鏡で自分自身を見る。そこで30分も話し合えば、あなたもきっと変わっていける

他者は自分を映す鏡だ

とはよく言われる。

これは

他人の振り見て我が振り直せ

というような意味合い、つまり

意外に私たちは似通っているものだから、相手の至らないところが見えたときには、併せて自分自身を省みなさい

という意味で捉えることもできる。

ただここからもう少し派生させると

私たちは基本的に似た者同士が集まりやすいから、あなたの周りにいるひとやあなたが周りに置くものを見れば、あなた自身のことも見えてくる

ということだとも言えるので、

あなたの友達を5人見れば、あなたのこともわかってくる

あなたが好きな本を5冊挙げてくれたら、あなたのことがわかると思う

などと言われるのも、そういう観点から来ていると言える。

 

だから、私たちは生きているだけで自然と学び合えるというわけなのだが、このように

「誰かを通じて、そのひとを見る」

なんていう回りくどいことをしなくても、本当はそのひとを理解したければ、そのひと自身を見るのがいちばんいいというのも確かだ。

そしてそれが最も凝縮されているのが、リンカーンが言ったとされる

Every man over forty is responsible for his face.

(40歳も過ぎたなら、誰しも自分の顔に責任がある)

という言葉だと言ってもいいと思うが、私たちはそうして相手の顔を見る時間はたくさんあっても、自分の顔を見る時間は圧倒的に少ないものだと思う。

もちろん、たとえば顔を洗ったり歯を磨いたり化粧をしたりするようなときには、鏡で自分の顔を見ることもあるだろう。だがそれは実のところ

「なにかのついで、あるいはなにかのために顔を見ている」

に過ぎないことがほとんどで、顔自体に注目して、しっかり観察しているわけではない。だからその意味で、私たちはほとんど、自分の顔をちゃんと見ていないのだ。

 

だがだからこそ、自分の顔、つまりはそこに顕れている自分の状態をよく見るために、自分で自分自身の顔を見る時間を意識的に持つことはとても大切だと、私は思う。

またこうしたことに関連して

鏡に映る自分に笑顔を向ける習慣をつけると、人生が明るくなりますよ!

というようなことを言うひともいるし、私もそれにそれなりの理があることはわかるのだが、私としてはそれもやはり不十分というか、核心を突いてはいないと思う、なぜならそれもさっきの「化粧」などと同じで

「『笑顔を作る』という動作、あるいは『その結果できた笑顔』に注目が向かいすぎて、なんともなしに鏡に向かったその瞬間の、『最も自然で日常的な素顔の状態』を見逃してしまう」

からである。

だから私としては、もっとできるだけ単純化して

1時間、あるいはせめて30分でいいから、鏡に自分の顔を映して、そこで自分と話し合ってみてください

と提案したいと思う。それを続ければ確実に、あなたの人生もいい方向に変わり始めると思うのだ。

 

この1時間あるいは30分という時間を取ることは、とても大きな意味がある。たとえばあなたがそうしたければ、その時間の最初のほうで、笑顔を作ってみたりしてもいいのだが、そんなことはせいぜい5分か10分もすれば続けられなくなる。だからいずれにしても30分もあれば、あなたもきっと自分の

「素顔」

を見ざるを得なくなると思う。だからそこから、自分と話し始めればいいのだ。

私自身で言えば、私がこれを実践するのは特に

「自分の状態が悪くなっている・あるいは悪くなりつつあるという自覚があるとき」

だ。

具体的に言えば、たとえばちょうど2年前の2018年、あるいは7年前の2013年の今頃の私が鏡を見たら、それはひどい顔だった。

「これが自分の顔だとは思えない・3分も直視できない顔」

と言えば、そのひどさが少しは伝わるだろうか?まさに

このまま誰かに顔向けするなんてできるわけがない

というような顔で、だから私もなんとか精いっぱい「外向けの顔」を作っていたのだが、そんななかでも自分だけは自分の「素顔」を知っていたし、きっとそれはある程度は必ず、隠しきれずに外に漏れ出していたと思う。

それは別の言いかたで言うなら

「死相・いわゆる『死神』に取り憑かれたような顔」

だったと言っていいと思うが、そんな状態ではどんなふうに生きてもろくなことが起きるはずはないし、かといってここまで「現実」を知っている私が自殺でもしようものならもうどうしようもないというわけで、私は折に触れては自分に気合いを入れていた。それにもうそこまで来ると直接鏡を見なくても「自分の最悪な顔」が浮かび上がってくるわけで、それが浮かぶ度に人気のない場所で気合いを入れるという、その繰り返しだった。そしてもちろん時間のあるときは、もっとじっくり自分と話し合った。それはつまり、

今このまま死んだら満足なのか?勘違いするなよ!そんな顔をするために生まれて来たと思ってんのか!

というような気合いを入れて、

わかってるわ!生きなきゃいけない以上生きるから!生きるしかんないんだから!

くらいは自分に言わせるという、そういうことである。

 

これは傍から見るとあまりにも奇怪な行動に思えるだろうが、ただ独りで黙々と自問自答する以上に、

「鏡に顔を映しながら直接自分と対話する」

というのには、すさまじい効果があると思う。

そしてその甲斐もあって、私は今もこうして生きている。課題や苦しみはいろいろとあっても、

「それなりに顔向けできる顔」

にはなっていると思う。そしてそんな当時に書いた

不幸だから死ぬのではなく、不幸だからこそまだ生きなければいけない
生きていることは罰ではない。私たちはしあわせになるために生まれてきた。しあわせにいるために生まれてきた。だから本当には、いつもしあわせを感じられていて当然だとも言えるし、そうでないような状況は、「異常事態」である。

という文章は、なにより私自身にとって大きな財産になっていると思う。

 

だからこそそんな私はそれなりの実感を込めて、あなたにも

「鏡で自分の顔を見ながら、せめて30分話し合ってみる」

という方法をお伝えしておこうと思うのだ。ただこれは特に最初はけっこうつらいと思う。だがやってみる価値はある。それに一般論として、

今の自分はこんなにひどい顔なんだから、まともじゃないな

ということがわかっていれば、

今の自分の感覚はあまり当てにならない。今の気持ちに沿って決断・選択するのはやめておこう

というような手の打ちようも出てくる。本当はそんなときに大切な話し合いがあるというなら避けられるに越したことはないのだが、たとえ避けたり延期することは叶わないとしても、「今の自分の危なさ」を理解していれば、理解してないよりはまだいいと思う。

そしてこれはもちろん、

「自分の調子がいいことを確認する」

のにもそのまま活かせる。

鏡に映る自分が自然に笑みを溢しているようなとき、自分の心になにがあるか、自分の核心にどんな想いがあるかを知っておくことも、とても重要なことだ。そしてなにより

「どうすればそのいい状態を保てるか」

を考えるということは、計り知れない価値がある。そのためにも

自分がいい状態なのはどんなときで、自分が悪い状態なのはどんなときか、そしてなにより、今の自分はどんな状態なのか?

というデータを具体的に集めておくというのは実に役に立つのである。そしてそのうえで、

あなたも私も誰もが、いつかは心から笑うために生まれてきた。だとしたら私は今から、どういう方向に向かって、どんなことをしていきたいのか?

と問い続けることができれば、きっとそんなに悪いことにはならない。つまりあなたが死ぬときに、あなたが少しでも笑えているならそれでいいということだ。どんな紆余曲折があるにせよ、すべてはそこへ向かうための、過程でしかないのである。

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