負の霊は契約で縛り、守護霊は鍛えて成長させる。これを理解したうえで、あなたはどちらと組みたいだろうか?

以前私は、

「5億やるから俺に従え」。霊に取引を持ちかけられたとき
信頼できるひとに、 私と一緒に仕事をしよう と言われたらどうするだろうか?私なら内容を吟味したうえで、前向きに考えてみたくなる。それでは、相手が初対面の人物ならいかがだろうか?ましてや、初めて出会った霊存在に、 5億やるか...

という体験を書いた。

実はここには、負の霊がよく好む手法が如実に顕れていると言える。

それは、

「契約(取引・対価……)で縛る」

という、この手法だ。

負の霊はこういうかたちで「契約」を結ぶことで、

これは相手の自由意志に基づく手助けだ!

と言える建前を得る。そして、

「本人(主体者・最終責任者)の意志・選択が最も尊重される」

という原則があるのも確かだから、それが強固になると、守護霊もほとんど手を出せなくなる。だから様々な意味で、これには

「負の霊の戦略」

が顕れているというわけだ。

ただ、それが契約である以上は、負の霊もなにかを渡さないといけないわけなのだが、それは多くの場合

「カネ・権力(名声)・一時的な愛」

の3つに集約される。そしてこれは実のところ、負の霊にはわりと簡単に動かせるものなのである。

あるいは、もし契約当事者の負の霊にそれを与えるだけの力がないとしても、その負の霊が、さらに上位・強力な負の霊と契約を結んでいて、

コイツに契約を呑ませることができれば、あとは俺が対価の接受を代行する

というようなかたちになっていたとしたら、それは実際に実現可能だということになる。それに、さらにあくどい場合には、

「契約を結んだ当事者が死亡した場合には、その契約の履行を免除する」

というような隠し条項があって、こちらが契約を呑んだあとでより上位の負の霊が契約者の霊を潰すことで、実質ノーリスクになるという手法でさえ充分にあり得る。

ただ、ここで最も重要なことは、

ある程度以上の力を持った負の霊であれば、私たちの欲望や弱み(隙)をよく研究したうえで、それを与えることは、実際に可能だ

ということだ。そして実際にこのような契約を交わしているひとは、どうやらそれなりにいるのだろうとも思う。

 

では、当然そのもう一方には

「私たちが差し出す対価」

があることになるのだが、それはほぼすべての場合で、

「死後の魂の隷属」

ということになる。このあたりについて、

そんな存在と契約したら、いずれ必ず病気に罹るのでは?

という見解を持つひともいると思うが、私からすると

そうやって心身が病気になるのは魂の本質(喜びの深化)に反するエネルギーを受け続けたことによる「結果的な副産物」のようなものに過ぎず、契約の対価そのものではない。だからもし、意図的に自分のエネルギーを相手と混ぜ合わせたり近づけたりすれば、「ずっと負の霊の力を受け続けながら、健康に生を全うする」ということも、充分に可能だ

と思っている。とはいえこれにも負の霊の格や力によって差はあるのだが、

本当に強い負の霊であれば、たかが「人間を数年・数十年病気で苦しませる」ことを対価と見なすわけがない

ということなのだ。

つまり

複雑な契約をきちんと理解し、相手を尊重し敬う姿勢でお互いのエネルギーを融和させれば、たかだか人間の一生の間くらいは、「負の霊と一見平和に共存し、お互いの望みを叶える」こともできる

ということである。

 

だがもちろん、私は何万回頼まれようが、どんな条件を提示されようが、負の霊と契約するのはまっぴらごめんである。

というのも、

たかが数十年の表面的な快楽・願望の対価として、「その後数千年、あるいはそれ以上に亘る隷従」を差し出さなければいけないなんて、どう考えても割に合わないし、土台から破綻している。つまりここには検討の余地もない

ということなのだが、特に今のような社会にあって、「死後の世界」とか「数千年の隷従」などと言われても、現実味がなさすぎてよくわからないのだろうと思う。それにそもそも人間には

「『理解できない、そして遠い未来に起こるかもしれないが、近いうちはおそらくなにもない』というような曖昧な危険性を過小評価する」

という傾向があるので、

まぁ、そんなことがあるのかどうかもわかんないし、そのときはそのときで、そのとき考えればいいか

というくらいにしか考えていないのではないかと思う。だからこそ、負の霊はこんなにも「人気」であり、私たちの社会に深く根を張ることができたのだろうと思うのだ。

 

一方で、守護霊は負の霊のように、「わかりやすい見返り」を提示してきたりはしない。それに、「行き先までの地図」どころか、「全体の見通し」さえ事前にはほとんど教えてくれない。だから

確かに霊媒師の道を行くのを決めたのは自分だけど、あんまり厳しすぎるんじゃないか!?

