2020年になりました。今私が感じていることと、改めてのごあいさつ

もう2020年も6日を過ぎました。いかがお過ごしでしょうか?

というよりそもそも、昨年2019年はあなたにとってどのような年だったでしょうか?

私にとってはやはり、

いろいろなことがあったなぁ……

と言うしかない年でした。とはいえ私の場合は毎年がそんな調子なのであまり参考にはならないとも思うのですが、きっとあなたにとっても、少なからず似たような感慨はあるのではないかと思っています。それにこれは、私が以前から

激動の時代が続きますが、これからも一緒に生き抜きましょう
いよいよ2014年もあと数日となりました。いかがお過ごしでしょうか? 思えば2年前には、 2012年12月21日(22日)で世界が終わる! 世界が激変して人類に「最後の審判」が下る! などといった、いわゆる「人類滅亡...

などと言ってきたように、なにも去年やおととしに急に始まったようなものではなく、これからもしばらくはずっと続いていくものなのだろうとも思っています。

ただそんななかでも、去年は日本における

「代替わり」

があった年でもあり、そうした意味ではひときわ「変化」を感じやすい年でもあったと思いますし、一方でその祝賀パレードが延期されるほどの台風被害も起こるなど、否応なく様々な

「心構え」

を問われる年でもあったかと思っています。

令和始動。下降気流と回転気流のなかで、私もまた一歩踏み出します
北海道はまだ寒さを感じるときもありますが、ともかく5月になりました。いかがお過ごしでしょうか? 本日2019年5月1日、日本は平成から令和へと代替わりを果たしました。これはもちろんあくまでも国内でのこととは言え、私にとってもやはり少な...

ですからそういった観点から言って、私は私に起きたことを特別なことだとはまったく思っていませんし、先ほどから言っているようにこれが去年や今年で終わるようなことではないと一貫して思っています。そしてだからこそ、

今年の日本や世界はどうなるのか?

といったことについては、ほとんどなんの予想も保っていません。

ただ、そのなかでもほんの少しだけ言えるとしたら、

東京オリンピック・パラリンピックは、多くのひとが意識を向けているし、なんだかんだと言いながら楽しみにしているのだろうから、おそらくそれが開催されない(開催できない)ようなことにはならないだろう

とは思っています。もちろん、これにもそれぞれの立場や想いがあるとは思いますが、やはり全体として見れば楽しみにしているひとのほうが多いのでしょうから、その想いの強さや大きさを考えると、それが打ち砕かれて実現しないというようなことは、まずないだろうと思うのです。

そしてこれは別にオリンピック・パラリンピックに限ったことでもないのですが、

「こうした行事・イベントに多くのひとの意識・想いを集める」というのには、守護霊/負の霊どちらにとってもそれぞれそれなりのメリットがある

と言えると思いますので、そうした意味でもこれが行えないという事態は実際にはほとんどないだろうと私は見ています。

ですが、それ以外、あるいはオリンピック・パラリンピック閉幕後となるともうなにひとつわからない・なんの予想も立てられないと言っていいくらいです。

まぁ雑多な予想ならなんとでも言えるのですが、たとえば

日本で衆議院議員総選挙(衆議院解散)があるかもしれない

なんてことを言って(予想して)みたところで、実際にはほとんどなんの意味もないですからね。

ですからそれでもせめて言うとしたら

なにが起きても不思議ではないのでしょうね

というくらいになるというわけなのです。もちろん今までお伝えしてきたとおり、長期的に見ればいろいろと言えることはあるのですが、短期(数年)の時間軸であればあるほど、ノイズや駆け引きが多く激しいのでまだまだなんとも言えないということです。

なお、この

「なにが起きても不思議ではない」

というのは、

「なにが起きてもいい」

ということではまったくないということは確認しておきます。むしろ

なにが起きても不思議ではないからこそ、「自分がどんな世界を育みたいか」ということをよく考えよう

という意味だとご理解いただければと思います。

また、これに関連してここ数日の中東(イラン)情勢などから、

第3次世界大戦が起きるのではないか?

という懸念を表明しているひともいるようですが、私としては前から

現在は戦後でも戦前でもない。「経済戦争」の真っ最中だ
1945年以後、私たちは「戦後」の時代を生きているとされてきた。だが、世界では未だに様々な紛争が繰り広げられているし、日本でも周辺国との緊張関係や、国家安全保障を巡る議論の高まりなどを背景に、現在を「戦前」と見なすような意見も提示されている...

という立場に立っています。そしてそのうえで、

今でさえこれほどにめちゃくちゃで、たくさんのひとが苦しんでいるのに、これ以上世界を壊滅的な方向に加速させるなどということは、いくらなんでもないだろう。いくら負の霊団が執拗に煽ったからといって、それすら踏み留まれないほど、そこまで人間は愚かではないはずだ

と思っていますし、たとえば核兵器が再び使用されるようなことも、もうないだろうと思っています。これはなんともうまく表現しにくいことなのですが、あのときは日本人(日本在住者)がなんとも形容し難いような力を発揮したからこそなんとか乗り越えられたのであって、次にどこかで同じようなことが起きれば普通はまず拭い去れない禍根を残すことは間違いないでしょうから、そんなことは誰もしたくないでしょう。

つまり私はこれからも、

半分ではなく「4分の4」のすべてを踏まえて、あなたの人生を創っていってほしい
この世界で生きていれば、おそらく10年もしないうちに、私たちの身につく基本的な世界認識がある。それは、 この世には、「いいひと」と「悪いひと」がいる というものである。この「いいひと」と「悪いひと」というのは、さらに単純化すると...

