先日私は、

と書き、さらに

とも書いた。
そしてそうした思索をさらに続けていくうち、私は
自分の苦しみと、どうやって向き合い、付き合っていけばいいのか?
という問いに対する答えを、自分なりに深めることができた気がした。だから今回はそれを、ここであなたとも共有したいと思う。
そもそも、この思索というのは、
私はどうして、負の霊をどうしても看過できないのか?
ということを考え始めたところに端を発しているのだが、それをずっと考えているうち、私は
その理由はやはり、負の霊が「私の苦しみ」にいろいろなものを混ぜ、煽り、歪めてくるからだ
という答えにたどり着いた。
彼らは自分たちでもよく
俺たちはただもともとある「種」が芽を出して成長するのを早めてるだけだ!だから大本の種はぜんぶお前のなかにあるんだ!
というようなことを言ってくるのだが、これは確かに正しい。つまりたとえ負の霊が私になにもしてこないとしても、私のなかに苦しみはある。これはたとえば「傷」などと言い換えてもいいが、要するにこれはもともとは
「私の苦しみ」(傷)
であるということだ。ではその苦しみや傷はどこから来たのかと言えば、過去のつらい経験や哀しみが凝り固まったものだと言ってもいいと思うが、そういったひとつひとつの経験が私を私にしたのも確かなのだから、その意味でこれは「私のもの」だ。
もちろんそれがかたちづくられる過程で相手や周囲のひとを煽ったり歪めたりするのに負の霊の暗躍があったことも確かだろうが、それでも究極的には、それを苦しみとし傷として保ったのは自分自身だ。
つまり、
私は、「この自分の苦しみや傷からなにかを学び糧にしたいからこそそれを保っている」とも言えて、その意味において、私は「苦しみたいから苦しみたいぶんだけ苦しんでいる」と言ってもいいだろう
ということなのだ。だからもし話がこれだけで終わるのであれば、これは本質的に徹頭徹尾
「私の問題」
であり、負の霊は別になんということもないとすら言えるかもしれない。
だが実際には私は負の霊の存在をそんなに楽天的に看過することは決してできない。それは最初に言ったとおり、
彼らが私の苦しみにいろいろなものを混ぜ、煽り、歪めてくるから
なのだ。
私が私として苦しんでいるぶんにはいい。それは「必要なこと」だからだ。私は私の苦しみからなにかを学び取り、そこから成長していく必要があるし、自分でもそうしたいと思っているのだから。だがそこに負の霊が関与するというのは、まるで
「傷口を無理やり開き、そこに塩を塗って炙る」
ようなものなのである。そこにあるものは、もはや「私の苦しみ」ではなく、
「私の苦しみが弄ばれた結果生み出された、得体の知れない苦しみ(傷)」
でしかない。だからこそ私はそれを、どうしても看過できないということなのだ。
私は別にやたらと苦しみたいわけではない。ただそこに「理由」があり、それが「成長のために必要」なのだと、少なくとも薄々は気づいているからこそ、それを腑に落とし消化できるまで苦しみや傷として保っているのだ。だから
たとえ「積極的には望まないもの」ではあるにせよ、それは「私のもの」だ
と私は言いたいのだ。だが負の霊は、あらゆる隙を突いてそれを歪め、拡大し、増殖させようとする。それがダメだと、なんとしてもやめてほしいと、私はそう言っているのである。
だがもちろん、少なくとも今のところは、そんなことを「お願い」したくらいでやめてくれるような彼らではない。だから私は、私たちは、自分で気づいて対処しなければならない。ともするとすぐにでも「得体のしれない混ぜもの」にされてしまい、元の持ち主であるはずの自分自身や、大切な周りのひとたちまでも呑み込もうとするその
「原形」
を、なんとしても思い出さなければいけないのだ。
前に

というふうに言ったこともあるが、そういう苦しみや哀しみの感情も、そこから生まれた傷も、放っておくと負の霊によって簡単に肥大・変質・暴走させられてしまうから、それが彼らの常套手段だから、だからこそそれに気づいたら少しでも早いうちに
なんでこんなに怒ってるんだ?そんな必要はないでしょう
そんなに憎んでどうするの?そもそも私は最初はただ哀しかっただけだよ
「無視された」って思い込んでたけど、ほんとは声が届かなかっただけなんじゃない?
