嫉妬。「私よりしあわせなひとがいる」ということは、実はいいことなのではないか?

私は嫉妬しやすいタイプで、どうしてもそれをやめられないんです

「嫉妬してはいけない」ということはわかっているのですが、どうしても素直に祝うことはできなくて、結局関係を絶ってしまうんです

こういう話というのは、本当によくある。私が直接聴いてきたなかにも、本当にたくさんある。その気になれば私たちは、友人・きょうだい・親・知人・メディアに出ているひと・噂で耳にしたどこかの誰か……というように、文字どおり誰にでも嫉妬することができる。そして、

嫉妬に狂う

という表現があるように、それは本当に、強烈な感情である。

だから、その渦中にいるひととには、今から私が話すこともほとんど意味を成さないというか、実践不可能な理想論だと思われてしまうかもしれないが、それでも私は私なので、こういう嫉妬に対する私なりの考えをここに書いておこうと思う。

まず結論から言うと、私は

「私よりしあわせなひとがいる」ということは、実はいいことなのではないか?

という立場に身を置いている。だが、私自身はこれは別に私が

「心からひとのしあわせを願えているいいひと」

だからとかではなくて、もっと単純な、別の理由に拠るものだと思っている。だからその理由に納得してもらえれば、これは誰にでも採り入れられ得るものだと思っているということだ。つまり私は、

私よりしあわせなひとには、私は嫉妬されなくて済む。そして嫉妬されなければされないほど、私は自然にしあわせに近づく。だから私よりしあわせなひと(私に嫉妬しないひと)が増えることは、どう考えてもいいことだ

と思っているということなのである。

 

そしてこれは私が、おそらく一般的なひとよりはるかに強烈に

「嫉妬の恐ろしさ・その力の強さ」

を知っているからでもあると思う。嫉妬というのは、おそらく今のあなたが思っているよりずっとずっと、本当に強い力を持つものなのである。だからもし誰かが

「相手を攻撃する・貶める」

目的でその嫉妬を用いるなら、その目的は少なくとも部分的には、必ず成功する。そしてそれよく知っている負の霊団もずっと昔から私たちに嫉妬を根付かせてきた。私たちの世界の現状がこんなことになっているのは、この影響も大きいと私は思っている。

そして誰かに強く嫉妬しているひとというのは、

「そんな自分自身も、誰かには必ず嫉妬されている」

という事実を見落としている。なにしろ

あんなに簡単に、理不尽にしあわせになっているひとに比べて、自分はあまりに不遇だ・報われていない

と感じているからこそ嫉妬に呑まれているのだから、そんな自分も誰かから嫉妬されているというのには、なかなか理解が及ばないということだ。だから私たちはよほど注意しないとあまりにも簡単に、嫉妬の渦に呑み込まれてしまうのである。

 

だがだからこそ、あなたが嫉妬したくなるひとが本当にあなたよりしあわせだと言うなら、そして相手本人も本当にそう思っているとするなら、それはあなたにとって本当は、実にいいことなのである。

とはいえ厳密に言えば

でもそれならそれで相手から優越感を持たれてしまって厄介じゃないか?

という考えもあり得ると思うしそれにも一理あると思うが、

それでも嫉妬と比べれば、はるかに優越感のほうが害が少ない

ということは言えると思う。そしてさらに

自分に優越感を感じているひとが、それを壊されないために自分のしあわせを邪魔してくるということもあるのでは?