という立場に立ったうえで、

過度に楽観もせず、過度に悲観もせずに、できることをできるだけやっていこう

と、そう思っているわけです。

 

ですからそうしたことをすべて踏まえたうえで、この私は、そしてそんな私が主宰する『闇の向こう側』は、2020年も特にどうということもなく在り続けます。それは、

変わることも変わらないことも含めて、「相変わらず」です

ということであり、

これからもずっと、試行錯誤を続けていきます

ということです。

面白いことに、私のところには

長いこと見ていますが、振り返るとここもいろいろと変わりましたね〜

というご感想も寄せられる一方で

こんなに長く続いているとは思えないくらい、最初のほうを見てもここ最近を見ても、ずっとあなたは変わらないですよね〜

という声も来るのです。そしてこの一見

「対照的」

にも見えるこの感覚は、おそらく実際には

「どちらもそれぞれに正しい」

のだろうと、私は思っています。ですからそれが私でありここである以上は、これからも相変わらず、そんな感じが続くのだろうと、そう思っているのです。

 

そしてそのなかで、去年も私なりにいろいろな試行錯誤や模索をしてはみて、結果として

基礎的なことはもう充分に伝えたし、いつでも振り返ることができる。だからこれからはそれを踏まえて、より個人的・私的なことも書きつつ、あなたに参考にしてもらおう

と思ったという意味で、書く文章の内容や主題も、初期とはだいぶ違うものになってもいるとは思います。

ですが前からお伝えしているように、私がどんなに手を替え品を替えても、その核心にあるのは、

あなたにはあなたらしくいてほしい。あなたの本当の願いを叶えてほしいし、それに向かって少しでも進んで、しあわせを深めてほしい

ということなのだということは、この機会にまた改めて申し上げておきたいのです。そしてこれは、あなたが霊だとか肉体人だとか、肉体的に若いとか高齢だとか、元気いっぱいだとか病気だとか、今日生まれたばかりだとか今日にでも死にそうだとか、そんなことにはまったく関係のない話なのです。

私は、あなたを少しでもあなたらしくするすべてに賛同し、少しでも助け支えられたらと思っています。そして逆にあなたを歪め狂わせるすべてに反対し、私にできるだけの抵抗を続けていこうとしているということなのです。

ですがそもそもあなたは

なにが「自分らしい」かなんて、それ自体がわかんないですよ!

と言うかもしれません。ですがそれならそれで、それを見つけるために生きていけばいいのです。そのための参考例や提案・示唆は、そこらじゅうにあります。だってこんなにもたくさんのひとが、想いが思考が感情が、あなたにはいつも渦巻いているではないですか?だからあとは、あなたが選べばいいんです。そうやってあなたが選んだものが積み重なって

「あなたらしさ」

になっていくんですから。

ちなみに私はいつものことながら、やはり今も

あけましておめでとうございます!

とは言える心境にないので、まだ言わないでおこうと思います。これも、

「私らしさ」

のひとつだと思っておいてください。でもさすがに、実際にどこかで会ったひとに言われたら返しますよ?だってたいして仲良くもないひとから、

私はまだ明けてないので……

なんて言われたら、困ってしまうでしょう?

ですからその意味で、ここで私は本当に、

「私らしく書けている」

ということなんです。これが本当にありがたいことだなぁと、心から思っています。

そしてそれは、あなたのおかげなんです。本当にそうなんですよ。こんな私を受け入れてくださって、ありがとうございます。ですからもしあなたがまだ明けていないと言うなら、それもそれでいいです。いつかそのときが来たときに、一緒にお祝いできたらいいですね。

ですがもしあなたがもう明けたと言うなら、それはもちろん素晴らしいことです。今まで本当に大変でしたね。お疲れ様でした。とはいえこれからもまたいろいろなこともあるかもしれませんが、それはそれとして今日今のところは、しみじみと味わったっていいはずです。本当によかったですね。おめでとうございます。

私はあなたがあなたであることを、あなたがあなたでいられることを、ずっと心から応援しています。そしてこんな私でも、お互いがますます自分らしくなれたらと思うと、楽しみでしかたがないのです。ですからどうぞこれからも、よろしくお願いします。あなたがいてくれると、本当に助かるんですよ。いつも本当に、ありがとうございます。

ちなみにこれは厳密には「初夢」とも言えないとは思うのですが、ここ最近見た印象的な夢(そしてもちろん悪夢ではありません)に、こんなものがありました。

 

差出人がよくわからない年賀状をもらった。

それは朝日が上る写真を背景に、すべて幼いこどもが書いたようなひらがなで

ひとりがよくなると、おくれてみんなよくなっていく。それにあなたはずっとたたかいのじんせいをあゆんでいるけれど、それはやっぱりうらやましいし、かっこいいなぁ……

と書いてあった。それを見た私は、

へぇ、それはいい話じゃないか。でも戦いの人生は別にかっこよくもないし、憧れるものでもない。それにもっと言えば、特に今は誰でも多かれ少なかれ苦難のなかで闘いもがきながら生きているじゃないか?だからそれを言うなら、あなただってかっこいいんでしょうに

と、そんなことを思ったのだった。

 

というわけで今年も、私も私なりに生きていきます。そしていずれはみんなで、よくなっていきたいですね。いつかはきっと、そんな日が来ることでしょう。

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  1. よむおる より:

    こんにちは。今日初めてこちらのサイトを読みました。

    正義と悪が相対的なものだとしても、それでもなお「正義」に身を置くつもりなら、どこに線を引くか?
    現代社会では、正義と悪が混沌としていることはもはや誰が見ても明らかだと思う。

    この社会には様々な問題があるのだが、それは

    どこかに「諸悪の根源」があって、それを「正義」がいつの日か打ち倒すことで、すべてが解決する

    というよ...

