場数。「年の功」と呼ばれるものとセンス(才能)の差、そして成長について

私は今までに数え切れないほどの霊と対話したり、ときには闘ったりしてきたのだが、そのなかでも

「特に忘れられない相手」

というのは確かにいる。その日、私はある霊から

近々かなりの強者がお前を狙ってくるようだから、充分に気をつけろ

と突然忠告を受けた。私は当時彼のことがとても苦手だったのだが、少なくとも冗談や軽口を叩くひとではないという信頼はあったので、それを重く受け止めるつもりはあった。だが、実際には、そのあとどうするかを考える必要はなかった。その話に出てきた当の本人が、その場で奇襲を掛けてきたからだった。

 

ここであまり事態の詳細について語ることはできないのだが、とにかく奇襲者の彼は私と私に忠告をくれたひと、そして事態をすぐ察知して駆けつけた共通の友人の3人を相手取って闘うことになった。つまり数の上では3対1、私たちが明らかに優位にあった。

だが実際に追い詰められていったのは私たちのほうであり、そのなかでもいちばんの弱者である私が、どうしようもなくダメージを蓄積していくことになった。

私は、内心圧倒的な衝撃を受けていた。それは、

個人的には苦手ではあるが私よりずっと強いはずの彼と、やはり私より強いはずの友人と一緒になってさえ、なお私たちが押し負けている

という事実にだった。私が今生において死を感じたのはこのときが初めてではなかったのだが、このとき感じたものは、その質においてそれまでとはまた一線を画するものだったのは確かだった。

しかしこのほとんど絶望的に思えた事態は、そのあと急転直下で収まることとなった。それは

「私たちよりはるかに強く、彼と伍することができる存在」

が、その場に到着したからであった。そして、それから奇襲者の彼が完全に退くまでには、10分もかからなかったのだった。

 

だからこれは私にとってあらゆる意味で本当に感慨深い経験のひとつなのだが、先日も私はふとこのことを思い出し、想いを巡らせていた。それは

なぜ、彼はあんなにも強かったのか?彼やあの場を収めることができたあのひとと私は、いったいなにが違うのだろうか?

という想いだった。そして同時に、私は彼が単なる

「負の霊」

ではないことを理解していた。もし彼が、

「自分の苦しみに呑まれ、他者のしあわせを妬み、すべてを混沌に堕とすことだけを目的とした存在」

だったなら、私があれほど無惨にやられることはなかったと思うからだ。少なくとも、3人がかりで相手にしてもほとんど歯も立たないほどの格の差が生まれたとは思えないのだ。

だから、残る答えはひとつである。それは、

私より彼のほうが、「踏んできた場数・潜ってきた修羅場の数」が圧倒的に多い

ということである。

彼は私よりもたくさんの哀しみ・たくさんの苦しみを経験してきたのだろう。彼は私よりずっと多く泣き、あるいは泣くこともできない日々をずっと長く過ごし、血を吐くような想いをずっとたくさんしてきたのだろう。暴れ喚いたことも、暴れ喚くことすらできなかったことも、私よりずっと多く経験してきたのだろう。枯れ落ちそうな日々も、腐り果てそうな想いも、ずっとずっと多く経験してきたのだろう。だからこそ、彼は私を軽々と踏み越えるほどの、圧倒的な境地に至っていたのだろうと、私は感じたのだ。

そしてそれは、あえてさらに平たい言葉で言えば

「年の功」

と呼ばれるようなものでもあるのだろうと、私は思ったのである。

私は肉体人に対しても霊存在に対しても、

「年齢」

だけを重んじるというつもりはない。ただやはり「長く存在している」ということは、

「それだけ多くの経験を積んでいる」

ということだと言うのは確かだと思う。そして昔から

子供叱るな来た道だもの

年寄り笑うな行く道だもの

来た道行く道二人旅

これから通る今日の道

通り直しのできぬ道

などと咏われるように、その年数や経験値によって、遅かれ早かれそれ相応の境地に至るというのは、実際にそうなのだろうとも思うのだ。

だから端的に言って、

それぞれに信念の違いはあるにせよ、私より上のひとたちから見れば、私はまだまだはるかに未熟であり、浅薄であり、幼い。要するに「絶対的に場数が足りず、経験不足だ」ということだ。だからいざというときに、その差があれほど歴然として顕れて来るんだ

と、私は思ったのである。

 

そもそも、前にも何度か言ってきたことだが、私は基本的に

自分にはセンス(才能)がない

という自覚を保っている。要するに私は要領が悪く、出来が悪いのである。だから、そんな私が他者と対等に、あるいはそれ以上に成長していきたいと本気で願うのであればどうするかと言えば、