と言いたいようなことが、特に最初の頃は毎日のように起きたし、今だって基本的なところはそんなに変わっていない。ただ、私に経験が蓄えられたので、それなりに対処できるようになってきたというだけだ。

とはいえ、自分の経験や器量がある程度のところにまで行けば、今度は「その段階に応じたこと」が与えられてくるというわけで、その過程に終わりはないと思ったほうがいい。だからその意味では、「慣れる」ことなどどこまで行ってもないとも言える。以前ある霊に

霊媒師になったら、1日が1か月になるもんな

と言われたことがあるのだが、これはまったくそのとおりだと思う。

霊媒師、あるいは霊媒体質者は、とにかく1日が分厚く、濃い。その先になにがあるのかもわからず、世間的な後ろ盾はほぼないうえに、たとえなにか他の活動をしながら「世間」に融和しているように見えても、一歩踏み外せば「狂人」と中傷されるところにいる。こんなことを続けるのは、ある意味正気の沙汰ではない。だからそんななかで、「見返り」も提示してくれず、いるんだかいないんだかはっきりしない守護霊よりも、

「わかりやすい見返りを提示し、ある意味それを『先払い』してくれる(ようにも見える)負の霊」

のほうがよっぽど「役に立つ」し、感謝されるのは、やはりある程度はしかたがないと思うところもある。それどころかそういう存在は今の一般的な感覚における

<神>

に近いとも言えるので、まさかそれが負の霊だなんて露も思われることなく、心から崇拝されることさえあり得るのだ。

 

だがそれでも、こういう仕組みを知ってしまったからなおのこと、「一見甘い誘い」に乗らず「長期的な視点」で守護霊との信頼関係を育んできた私としては、

そのときそのときはほんとにつらいし苦しいんだけど、それでもこうやって生きてきたら「前よりは、確かに成長したな」と思えることに気づく

とは言える。だからこういう私の感覚も率直にお伝えしたうえで、あなたが

自分はどんな存在と組み、仲を深めていくか?

という問いに答えるときの参考にしていただければと思っているのである。そしてこれは結局のところ、前に

眼前にある4つの道。あなたはいったい、どの道を選ぶだろうか?
限りあるいのちをどのように遣い、活かしていくか?この問いは誰にとっても常に切実なものである。そしてそこには肉体人・霊人問わず多くの存在が関与し、自分の意志を共有する「仲間」になるよう勧誘し続けているのも確かだ。 だが、どんな存在からど...

と言ったのと同じことだと思ってもらっていいと思う。ただこの問いが年々日々を追うごとに、ますます重く切実なものになっていくという、そういうことなのだ。

 

なお、こういう要素もすべて踏まえたうえで、これから守護霊さんたちの想い(そこには私も加担している)が通った場合には、未来ではいろんな

「契約」

が見直され、おそらくはほとんど存在しないことになるだろうと思う。なぜならその頃そこにいる私たちは

未来はもっと広く、予想を超えて多様で豊潤なものだ

ということに気づくことになるからだ。たとえば同じ両親から生まれても、こどもやきょうだいがどう育つかは実に多様であるように、未来というのは本来そうやって「想像を超えて素晴らしいものに育っていく」ものなのだ。だから、それを「契約」なんて型に固定しようなんてのはつまらなすぎる。というか、

「契約がないと履行しない」

なんて言うなら、そもそも両者の意志(情熱)が足りないということではないのか?それに、

「やる前から見え透いている見返り」

など、本当の意味での

「ご褒美」

にはほど遠い。そういうことを本当に理解するようになれば、自然と不要なものは消えて、よりよいものに換わるというわけだ。それに現代における「契約」というのはほとんどが