    や、

    「他者を助けると学びの機会を奪う」という意見に一理あるとしても、私は後悔のない道を行く
    今まで読者の方々や実際の顔見知りにも、私は何度かこんなことを言われたことがある。

    この世で起こることはすべて「本人の学び」として与えられているんだし、本人もある程度「なにを学ぶか」を事前に決めたうえで生まれてきているのだから、あまり他...

    など、まだ数ページですが、深刻な読者からのコメントにものすごく丁寧に向き合い、回答していてとても驚きました。

    私は昨年、生活保護受給者の方々の就労支援をしていて、そこに集まる方のお話というのも、自分が知っている「不幸」とはほど遠い『劣悪』とも言えるような家庭環境、社会での扱いや病状など、あまりにバラエティに富んでいて、到底受け止めきれませんでした。

    福祉のお仕事というのは、こういった方々をサポートするのだなと、現実の厳しさに「大義」や「善意」「肩書き」などではとうてい無理なんだと実感。自分の中で、彼らに何ができるのか、彼らとどう向き合うべきなのか?自分を消耗してまで本当にこれがやりたいのか?と模索した上で、結果辞めました。

    ちょうど意義を見失っていたときに、たまたまOSHOの動画を見たら、記者が質問してました。「世界で戦争や貧困があることに対し、あなたは金ピカの腕時計をつけてここで説法してるだけだが、それで良いのか?」その問いに、「政治家が軍事に使うお金を、貧困の人々に使えばすぐに解決されるのだ。なのになぜ誰もそれをしないのか?貧困で困ってる人は自分の生活に夢中で、世界を見る余裕はない。だが、もし金の腕時計をつけるほど余裕が出て世界を見たとき、世の中が不幸だらけで驚くだろう。でも、その時、貧困を止めるのは私の仕事ではない。だって政治家はそのことを知っていて、戦争をしてるのだから」と言ってて。

    このサイトの管理者様も、こういう模索の上で、この道を選んでるってことが「すげーな!マジで!!!」と思いました。OSHOも戦争を止めることが必要と思えば止めるんだろな(笑)

    こちらのサイトは哲学書として、これからゆっくり読んでいきたいと思います!

    • Dilettante Dilettante より:

      よむおるさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      私は昨年、生活保護受給者の方々の就労支援をしていて、そこに集まる方のお話というのも、自分が知っている「不幸」とはほど遠い『劣悪』とも言えるような家庭環境、社会での扱いや病状など、あまりにバラエティに富んでいて、到底受け止めきれませんでした。

      福祉のお仕事というのは、こういった方々をサポートするのだなと、現実の厳しさに「大義」や「善意」「肩書き」などではとうてい無理なんだと実感。自分の中で、彼らに何ができるのか、彼らとどう向き合うべきなのか?自分を消耗してまで本当にこれがやりたいのか?と模索した上で、結果辞めました。

      そうですか、ただ私からすると、たとえ今はもう辞めてしまったにせよ、一時期でも福祉(特に生活保護)の現場に身を置いたというのは、とても大きな経験だっただろうと思います。それにそれはきっと、あなたが今思っている以上にそうだろうと思います。

      もちろん日本の福祉にもいろいろな課題や改善の余地があるのは重々承知の上ですが、まだ曲がりなりにも生活保護制度が存続しているというだけで、日本の福祉は棄てたものではないと思いますし、それを現実に運用するのには様々な葛藤があるとはいえ、あなたのような立場のひとがいるというのは、とても大きな意味があると思っています。繰り返しますが、たとえ今はもう辞めてしまったとしてもです。

      それからこうした生活保護のことを考えるときに、一方で私は必ず

      「ベーシックインカム」

      のことも念頭に置くようにしているのですが、こうした素案に対して、

      なにもしなくてもカネがもらえるということになったら、怠け者が増えるだけだ!

      というような批判・懸念というのも多々あるのですが、そうした先入観はいくつかの社会実験によって覆されつつあるとも思います。

      フィンランド政府が2年間ベーシックインカム給付をして分かったこと(山森 亮) @gendai_biz
      ベーシックインカムとは一言でいうと、「すべての人に無条件で一定の額のお金を給付する」制度のこと。ここでは、昨年末まで2年に渡ってフィンランド政府がおこなったベーシックインカムの給付実験について紹介する。
      毎月5万4000円を市民に配り続けた結果何が起こったのか?という記録
      by Sharon McCutcheon Follow Message

      とはいえもちろんこのような観点からすべての問題を簡単に解決できるとまでは言えませんし、そもそも最終的には貨幣制度そのものも含めた、もっと根本的な変革が必要だと思うのですが、ともかく私としては

      すべてのひとがお互いの生活(=生きること・活動)を保護・支え合えることが理想であり、本来は当然のことでもあるはずだ

      と思っていますので、そういった意味でもやはり、私もこうしたことには特に大きな関心を寄せ続けています。

      それはこないだも

      今まで何度も「死にたい」とか「自分を苦しめるひとを殺してしまいたい」というような衝動に駆られて苦しんできたけど、よく考えたらそれは本当は「もう逃げたい。今とは違う環境に身を置きたい。でもそのための資金がない」という気持ちが歪んで生まれたものなのかもしれないと思うようになった

      という話を聴いて、改めて思ったことでもあります。

      それから一方でこうしたことを考える手軽な入口のひとつとして、たとえば

      健康で文化的な最低限度の生活 1
      新卒公務員の義経えみるが配属されたのは福祉事務所。えみるはここでケースワーカーという生活保護に関わる仕事に就くことになったのだが、そこで生活に困窮した人々の暮らしを目の当たりにして――新聞メディアはもちろん、現職のケースワーカー、医療、福祉関係者の方も注目する本格派ドラマ!に向き合う新米ケースワーカーたちの奮闘劇、開幕...