などどこからでもいいから、それを少しずつ少しずつでもほぐして、自分の手に取り戻してほしいのだ。そうしたら、本当は、もともとは、そんなにめちゃくちゃで大きなものではないはずだから。だってそもそもあなたがそんなに苦しんだのは、傷ついたのは、
相手が自分にとって影響力のある存在だった
からであって、それはつまり
相手が自分にとって、多少なりとも大切なひとだった
ということなのだから。だったらそんな大切なひとと、必要以上にいつまでもぶつかり合うなんていうのは、あまりに哀しすぎることなんだから。
そしてこれはもちろん、私たち肉体人だけではなく、負の霊であるあなた自身にもそのまま言えることだ。
あなたは、他のひとにも自分と同じような苦しみを与えることで、自分を理解して、共感してもらいたかったのではないかと思う。でもいつしかそのタガが外れ、自分が煽った苦しみに呑まれ傷つけ合っている様を見て、嗤うようになってしまった。たとえ今はまだそこまで行っていなくても、
「ちょっとしたイタズラ」
のつもりでしかないとしても、そんなことを続けていると、いつか必ずそうなってしまう。
それに、そんな
未熟で無様で滑稽な私たちを煽って嗤う
っていうのは、
かつて傷つき苦しみもがいていた自分自身を嗤うことと同じ
なのだ。
そしてそんなことには、本当は、私なんかに言われなくたってとうに気づいていると思う。
だけど、そんなことをいつまで続けていても意味がないのだ。そもそも、
他のひとにも自分と同じような苦しみを与えることで、自分を理解して、共感してもらいたい
という作戦自体に、土台無理がある。だって、
誰でもあまりにも苦しいと、自分の苦しみで心も視界も塞がれて、相手の傷や苦しみになんか、寄り添う余裕がなくなる
に決まってるじゃないか?だからあなたのやっていることは、無意味どころか実は逆効果ですらあるのだ。
もしあなたが相手に自分の苦しみや哀しみを理解してほしい・寄り添ってほしいと思うなら、あなたがやるべきことは
相手をとことん苦しめる・傷つける
ことではなく、
相手をどこまでもラクにして、ゆとりを作ってあげる
ことなのだ。そうすればいつかは、みんなちゃんと周りを見渡せるようになる。そしてあなたのこともちゃんと見つけて、一緒に話し合えるようになるから。きっと、そうなれるんだから。
それにもちろんあなた自身も、自分でできることはある。
他者の苦しみや哀しみを煽り増幅させる代わりに、「自分の苦しみや哀しみを、ちゃんと見る」ことから始めたらいい
のだ。
そしてちゃんと
自分は哀しかったんだな・つらかったんだな
ということに気づいてあげられたら、怒りや憎しみにかたちを変えてしまう前の素朴な
「あなたの哀しみ」
が涙となって現れるはずだから。
ここまでこじれた俺が、今さら泣けるわけないだろ!
