苦しみを自分の手に取り戻す。これは「自分の苦しみ」だから、決してそれに呑まれるな

先日私は、

苦しみが「必要」だとはどういう意味なのか?ある守護霊さんたちと私の、率直な意見交換
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである 自身の作品でこのように著したのはトルストイであるが、これを少し言い換えて しあわせのかたち(理想形)はみんなだいたい同じよう...

と書き、さらに

3つの「とう」がひとを鍛えるという話に、あなたはなにを感じるだろうか?
ひとはな、「さんとう」を喰らってようやく大きくなれるんだぞ こんな話を私が最初に聴いたのがいつだったか、誰からだったのか、今となってはもう思い出せない。しかしもう相当前になるだろうその言葉は、私の印象に強く残っていた。 その ...

とも書いた。

そしてそうした思索をさらに続けていくうち、私は

自分の苦しみと、どうやって向き合い、付き合っていけばいいのか?

という問いに対する答えを、自分なりに深めることができた気がした。だから今回はそれを、ここであなたとも共有したいと思う。

 

そもそも、この思索というのは、

私はどうして、負の霊をどうしても看過できないのか?

ということを考え始めたところに端を発しているのだが、それをずっと考えているうち、私は

その理由はやはり、負の霊が「私の苦しみ」にいろいろなものを混ぜ、煽り、歪めてくるからだ

という答えにたどり着いた。

彼らは自分たちでもよく

俺たちはただもともとある「種」が芽を出して成長するのを早めてるだけだ!だから大本の種はぜんぶお前のなかにあるんだ!

というようなことを言ってくるのだが、これは確かに正しい。つまりたとえ負の霊が私になにもしてこないとしても、私のなかに苦しみはある。これはたとえば「傷」などと言い換えてもいいが、要するにこれはもともとは

「私の苦しみ」(傷)

であるということだ。ではその苦しみや傷はどこから来たのかと言えば、過去のつらい経験や哀しみが凝り固まったものだと言ってもいいと思うが、そういったひとつひとつの経験が私を私にしたのも確かなのだから、その意味でこれは「私のもの」だ。

もちろんそれがかたちづくられる過程で相手や周囲のひとを煽ったり歪めたりするのに負の霊の暗躍があったことも確かだろうが、それでも究極的には、それを苦しみとし傷として保ったのは自分自身だ。

つまり、

私は、「この自分の苦しみや傷からなにかを学び糧にしたいからこそそれを保っている」とも言えて、その意味において、私は「苦しみたいから苦しみたいぶんだけ苦しんでいる」と言ってもいいだろう

ということなのだ。だからもし話がこれだけで終わるのであれば、これは本質的に徹頭徹尾

「私の問題」

であり、負の霊は別になんということもないとすら言えるかもしれない。

 

だが実際には私は負の霊の存在をそんなに楽天的に看過することは決してできない。それは最初に言ったとおり、

彼らが私の苦しみにいろいろなものを混ぜ、煽り、歪めてくるから

なのだ。

私が私として苦しんでいるぶんにはいい。それは「必要なこと」だからだ。私は私の苦しみからなにかを学び取り、そこから成長していく必要があるし、自分でもそうしたいと思っているのだから。だがそこに負の霊が関与するというのは、まるで

「傷口を無理やり開き、そこに塩を塗って炙る」

ようなものなのである。そこにあるものは、もはや「私の苦しみ」ではなく、

「私の苦しみが弄ばれた結果生み出された、得体の知れない苦しみ(傷)」

でしかない。だからこそ私はそれを、どうしても看過できないということなのだ。

私は別にやたらと苦しみたいわけではない。ただそこに「理由」があり、それが「成長のために必要」なのだと、少なくとも薄々は気づいているからこそ、それを腑に落とし消化できるまで苦しみや傷として保っているのだ。だから

たとえ「積極的には望まないもの」ではあるにせよ、それは「私のもの」だ

と私は言いたいのだ。だが負の霊は、あらゆる隙を突いてそれを歪め、拡大し、増殖させようとする。それがダメだと、なんとしてもやめてほしいと、私はそう言っているのである。

 

だがもちろん、少なくとも今のところは、そんなことを「お願い」したくらいでやめてくれるような彼らではない。だから私は、私たちは、自分で気づいて対処しなければならない。ともするとすぐにでも「得体のしれない混ぜもの」にされてしまい、元の持ち主であるはずの自分自身や、大切な周りのひとたちまでも呑み込もうとするその

「原形」

を、なんとしても思い出さなければいけないのだ。

前に

怒りが狂気に変わる過程。決して、その「理由」を拡大させないでほしい
「怒り」という感情はとても強力なものだ。私は日夜たくさんの負の霊団と関わるなかで、多くの怒りをぶつけられてきた。そしてその過程で、負の念がいかに増幅されていくのかを見せつけられてきた。怒りはやがて「憎しみ」に変わり、最終的には「狂気」に至る...

