貫して穏やかで、

ですがあなたは、そんなふうに「弱り目に付け込んだり、世界観を刷り込んだり」しているわけではないでしょう?それにだからこそ、あなたは日頃から伝えることを、対話することを、試行錯誤し続けているではないですか。だからそれを、これからもあなたらしく続けていければ、それでいいのではないですか?

と、冷静に返してくるのだった。

 

こう言われたら、それはそのとおりなのである。ただ私は私の未熟さを、そこから来る葛藤をぶつけているだけで、守護霊さんはまったく正しいのだ。それに、守護霊さんたちというのは、

「いつだって私たちのしあわせや成長を心から願い続けている存在」

なのだ。そんなひとたちが、私たちが苦しんでいる様を見て、ただ冷徹に突き放しているわけではないことはわかりきっている。だから私たちは、本当はいつだって、みんな仲間同士なのだ。

だがここまで率直に話し合えたからこそ、私は先の言葉を受けて、さらにこう返した。

ですが「苦しみも必要だから起きる」ということを前提すると、「相手の苦しみに寄り添ったり癒やしたり和らげたり助けたりすることは、相手の課題(成長の機会)を奪うことだから、そんなことはしてはいけない」という解釈をするひとも出てきますよね?それに私自身、何度もそういったことを言われるんですよ。でもそれは、助けようとしてもいいんですよね?だって私の前に現れたんだから、それを見てどう思ってどうするかは、私らしく決めていいんですよね?「助けたらいけないひと」なんて、いないですよね?

すると守護霊さんの答えは、やはり早かった。

そのとおり。あなたの言うとおり「なぜあなたの前に現れたか」を素直に考えたらいい。私はなにも、「苦しみだけが必要だ」と言っているのではない。出逢いも、喜びもしあわせもすべてが、必要であるから、因縁因果の結晶であるから、顕れるものなんだ。だからあなたと出逢ったひとたちを、あなたらしく見つめ、あなたらしく関わり、あなたらしく助け、助け合うこと、励まし合うことに、なんの悪いこともない。それもまた、「必要なこと」なんだ。その意味を、理解していったらいいんだ

これは私にとって真新しい発見というわけではなく、むしろ

「そうに決まっているはずのこと」

だった。だからこそ私は以前自分で

「他者を助けると学びの機会を奪う」という意見に一理あるとしても、私は後悔のない道を行く
今まで読者の方々や実際の顔見知りにも、私は何度かこんなことを言われたことがある。 この世で起こることはすべて「本人の学び」として与えられているんだし、本人もある程度「なにを学ぶか」を事前に決めたうえで生まれてきているのだから、あまり他...

と言ったのだ。だがそんな私の背中を押してくれるひとが、ここにも実際にいるということを聴けたのは、私にとってとてもありがたいことだった。

そしてそんな私に、別の守護霊さんが、重ねて

だからあなたも誰でもみんな、もっと素直に生きていいんだよ。自分の想いを、もっともっと表したらいいんだ

と添えてきた。ただこれも私からするととても悩ましく繊細なものでもあったので、

でもその「自分の想い」っていうのが、そもそも本当に微妙じゃないですか?だって私も誰でも、実際四六時中、負の霊の妨害や唆しを受けてるわけですよね?それは、間違ってないですよね?ただそれも今までの話の流れで言えば「そのような影響を受ける体験を積むのも、『自分の気持ちを問い向き合う機会と成長のために必要』とも言える」なんて言われそうですけど。でもそんななかで、今自分が強く感じてる気持ちが本当に「自分の気持ち」なのか、それに沿って選んだり行動してもいいのかなんて、本当に微妙で厄介なことではないですか?

と率直に訊いた。すると相手の守護霊さんは

そう、そのとおりだ

と認めたうえで、さらに

だが少なくともあなた自身は、今までも今もこれからだって、ずっと自分の想いを問い続けているはずだ。だからそこまで行った結果として出てきた想いをさらに煙に巻いて混ぜ返す必要はないということだ。あなたは「どこまで行っても完全ではない」と言うのだろうしそれはそうだとしても、それでも自分が懸命に考えて出てきた想いなら、それはそれとして尊重して、素直に出してもいいんだよ。私が言っているのは、そういうことなんだ

と続けてきた。そしてこうまで言われれば、私にはもう反論もなにもありはしなかった。

 

こうした対話を経て、最後に私が言われたのは、

あなたにはこれからも、つらいことも哀しいことも起きる。そして改めて、今あなたのやろうとしていること、やっていることは、とても難しいことだとも思う。そしてだからこそ、あなたはあなたの守護霊さんから、厳しいことも言われていると思うだろうと思う。でもそういったことのすべては「あなたに必要だから、与わっている」ということでもあるから。そしてあなたは最終的にはきっと、今よりもっと納得して、生を終えられると思う。確かにあなたの言うとおり、妬まれたり阻まれたりすることも多いけれど、あなたはやはり多くのひとに、愛されているから。あなたの守護霊さんたちは、あなたを愛しているんだから。応援しているんだからね。だからあなたにはもっともっと、嬉しいことも起こるから。だからあなたご自身の守護霊さんたちともよく話し合って支え合っていったらいい。そしてそんなあなただからこそ、あなたらしく伝えられることだってあるから。私たちでも誰でもない、あなただからこそ、届けられる言葉もあるんだから。せめてもう少しは自信を保って、堂々と生きていっていったらいいと思いますよ

