集団瞑想(合同祈願)の落とし穴。まだ甘く見られているうちに、粛々と1歩ずつ進む

独りだけでできることは限られている。だからみんなで協力すればいい。独りだけのエネルギーなら高が知れている。だからみんなで力を合わせればいい。この考えかたは、基本的には間違っていないと思うし、私もこう思って生きている。ただここから派生して、

「集団瞑想」(合同祈願)

のようなものを企画するひとや、そこに協力するひとが出てくると、話はそう単純なものではなくなってくるのである。

ともあれスピリチュアルの世界には様々な派生語が乱立しているので、今私がとりあえず挙げた

「集団瞑想(合同祈願)」

というのを、別の言い回しで表現するひともいると思う。

だからこれは要するに

◯月◯日の◯時◯◯分から◯分間、世界の平和と安寧のために(愛をイメージして・光が拡がることを想って……)みんなで一緒に祈りましょう

というような動き全般を指すと思ってもらえればいい。

そしてこういう動きは、最近のようにひとびとが不安を高めているようなとき、あるいは夏至や冬至・新月や満月などのなんらかの節目のときには特に起こりやすいと思う。

そして最初に言ったとおり、

ひとりの力はちいさく脆いので、みんなで力を合わせて大きく深いエネルギーを生み出しましょう!

というのは、基本的には正しいように思える。だが特にこのような活動においては、そこに「無視できない大きな落とし穴」があり得るということを理解しておくことも絶対に必要だと思うのだ。

それは、

事前に特定の条件や時間を指定して多くの力を集めようとすると、それが善意であっても、善意だからこそ、それを壊滅、または逆用しようとする負の霊団にも必ず狙われる

という落とし穴なのである。

 

私も何度も伝えてきたとおり、負の霊団というのはある意味では守護霊よりもずっと真剣に、必死に、ありとあらゆる隙を突いては自分たちの計画を進め、世を動かそうとする。だからそんな彼らが

◯月◯日の◯時◯◯分から、みんなで力を合わせて大きなエネルギーを生み出しましょう!

などと言っているのを看過してくれるはずがないのである。

また、こういう活動は特に広く浅く、様々なところに協力を呼びかけることになるので、そこには当然

なんかわかんないけど、とりあえずやってみるかな

別になんか取られるわけでもないんだから、まぁ乗ってみるか

というようなひとが含まれる余地も大きくなる。つまり

そこには当然、想いの深さ・種類の差が生まれる

というわけだ。

ならばそのなかから最も脆く不安定な部分を探し出し、そこを足がかりにエネルギーを変質させることは当然の戦略だとわかるだろう。それが、私の言う「落とし穴」なのである。

そしてこれはもちろん、いわゆる「宗教施設」において行われていることにも同じことが言える。だからこそ今の宗教は創始のときの善意や情熱が変質し歪んだものになっているので、いずれは必ずもっと適したかたちに改められる日が来ると思っている。

 

ではこのようなやりかたに懸念を抱いている私ならどうするかと訊かれたら、

多くの協力者・参加者がいるという利はそのままに、具体的な日時、手法はそれぞれに任せる

という方法を採る。それではあまりに取り組みにくいというのであれば、

◯月◯日からしばらくの間、それぞれが朝起きたときと床に就く前、「穏やかに呼吸を整えて愛するひとを想い浮かべる」時間を作りましょう

というような感じでもいい。これなら、

「朝起きたとき」(床に就く前)

というのがそれぞれにバラバラなので、相手も的を絞りきれないというわけだ。

あるいはもっと素朴に、

これからあなたがなにかを口にするとき、「いただきます」と「ごちそうさまでした」に、できる限りの想いを込めてみましょう

でもいい。もしこの意識を本当に共有できるのなら、それだけで充分、世界が変わる第一歩になるのである。

 

だから私は別に、

「みんなで想いを合わせる」

ことそのものを否定しているわけではない。それにたとえば

じゃあ災害があった時刻にみんなで黙祷するのもダメなのか?

と言われれば、それはそれでいいと思う。みんなそれぞれが、自発的に、そうしたいと思うなら。

だから私が言っているのは

そこに真心がありさえすれば、無理に誰かと合わせたりかたちや時間にこだわったりする必要はなく、ただ自分にできるときに、できるやりかたで想いを伝えればいい。それは必ず相手に届くから。そしてそういう「それぞれの想いや選択が、結果として折り重なったもの」こそが、誰にも予測できないからこそ邪魔もできない、最高の奇跡を生む

ということなのだ。そしてそのことを本当に理解したなら、つまり本当に心を合わせることが大切なんだと気づいたなら、もうそんなことを大々的に告知して100人・1000人と募る必要はないということもわかると思う。5人もいれば御の字で、3人でもすごいことなのだ。本当はひとりひとりがすごい力を持っているのだから、そんな2人が想いをひとつにできただけで、もうその瞬間から、世界は動き出すのである。

 

だから私はあなたにも、ぜひ核心(本質)を理解してほしいのだ。それは数ではない。頻度でも場所でもない。それはときとして自分自身を惑わす罠にもなる。だから、気をつけてほしい。

そしてどんな計画にも必ず妨害や邪魔が入るのだから、わざわざ大々的に予告したり手の内を明かしたりする必要はない。むしろ相手にはできるだけ甘く見ていてもらったほうがいいのだ。その間に、私は淡々粛々と、1歩ずつ進んでいこう。そしていずれ相手から

気がついたときにはすべてが終わっていた

と言われること、これが理想の計画であると私は思う。だから、詳細はそこまで詰めなくてもいい。計画したことすら半分忘れていてもいいくらいなのだ。ただ方向性と理想をときどき確認できれば充分だ。それで、いつかは必ずたどり着ける。あなたは最初から、独りではないのだから。

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