私は弱いので、もう限界なんです
私が生きていくには、いろいろなことがキツすぎる
こんな声を、今まで私もたくさん聴いてきた。確かにこの世界の現状は、あまりにもめちゃくちゃだ。そしてあまりに長い間、過酷な状態から抜けられずにいた。だから、あなたがつらかったのも、今もまだとてもつらいというのも、当たり前だと思う。
だがだからこそ聴いてほしい。今のこんなにめちゃくちゃな状態は、やがて必ず収まる。そして今は弱くて苦しんでいるあなたも、もっと安心して、穏やかに過ごせる日が必ずやってくる。私たちは、私は、ずっとそんな世界を想い描いてきたんだから。そしてそれがようやく、ようやく、実現しようとしているんだから。だから、安心していい。世界はこれからもっと、弱いあなたに寄り添うようになるから。
だから私が今これからここに書く話は、ほとんどのひとには必要ないというか、聴いても響かない話だと思うから、ピンと来なければ読まなくてもいい。むしろもしかしたら、途中で読むのがつらくなるかもしれない。だからその場合は、遠慮なく読むのをやめてほしい。これは、あなたに向けた話ではないから。
ただ、私はあなたのなかにごく少数、この話を必要としているひとがいることを知っている。だから私は、あなたに向けて伝えたいことがある。弱すぎて苦しんでいるたくさんのひとたちのなかで、密かに「強すぎる」ことで苦しんでいるそんなあなたに、この私の話を聴いてほしいのである。
最初に言ったとおり、この世界はこれからますます優しく、穏やかになる。これはもうほとんど動かしようがない流れだと思う。そして私もあなたも、そのこと自体は心から喜んでる。そうだよね?だってずっとそのために、みんなで努力してきたんだもんね。
だけどあなたはもしかしたらどこかで、
このまま世界が弱さに寄り添うようになったら、そのとき俺は、どこにいたらいいんだ?
と、思ってるところがあるんじゃないかな。思ってないならいいんだ。ただもしあなたがそう思ってたとしても、なかなかそんなこと話せる相手は見つからないからさ、だからもしあなたが本当はそう思っているなら、そしてそのことでずっと苦しんできたんだったら、ちょっとこの先の話に付き合ってほしい。
だってそもそも、
あなたは弱すぎて苦しいんだろうけど、そう思ってるんだろうけど、ほんとは強すぎる俺だって、同じくらい苦しいんだよ!
なんて言ったって理解されにくいというか、最悪の場合嫌味だと思われるもんね。だけど私は、それが傲慢さでも嫌味でもなく、本当の苦しみであり得ることを知ってる。知ってるんだよ。だから、ここではほんとの気持ちを表していい。今日はそのために、この場所を用意したんだからね。
だからたとえばそんなあなたなら、
強さはそれ自体が、ある種の罪を孕んでいる
という私の基本認識も、よく理解してくれると思う。そしてこの認識があなたの仲間ぶるための付け焼き刃じゃないことをわかってもらうために、この認識の背景について、改めて話をしてみようと思う。
っていうか本当は、弱くても生きられる世界が理想なんだよ。これは誰がどう見たってそうとしか言いようがない。だけど今までやこれからもうしばらくの地球のような
「有事のとき」
にだけ、強さは必要とされる。だって、誰かが護らないといけないから。そして誰もが、護られたいと思っているから。
でもひとたびその
「異常事態」
が解消されてしまったあとは、その強さはもう必要とされない。それどころか、憧れられることも愛されることもない。なぜなら、強さは罪を孕んでいるからだ。
弱いひとにとっては
このひとがその気になったら、私はこのひとに抵抗できない
という感覚そのものが恐怖なんだ。そしてその恐怖を与えることそのものが、罪なんだ。少なくとも、そこには罪が内包されている。そう見なされる。
だからそれに対して、
私はあなたを傷つけたりしない!私はあなたより強いかもしれないけど、だからって私はあなたを弄んだりしない!私は絶対に、あなたを尊重する!
といくら叫んでみても意味がない。だって相手にとっては、
実際にやるかどうかじゃなくて、「やろうと思えばできる」ことそのものが問題なんだ!
ってことなんだから。すべてを相手の良心だけに委ねることなんて、あまりにも難しすぎるんだ。まして弱くて虐げられた経験を保つひとたちならなおのことね。だからそこでいくら自分の「善良さ」を訴えてもダメだ。弱いひとから見れば、強さそのものが、既に悪の芽に見えるんだから。
異常非常の有事のときにだけ、強さは必要とされ、憧れられ、ときには愛されもする。
「核の傘」
なんて、まさにそれだよね。今は核兵器で自分の国を護ろうとしてるひとがたくさんいる。今が非常事態だからだ。
でもこれからは、核兵器は言うまでもなく、ありとあらゆる兵器は、完全に撲滅される。だってもう必要ないから。逆に
まだあんなものを保ってるなんて、悪企みしてるに違いない!
なんて、誰も言われたくないし。
だからこれから、世界が穏やかで平和なものになれば、「強さ」は求められなくなる。というよりむしろ、それは「悪」に近似したものだと見なされるようにもなる。そしてそれはある段階を超えたときに、意図的に排斥されるようになり、ひどい場合には攻撃を受ける。
それにこれは大なり小なり、今までに何度となく繰り返されてきたことだ。だからあなたがそれを恐れるとしたら、私にもその気持ちはわかる。よくわかる。そしてさらにその哀しみがねじ曲がると、弱いひとに対して無性にイライラしてしまうこともあるよね。だって、羨ましいもんね。
弱くても生きられるんだったら、強くなるために必死で努力してきた俺は、「強くならなきゃ生き延びられなかった」この葛藤は、いったいなんだったって言うんだ?