という意見が出る余地があるとしても、

それでもたいていのひとは優越感の相手よりずっと嫉妬の相手に気を取られることが多いんだから、相対的にはやはり深刻な問題ではない。それに「誰かに対して優越感を保っている」というのはその相手よりも本人にとって最も重要な「つまずきのきっかけ」(課題)であり、それに比べれば「自分が誰かに優越感を持たれている」ことはたいした問題ではない

と思っているし、

それを言うなら、「自分に優越感を保っていた相手がその後失敗して、今度は逆に『以前は優越感を抱いていた自分に嫉妬し始める』」というほうがずっとずっと厄介なのだから、やはり相手にはずっと、自分よりしあわせでいてもらったほうがいい

というのが私の立場なのである。そしてこれをさらに言い換えると、

仮に全世界全宇宙の存在が私に優越感を抱いていてもどうということはないが、もし逆に「全世界全宇宙の存在から嫉妬される」なんてことになったら、厄介すぎて頭を抱える

ということなのだ。

だからそれを避けるためにも、つまり嫉妬の渦に巻き込まれないためにも、できるだけ多くのひとが、私よりしあわせでいてくれたほうがいいのだ。そして最初にも言ったとおり、これは別に「きれいごと」ではなく、

「実利的に見ても明らかな事実」

なのである。

 

そしてさらに言うとしあわせというのは本来、

「自然に拡がりながら増える」

という性質を持っているのだから、

自分よりしあわせなひとが増えれば増えるほど、そのおすそわけが流れてくることによって、自分もしあわせに近づく

というのはそういう観点からも明らかだと言えると思う。ただここでもうひとつ大切なのは、

自分が相手に嫉妬を感じていると、そのひとからのしあわせのおすそわけを受け取ることができなくなる・できるとしてもかなり難しく・少なくなる

ということなのだ。だからやはり、嫉妬にはあまりにもたくさんの罠や毒があるので、それが負の連鎖を起こすほどに蔓延してしまっているからなおのこと、せめて自分からは発しないほうがいいと、私はそう思っているのである。

 

だってそもそも、あなたはしあわせになりたいからこそ嫉妬しているのでしょう?だったらしあわせになることに反することはやめたほうがいい。なかには

私にとっては、嫉妬さえも結局はエネルギー・前に進むための燃料になるんです!

というひともいるにしても、そんなひとがそれほど多いとは思えないし、それはエネルギーとして「燃費がいい」とも思えない。

そしてさらに言えば、この世界の根本原理のひとつである

「与えたものが少し大きくなって返ってくる」

というものから言って

誰かに強く嫉妬すればするほど、いずれ必ず自分も、誰かから強く嫉妬される

とも言えるのだから、やはりこれはどう考えても、あまりに割に合わないと私は思う。

 

ただもしかしたらあなたは

自分がしあわせになるなんて無理に決まってるから、だからこそしあわせなひとに嫉妬するんだ!

と言うかもしれない。だがそれはあなたの間違い・思い込みである。あなたも必ず、しあわせになれる。ただそれにはそれなりに、まして今のような世界ならなおのこと、時間がかかるというだけだ。でも「時間がかかる」ということは、「いずれはできる」ということだ。だから、だいじょうぶだ。

よくこういう話に限らず、

これは気持ち・感情の問題だから、理屈でなんと言われても変わらない!

と言われることもあるが、私からするとそれもやはり間違っていると思う。

いや、むしろ「感情の問題」だからこそ、無防備であればすぐに煽られ・流されて・呑み込まれてしまうんです。だからそれに打ち克つためにはどうしても、「その核心を理解して、本当に納得すること」が必要なんです。だから私もなんとかして、それを説明しようと試みているんです

と言うのが私だからだ。だがそれでも、どうしてもわからないと言うのであれば、今度は誰からも嫉妬されるような立場に、身を置いてみればいい。そしたら、きっとよくわかると思う。

本当は、嫉妬されるべきひとなんて、そんな安楽なしあわせに居座っているひとなんて、どこにもいない

ということも。そのために、生まれ変わりの権利と永遠が与えられてもいるのだから。そしてそれが身に沁みたときにこそ、私たちは

本当のしあわせとはなにか?

ということを考え、それに向かって歩めるようになるのかもしれないと思う。そして私は私なりに、それに向かって歩んでいきたいとそう思っている。だからよかったら、あなたとも一緒に行こう。そしたら遅かれ早かれ、必ずたどり着く。すべては本当には、時間の問題にすぎないのだから。

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