と思うかもしれないが、だいじょうぶだ。時間はかかっても、きっと泣けるようになる。私が保証する。だから、だいじょうぶだ。
そしてそうやってひとしきり泣いたら、今度は寂しくなってくるだろうから、そのときはいつでも遊びにおいで。そう、もうこれは本当にどうしようもないんだけれど、私たちっていうのは結局は、みんなどこまでも寂しがり屋なんじゃないかと、私は思うのだ。だから、どんどん世界は拡大し、深化し、魂は増え続けていくのだろう。でもだからこそ、私たちはどこまでもつながっていける。それを愛だと思えるのなら、きっとそういうことなんだろう。

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こんにちは。
闇から光を見ている方のほうが、やはり、光を深く知っているのだろうなぁと感じました。
学生時代、「一般的に考えたら正しいことでも、それがいちばん良い方法とも限らない。世の中には色んな考えの人達が、一緒に住んでいるのだから、あまり考え方がかたよってはいけない」…と教えて頂いたのですが、こちらに来て、繋がったような気がします。
そして、ここに来た全てのひとに、理解してくれなくてもいい、信じてもらえなくても仕方ないとわかっていても、ブログを続けてくださっているのですか。
ありがとうございます。とても素敵ですね。
私は音や五感に対してトラウマがあったようで、こういった世界があることに気がついたのですが、スピリチュアル(…で、まとめていいのですかね?)用語がわからない為、気になる言葉を何個か打ち込んで、やっと、こちらのブログにたどり着くことが出来ました。
どのような分野から入っても、自分らしく楽しく生きること・すべてに感謝すること・無条件で愛すること…あたりだと理解するものの、なかなか日常生活で出来ていないですね。
これからも、自分自身を大切にしつつ、お仕事とブログを続けてくださると、とても嬉しいです。
ミヤコさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
そうですね、これは私からすると
この世界で生きていると、上下左右四方八方から様々な力を受けるので、そう簡単には偏らせてももらえない
と言ってもいいだろうと思っています。
たとえば私が霊媒師としての立場から発信していることというのは、現代では基本的に
「相手にもされない」
か、そうでなければまさに
「ベッコベコ・ボッコボコにぶん殴られる」
とも言ってもいいような扱いを受けても「普通」なわけですし、そこに負の霊などの概念を持ち込めばなおさら、
お前のしていることは、すべて独り相撲(勝手な妄想)なんだろ?自分で「負の霊」なんてありもしないものを創り出して、勝手に傷ついてるだけだ
なんてことを言われてもしかたないわけですから、そんななかで私の「偏り」を出し続けるというのは、当然容易ではないわけです。私がしていることを評価する・しない以前に
そもそも私がなにをしているのかすら、まともに見つめる価値があると思われていない
ということなんですからね。
ですがだからこそ、
のなかで、
つまりこのような観点において魔法とは、
「一般因果律の否定・変革」
なのである。これをもっと簡単に言えば
魔法の核心には、「にもかかわらず」がある
ということなの...
とも書いたように、
どんな圧力や誤解・誹謗中傷を受けたとしても、それでも手放せなかったものが、なによりの力になる
ということであり、それがこの世界で生きるひとつの醍醐味なんだろうと思うわけです。前に
のなかで、
中庸の徳たる 其れ到れるかな。民鮮きこと久し。
と言っているのが始まりともされているが、古代ギリシアのアリストテレス...
と言ったこともありますが、
「完全な中立・客観」なんて、そんなもの「没個性」でしかないじゃないか?私たちは、のっぺらぼうでも能面でもないんだから、その「個性」を本当の意味で、つまり半端な光が見せる、事実上の「同調圧力」などに負けずに、どこまでも育て続ければいい
というのが、私の立場です。なので
というふうに思ってもらえるのは本当にありがたいのですが、正直に言うとこれはそんなに褒められるものでもなんでもなく、ただ
こんな私が私であることを存分に発揮しようとしたら、こうなる以外になかったんです
と言うしかないんですよね。
ですからあなたが
とおっしゃるのに対しても、
あなたが本当にそうなりたいのであれば、いずれ必ずなれるでしょうからあせらずに1歩ずつ進めばいいんじゃないでしょうか?