というふうに言ったこともあるが、そういう苦しみや哀しみの感情も、そこから生まれた傷も、放っておくと負の霊によって簡単に肥大・変質・暴走させられてしまうから、それが彼らの常套手段だから、だからこそそれに気づいたら少しでも早いうちに

なんでこんなに怒ってるんだ?そんな必要はないでしょう

そんなに憎んでどうするの?そもそも私は最初はただ哀しかっただけだよ

「無視された」って思い込んでたけど、ほんとは声が届かなかっただけなんじゃない?

などどこからでもいいから、それを少しずつ少しずつでもほぐして、自分の手に取り戻してほしいのだ。そうしたら、本当は、もともとは、そんなにめちゃくちゃで大きなものではないはずだから。だってそもそもあなたがそんなに苦しんだのは、傷ついたのは、

相手が自分にとって影響力のある存在だった

からであって、それはつまり

相手が自分にとって、多少なりとも大切なひとだった

ということなのだから。だったらそんな大切なひとと、必要以上にいつまでもぶつかり合うなんていうのは、あまりに哀しすぎることなんだから。

 

そしてこれはもちろん、私たち肉体人だけではなく、負の霊であるあなた自身にもそのまま言えることだ。

あなたは、他のひとにも自分と同じような苦しみを与えることで、自分を理解して、共感してもらいたかったのではないかと思う。でもいつしかそのタガが外れ、自分が煽った苦しみに呑まれ傷つけ合っている様を見て、嗤うようになってしまった。たとえ今はまだそこまで行っていなくても、

「ちょっとしたイタズラ」

のつもりでしかないとしても、そんなことを続けていると、いつか必ずそうなってしまう。

それに、そんな

未熟で無様で滑稽な私たちを煽って嗤う

っていうのは、

かつて傷つき苦しみもがいていた自分自身を嗤うことと同じ

なのだ。

そしてそんなことには、本当は、私なんかに言われなくたってとうに気づいていると思う。

だけど、そんなことをいつまで続けていても意味がないのだ。そもそも、

他のひとにも自分と同じような苦しみを与えることで、自分を理解して、共感してもらいたい

という作戦自体に、土台無理がある。だって、

誰でもあまりにも苦しいと、自分の苦しみで心も視界も塞がれて、相手の傷や苦しみになんか、寄り添う余裕がなくなる

に決まってるじゃないか?だからあなたのやっていることは、無意味どころか実は逆効果ですらあるのだ。

もしあなたが相手に自分の苦しみや哀しみを理解してほしい・寄り添ってほしいと思うなら、あなたがやるべきことは

相手をとことん苦しめる・傷つける

ことではなく、

相手をどこまでもラクにして、ゆとりを作ってあげる

ことなのだ。そうすればいつかは、みんなちゃんと周りを見渡せるようになる。そしてあなたのこともちゃんと見つけて、一緒に話し合えるようになるから。きっと、そうなれるんだから。

それにもちろんあなた自身も、自分でできることはある。

他者の苦しみや哀しみを煽り増幅させる代わりに、「自分の苦しみや哀しみを、ちゃんと見る」ことから始めたらいい

のだ。

そしてちゃんと

自分は哀しかったんだな・つらかったんだな

ということに気づいてあげられたら、怒りや憎しみにかたちを変えてしまう前の素朴な

「あなたの哀しみ」

が涙となって現れるはずだから。

ここまでこじれた俺が、今さら泣けるわけないだろ!

と思うかもしれないが、だいじょうぶだ。時間はかかっても、きっと泣けるようになる。私が保証する。だから、だいじょうぶだ。

そしてそうやってひとしきり泣いたら、今度は寂しくなってくるだろうから、そのときはいつでも遊びにおいで。そう、もうこれは本当にどうしようもないんだけれど、私たちっていうのは結局は、みんなどこまでも寂しがり屋なんじゃないかと、私は思うのだ。だから、どんどん世界は拡大し、深化し、魂は増え続けていくのだろう。でもだからこそ、私たちはどこまでもつながっていける。それを愛だと思えるのなら、きっとそういうことなんだろう。

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  1. ミヤコ より:

    こんにちは。

    闇から光を見ている方のほうが、やはり、光を深く知っているのだろうなぁと感じました。

    学生時代、「一般的に考えたら正しいことでも、それがいちばん良い方法とも限らない。世の中には色んな考えの人達が、一緒に住んでいるのだから、あまり考え方がかたよってはいけない」…と教えて頂いたのですが、こちらに来て、繋がったような気がします。