って、思ってしまいそうにもなるよね。
あとなんだ、たとえば強さはたとえとして
鬼のように強い
嵐のように圧倒的
とか言われるのに対して、弱さって
紙風船のようにか弱い
豆腐のように脆い
とかさ、なんだかほんとかわいいよね。そう、強さっていうのは基本的に疎まれるんだ。一方で弱さは、愛される。だって弱いひとは、どんなにがんばったって自分の存在を脅かさないから。でも強さはそれだけで、存在そのものが、脅威なんだ。でも自分の存在が本当の危機にさらされたときには、誰かの強さに縋ろうとする。この一見どうしようもない不条理は、そう簡単に受け入れられないよね。だから考えれば考えるほど、哀しく苦しくなっちゃうときもあるよね。あなたにならきっと、わかってもらえると思う。そして私も、わかると言いたいんだよ。
でもね、その哀しみを自分より弱いひとにぶつけてもどうにもならないし、相手のほうがずっと傷ついて結局自分がもっと苦しくなるから、そんなことはもうやめたほうがいい。それよりむしろ、あなたは自分の強さを正当に、率直に、誇りに思ったらいい。強さは、コンプレックスじゃないんだ。強いことは、悪いことじゃないんだよ。
昔なにかがあったときにさ、
こんなときのためにお前たちを雇ってるんだから(居場所を与えてるんだから)、それぞれ率先して闘え!
とか言われたことなかった?あれってけっこう歴史的文化的に共通してるみたいだよね。で私としては、正直ああいうもの言いにいつも腹立ってたんだよね。
私らのことバカにするのもいい加減にしろよ!農業ができるわけでもなく、服ひとつ作れるわけでもない私たちが、普段は忌み嫌われてる私たちが、このときくらいどれだけ本気でからだ張って生きようと思ってるのか、少しは考えてみろよ!
って感じでね。まぁ、気を乱してたら生き残れないし、そんなこと考える必要のないひとには想像もつかないだろうから、言う気もなかったけどさ。
でもそんな私だからこそ、やっぱり思うんだよ。
強くなったことを、卑しいことだと思う必要はない。それは、誇るべきことだ。だってそれもひとつの「技術」であり、「努力」であり、一朝一夕では決して身につかない、自分の鍛錬の結晶なんだから
ってね。
だからね、ここまでのこと全部踏まえたうえで、私は、あなたにもこう言いたいんだ。
あなたは強いんだから、もうそれを隠さなくていい。強くても、だいじょうぶだよ。強くても独りにはならないし、強くても居場所はなくならないから、だから安心して、あなたの強さを発揮したらいいんだよ
って。
だってさ、数え切れないほどあるいろんな環境とタイミングのなかで、あえてこの地球のこの時期を選んで生まれてきたあなたが、本当に弱いわけないじゃん?そんじょそこらのひとじゃ、生まれ変わりたいなんて思えるわけないんだから。ただあなたは今はそれを自分自身にも隠しちゃってるから、わかんなくなってるだけなんだ。そしてそれは、
「自分の強さを見抜かれることを、恐れてる」
からでもあるんだと思う。だって強すぎると、生きづらいもんね。だったらみんなと同じように弱いことにしてたほうが、少しはラクだもんね。
でもこれ以上自分を抑え込み続けると、それはそれで生きるのがしんどくなってくるから、もう開き直って強くいたほうがいいよ。だって、あなたは強いんだから。それが、あなたなんだから。
これから世界がどんなに優しく柔らかくなっても、あなたは排斥されない。何度も何度も使い棄てにされてきたことは繰り返させない。だいじょうぶだよ。これから起きることは、そういうことじゃないんだ。今まではずっと、「弱いものいじめ」のあとに「強いものいじめ」が起きてきた。そしてお互いがお互いを妬むあまりに、結局ぶつかり合って、いがみ合わされてきたんだ。だけど、今度はそうならない。私が、保証するから。そのために、いろいろ準備してきたんだから。
だからもし困ったら、私のところにおいで。そしてこのプランや意見は実のところ、あのひとたちとも共通してると思うんだよ。だってあのひとたちも言ってたでしょ?
悪の改心が終わったら、次は善の改心だ
って。つまりこれって
強いひとの改心が終わったら、次は弱いひとも改心させる
ってことでもあるよね。だって、誰ひとりとして例外なく公正なんだから。それが、この世界の核なんだからさ。
まぁだから、こういう理論的裏付けもありつつ、それでもあのひとたちが相変わらずあなたを排斥しようとするなら、それはそれでまた別のステージに行っちゃうのも手だと思うし。だって今回の地球は、ひとつの
「モデルケース」
であって、別に「最終決戦地」ってわけでもない。まだまだ先は長いんだからさ。だから結局、やろうと思えば仕事はいくらでもあるし、強さを必要としてくれるひともいるから、だから最終的には、どうとでもなるよ。別に、だいじょうぶだよ。
けどまぁ、私個人的には今回ある程度目処が立ったら、しばらくはゆっくり休もうと思ってるから、あんまり激しいのは、あなたがたに任せるよ。私はこう見えても、意外と弱いからね。
っていうのは半分冗談で、知ってのとおり私はある程度強いから、あなたの居場所くらいは創れると思うよ。だからそろそろ、本領発揮してもいいと思うんだ。それに意外と、ここではあなたの強さも悪目立ちしない。だってみんなほんとは、かなりのやり手だからね。だから、だいじょうぶだよ。遠慮なくぶつかってもいいよ。弱くてもいいけど、強くてもいい。それがあなたらしさなら、それでいいんだ。

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