今まで私がここに書いてきたたくさんの文章というのは、基本的に
「霊的なことについて少しでも興味を持っているひとが、いきなり読んでもある程度理解できる(段階的に学びを深めていける・検証できる)」
という観点から書いてきたもので、だからこそ私は自分がここで用いる、一般的ではない概念については、それをひとつひとつ説明するところから始めているというわけだ。
だが今回は少しだけ趣向を変えて、ちょっと専門的な話をしてみようと思う。
霊媒師が身につけるべき「技術」(素養)とは、いったいどんなものなのか?
という話である。
私は以前から

と言ったうえで、

という見解を伝えてきた。そしてそれはもちろん、今でも変わっていない。
だが少なくとも今のような社会においては、そもそも霊存在自体が認められていないのだから、
「霊媒師が身につけるべき技術・素養」
などと言われても、なんのことやらさっぱりわからないと思うし、
「煙に巻いたような怪しい話」
と見なされてしまってもしかたがないとも思う。
しかし私からすれば、もちろんそうしたものはあるのだ。だからこそ霊媒体質というのはちゃんと自分のためにも他者のためにも活かせる可能性があるのだし、私も日々ずっとそれを磨き成長していこうと思えるものなのである。
だからその一端をはっきり共有するために、まずは私なりの理解をまとめた
「霊媒師(シャーマン)の能力・技術の要素分け」
を見てもらいたいと思う。それが
- 感知・情報収集(相手のエネルギーや情報を感知・収集する)
- 祭祀・補助(相手を支え祐ける・相手の力を底上げする・全体を調和させる)
- 仲介・交渉(霊と霊・霊と肉体人・肉体人と肉体人の仲介をする・情報や見解を伝える)
- 戦闘・鎮圧(負の霊・凶暴な霊・落ち着きを失った霊を鎮め、浄める)
という4つである。それではひとつひとつ、順に見ていこう。
まず1についてだが、これは単純に言うと、
「相手の言葉や直接的な情報提供に依らずに、相手の体調や心境、あるいは個人情報や過去、そして未来の可能性などの情報を感知・収集できる能力」
というような意味合いで分類した能力である。この能力を磨き上げると、たとえば
「初めて会ったひと、あるいは直接会ったこともないひとの過去を言い当てたり、心に想い描いたものを共有したりする」
といったことや、
「迷宮入りしそうな事件の捜査に協力して解決する」
といったことができるようになるというわけだ。そしてこの能力は、よくも悪くも目立つし、検証されやすいと思う。
次に2についてだが、これも単純に言い換えると、
「その相手や集団、あるいは場のエネルギーを引き出し、高め、全体として中和・調和させる」
というような意味合いで分類した能力である。この能力を磨いたひとが近くにいると、それだけで気分が好くなったり、集団のひとりひとりのやり取りが円滑・柔軟・融和的になったりする。あるいは他の霊媒師と協力して、たとえば
「審神」(霊の素性を確かめる)
の役割を果たすようなことも、広い意味でここに分類してもいいと思う。このようなひとたちは言うなれば
「最高の補佐役」
のようなものだと言ってもいいだろう。
では3についてはどうかと言うと、これは
「ともかくいろいろなひとたちの間に入り、想いを伝え合ったり、問題を解決する糸口を探る手助け・交渉をする」
というような意味合いで分類した能力である。
そしてこれはもちろん
「縁ある霊存在(たとえば既に死んだ近親者)と肉体人の間に入る」
ということも含まれるので、ある意味最も
「霊媒師」
という一般的なイメージに近いものだとも言えるかもしれない。そしてこの
「断絶したひとたちの橋渡し役」
というのは、確かに霊媒師にとってとても核心に迫る技術(素養)だとも、私は思う。
そして最後に挙げた4については、これはもうこれ以上なく単純に
「戦闘・鎮圧(負の霊・凶暴な霊・落ち着きを失った霊を鎮め、浄める)」
と書いたとおりである。もちろんすべてが穏やかな話し合いで済むのならそれがいちばんではあるのだが、相手が暴力や数でこちらを否応なく圧倒しようとした場合、自分や他者を護るためには、こうした技術・素養を保った存在が必要だということだ。何度も言うがこんなこと(戦闘)は本来はしないで済むほうがいい。だが少なくとも今のところ必要なのだから、然るべきひとがその役を果たさなければいけないということである。だが
これはあくまでも「相手を対話の場に就かせる(どうしても整理できない想いを吐き出し、ぶつけさせる)ための手段」であって「目的」ではない
という認識は、絶対に逸脱すべきでないと思う。
そしてこのようにざっと見たうえで改めて言うと、やはりこの4つは
「とりあえずの分類」
に過ぎず、実際にはお互いに重なり合い、影響し合っているものだということもわかってもらえると思う。そして本当はどの霊媒師もこのような要素をすべて持ち合わせ磨き続けるに越したことはない。だがそうは言ってもやはりひとりだけでなんでもやるというのも限界があるし、それぞれに適性の差もあるわけだから、それぞれに合ったやりかたを究めつつ、みんなで補い合って目的を達成していけばいいということなのだと、私は思っている。
そしてそうしたすべてを踏まえたうえで、やはりこうした役目を果たすことには意味があるし、それは必要なことでもあり、やりがいもあることだとは、私も確信している。それに霊というのは数限りなくいるわけだし、それが今はほぼ全員がなにかを訴えようと思っているわけなのだから、本当の意味でその道を行こうとするひとは、まだまだあまりにも足りないのだとも思う。
だがだからと言って、このような道をましてや今行こうとすることは安易に勧められるものでは決してないし、それをマニュアル化したり文章だけですべて伝えたりするというのはどう考えても無理なので、私もそんなことを押し通そうとは思っていないし、そんなことはできない。
だがそれでも、これからは霊的なことも含めた真実の探求や理解が、誰にとってもますます必要になるだろうということを考えれば、こうした私なりの見解をここに書き残していくことにも意味があるのだろうと思う。そして最後に前にも何度か言ってきたことをもういちど改めて伝えて結びとしようと思う。それは
霊媒師の道を行こうとするならまず第一に「未知に踏み込む・不確定ななかで自分らしさを保つ」という決意・気概が問われる
ということである。そしてこれはもちろん、私自身が何度も自分に言い聴かせていることでもある。あとは
卑屈にならず傲慢にならず、過度に楽観も悲観もせず
というのもそうだ。もちろん、実践するのはいつまで経っても簡単ではないのだが、私も私なりに、やってはみようと思っている。

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