他のひとよりもたくさん生まれ変わり、いろいろな境遇でいろいろな体験を積んで、身に染み込ませて糧にするしかない

ということになる。そして実際にそうしてきたのが、私なのである。

こうした

「魂の歴史・遍歴」

を含むような情報というのは、少なくとも今ここではどうしても証明のしようがないことなので、

「わからないひとにはわからないし、逆にわかるひとにはわかる」

と言うしかないのだが、今はわからないひとが多いからと言って見栄を張ってもしかたがないのでともかく正直に言えば、私はずっとそうやって生きてきたのだ。それでようやく、ここまでは来たということなのである。

そしてこれは、

才能のないひとが結果を出したければ、少なくともある程度のところまでは達したいというなら、「他のひとよりもずっと時間をかけて、労力を注ぎ込む」しかない

ということであり、たとえばスポーツでもなんでもそうだ。結局は

「基礎の徹底・反復」

であり、野球においての素振り、サッカーにおいてのリフティング、将棋における詰将棋をやり込んでいくしかないということなのである。自分に

「光るセンス・卓越した感性・少ない経験から多くを学び取れる器量」

(=私がここで言う「才能」)

がないとしたら、それしかない。そしてその総合が、

「生まれ変わり」(生まれて死んでの反復)

だということなのである。

 

たとえばあなたがピアニストになりたいと思ったとしよう。そしたら今生をずっとピアノに打ち込んで、それでも足りなかったら、来世もずっとピアノに打ち込んで、それでも足りなければ、またその次の生もピアノに一心不乱に打ち込んだらいい。そうしたら、いつかは必ず素晴らしいピアニストになれる。それに、あなたも何人か心当たりがあるはずだ。

「わずか2〜3歳にして、圧倒的なピアノの腕を持つひと」

などの実例を。私はそういうひとを見ると密かに、

お前さん、いったい何度めの人生なんだい?

と笑ってしまうのである。とはいえもちろん全員がそうだというわけではないし、霊のときから熱心に学んで準備していたのか、あるいはそうでなくても、

「初めからずば抜けた才能を発揮するひと」

というのもいるとは思うが、ともかく私たちが永遠の存在であるということは、そういう努力はいつかは必ずそれなりのかたちを成すという、そういうふうにできているということなのである。

 

だから私はそういう意味において、私より若い負の霊を見ると

せめてもう少し生きてみてから文句を言えば?そんな若さで諦めるなんて、そりゃあもったいない!

と思わずにはいられないし、肉体人のあなたにも同じようなことをよく思うのである。

ただ私は今回改めていろいろなことを考えてみて、前よりもなおいっそう穏やかな気持ちで、あなたを見ることができるようになれる気もしているのだ。だからと言って私はあなたを過剰に軽んじようとしているわけではない。そうではなくて、

それぞれのひとにそれぞれの段階があり、それぞれの歩幅がある。ただいずれにせよ、遅かれ早かれ、どこかには行けるし、前よりはもっとたくさんのことが、できるようになる

ということを、そんな当たり前のことを、少なくとも前よりは深く、腑に落とせたということなのだ。

あなたが苦しんでいたら、私は私なりになにかを言おうとすると思う。ただそれをあなたが受け入れてくれなくても、あなたが最期まで苦しみから抜け出せなかったとしても、それで私は

どうしてわかってくれないの?いったい他にどうしたらいいって言うの?

とは、少なくとも前ほどに強くは、思わないと思う。だって私だってわからなかったし、受け入れられなかったし、そもそも誰が味方で誰が敵なのかさえ、わからなかったのだから。

だから私はきっと、もっと辛抱強く待つべきなのだ。諦めるとか見放すとか侮るとかそういうことではなくて、

「自分なりの最大限を尽くしたうえで、あとは待ち、あなたに委ねる」

べきなのだ。そんなことは当たり前のことなのに、まだまだできていなかった。だからこれからは、もっとそうできるようになりたいと思うのである。

 

そしてこれは私が自分自身にも言い聴かせていることなのだが、

どんな苦しみも、いつかは必ず糧にできる

と、私は信じている。だからもしあなたが今生をずっと苦しいままで、傷ついたままで終えたとしても、それはいつかは必ず活かされるときが来る。なぜなら、あなたにも来世があるからだ。ずっとそうやって、つながっていくのだからだ。

これは「私が言い張っている」ことでも、「私が決めたこと」でもなくて、端的な事実なのだ。それによく考えたら、

「そうでないと不公平」

ではないか?

「スタートラインもコンディションも走る距離も違うのに、たった1回限りですべてを決める」

なんて、そんなのは誰が見たっておかしいではないか?