      といった作品があるのもとても素晴らしいことだと思い、敬意を抱きながらずっと注目しています。

      ですからそんな私としては、あなたが私の文章を読み一緒にいろいろなことを考えて共有してくださることを、とても嬉しくありがたく思っているということをお伝えしたいのです。

      私のことを活かしてくださって、ありがとうございます。

      今後とも、どうぞよろしくお願いします。

      • よむおる より:

        Dilettanteさん お返事ありがとうございました。前回、こちらにコメントさせて頂き、そのお返事をもらったことで、想像以上に心がスッキリしました。

        半分、自浄目的にもなってしまいますが、前職での経験をもう少しだけシェアさせて下さい。

        私もベーシックインカムのアイデアには賛成です。最低限のお金、暮らしは人間の権利としてあっておかしくないと思っています。また、生活保護自体も人権の一部として政府が用意しているのだから、どんな事情であろうと差別的な目で見ることはおかしいと思っています。

        私自身、バリバリ働いていた社会人時代から事情があって日雇いの仕事を経たりして、一般的な世の中の「お金」「アイデンティティ」の呪縛からは、少し離れて世の中を見るようになりました。そこから、就労支援へと入ったのですが、行政の施策として彼らを就労させる事が使命となると、様々な事情があるにせよ自分と彼らの間に大きな「境界線」が出来るのを日々感じるようになりました。

        まずは彼らを仕分けます。仕事ができない、または続かない理由は何か?

        長期間就労経験のない方々が集まる施設でしたので、ほとんど方が精神的な問題を抱えていました。と言っても、本人のやる気次第ではありますが、自力で解決できなければ、精神科を受診し、鬱病または統合失調症などの診断を受けます。障害者手帳を受け取ればその分、お金が入ります。障害者手帳があれば、就労時、「障害者雇用」枠で就職できます。

        大きな企業は一定数の障害者を雇用しないと、罰金を取られるまでになり、障害者を雇用することで、企業には数百万円のお金が入ります。

        私たちが「就労させる事を使命」とするとき、その原因を本人の心に見出し、精神病判定をさせることが容易にできてしまいます。本人もそのほうがラクなのです。将来を悩む事が減るから。結果、自分のアイデンティティを「私は精神病だから働けない、生活保護を受けるに値する人間だ。」になります。

        精神病でなかったら、発達障害になったり、依存症になったり、親との癒着だったり、いろんなものを当てはめて、私たちが彼らを就労させる事がなぜ難しいのか、「理由」をつけていくんです。

        もし、生活保護を受ける事が「罪」でなければ、精神科に行く必要はなかったかもしれません。薬など飲まずに日々楽しく過ごせていたかもしれません。存在自体を問題視することが、問題のような気さえしました。会社や学校へ行かない事が問題だから、社会から問題視されるってことは、学校や会社に行けてるから、人間として機能してるってこと?

        8050問題も、「60歳過ぎてからひきこもる人が急増」などと見たのですが、それも会社の定年が60歳だったわけで、その人たちがいったいどこに出ていけば「問題ない」って言われるんだか。

        すべては『労働にどれだけ役立つか』が基準なのかな〜なんて考えてしまいました。

        一方的に吐き出しッ!!失礼しました。

        • Dilettante Dilettante より:

          私もベーシックインカムのアイデアには賛成です。最低限のお金、暮らしは人間の権利としてあっておかしくないと思っています。また、生活保護自体も人権の一部として政府が用意しているのだから、どんな事情であろうと差別的な目で見ることはおかしいと思っています。

          そうですね、まずここをあなたと共有できているのであれば、基本的な認識をすり合わせるためにいろいろな議論を展開する必要もないと思います。

          そのうえで、

          私たちが「就労させる事を使命」とするとき、その原因を本人の心に見出し、精神病判定をさせることが容易にできてしまいます。本人もそのほうがラクなのです。将来を悩む事が減るから。結果、自分のアイデンティティを「私は精神病だから働けない、生活保護を受けるに値する人間だ。」になります。

          精神病でなかったら、発達障害になったり、依存症になったり、親との癒着だったり、いろんなものを当てはめて、私たちが彼らを就労させる事がなぜ難しいのか、「理由」をつけていくんです。

          もし、生活保護を受ける事が「罪」でなければ、精神科に行く必要はなかったかもしれません。薬など飲まずに日々楽しく過ごせていたかもしれません。存在自体を問題視することが、問題のような気さえしました。会社や学校へ行かない事が問題だから、社会から問題視されるってことは、学校や会社に行けてるから、人間として機能してるってこと?

          という問題提起・着眼点にも実に共感するのですが、私はもう一方で

          みんなそれぞれがなにかしらつらいなかにあって、自分のつらさを相手に理解してもらうための足がかりとして、なにかしらの「診断」をつけてもらったり、通院してもらったりすることには意味がある。それは結局のところ、「休む時間を得るため」なんだ

          という基本認識を保ち合わせています。

          つまりあらゆる「レッテル」というのは、基本的に当事者を苦しめる危険を孕んでいるわけですが、この社会がここまで余裕がなくなり歪み、肩書きによって多くを判断されているに過ぎないというのなら、それを逆手に取ってうまく活かすことによって

          「自分に必要な休息」

          を得られるのであれば、言い換えれば

          なんのためにそのレッテル・診断・理由付けを求めるのか?

