もしあなたが本当に気に入ってくれたなら、その文章を声に出して読んでみてほしい

私がこの『闇の向こう側』を開設してから今日までで、ここにはおよそ440ほどの文章が記録・公開されている。

そしておそらくほとんどのひとというのは、たまたまここを見つけ、ふらっと立ち寄ってふらっと出ていくことになると思うのだが、そのなかからたまにここの「常連さん」のようになって、よく文章を読み込んでくれたり、折に触れてメールやコメントをくれたりするひとが現れる。そんなことは私が当初ここを始めたときにはまったく思いもよらなかったほどの驚きであり、ずっと本当にありがたいと思い続けているのだが、そういうひとからときどき

ここには本当にたくさんの文章があるのですが、どこからどう読んでいけばいいですか?

というような質問をされることがある。だから今回はそれに対する私なりの答えを、ここで共有しておこうと思う。

 

まず最初に言ってしまうと、

この『闇の向こう側』に込めた想いと力を最大限活かそうと思ってくださるのであれば、古い文章から順番に、ひとつひとつ音読していってもらうのがいちばんだと思います

というのが結論になる。

というのも、こうした霊的なことや私の立ち位置をまったく知らないひとがいきなり

「負の霊」

といった言葉を聞いてもなにがなにやらわからないと思うのだが、そういう基本事項はそれぞれ最初のほうで説明してあるので、そこから読んでいくとだんだんと理解が深まっていくと思うからだ。

それにそうして最初から見ていくと、自然と

「私自身の想いの変化・深化の様子と、それに伴うここの変化・発展の歴史」

を追うことができて、なかなか面白いのではないかとも思う。

そのうえで、実は私は読者の存在をほとんど意識していなかった時期から、文章を書くときには

「話しかけている気持ち」

で書くクセがついていた。つまり当初は

「自分で自分に言い聴かせるような気持ち」

で書いていたので、今とは違う意味でやさぐれていたわけだが、まぁそれもそれで、当時の私を反映する資料として、そのまま残してある。

だからこの文章で私が

「、」

を打ってあるところというのは、もちろんすべてが厳密ではないにしろ、

「私がこれを実際に語りかけたとした場合、私が息継ぎをしたり、間を置いたりするだろう場所」

だと思ってもらえればいいと思う。だからこの文章の本領は、最初から、音読されたときに発揮されるようになっているのである。

それからこれは私の文章に限った話ではないのだが、文章というのは音読するとそこにあるエネルギーをより受け止めやすくなるものである。

そして私本人としては、ここにあるすべての文章には

あなたに少しでもしあわせに、自分らしくいてほしい

という想いが籠められていると言いたい。だからもしあなたがそれをずっと音読してくれたら、きっとあなたは少しずつ少しずつでも、その想いに影響を受けてくれるはずだと、私は思っているのである。

ただ、ここまでの話はすべて

「私の意図・願い・希望」

であるというのも確かだ。つまりたとえばあなたが宗教的なものに対して嫌悪感を保っていたり、霊媒師なんてひとを疑わしく思っていたり、あるいは私のことを好く思っていない存在とつながっていたりすれば、きっとそんな状態でここの文章を読破する、まして音読するなどということは、相当な苦しみや苛立ちにしかならないと思う。少なくとも、その殻を突き破って私の想いが浸透するまでには、かなりの時間を要することになるはずだ。

だから私は、そこまであなたに無理を強いたいとは思っていない。だからあなたがしたくないことは、しなくてもいい。ただもしあなたが本当にここを気に入ってくれたなら、そういうふうに活かしてもらえれば、とても嬉しい。

 

それから、先日私のところに

こないだデザインが刷新されてから、ここのエネルギーはますます強くなりましたね!ただその影響で、「どんどん読み返したい!」と思うときと「なんでこんな文章を書くんだ?やめてしまえばいいのに」となぜか悪態を吐きたくなるときの差がより顕著になってきて、自分でも笑ってしまいます

という感想をくれたひとがいるのだが、これには私も笑ってしまった。また彼はもうひとつ

私はここの文章をほとんど読み尽くしたはずなんですが、ページの最後に提示されてくる文章をたどったりしていると、不思議とそのときの自分の想いに沿った文章が出てくるので、それも面白いです

という話をしてくれたのだが、もちろんそういう読みかたでもいいと思う。そしてその際にも、よかったら出てきた文章を音読してくれれば、私としてはなおありがたいのである。

 

と、こんな文章を熱心に読んでくれるあなたにせっかくの機会だからもう少し腹を割って話すと、私は結局

もしあなたが本当にしあわせになってくれるんだったら、私にとってこんなありがたい話はない

ということを言っているだけなのだ。だから話がここで書いているすべては、最後にはそこにつながるように意図されているというわけなのである。

とはいえもちろん、別に私の文章を読まなくたってしあわせにはなれる。それに、私以外にも大切なことを伝え続けているひとはたくさんいる。だから、そのやりかたや相手のほうがあなたに合うんだったら、それでもいいのだ。

ただそれでも今こうして少しでも私となにかの縁があってここに来てくれたあなたには、私だって私なりにできる限りのなにかを渡したいと思う。私も、あなたにしあわせになってほしいと思っている、そのひとりなのだから。だからここに書かれた文章を通してその手伝いができるのであれば、私はとても、この上なく嬉しく思うのである。

 

ただここであなたに

もし本当に気に入ってくれたなら、ここの文章を順番に、あるいはいくつかでもいいので、声に出して読んでみてください

と言っている私自身はと言えば、それを実践したことはまずない。

最初の頃に書いた基礎的な説明などはまだいいとして(それはそれでそんなものを私が読む必要はないわけだが)、自分の想いが吐露されているものを改めて自分で読むというのは、かなり気恥ずかしい

からである。

実際たまに昔の文章を振り返ってみると

よくここまで書いたなぁ……。今なら絶対にこうは書けないな……

と思うことはよくある。ただだからこそそれにも相応の力が宿っているわけで、それをあなたに活かしてもらえるのなら、私は本望である。

 

そして最後に改めてお伝えしたいのですが、私は私の文章をそこまで活かしてくれる、活かそうとしてくれるあなたに心から感謝しています。というか、いつも本当に感激しています。ですからどうか、しあわせになってください。私の想いだけで世界は動かせないとしても、ここは私の想いが最も色濃く映し出された場所です。ですからどうか少しずつでも、私の想いがあなたの糧になっていきますように。私はずっと、そう願っています。これからも、どうぞよろしくお願いします。

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