だから、私たちには永遠が与えられているのである。それに永遠のなかでは、ほとんどのものは相対化される。

いつからいつまで不幸だった

あの人生やあの人生は特に苦しかった

などということは、究極的には、どうということでもない。

そんなものは、いつでもいつからでも、塗り替えていける

のだから。自分が納得できるまで、いい思い出にできるまで、何度でも何度でも、這い上がればいいのだ。あなたさえその気になれば、ここはそうできる世界なのである。そしていつか

「あなたが特に大切にしたいもの・どうしても相対化されなかったかけがえのないもの」

を見出し掴むことができれば、それでいいのである。少なくとも私はそう思って、そのために、生きているのである。

 

だがそれでもまだあなたは、それを信じることができないかもしれない。それに、今のような風潮や「常識」があるなかにあっては、なおさらしかたがないとも思う。だがそんなあなたにもいつかは、わかるときが来る。それにあなたは私よりはずっとセンスがいいので、私よりはずっと早くわかることができると思う。だからあなたはあなたの歩幅で、進んできたらいい。そしてもうひとつ私から言えることは

なんだかんだ言って昔より今のほうが、ずっといい世界になっている

ということだ。これは肉体界だけではなく、霊界だってそうなのだ。だからきっとだいじょうぶだ。私も先人たちからそう言われて

ほんとにそう思ってるんですか?そんな無責任な……

などと何度も文句をつけてきたが、やはり全体的に見れば、そうとしか言いようがない。だからあなたもいずれ、今度はあなたより若い世代のひとたちに、同じことを伝えてあげられるときが来るだろう。そしてそれをお互いにもっと実感できる日が来ることを、私自身が誰よりも、もうずっと前から、楽しみにしているのである。だからたとえそれが今ではないとしても、今生ですらないのだとしても、それはそれでもう少しあとの、お楽しみとすることにしよう。

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  1. ぴーすぬ より:

    Mr.Childrenの蘇生という曲が浮かびました。

    理想と現実の差に、この人生でどこまでいけるんだろうと思うことがありますが、焦らず腐らずにいたいと思います。

    ありがとうございます。

    • Dilettante Dilettante より:

      ぴーすぬさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      Mr.Childrenの蘇生という曲が浮かびました。

      そうでしたか、それは

      Mr.Children「overture ~ 蘇生」Mr.Children TOUR POPSAURUS 2012
      Mr.Children「overture ~ 蘇生」Mr.Children TOUR POPSAURUS 2012 2012.12.19 Release

      ですよね。

      私も今回初めて聴いたのですが、こんなふうに思うひとが他にもいるならなおさら、私もがんばらないとなと思いました。

      理想と現実の差に、この人生でどこまでいけるんだろうと思うことがありますが、焦らず腐らずにいたいと思います

      はっきり言って今は現実のほうが腐りかけているわけですが、腐りきると今度は再生する以外にないわけなので、とりあえずもう少し生きてみていただければ、また違った景色が見えてくると思います。

      それに一般的には

      「魂の成長」

      と言えるようなレベルで成長するとなると、それこそ千年くらいかかってもぜんぜんおかしくないわけですが、今このときを生きていくのは通常の千倍くらいキツイと言ってもいいでしょうから、そうするとここで1年生きるだけで通常の環境でいう千年ぶん成長できると思ったっていいということになります。

      ということは10年は1万年に相当するわけですから、ここから1万年経つと思えば、10年後にはもうなにがどうなってもおかしくはないということになると思います。

      ただこういう

      「いちばんのお楽しみの前になんとしても潰す」

      というのが今までの常套手段だったので、そのせいでなにがなんだかわからなくなっていたということでもあるのですが、私としてはここからの10年は前からずっと楽しみにしていた

      「最高濃度の10年」

      になると思っています。

      それなのに2012年にひと足先に「世界の終わり」が来るなんて思い込まされていたひとがたくさんいたわけですから、つくづくもったいないことだと思います。

      ただここには少しだけ私の個人的な事情も関わっていて、全体としてはもう少し先になるかとも思っていたので、

      2020年になりました。今私が感じていることと、改めてのごあいさつ
      もう2020年も6日を過ぎました。いかがお過ごしでしょうか?

      というよりそもそも、昨年2019年はあなたにとってどのような年だったでしょうか?

      私にとってはやはり、

      いろいろなことがあったなぁ……

      と言うしかない年で...