と思いますし、私もそういう気持ちで続けていきたいと思っていますので、それをあなたにも活かしていただけるのなら、本当に嬉しいです。
いつもブログ読ませて頂いております。
有難うございます。
私は、私たちが永遠の存在である魂である事は小さい頃から疑う余地なく感覚として「知って」いる様に思うので、霊媒師としてあなたが霊的存在と関わっている事には全く疑いの余地なく、この苦しみを一体どうしたら良いのか分からなくて読ませて頂いています。
読んでいると色んな疑問が湧いたり自分の中に手放せずにいる苦しみが改めて頭をもたげて来、お聴きしたいと思いながらこの思考や感情を言葉にして伝わる様纏めるのが億劫で億劫でなかなか出来ずにいましたがやっとこの記事を読んで重い腰が上がりました。
私は人並外れて自己肯定感が低いのに負けず嫌いで嫉妬深く、妬み嫉み僻みの塊で、どんなに人からは良く見える行動も元を正せば「失いたくない、嫌われたくない、バカにされたくない、認めて欲しい、優れていると思われたい、、」と言う重たくて暗くて辛い欲求が原動力になっています。
素敵な人を見るとつらくて仕方ありません。
素直に素敵だな、凄いなって思ってその人を敬い応援できたらどんなにか楽だし、自分自身も幸せでしょう。
でもその逆です。
人の不幸や失敗でしか自分の存在価値を確認できません。
頑張って成功している人を見ると励まされるどころか自分とのギャップに焦りや不安や憤りを感じて心がザワザワし、疲れてしまうので、そうした人たちやそれに関することも見たくないし聞きたくありません。
こんなだから何をやっても、どんなに頑張っても、いつも満たされず
常に不足感と自己否定感と他への羨望と嫉みと不安と、、、そんな感情が渦巻いて、常時疲れていて何をするのも億劫で、動くのにとてもエネルギーが入りいます。
大したことをしてなくても自分にしたら力を振り絞っているので、それをわかって欲しいと言う思いがまた湧いてきます、、誰かに認めてもらわないと自分を認められないからエンドレスです。
みんなそれぞれ頑張っていて自分だけではないのに。
なのに同じように「自分が頑張っているのをわかって欲しい」と思っている人を見ると頑張ってるのはあなただけじゃないよとまた腹が立つんです。
この重さ、苦しみを手放したくてこの10年色んな本を読み、考え方や感じ方を変えて行こうと自分なりに心を整えようとあれこれ試みたり実際に行動も変えて、できる限りの努力をし、喜びや感謝や赦しについて少しの間だけ感じることが出来た気もしますが、結局は強くて激しい自己否定や嫉妬や怒りに塗り替えられ、その繰り返しで(喜びの感覚は束の間で、負の感覚が大半)
頑張ってきただけに疲れ切ってしまいました。
ここにある、リンクを含め苦しみについて書かれたブログを読んで一番感じたのは、ぬるいこと言ってるな、と言うことです。
寂しさや哀しみや痛みが大元にあるのはわかっています。それを癒したければ、癒して欲しければ、赦して優しくあるしかないと言うことも。
負の霊の影響もあると思います。
てまもこれらをわかっているからといって湧いて来る強い怒りや嫉妬や自己否定感は、とてもじゃないけどなんとか出来る様な代物ではない。
どす黒い痛みが奥深くにマグマの様にどろどろと流れ、吹き出すきっかけを常に探しています。人の不幸を願わずにはいられない。それがたとえ自分に返ってくるとわかっても、です。
赦しと暖かな思いやり、、愛だけが恐らくこの苦しみを乗り越えていく鍵なのかもしれない。でもそんなものが顔を覗かせる余地もないほどに苦痛が強い場合は一体どうしたら良いのか?
わかっていてどうにも出来ないこの苦しみを、どうにもならないこの思いを、人を貶めたいと言う強いこの欲求をどうしたら良いのか。何もわからず無意識で生きていた頃もとても辛かったけれど、わかってきたからと言って楽になるわけではなく寧ろ今の方が救いようが無いくらい辛いです。
ひとしきり涙も流してきました。叫んでもきました。寂しいのも自覚してます。でも、それらが姿を変えた怒りや破壊衝動や嫉妬や渇望感、、そうしたものがあまりにも強く、もう自分ではどうしたら良いのかわからない状況です。
あなたは自殺を止めますが、このようなことを願い続けるくらいなら私はできることなら消滅したい。でもそれは叶わないのだから、あなたの言う魂の墓場で石のようにただぼんやりと何にも感じず考えずにいられるならそれも良いのでは?と思うのです。
あなたのようにどうしたら他を苦しみから救えるのかと言う高尚な欲求や苦悩ではなくお恥ずかしいですが、素直な思いを記させて頂きました。
こうして全てを出せる場所がある事に深く感謝します。ありがとう。
無明さん、ようこそ、闇の向こう側へ。
ええ、それをどこまで表すかは別として、実際そのような印象を受けるひとも多いだろうと思います。
それに肉体人に限らず霊からだって、似たようなことはよく言われますからね。
ただあなたはそれをここまでまっすぐな言葉にして伝えてきてくださったので、私も私の想いを素直にお伝えしようと思うのですが、それはつまり
私がこんなに「ぬるいこと」を言えるようになったのは、私が「ようやくこのくらいまではぬるくなってきたから」なんだ
ということなんです。だってもし私が文字どおり「完全に凍てついている」ような状態だったら、わざわざこんな手間や労力をかけてまで誰かと自分の想いを共有しようなんて、思えるはずがないでしょう?