          という核心がわかっているのであれば、それは本人にとって有益な場合も多々あると、私は思っています。

          またこれに関しても、あなたは

          すべては『労働にどれだけ役立つか』が基準なのかな〜

          というところに注目したようですので、そこと「近代」および「産業」の成立とを絡めて考えてみるのももっとおもしろいのではないかと思うのですが、これをさらに私なりにアレンジするなら、

          すべては、「どれだけ動いているか?」で判断されているだけなのではないか?

          と問うのもいいのではないかと私は思っています。

          つまり、現代における「労働」とはほとんどが

          「動きそのもの」

          と密接にリンクしていて、

          より動いているひとは役立っている。動いていないなら役立っていない(働いていない・意味がない)

          という判断がほとんどを覆い尽くしているのではないかということです。そしてだからこそ、

          まだその時機が来ていないので、今はアンテナを張り巡らしながら、じっと爪を研ぎ力を蓄えています

          というひとは、普通は「働いている」と見なさないわけです。つまり、そもそも「働く」という字面のとおりなのですが、

          「『就労させる』というのは『相手を動かす』ということとほぼ同義」

          であり、そうである限り

          AIが人間の仕事を奪う!

          なんてことは実際にはあり得ないということがわかると思います。今までと同じ考えを適用する限り、

          AIが発達すればするほど、人間はもっといそがしくなるに決まっている

          と思いませんか?

          それからこうしたことを応用すると、

          ある集団において、「ほとんど動いてないのに邪険に扱われていないひと」がいたら、そのひとの地位は比較的高い

          と判断できるということも、納得していただけるのではないかと思います。逆にそこに

          「地位が低いのに動かないひと」

          がいたら、

          怠けてるんじゃない!

          などと言われたり、もっと降格させられたりしてしまいますからね。

          だから今はそんなふうに動かされた結果として余裕がなくなってるのはある意味しかたがないんですよね。

          ただいずれは本当の意味で

          「無駄な仕事」

          が減ることになるので、そのときにはいろんな価値観も見直されて、みんなだいぶラクになるだろうと、そう思っています。ですからそのときまで私ももう少し、はたらきましょうかね。

          • よむおる より:

            お返事ありがとうございました。

            「静」と「動」のお話になってましたね!(ギャー!好きです)

            『病気というレッテル貼りが救いになる事もある』との事。

            昨年の福祉のお仕事のあの辛さがなんだったのか?なぜスタッフは利用者を悪く言ってたのか?最終的に利用者を見るのもイヤになってしまったのはなんでなんだろう?という理由に「意義を見失った」としか説明できずモヤモヤしてたのですが、ぴったりの「レッテル」見つけました。

            「燃え尽き症候群」↓

            バーンアウト症候群とは?意味や症状、診断ポイントと回復方法①-心理学の専門家解説
            バーンアウト症候群について、心理学の専門家が解説しています。このページでは、バーンアウト症候群(燃え尽き症候群)の意味や症状、診断ポイント、回復方法やプロセスについて確認できます。立ち直る時に役立つ方法を具体的に紹介しています。バーンアウト症状の予防・改善を目指しませんか。

            症状のひとつに「脱人格化(=クライエントに対する非人間的な対応が症状の特徴)」ともあり、スタッフ間にもそれが多少なり蔓延してるのだな、納得しました。

            意味付けを「燃え尽き症候群」にすることにより、「自分の人格が破綻したわけではないのか!」という救い。次はもっと合う仕事を選ぼうという考えに至りました。前回仰られたことは、経験として納得‼︎です(笑) ありがとうございます。

            今回はもう少しマクロな視点で質問をさせて下さい。利用者さんの中には子供の頃から、片親で障害を持つ兄弟の面倒を見ながら、中卒で社会に出る。両親が早くに亡くなり、若くして会社勤め、など教育が受けられなかった事が原因なのか、周囲にろくな大人がいない環境、自分で将来を考える力がない故に簡単にホームレスになる、そういう経緯を経て精神障害はないけれど生活保護、という40代の方も多かったです。

            仕事ならいくらでもあると思えますが、社会の情報や知恵を有意義に生かすだけの「思考力(いわゆる地頭力)」がないのが印象的でした。それは「夢がない」の同義語にも感じました。世間の人が「一般的」にしている結婚や旅行、生きる楽しみを、子供の頃から「持たない」、「当たり前のように諦める」ことが普通になっているんです。

            その為に頑張る、計画を立てる、ことをしない。だから仕事も続かない。生きる意味がわからない。死にたい。生活保護受けてても低温の地獄…みたいな。

            よく、親や環境など選んで生まれてくると言います。ただ本人達にしてみれば「理不尽で不条理、なぜ自分ばかり」という思いかもしれません。

            Dilettanteさんがよく、悪霊(負の霊)のお話をされていますが、私も以前、興味本位でミーディアム(霊媒)のクラスを受講してた時、先生が「いま地球には、死んでもなおそれまでの生に執着し、ズブズブと泥団子のように居座っている存在(例)たちがいて、足の踏み場もないほどだ」と話していました。

            それとは別の先生は、「輪廻のワナに掛かってしまう霊達が本当に多い。もう地球に生まれてくる必要はないのにも拘らず」とも言っていました。

            過酷な環境を自ら設定する、負の霊と化した者たちのやりたい放題、地球へ輪廻する事への執着、これは悪循環のような気がしますが、地球本来の「闇の楽しみ方」というのは本来あったのでしょうか?