      にも特に深くは書かなかったのですが、ここ最近の流れを鑑みるになんだかもっと早まりそうな感じもあります。

      個人的なことを言うと、私が今生で最も驚かされたのは、2017年でしたからね。だからそこから起算すると、

      「2017年から2027年までの10年間」

      が私にとってひとつの集大成になるかもしれないという予感はありますし、これについてももう時期が来た感があるので、いずれちゃんと書き記しておこうと思うのですが、そう考えると前から思っていた別のいろいろなこととも整合性が取れて、より深く腑に落ちる感覚があります。

      ですからともかくぴーすぬさんも、とりあえず1日1日という気持ちでいいので、もう少し生きてみてください。

      そうすればきっと、思ってもみなかったほど面白いものが見られた・つまりここに生まれてきた甲斐があったということを実感できる日も、必ず来ると思います。

  2. ぴーすぬ より:

    それはご紹介できてよかったです。

    私の中では既に、自殺は絶対しない、喜びを感じて生きていきたいと思えた時に、この人生意味があったなと感じたのですが、今ではもっと面白いものをみたい、この人生を活かしたいと思っています。

    欲張りなのかもしれませんが、だからこの千倍(!)大変な環境を選んできたのかもしれないと思いました。

    私も何となくですが、世の中が変わっていくきっかけになりそうな出来事が多いように感じます。

    苦しく感じることもありますが、10年後の世間や自分がどうなっているか、きっと喜びの方向に進んでいると楽しみにして日々生きていきます。

    Dilettanteさんがひとつの集大成を迎えられることを、陰ながら応援しています。

    そして10年後もその先も、よろしくお願いします。

    • Dilettante Dilettante より:

      私の中では既に、自殺は絶対しない、喜びを感じて生きていきたいと思えた時に、この人生意味があったなと感じたのです

      そうですか、それは素晴らしいことですね。あなたのおっしゃるとおりで、実際に喜びがあるかないかにかかわらず、

      喜びを感じて生きていきたい

      と自分で決意できていることそのものが、なによりの源泉になると思います。そしてそのうえで

      今ではもっと面白いものをみたい、この人生を活かしたいと思っています

      とおっしゃるなら、確実にそうなると言い切っていいと思います。

      欲張りなのかもしれませんが、だからこの千倍(!)大変な環境を選んできたのかもしれないと思いました

      というのも、いろいろな大変さを覚悟のうえなのですから、単なる「欲張り」とは明らかに違うわけですし。

      それに今の地球を生き抜いた暁には、そんじょそこらのどこに行ったって怖いものなしというくらいの経験を積んだと言っていいと思いますよ。

      なのでもし力を持て余すようなことがあったら、今度は他の星でも、存分に活躍していただければと思います。

      もちろんしばらくはというか好きなだけ、ゆっくり休んでもいいんですけどね。私も最初からそうするつもりで来てますし。

      私も何となくですが、世の中が変わっていくきっかけになりそうな出来事が多いように感じます。

      苦しく感じることもありますが、10年後の世間や自分がどうなっているか、きっと喜びの方向に進んでいると楽しみにして日々生きていきます

      ええ、それでいいと思います。私はその場しのぎの慰めを言いたいひとではないので、これは本当に楽しみにする価値があると思っていますから、あなたにもそれを身を以って実感していただける日が来たら、本当に嬉しいです。

      Dilettanteさんがひとつの集大成を迎えられることを、陰ながら応援しています。

      そして10年後もその先も、よろしくお願いします

      率直に言うと、私個人的には今から10年以上先となると現時点では軽々しく請けられないと思っているのですが、それでも本当には私も永遠の存在なわけですから、私がそのときどこにいようとも、あなたのしあわせをずっと願っているということはお約束します。

      それに私が維持管理できるうちは、この『闇の向こう側』が急になくなるようなことだけは避けようと思っていますし、私ももちろん精いっぱいを尽くしますので、それでも足りない部分はあなたにもできる範囲で継いでいっていただけたらと、そう思っています。

      とはいえそれほど複雑なことをお願いしたいわけではなく、

      あなたを見守り応援している守護霊さんの存在を認識し、負の霊の煽りには乗らずに、あなたらしく生きていってください

      という、その認識だけでも深めていっていただければ、あとはなんとかなると思いますから。

      それにそういう観点から言って、今回のコロナウイルスが、

      「症状(自覚)がなくてもウイルスに感染している可能性がある」

      というのも、とても示唆深いと思っています。霊だって、まさにこれと同じなわけですからね。

      だからこそ一瞬一瞬の精査と選択が重要なわけで、その意味でこれはまさに「いい準備運動」とも言えるのかもしれません。

      ですからあなたもお気づきのとおり、最終的にはきっと、いい感じになっていくんだろうなぁと思っています。

      私のことも応援してくださって、ありがとうございます。改めてあなたの人生がもっともっと、面白いものになりますように。

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