「にもかかわらず」の魔法。逆境が次々やってくる今だからこそ、誰もが魔法使いになれる

私はこないだ

「誰でも挑戦できる魔法習得への道」があったら、あなたはどうするだろうか?
私たちは誰でも多かれ少なかれ苦しみを抱えている。だからときどきどうしようもない気持ちになったときに、 あぁ、こんな問題を解決してくれる魔法が、どこかにあったらいいなぁ…… などと思ってしまうこともあるだろう。だが実のところその魔...

のなかで、

つまりこのような観点において魔法とは、

「一般因果律の否定・変革」

なのである。これをもっと簡単に言えば

魔法の核心には、「にもかかわらず」がある

ということなのであり、その意味で魔法使いというのは、「にもかかわらず」をたくさん保っているひとのことだとも言えるのである

と書いた。

それを踏まえて今回はさらにこれを補足しつつ、

こんな大変な時代に生きていることを「最高の恵み」に変えてしまう方法がある(そしてこれはつまり、なぜあなたがわざわざ今この地球に生まれてくることを選んだのかの、ひとつの答え合わせでもある)

ということを、一緒に確認してみたいと思う。

 

そのためにまず、

魔法の対極にあるもの(対義語・反対語)はなんだろうか?

と考えてみると、

それはたとえば、「普通」とか、「常識」だ

と言うことができると思う。そしてそういったものに沿って判断していると、概ね

「予想どおりの結果」

が返ってくる。そしてなぜ今の多くのひとがそれを好むかと言えば、

そういうふうに「普通の判断」や「常識的選択」を積み重ねていれば、たとえ失敗したとしても、「自分だけでその結果の責任(恥ずかしさ・後悔)を負う」ことを避けられるから

というのも大きいのではないかと思う。

そして私は別に、そうした想いや判断基準を悪いとか愚かだなどと思っているわけではない。ただ、

それは、魔法(習得の道)ではない

というだけだ。

では逆に、魔法とはなにかと言えば、最初に言ったとおり、その核心には

「にもかかわらず」

があると言える。そしてそのことを理解したとき、

「にもかかわらず」を体得・実践する機会は、「逆境のとき」にこそ現れる。だからその意味で、今の地球のように、黙っていても逆境が次々やってくるという状況は、魔法を会得する(飛躍的に成長する)のには、最高の機会だ

ということに、気がつくこともできると思う。

 

だからそういった意味で見ると、実は私自身が、

「たくさんの『にもかかわらず』に飛び込むことで、密かに魔法の力を集め身につけようとしている」

ということも確かな事実なのである。

たとえば、

「肉を食べるのは当たり前だし、そのほうがからだにもいいとたくさんのひとが言う『にもかかわらず』肉を摂らない」

というのもそうだ。

これがもし

「『肉を食べなくてもひとは健康に生きられるし、エネルギー的にもそのほうがずっとよくなる』ということが多くのひとに理解されてから(されたから)肉を摂らなくなった」

ということなら、そこから「魔法」はもう消え去っている。それはもはや「新しい常識」になったということなのだから。

そしてもちろん、

「霊の存在は基本的に全否定され、そんなことを言うひとは悪意の詐欺師か狂った精神病者だと思われている『にもかかわらず』自らの体験と見解を伝え続けている」

というのもそうだ。これも、今だからなおさら意味があるのだ。数十年後には、この「魔法」も今のようには通用しない。もちろん、それでも職人・技術者としての役割は在り続けるから、そこから意味・価値が消え去るということではない。ただそれはもはやあらゆる点で、「魔法」ではなくなるということだ。

いずれ、霊媒師は「技術職」のひとつになると予測している
この世には様々な「技術」を持った方々がいる。そしてその多くは「修練」によって身につけ、育んでいくことができる。逆に言えば、どんなことでも最初から完璧にできるひとなどいない。たとえば日本人ならほとんどのひとが「読み書き」の能力を持っているが、...
 

だがもちろん、私はここで自分だけの実践を自慢して偉ぶりたがっているわけではない。これは単なる「私の一例」であって、こうした

「にもかかわらず」

に触れそれを実践する機会は、今の地球になら文字どおり無数にある。

たとえば

「大切でかけがえないひとに自殺されてしまった『にもかかわらず』なんとかその後の毎日を生き抜こうとする」

というのもそうだ。それに私はこうした実例を、何人も知っている。さらにこういうひとたちのほとんどは私とは違い、

「あの世があることも、自殺しても後を追える(すぐ再会できる)わけではないということも、先立ったひとが自分を(複雑な思いはあるにせよ)見守っていることも、なんにも確信できない『にもかかわらず』生き続けることを選んでいる」

のだから、これは本当にすごいことだと思う。だからこういうひとたちがこの人生を乗り越えた先には、「言い表しようがないほどの魔法の賜物」が、その周りと自身のなかに、あふれることになると思う。

それにこれも私がとても深い感銘を受けた例なのだが、

「死は怖いものと多くのひとが思っている『にもかかわらず』それにやはり今は多くのひとが死後の世界などないと見なしている『にもかかわらず』遺していくひとたちに向けて、最後にバンザイを見せて逝った」