            (吐き出し長文失礼しますっ!)

          • Dilettante Dilettante より:

            症状のひとつに「脱人格化(=クライエントに対する非人間的な対応が症状の特徴)」ともあり、スタッフ間にもそれが多少なり蔓延してるのだな、納得しました

            そうですね。そしてこれはともすると私たち全体に蔓延しているとも言えるかもしれない傾向だとも思いますので、私自身も気をつけたいと思います。

            つまり今は誰もがあまりにも疲れているのだとも思いますが、そのなかでいかにそれに呑み込まれないでいるかと考えると、やはり意識的に努力していくしかないのだろうと思うからです。

            それから、

            先生が「いま地球には、死んでもなおそれまでの生に執着し、ズブズブと泥団子のように居座っている存在(例)たちがいて、足の踏み場もないほどだ」と話していました

            ということについては私も基本的に同意するのですが、もうひとつ

            それとは別の先生は、「輪廻のワナに掛かってしまう霊達が本当に多い。もう地球に生まれてくる必要はないのにも拘らず」とも言っていました

            ということについては、

            もし地球に生まれてくるのが「輪廻のワナ」なのだとしたら、そうおっしゃるあなたはなぜこの地球に生まれているのですか?あなたご自身も、「ワナに嵌まった」という認識なんですか?

            とは訊いてみたいですね。ただこれも、そもそも

            「地球という星について、どういう印象・意味付けをしているか」

            というのが霊によって様々なので、特定の考えを保っている霊団とだけ関わっていれば、霊媒がそのような考えになるのもしかたがないとは思いますので、そのひとが個人的におかしいとは思いませんけどね。

            そのうえで

            過酷な環境を自ら設定する、負の霊と化した者たちのやりたい放題、地球へ輪廻する事への執着、これは悪循環のような気がしますが、地球本来の「闇の楽しみ方」というのは本来あったのでしょうか?

            という問いに対する私なりの考えを提示するなら、

            過酷な環境を自ら設定したのは変わりたい・成長したいからで、でもうまくいかなくて自棄になったから他者の足を引っ張ることで「仲間」を得られるんじゃないかと思い込んで負の霊になって、それでもやっぱり変わりたいから地球に生まれ変わって……ということを繰り返しているからじゃないですか?

            と思っています。ただそれならなおさら

            地球を乱せば乱すほど、「未来の自分の行き場所」を乱してることになるんだから、そんな自虐行為は、そろそろやめたら?

            とも思いますので、そういった意味でも彼らには「本気」を出してほしいんですよね。

            あと、最新の

            地球の特殊性。地球が「普通の星」になるのならそれはいいことだとも思うが、少しだけ寂しい気持ちもある
            今の地球はめちゃくちゃである。実際に今の地球に生きている私たちならなおのこと、これに異を唱えるひとはほとんどいないのではないかと思う。しかしこれは実のところ、

            「ずっと前も前、大昔から予期されていたこと」

            だとも言える。なぜなら...

            にも書きましたが、私自身は地球がすごく好きなので、どんな理由であれ、誰かが

            これ以上地球には行きたくない!

            と言うのなら、それでもぜんぜんいいんですけどね。そうすると相対的に私の意志が通りやすくなるので。

            でもきっとそういうひとたちこそが、これから地球がどんどんいい星になっていったら、一転して我先にとばかりに殺到してくるんだろうなぁとも思います。

            ただ私からするとそれじゃあいちばんいいところはもう終わってるんですけどね。

            遊園地で遊ぶより、遊園地を創るほうが楽しい(やりがいがある)

            というような話で。

            それに私としては、

            誰がいてもいなくても結果に影響がないなら、わざわざ行く必要はない。「どうなるかわからないし、いろんな思惑が錯綜してるからこそ、私のひと押しで状況が動くかもしれない」と思える状況だからこそ、最高におもしろいんじゃないの?

            と思うんですけどね。

            でも、好みはそれぞれですし、実際苦しくもありますからね。だから結局は、自分で選べばいいと思います。私もあなたも、そうしたということなのですからね。

  2. よむおる より:

    お返事ありがとうございました。

    前回お伝えした「輪廻のワナ」は、何界なのか忘れたのですが、人間を奴隷化したい悪〜い輩たちが仕掛けたもので、「天?」に帰らせる前に、地球の人間意識のまま、「光の存在だよ、君を迎えに来たよー」とか言ってまた地球に帰らすらしいです(笑) そうなると、もう執着というより、盲目的だな。

    私個人的には、目に見えない確証がない世界からこそ、スピリチュアル(と呼んでいいのか)な分野は、様々な考えがあっていいと思っています。みなさん、なぜかとても「断定的」に言い切る人が多いのが、とても引っかかるのですが、それも「その人の信じる世界」なんだな〜と受け止めています。

    そこで、質問です。

    私たちは小さい頃から、なんとなーく、お盆やお墓参りなどで「あちらの世界」を意識します。

    大きくなるにつれて、テレビで見たり、宗教の概念も入ってきます。細木さんとか江原さんとかもいたりして。

    私も興味があって、ヘミシンクしてみたり、そういった本を読み漁ったり、直接様々な能力を持つと自称する人たちとお会いしてみました。

    で、疑問に思ったんです。

    「なんでみんな同じようなことを言うんだろう?」

    どこかから派生した「考え」がカタチを変え、呼び名を変え、認識を少しずつ変化させて宗教として経典になったり、書物として人々に届いたと思います。

    たとえばミーディアムのクラス、リーディングのクラス等へ行くと、教えてもらう「その世界の概念」は、そういった宗教観から生まれたものがほとんどで、階層あり、ガイドあり、ハイヤーセルフあり、という「定番」コースなのです。