でも一方で、じゃあ私が今ぽかぽかとしたあたたかな気持ちでいられているかといえばまったくそんなことはなく、それもそれでこの『闇の向こう側』を見れば明らかだと思うんですよ。
だってもし私が実は元気に満ちあふれているしあわせいっぱいのひとなのに、こんな名前や色合いの場所を創ったというなら、そのほうが逆におかしいというか、なにかいろいろ不安になると思いませんか?
それに特に初期の頃の文章なんか、日に数回のアクセスもないことを前提にした、ほとんど独白(独り相撲)のような感じでしたからね。
だからそれを振り返ると、
あの頃は今とはまた違う意味で、いろいろやさぐれていたなぁ……
と、今でもそう思うんですよ。
ただ私が実際にはそんな「中途半端」なところにいることを認めてもなお、なぜこんなことを続けているのかと言えば、それは私が
もうこれ以上、自分だけで自分と向き合うのは限界だ。だからもうここからは、みんなと一緒にやる以外にない
ということを、本当に本当に、まざまざと思い知ったからなんです。
本当に自分と向き合いたかったら、ちゃんと周りを見るしかない。本当に自分を助けたかったら、みんなと助け合うしかない
と思ったから、私はここにいるんです。だからその意味において、私に対して
なんて思うのは、やっぱり間違っていると思うんですよ。私はそんなに立派ではないし、優しくもないんですから。それにこれは本当の意味では、「自己犠牲」でさえないんです。だってこれは結局、
「最後に自分がしあわせになるため」
に、やっていることなんですからね。
なのでちょっとヘンなことを言うようですが、もしあなたが霊として私に話しかけてきたのなら、私は
じゃあとりあえずあなたもここでゆっくり好きなだけ休んで、こんな私がどんな人生を送って、どんな想いで死ぬことになるか、興味本位でいいから、見届けていきなよ。しかもこれは「筋書きの決まった映画」なんかじゃない、「リアルタイムドキュメンタリー」なんだからさ、好きに予想して批評しながら、眺めていてくれたらいいよ
と伝えて、それにもしあなたが同意してくれたなら、その気持ちが変わらない限り、傍にいてもらうと思うんですよ。それに実際、そういう霊はたくさんいるわけですからね。しかも私はよく失敗したり血まみれ泥まみれになったりするので、
とおっしゃるあなたにも、笑って見ておいてもらえるだろうと思いますし。
でもあなたは今肉体人なわけですから、そういうわけにもいかないでしょう?しかも肉体人を匿うには、霊と違っていろいろ必要なものが多いですからね。それこそ場所もお金もなにもかもが、今の私には絶対的に足りないわけですし。
だからあなたに本当にラクになってもらうためには、やっぱりこの世界ごと変えるしかないんですよね。それは本当に大変なことなんですが、まぁ私独りでやるわけではないですし、耳を傾けてくれる霊もじわじわ増えてきた感があるので、それがもう少し強く肉体人を後押しして、本来の意味での肉体人との協力関係を取り戻す流れが大きくなっていくなら、おそらくはなんとかなりそうな気もしています。
それにいずれにせよ、私も私なりにやれるだけやって、ぜんぶ出せるだけ出し切ってから死のうと思ってますから。
だって、これは以前から
と書いてあることでもありますし、そもそも直感的にもきっとご理解いただけるのではないかと思うんですが、いったん死んで向こうに帰ってしまって、そこからまたここに生まれ変わるのって、そこがいちばん気合いが要るところじゃないですか?それなのにもしこんなところで中途半端に死んでしまったとしたら、そこからもう1回すぐに生まれ変わる気力を出せるかどうか、私は正直もうそんなに自信がないんですよ。だからこそ私は今回を「集大成」と定めてきたわけですし、それならなおさら
ばら撒けるだけばら撒いてから死のう
と、そう思ってる感じなんですよね。
逆に、もしあなたが今日明日にでも寿命で帰るんだとしたら、私もあなたを休めてあげたいとは思うんですが、たぶんあなたもそんな「設定」をしてはいないから、少なくとももうしばらくはこっちで生きることになるんだろうなと思うんです。しかも、もしあなたがご自分のおっしゃるとおり
だというのであれば、今ここで帰ってしまったりした日には
ほんのついこないだまで自分もいた世界で、みんながあんなにもしあわせになっている!なのになんで自分は、自分だけは、仲間外れなんだ……
なんてことになって、もういよいよ手のつけられないひとになってしまうかもしれないと思いませんか?