というひともいる。この証言とそこから生まれた「作品」は、

NHK ハートプロジェクト|イベント情報 福祉ネットワークスペシャル NHK介護百人一首
NHKでは「ひとにやさしい公共放送NHK」として「福祉」への取り組みをキャンペーン展開します。従来から、スポーツ、フォーラム、展覧会、チャリティーなど、様々なイベントや番組による福祉サービスに取り組んできましたが、今後総合的な展開を図ることにより、「ともに生きる社会」の実現をめざします。

に記録・公開されているものだ。私はこれを初めて見たとき、声を上げて泣いた。この女性が遺してくれた「魔法」が私も含めどれだけのひとを力づけるかと考えると、言いようもない感慨に包まれる。

 

ただ何度も言うように、これもすべては「一例」であり、他にも

「にもかかわらず」

の種は、あちらこちらにいくらでもある。

たとえば

「愛される(報われる)保証はない『にもかかわらず』愛し続ける」

というのもそうだ。

「理解される見込みは限りなく薄い『にもかかわらず』伝え続ける」

というのでもいい。あるいは

「もう2度と関われないかもしれない『にもかかわらず』想い続ける」

というのも、

「奪われた『にもかかわらず』さらに与える」

「裏切られるかもしれないのに、あるいは何度も裏切られたの『にもかかわらず』信じる」

というのも、

『つらくて苦しくてしかたがない『にもかかわらず』生き続ける』

というのもぜんぶ魔法だ。

こういうふうに言うと、

私には、こんな大それたことはできないですよ

などと思うひともいるかもしれないが、別にここまでのものではなくても、たとえば

「ファスナーが壊れた『にもかかわらず』それを洗濯バサミで留めて、室内防寒着として着続ける」

というのだって、充分にすごい魔法だと思う。もちろん諸外国と比較すれば

服があるだけでも充分に恵まれているじゃないか!

というひともいるかもしれないが、ともかくこれが

「現代の日本で実践されたこと」

だということを加味すれば、つまり今の日本人が行ったことだということを踏まえれば、やはりこれは充分に「魔法」だと言っていいと思う。少なくともこれは、

「現代日本の常識からは、完全に外れている」

のだから。それに以前

食費を削って流行を追うひとびとと、古着を纏って玄米を買う私
日本は高度経済成長を経て、世界でも有数の経済大国となった。しかし、日本が淡い幻想に覆われていたのは過去の話で、現在はそれを維持するのが難しくなってきている。政府がどんなに「景気回復」を喧伝しても、日本にも世界にもどんどんカネがなくなってきて...

なんて言った私だが、この発想と実践は私からは出なかった。だが私はこの話と、その後このひとが

最近数年ぶりに新しい(ちゃんとファスナーが閉まる)服を買うことができ、あたたかさに感動しています

という話を聴いたとき、やはりその「魔法」から、かけがえのない力をわけてもらったのである。

 

だからその意味で、私はやはり

今の地球においては、ただ日々を1日1日真剣に生きていくだけで、充分すぎるほど鍛えられ、魔法とも言えるほどの力を身につけることができる。なぜなら今は、「逆境が降り放題=魔法を集め放題=成長し放題」だからだ

と思っている。そして本当はあなたもそれをわかっていたからこそ今こうして一緒に生きているのだから、私もその仲間(同志)のひとりとして、お互いを励まし合い生きていけたらと思っている。それにある意味ではこの

「ボーナスタイム」

のような時代は、長くてもあと数十年で終わることになる。今のこの状態は、やはり

「異常」

だからだ。だからその反動も相まって、もうそう遠くないうちに、今度は

「圧倒的な順境」

がやってくると思う。そこでは、今とは真逆に

「不幸になる(不幸を感じる)ほうが難しい」

という状況が現れる。そしてもちろん、それは素晴らしいことだ。私もずっと、それを目指してきたのだから。

だが一方でそれは、

「魔法の核心」に触れる機会は、今よりずっと遠のく

ということを意味する。それにもう

こんなにしあわせな世界である「にもかかわらず」ここから不幸のどん底に堕とす

ということもできない。そう何度も同じ手を喰らう私たちではないということだ。血を吐く想いをしてきたことを、無駄にする気は誰もないのだから。

だからそういう意味で言えば、魔法を身に宿したいひとは、なおさら今を大切にしたほうがいい。こんな時代は、環境は、もうなかなかないのだから。ただいずれにしても、苦しみは早く終わるに越したことはない。だからしあわせは早く味わうほうがいいというのはまず間違いない。しかしそれでも、

「今こんなにも苦しい『にもかかわらず』一生懸命にあがきもがいている」

ことは、決して無駄にはならないということも憶えておいたらいい。いずれそんな私たちにたくさんの

「取材」

が依頼されるかもしれないが、実感に勝る経験はない。そして、羨ましがるだけでは、なにも得られない。だから私たちは、せっかく今生きている者として、大いにこの機会を活かそう。

「普通なら絶対に生まれたくない環境『にもかかわらず』わざわざ生まれることを選んだ」

私たちにはそれ相応のものを得られるチャンスがある。今ならそれはまだまだそこらじゅうに、転がっているのである。

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