    いま霊能があると言われる人も、初めから「そういう概念」を持ち合わせた上で、「そういう世界」を見ようと、見るわけですから、天使だとか動物霊だとか、地球外の存在の仕業とか、同じものを見ても呼び名が変わるだけで、見てるもの、やってることって変わらないと思うんです。光があって闇があるっていう前提。陰陽。天へ行くまでにある階層の概念。

    集団でその世界を「なぞって」行けば、その世界はより一層色濃く、明確なものになりえそう。

    しかもそれらをサイトやSNSで発信したり、商売にするときにスピ分野での「マジョリティ」の方が圧倒的に「信頼度」とか「説得力」が上がります。スピ分野でさえ、マイノリティは、排除される傾向にあるのかな?

    そゆ意味でも、「みんなが知ってる」ことを言ってた方が安全っていう。

    で、もし可能ならば、人間のそういった固定概念の「あちらの世界」から外れた世界や、聞いたこともないような名前とか存在を、教えてくれる人はいないのか?

    スピ界の探索でさえ、こんなに素粒子として限界のない世界なのに、いとも簡単に行き詰まるのか?

    というスピに飽きた私に、新たな世界を教えてはもらえないでしょうか?

    Dillettanteさんも、闇の存在に特化して、闇の擁護?すら感じるマイノリティなのは承知なのですが、もしこんな無理なお願いを叶えてくれる暇があったらぜひ、意見だけでも良いので聞かせて下さい。

    • Dilettante Dilettante より:

      前回お伝えした「輪廻のワナ」は、何界なのか忘れたのですが、人間を奴隷化したい悪〜い輩たちが仕掛けたもので、「天?」に帰らせる前に、地球の人間意識のまま、「光の存在だよ、君を迎えに来たよー」とか言ってまた地球に帰らすらしいです(笑) そうなると、もう執着というより、盲目的だな。

      そうですか、原則として生まれ変わりはすべて

      「自己選択」

      によるのが基本なのですが、

      「他に選択肢がない」(地球以外には生まれ変われない)

      「そうしなければいけない」(「光の存在」がそう言うのだから)

      みたいな感じで誘導していくと、実際のところ

      「限りなく強制に近い」

      ことも、確かにできなくはないかもしれませんね。私も今生で改めて思い知りましたが、

      「自分の想像を絶する策略を弄する存在」

      というのも、確かにいますからね。

      基本的に「なんでもあり得る」世界において、どんな自分を育て、どうそれを保っていけばいいだろうか?
      「悪魔の証明」

      と呼ばれるものがある。これはごく簡単に言ってしまうと

      「『○○が存在しない(あり得ない)』ということを証明すること」

      であり、それは

      「『○○が存在する(あり得る)』ということを証明すること」

      ...

      ですがもうこれからは、そういうのもだんだんと通用しなくなっていくと思いますけどね。

      私も興味があって、ヘミシンクしてみたり、そういった本を読み漁ったり、直接様々な能力を持つと自称する人たちとお会いしてみました。

      で、疑問に思ったんです。

      「なんでみんな同じようなことを言うんだろう?」

      これはですね、ものすごくざっくりと言ってしまうと

      一応、真実は真実として確かにあるから

      ということになると思います。

      ただ「無知」からであれ「意図的な悪意」からであれ、

      「真実に嘘を混ぜ込んで伝える」(真実を歪める)

      ということをするひと・霊はたくさんいるので、まだまだめちゃくちゃなものも乱立しているわけですけどね。

      ただもちろん

      「答えのないものに対する『解釈・理想』の違い」

      というようなものはあって、それはこれからどんなに無知蒙昧の霧が晴れても、やはり残り続けると思いますけどね。

      つまりそれが、

      「それぞれの個性」

      だからです。

      ただそのうえで、

      集団でその世界を「なぞって」行けば、その世界はより一層色濃く、明確なものになりえそう

      というのはとても鋭い観点だと思います。いわゆる

      嘘も100回言えば真実になる

      というのはこういうところから来ていると思っていただければいいです。

      そしてだからこそ、霊界でもここでもどこでも

      「情報戦」

      が凄まじいことになるんですよね。ほんと、すごいですよね。

      スピ界の探索でさえ、こんなに素粒子として限界のない世界なのに、いとも簡単に行き詰まるのか?

      どうなんでしょう、

      「本当に行き詰まること」

      なんてあるんですかね?それも結局はあなたのおっしゃるとおり、

      「結局は誰かの受け売りを流してるだけで、『自分自身の実体験』に基づいていない」

      からなんじゃないかなと思うんですけどね。少なくとも私は、長年霊媒をやってても、驚くことはまだまだたくさんあるので。

      あとは「霊媒」も結局は「職人技」であり、「芸事」なわけですから、一般的に

      守・破・離

      と言われるようなことも、そのまま言えるんじゃないかと思いますね。つまり

      最初は徹底的に基本を学んで(=たくさんのひと・霊の話を聴いて)、そのうえでいろんな解釈・発展の余地を探っていく

      みたいな態度ですね。だからそういった意味では、

      「たくさんのひとがそう言っていることにはそれなりの意味もあるから、いったんは受け入れてみる」

      っていうことでもいいと思いますけどね。すべてを相対化して疑い始めると、表面的なところでさえ堂々巡りになっちゃいますから。

      本当に大切なものは、

      「表面の、その先」

      にあるわけですからね。

      一例を挙げますと、前にも少し書いたかと思うのですが、私はけっこう本気で

      ほんとにどうしようもなくなったらさ、「自分で星ひとつ創る」っていう手もあるんじゃないか?