なのでやっぱり、あなたもまだもう少し、本来あなたが決めたその日までは、ここにいたほうがいいと思うんですよ。
それに私からすると、負の霊っていうのはある意味「そのひとの可能性が見えている・それを羨んでいる」からこそ、
こんな俺の思いにさえ心を折られるくせに、どうやってお前の理想を叶えられるって言うんだ?あんま調子に乗るなよ!結局お前も、俺たちと同じ穴の狢なんだよ!
と言いたいがために、躍起になって邪魔してくるとも言えると思うんですけど、でもそれって結局は、「期待の裏返し」じゃないですか?だから彼らがそれだけあなたに影響を与えているというなら、やはりそれはあなたにもそれだけの可能性があるということの証なんだろうと思うんです。だってもしあなたが
「わざわざなにもしなくたって最初から腐っているしどうにもならない」
と思われていたなら、そこまであなたに関わり続ける必要なんてないじゃないですか?
そして同時に、私はそんな負の霊に対しても
彼らはただとんでもなく不器用なだけで、確かに歪んでもいるかもしれないけど、でもやっぱり、知らんぷりして放っておけるわけないよなぁ……
と思うんです。それは結局、相手と自分の間に、多くの共通点を見るからでもあります。だから私はそんなひとに、墓場になんか行ってほしくないんですよ。だって彼らがそうなると言うなら、次こそはいよいよ、私の番かもしれないじゃないですか?
ですから、そんな私からするとあなたは私をだいぶ買いかぶり過ぎているとしか思えないんですが、逆に言えば先ほどからも言っているとおり、あなたは自分のことを悪く言いすぎじゃないかとも思うんですよ。
だって私はあなたのコメントをこうして読んでみたって、どうしても「応援の気持ち」しか感じ取れないんですから。もちろんあなたが自分のなかにある負の念を持て余して悩んでいるのは事実だと思いますし、その苦しみを軽んじるつもりもまったくないんですけど、でもあなたがもし本当に
というだけだとしたら、そこからこんなコメントが出てくるわけがないと思うんですよ。
確かに
はなかなか尖ったものではありますけど、それならせめてそれを最後に持ってくるか、なんなら他のなんかぜんぶ省いてこのひと言だけをコメントすればよかったんです。そうしたらあなたは私をそこから数十時間くらいは気落ちさせることができたはずだし、あるいはせめて
で終わっていたら、それもそれで私の意気をけっこう削れたはずなのに、それをあなたはよりにもよって
で包み込んでしまったじゃないですか?ここまでやってしまったら、いくら
なんて言ってみたところで、説得力はガタ落ちですよ。だから私はあなたのことをそこまでひどいひとだとは思えないし、むしろ先ほども言ったとおり、私はあなたに励まされたんだと、そう受け取っているんですよね。
と、こんなことを書いていたら、あなたから
に追伸コメントがあったようですね。なのでいったんこのお返事はここでひと区切り付けて送ることにしようと思いますが、もしあなたが返信したくなった場合は(もちろん無理に返信しなくてもいいんですが)、ひとまず私からの次のお返事を待っていただいてから、併せて返信していただければと思います。そうしないと流れがちょっと混み合って、わかりにくくなってしまいますからね。
というわけで既にいろいろと書いてしまいましたが、続きはまた改めてということで、どうぞよろしくお願いします。