「自分の権利を護るためのもの」

に交わされるものであり、この場合の「権利」とはつまり

「カネ」

でしかないのだから、そんな経済の在りかたが根本的に変わった未来においては、そのような意味での「契約」の必要性も、ほとんどなくなるというわけだ。

 

しかしまぁ、私がもし負の霊と「契約」していたら、こんな文章は絶対に書かせてもらえないんだから、やはり私はどうしたって、こっちの道を行くしかなかったということだ。それに未来が不確定だというのは確かに不安でもあるのだが、

「気に入らない相手からもらう」

よりはずっとましだ。

だから私はやはり自分の好みでこれを選んだということなのだが、そんな私にこれからどんなことが起こるのか、よろしければこれからも引き続き、見守っていただけたらと思う。

ちなみに、相手が負の霊の場合は論外としても、一般的な「契約」のすべてが悪い(害のほうが大きい)と言い切れるわけでもありません。負の霊はこれを巧妙に「悪用」するわけですが、代わりにこれを「活用」する道も確かにあります。

たとえばこれを特に「自分自身との契約」というかたちで行う場合、それを

「宣誓」

と言い換えてもいいと思いますが、

「自分で自分に対してなにかの誓いを立て、それを自発的に遵守し続けることで力を付けていく」

というのは、伝統的な修養法のひとつだと言えます。

つまり、

自分で自分に制限をかけると、それは「成長のバネ」ともなる

というわけです。

そしてこう考えてみると、なぜ私たちがこんな大変な場所にわざわざ生まれてきたのかというのも、少しずつ腑に落として行けるのではないかと、そんなふうに思っています。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2020 Dilettante

コメントをどうぞ (名前・アドレス・サイトの記入は任意です)

  1. だれか より:

    要するにいずれにせよ無限の苦しみしかないと言うことですね。

    • Dilettante Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      おっと、それはあまりに悲観的すぎる要しかたですね。

      とはいえ、あなたがそれだけつらいからこそそのように言いたくもなるのだろうとは思いますが、あなたが無限の時間をくれるのであれば、私はあなたも必ずしあわせになれることを保証します。

      つまりあなたが

      要するに今日も明日も私には苦しみしかないということですね

      とか、

      要するにいずれにせよあと数年は苦しまないといけないということですね

      などとおっしゃるのであれば、あなたご自身のご協力なしにそれを安易に否定することはできないのですが、あなたが

      無限

      という概念を持ち出すのであれば、たとえ私ひとりでもあなたのしあわせを保証することができるというわけです。

      だって私は、「1億年の孤独が終わったとき」も、「12億年の願いに応えて芽吹き始めた愛」も、「20億年で和解に近づいた親子」のことも、全部実際に知っていますからね。そして当たり前ですが、

      それが1億年だろうが12億年だろうが20億年だろうが、それは無限よりはずっとずっと短い

      ですよね。だから無限の苦しみなんてものは、本当には存在したことがないんです。

      とはいえ、今はあなたも私もこちらの世界で生きているわけですから、こんな時間軸の話をしたって雲をつかむような話にしか思えないだろうとも思います。

      ですからどうか30年、あるいは10年くらい私にいただければ、あなたの気持ちを今よりはだいぶ軽くできるのではないかとは思っています。

      それでも遅いと感じるでしょうが、それはどうか許してください。あなたのご協力なしでは、それ以上早くすることはどうしても難しいのです。

      ただ最近は当初の私の見立てよりずっと速くことが進んでいるような気もするので、もしかしたら今年中にも、多少の変化は目に見えるようになるかもしれません。

      ですがこれは少し希望が入り過ぎなので、さすがに今年中にどれだけの変化があるかには、それほど期待しないでおいてください。

      ただあなたがどんなに悲観的・絶望的な心情であろうが、いずれはあなたにもご自分の存在を心から喜んでもらいたいと思っています。

      そして何度も言いますが、あなたが無限の時間でものを言うのであれば、それは絶対に叶います。

      だから

      「いずれにせよ」

      というのは、こういうときに遣う言葉だと、私は思っています。

タイトルとURLをコピーしました