ということだった。このすべてを素直に受け止めきれるほどの私では今はまだないのだが、このように言ってもらえることは、やはり本当に、とてもありがたいと思ったのだった。

 

そしてこうした助言を踏まえ、今度は私自身の守護霊と私が対話したときのやり取りを、併せて簡潔に記しておこうと思う。

私からあなたに言いたいのは、「必要だ」というのは「必然だ」ということではないと言うことだ。「すべては最初から必然的に決まっている」というわけではなく、「すべては成長のため、因縁解消(許し合い・実りの収穫)のため、必要に応じて顕れてくる」ということなんだ。だから、起こることを変えられないわけでも、いつまでも苦しまなければいけないというわけでもないということは、よく理解しておかないといけないよ

でもさっきもさ、「あなたにはこれからも、つらいことも哀しいことも起きる」って言われたからね。だからまだまだ、「それを受けることが必要だ」っていうことなんでしょう?

だが「もっともっと、嬉しいことも起こる」と言われたな?それにあなたがつらくなったり哀しくなったりするのは、あなたが多くのことを引き受けようとしすぎるからでもある。だからそれは、あなたの捉えかた次第でもあるということだ

「引き受けようとしすぎ」「捉えかた次第」って言ったってさ、他のひとが苦しんでるのに自分だけしあわせに笑ってられるなら異常だと思うけどね。それにそもそも私は今の私に引き受けられるぶんしか引き受けられないんだし、そもそもお互いを知ることもなく死んでいくひとが大半なんだからさ、「せめてできることをしよう」というのが、やりすぎだとは思えないんだよ。でもそんな私にとって「嬉しいこと」がまだまだ起きるって言うなら、最終的にはこんな私でも、なんとかなるんだと思うし

それはそうだ。どうにもならないことなどないのだからな。ただそれも含め、すべては捉えかた次第でもあるということなんだ。だから結局は、あなたはあなたらしくいればいい。私はそれに不満を言っているわけではないんだよ

わかってるよ。いじわるをされてるとは思ってないよ。昔はだいぶ思ってたけど。だから確かにこんな私でも、少しずつ成長できているんだとは思ってるよ

そう、だからこそ、あまり無理はするなということなんだ

ときと場合によっては多少の無理も必要だとは思うよ。たとえば、今生みたいなときにはさ。それに、多少の負荷がかかるくらいでないと、成長できないと思うし

その「多少」をきちんと見極めてほしいということだ。だがまぁ、とりあえず今日のところは、このくらいにしておこうか

 

とこんな感じで、今度こそすべての対話は終わったのだった。とはいえ思うところはまだまだたくさんあるが、これからも私なりに考え続けながら、生きていこうと思っている。それに私は人生に区切りなどないとは思っているが、ひとまず世間的にはもう年末である。

どうぞよいお年をお迎えください。そしてもっともっと素晴らしい未来を、味わってください。私も、そう在りたいと思っています。これからも、どうぞよろしくお願いします。

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  1. なみだ より:

    ずっと疑問に思っていて分かったことがあるのです。

    何故あなたの言葉は心を動かすのだろうと。

    そう、そんなことはもううんざりするほど分かっているんですよ。

    守護霊の言葉は正しいがそのうえで悲しみ苦しみ悩んでいるわけです。

    dilettanteさんはそれを踏まえての想い、経験を共有してくれているからこんなにも心に響くのだなと。

    勝手ながらそんなことを思ったのです。

    いつもありがとうございます。

    • Dilettante Dilettante より:

      なみださん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      年の瀬にこの上なくありがたいお言葉をいただき、本当に光栄です。

      そのようにおっしゃっていただけるのであれば、私がこの時期に肉体人として生まれてくることを選んだことは、もちろん一筋縄ではいかないながらも、やはりよかったんだと言うことができます。

      そのうえで私の立場からひとつだけお伝えしたいのは、

      あなたの心を私が動かせているとしたら、それはあなたが私の言葉を受け入れようとしてくださっているからこそです

      ということです。ですから私もやはり、本当にありがたいのです。

      あなたとのお付き合いも、だいぶ長くなってきましたね。

      こうして時折あなたからご連絡をいただき、あなたもまだこの世界のどこかに生きているのだということを実感する度に、私もいつもなんとも言えずあたたかな感慨に包まれています。

      あなたの行く先に、これからも多くの実りがありますように。

      来年もこれからも、どうぞよろしくお願いします。

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