    そして、ここに来た全てのひとに、理解してくれなくてもいい、信じてもらえなくても仕方ないとわかっていても、ブログを続けてくださっているのですか。

    ありがとうございます。とても素敵ですね。

    私は音や五感に対してトラウマがあったようで、こういった世界があることに気がついたのですが、スピリチュアル(…で、まとめていいのですかね?)用語がわからない為、気になる言葉を何個か打ち込んで、やっと、こちらのブログにたどり着くことが出来ました。

    どのような分野から入っても、自分らしく楽しく生きること・すべてに感謝すること・無条件で愛すること…あたりだと理解するものの、なかなか日常生活で出来ていないですね。

    これからも、自分自身を大切にしつつ、お仕事とブログを続けてくださると、とても嬉しいです。

    • Dilettante Dilettante より:

      ミヤコさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      闇から光を見ている方のほうが、やはり、光を深く知っているのだろうなぁと感じました。

      学生時代、「一般的に考えたら正しいことでも、それがいちばん良い方法とも限らない。世の中には色んな考えの人達が、一緒に住んでいるのだから、あまり考え方がかたよってはいけない」…と教えて頂いたのですが、こちらに来て、繋がったような気がします。

      そうですね、これは私からすると

      この世界で生きていると、上下左右四方八方から様々な力を受けるので、そう簡単には偏らせてももらえない

      と言ってもいいだろうと思っています。

      たとえば私が霊媒師としての立場から発信していることというのは、現代では基本的に

      「相手にもされない」

      か、そうでなければまさに

      「ベッコベコ・ボッコボコにぶん殴られる」

      とも言ってもいいような扱いを受けても「普通」なわけですし、そこに負の霊などの概念を持ち込めばなおさら、

      お前のしていることは、すべて独り相撲(勝手な妄想)なんだろ?自分で「負の霊」なんてありもしないものを創り出して、勝手に傷ついてるだけだ

      なんてことを言われてもしかたないわけですから、そんななかで私の「偏り」を出し続けるというのは、当然容易ではないわけです。私がしていることを評価する・しない以前に

      そもそも私がなにをしているのかすら、まともに見つめる価値があると思われていない

      ということなんですからね。

      ですがだからこそ、

      「にもかかわらず」の魔法。逆境が次々やってくる今だからこそ、誰もが魔法使いになれる
      私はこないだ

      のなかで、

      つまりこのような観点において魔法とは、

      「一般因果律の否定・変革」

      なのである。これをもっと簡単に言えば

      魔法の核心には、「にもかかわらず」がある

      ということなの...

      とも書いたように、

      どんな圧力や誤解・誹謗中傷を受けたとしても、それでも手放せなかったものが、なによりの力になる

      ということであり、それがこの世界で生きるひとつの醍醐味なんだろうと思うわけです。前に

      「中庸こそが大切」という意見もあるが、気になることがあれば、納得するまでとことんやってみるのもいい
      「中庸」という言葉や概念を耳にすることがある。これは古代中国の孔子が

      のなかで、

      中庸の徳たる 其れ到れるかな。民鮮きこと久し。

      と言っているのが始まりともされているが、古代ギリシアのアリストテレス...

      と言ったこともありますが、

      「完全な中立・客観」なんて、そんなもの「没個性」でしかないじゃないか?私たちは、のっぺらぼうでも能面でもないんだから、その「個性」を本当の意味で、つまり半端な光が見せる、事実上の「同調圧力」などに負けずに、どこまでも育て続ければいい

      というのが、私の立場です。なので

      そして、ここに来た全てのひとに、理解してくれなくてもいい、信じてもらえなくても仕方ないとわかっていても、ブログを続けてくださっているのですか。

      ありがとうございます。とても素敵ですね

      というふうに思ってもらえるのは本当にありがたいのですが、正直に言うとこれはそんなに褒められるものでもなんでもなく、ただ

      こんな私が私であることを存分に発揮しようとしたら、こうなる以外になかったんです

      と言うしかないんですよね。

      ですからあなたが

      どのような分野から入っても、自分らしく楽しく生きること・すべてに感謝すること・無条件で愛すること…あたりだと理解するものの、なかなか日常生活で出来ていないですね

      とおっしゃるのに対しても、

      あなたが本当にそうなりたいのであれば、いずれ必ずなれるでしょうからあせらずに1歩ずつ進めばいいんじゃないでしょうか?

      と思いますし、私もそういう気持ちで続けていきたいと思っていますので、それをあなたにも活かしていただけるのなら、本当に嬉しいです。

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