      なんて思っているんですよね。だって実際にこんなに星々があるわけですから、その想いとエネルギーがありさえすれば、不可能ではないと思うんですよね。ですがそういうことを言うと、霊にも大概は狂ってる・バカだと思われるんですけどね。

      でも場合によっては、本当にやろうかと思ってるんですよね。それにきっと、いずれはできるとも思ってるんですよ。だから私としては、今のところとりあえずこんな答えをお伝えしておきたいと思います。

      自分で言うのもなんですが、本気で私のことを見守ってくださっていたら、今からでもそれなりにおもしろいものは、見られると思いますよ。

  3. jubee より:

    ええっと、横から割り込む形ですみません。

    なんだか最後の「星を創る」があまりにも面白くて、

    突拍子がなかったので・・・。

    で、それなら私も突拍子もないことを言ってもいいのかなと。

    私は平均的日本人なので、

    昔からの日本人的な生まれ変わり感を持っているのですが。

    その中で今まで思っていたのと違う表現に遭遇しまして。

    日本人なら一度は考える、死ねば極楽へ行くというもの。

    まず、阿弥陀如来さまが創ったと言われている、西方極楽浄土。

    今まで私は、極楽というのは最終目的地だと思っていたのですが、

    実はそうではなくて、

    浄土と言うのは、仏になるため(もしそういう到達点があるなら)、

    煩悩に惑わされずに自分を高めるための修行場なのだそうです。

    そして、西方にあればもちろん東方にも浄土はあって、

    東方にあるのは、

    東方浄瑠璃浄土と言う、薬師如来さまが創った所だそうです。

    で、この浄瑠璃浄土、一説には地球だとも言われているとか。

    これにはさすがにびっくり仰天!

    が、浄土が修行場と言うならば、地球がそうだとしても

    ちっともおかしくないかーと。

    瑠璃色の地球とか言いますし。

    ただまあ、地球はあまりにも煩悩に悩まされる、

    ユニークすぎるきらいのある修行場ですが。

    ここで思ったのが、Dilettanteさんがおっしゃった

    「星を創る」

    私は宗教的な盲信はありませんが、

    如来さまがいて、浄土というものを創りたいと願い、

    自分の願い通りの世界を創り、

    その話が残っているならば(この場合は経典ですが)

    星を創ると言う発想は、狂っているのでもばかでもないと、

    本気で思います。

    だって、経典にはっきり書かれているじゃありませんか?

    書いた人の妄想だとしても、人は自分が経験したことのない想像は出来ないとかいいますし・・・。

    最初の論点からずいぶん離れてしまってごめんなさいね。

    けど、本当に何というか、面白かったので!

    ここで言う面白いは、interesting の方の意味ですので、

    どうかお気を悪くしないで下さい。

    で、もし、将来、Dilettanteさんが星を創られたなら、

    もう私は地球にいないでしょうが、覚えておられたなら、

    どうか声をかけてやって下さい。

    きっと遊びに行きますから。

    • Dilettante Dilettante より:

      jubeeさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      私は宗教的な盲信はありませんが、

      如来さまがいて、浄土というものを創りたいと願い、

      自分の願い通りの世界を創り、

      その話が残っているならば(この場合は経典ですが)

      星を創ると言う発想は、狂っているのでもばかでもないと、

      本気で思います。

      だって、経典にはっきり書かれているじゃありませんか?

      そうですか、そんな話があるんですね。

      実は私のこの計画ももともとのアイディアは私のものではなく、

      自分たちで星とか創れたらいいのにね……

      と言われたことに対して

      ん?よく考えたら無理ってこともないんじゃない?

      と思ったことから本気で構想し始めたことなんです。

      ですから同じようなことを考えたひとが他にいてもぜんぜんおかしくはないと思いますし、そういう先例があるとするとますます私のプランも現実味を帯びてくるというわけなんですが、これは今のところはあくまでも

      「他にどうしようもなくなった場合の奥の手のひとつ」

      という感じなので、本当に実現するかどうかはまだ未定です。

      それにその際のいちばんの課題は、

      そもそも、自分のエネルギー(想い)が星ひとつの創造に足りるか?

      というところにあります。

      つまり私が、

      どうしても、どうしても、自分で星を創りたい!!

      と思うことと、そこまでに至る動機がないとできないということなんですが、現時点では、まだそこまではないでしょうね。

      ただ逆に言うと、もしいずれ私がそこまで思うようになったときには、きっとそれは実現するんでしょう。

      ですからあなたの言う

      如来さま

      であれ誰であれ、もし本当にそういう経緯でそういう場所を創ったんだんだとしたら、

      そこに至るまでには本当にいろんな葛藤や苦労があったんだろうなぁ……

      と、勝手ながらいろいろと思ってしまいます。

      ただいずれにせよ、私がこういう構想を練っているというだけでもあなたに

      面白い

      と思っていただけるのなら、それだけでも光栄だなぁと思います。

      それに私は

      「面白い・興味深い」

      を褒め言葉として受け取れるひとなので、まったく気にしないでください。

      いろいろとあたたかいお言葉をかけてくださり、ありがとうございます。

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