「過去とともに生きたら重くなる」なんてことは気にしなくていい。消化して糧にすればいいし、それすらできないとしても、まだ手はある

重いのと軽いのでは、どちらが好きですか?

こんなことを訊かれたら、あなたならどう答えるだろうか?これは本来は単なる「好み」の問題であって、どちらがいいとか優れているというような話ではないはずなのだが、現在の主流派は、圧倒的に

軽いほうがいいに決まってる

と思っているように見える。

これは一般に

自然の法則として、軽ければ浮かび上がり、重ければ沈み込む。そして上にあるのは「天国」(いい世界)であり、下にあるのは「地獄」(ひどい世界)だ

と解釈されているからなのかもしれないが、ともかくこのように

軽くなりたい!

と思うひとが増えると、

過去のことは過去のこととしてできるだけ早く清算して、今と未来に集中していきましょう!

などという意見が力を増すようになる。そのほうが、軽くなれるからだ。だから過去は「重苦しい余計な荷物」だということになるのである。

 

だが私からすると、

こんなには単なる好みの問題にすぎない

と思っているし、そのうえで個人的な好みを言えば

そんなに軽いよりは、むしろ重いほうがいい

と思っているのが私なのである。だからそんな私は、

「過去とともに生きたら重くなる」なんてことは、一切気にしなくていい

と、そう思っているのである。

そもそも過去とともに生きれば重くなるというのは思い込みである。私たちが食べれば食べたぶんそのまま太るわけではないのと同じように、過去も増えれば増えるほど重くなるというわけではない。そしてなぜ私たちがなにかを食べるのかと言えば、

「それを栄養を得て糧にするため」

だ。だから、過去についても同じように、

私たちは、過去をよく味わい、それを消化し糧にして、成長していけばいい。そしたら過去が増えたからと言って、「愚鈍」(鈍重)になるとも限らない

と、私は言いたいのである。しっかり味わって消化すればいいのに、そうしないうちに切り離し、吐き棄てるから重いものになるのだ。もちろん私も

すぐにでも吐き出したいほど嫌いなものでも、ただ延々と噛み締め続けなさい

なんて、そこまで酷なことを求めているわけではない。ただ、

本当は自分にとって大切なものだからここまで手放せなかったのなら、それがあったからこそ今の自分があるというほどの過去なら、それを切り棄てて軽くなったところで、「あなたのしあわせ」にはならないと思いませんか?

と問いかけたいだけだ。そして私自身にこの疑問があるから、私はそもそも

「過去を無理やり清算してまで軽くなりたい」とは、どうしても思えない

のである。そしてだからと言ってその先にしあわせがないとはまったく思っていないから、今こんな話をしようとしているということなのだ。

そしてさらに言えば、私は

「重さ」と「厚み」と「深み」はすべてつながっていて、一方で軽さはともすると「軽薄さ」や「浅はかさ」に転じかねない

と思っているのだ。ただこれに対しては、

そんなのは捉えかたによってなんとでも言い換えられるじゃないか!

という反論があっても当然なので、

ええ、そうですね。だからやっぱり、これは私の好みの問題なんです

と言うべきなのだろうと思っている。

 

たとえば嵐が来るときに、誰かが

嵐の影響範囲よりずっと上空に舞い上がってかわそう

という手段を選ぶのに対して、

ずっと深くまで根を張り巡らせて、嵐が通り抜けるまでやり過ごそう

という手段を選ぶのが私のようなひとだというだけで、本来これは優劣ではない。好みの違いである。

だが、今はあまりに片一方に好みが偏ってしまったように見えるので、その結果

「重いひとが重いままで自分らしく生きていく」

という方法があることが忘れ去られてしまうのではあんまりだから、私がここに書き残しているということなのだ。

だから私は別に、軽さを全否定しているわけではない。それは私の眼には優雅にも映る。その臨機応変さ、そのしなやかさは素晴らしいと思う。だが、私が求めるものはそれとはまた違うやりかただということなのだ。そして私自身には、そのやりかたのほうが肌に合っているということなのである。

だからもしあなたにもどうしても忘れられない過去があるとしたら、そしてそれが「どうしても忘れたくない過去」だと言うのなら、それを切り離す必要はない。それはあなたの一部を殺すことになってしまうから。

私がかつて

新しい自分に変わるためには、古い自分と訣別する必要がある
私たちのからだは、日々細胞レベルで新しく生まれ変わっている。半年もすればほぼすべての細胞がまた新しいものに入れ替わっていることが知られているのだから、その意味では「あなた」は過去の<あなた>とはまったく違う存在になっていると言える。だが、あ...

と言ったのは、今とはまた違う文脈のなかでのことだ。つまりあなたがもし

「忘れたいのに忘れられない・切り離したいのに切り離せない過去」

を持っていると言うなら、それはみんなの協力を得つつ切り離し、軽くなればいいと私も思う。だがそれが

「あなたの核心を成すほど、あまりにも大切で分かち難い過去」

なら、それはやはり大切に持っているほうがいいと思う。誰がなんと言おうと、私はそう思う。

そしてそれと向き合い続け、消化して糧にすればいいのだ。そうすればあなたは文字どおり、その過去と一体になれる。それはもはや単なる「重み」や「枷」ではない。あなたの「力」であり、深みそのものである。

 

だがそれでも、

そんなに簡単に消化して、糧になんかできない!だからどうしようもなくて、棄てるしかないかと思ってるくらいなんだ!

というひともいるだろう。だがそれならそれで私は「もうひとつの道」を提案したい。それは

どうしても消化できないそれを胸から取り出して、想いを込めて大切に磨き続ける

という方法だ。するとやがて、それはかけがえのない美を纏う宝石になる。そして10年100年1000年と、磨けば磨くほどそれはどこまでも深化する。

これはやってみたひとにしかわからないことだと思うが、やれば嘘でも冗談でもないとわかる。今はやるひとがほとんどいないから、知られていないだけのことだ。しかしそもそもこれは「どこかの誰か」とか「不特定多数の誰か」に見せびらかすために創られたものではないのだから、知られていないのも当たり前だと言える。

だが

「他にどうしようもなかったひと」

は、静かにそうしてきたのだ。そうやって、なんとも言いようがなくかけがえのないものを創って、さらに磨き続けてきたのだ。だからこういう情報が必要なひともずっと昔から脈々といて、そういうひとのために、私も今これを書いている。そして私は相も変わらず、あなたがあなたのしあわせを掴んで育んでいけることを、ずっと願い続けている。

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