「競争しないと発展しない」という思い込みを抜けた先に、無限の深化がある

第2次世界大戦後しばらくの間、世界は資本主義と共産主義(社会主義)の両陣営が覇権を競い合っていた。だが1991年にソ連が崩壊すると、一方の資本主義が世界を覆い尽くすようになり、その結果として現在のような社会が基礎づけられたと言っていいと思う。

こうした流れのなかで、改めて

なぜ共産主義(社会主義)は瓦解することになったのか?

という問いを立てたとき、よくある答えとして

最初からある程度の報酬と安定が保証されているなら、ひとは努力することをやめるからだ

競争相手に脅かされないように知恵を絞るからこそ発展や変革(ブレイクスルー・パラダイムシフト)が起きるのであって、それなしでは誰もが緩やかに衰退するからだ

というような意見が持ち上がる。

だが一方で、全世界のほとんどを資本主義が覆い尽くした今の社会でも誰もが緩やかに衰退しているのであって、その現状への危機感が、今年2020年の大統領選挙における民主党の候補者選びで、自身を

democratic socialist

(民主社会主義者)

と称するバーニー・サンダースや

資本主義を根底から作り直す

と息巻くエリザベス・ウォーレンが、最終的には破れたもののそれぞれ一定の存在感を示したことにも顕れていると思う。アメリカと言えば資本主義の総本山であるはずなのにだ。だから、いずれにせよこの社会がなんらかの「変革」を必要としていることは、もはや明らかなのだろうと思う。

 

そのうえで、もし資本主義の核心のひとつに「競争原理」があるのだとしたら、そして共産主義や社会主義が結局はうまく行かず、それが

競争しないと発展しない

からだと思われているとしたら、私はそれに対してはっきりと、

それはただの思い込みなのではないか?

と言っておきたい。

つまり私は

競争というのは、「当初その行為・活動の意義すらもよくわからない段階で、自分を奮い立たせる動機のひとつ」としては役立つかもしれないが、それはいずれは薄れていくものだし、本当の高みを目指すひとにとっては、競争相手がいるかいないかなどなにも関係ない

と思っているのである。

 

たとえば学校の勉強において

あのひとよりいい点を取りたい!

とりあえず、100点を目指そう!

という思いで勉強したり、ピアノかなにかのコンクールで

どうせなら、優勝(金賞・1位……)を目指そう!

と思って練習に打ち込んだりするのには、一定の意味もあるとは思う。

だがそのあとそのひとが本当に学問の道を究めようとしたり、ピアニストになろうとしたりするのであれば、そんな競争原理だけではいずれ頭打ちになるのは明らかである。最終的には、

ただただ、やりたいから(自分の喜びだから)やり続ける

というひとに優ることはないのだから。

ただ最初は、自分がなにに向いているのかも、なにが好きなのかさえわからないひとがたくさんいるので、そういうひと(こども)たちに、とにかくいろいろなことに触れる機会を与えてあげることは大切なことだと思うし、その「最初の動機づけ」として、「競争原理」や「ご褒美」(わかりやすい見返り)などを持ち出すのは悪いことでもないと思う。

「なんでこんなことを勉強しないといけないの?これになんの意味があるの?」と問われたら、あなたならどう答えるだろうか?
ねぇ、あなたのいる霊界?っていうのは、いったいどんな世界なの?いったいどんな仕組みで、そこは動いているの? 私が霊存在と関わりを持つようになった最初の頃、私はそのとき現れた霊に、このように訊いてみた。 すると彼は、間髪入れずにこ...

だが、いつまでもそんなものだけで動いていたら、いずれ必ず続かなくなる。というか、

好きで楽しいから始めたはずのことでさえつらく苦しいことが起こるのだから、競争原理や見返りなんて動機では、いつまでも続けられるわけがない

のだ。だからこそ今のこの社会も、いよいよ頭打ちになってきたのである。こんなことは、本当には当たり前なのだ。

だから私は、

競争しないと発展しない

なんてことを思い込まされているのなら、

それは単に今までの私たちがあまりにも未熟で、「本当に好きなこと」を見つけられなかったから、そんな「仮初めの動機」に縋り付いてしまっていただけです。精確には「好きなことでなければ続かない。続かなければ発展もしない」ということであって、競争があるとかないなんていうのはどうでもいいことなんです

と言いたいと思う。そして私が確信を保ってそう言えるのは、

だからこそ、私もまだこの『闇の向こう側』を続けられている

という、なによりの実体験があるからなのである。

 

私は別に

誰かと競争したい!

と思ってここを創ったわけでもない。

世界一のスピリチュアルサイトを創ろう!

と思ったわけでも、

読者数世界一のサイトを創ろう!

と思ったわけでもない。

ただ、

ここまでひどい状態をただ黙って見ているのは、あまりに怠慢が過ぎる。だからともかく、私なりに思うことは書き残しておこう

と思っただけだ。それが、やっていくと意外に楽しくやりがいも年々深まっていったので、今まで続けられてきたということなのだ。

逆にもし私が誰かを「競争相手」として、それに勝つために始めていたのなら、とうの昔に終わっていたというか、そもそも始まってもいなかっただろう。競争に勝つという目的で『闇の向こう側』なんてものを始めるのは、あまりに筋が悪すぎるのだから。

そして最初の頃と今の文章を見比べてみれば明らかなように、今のほうがはるかに大きな「情熱と愛情」を持って書いている。そしてそれは明らかに

「私自身最初より今のほうが、はるかにここを気に入っているから」

だ。実際にやってみるまでは、私がここまでこの『闇の向こう側』に愛着を保つことになることになるとは思ってもいなかった。自分が日々の実体験から感じていることを自由に書くということが、こんなに自分を助けてくれるとは思ってもみなかった。だから明らかに、私はここで「成長」し続けている。だから当然ここも「発展」している。それは「競争」の賜物では決してない。

ここがこんなにも発展・成長したのは、私がやりがいと愛情を日々深め続けているからだ

という確信が、ここには詰まっている。だから私はあなたにも

「やらずにはいられないこと」を探し当てれば、それがあなたの役割になる
今や世界には70億人を超えるひとびとがいて、それぞれの人生を生きている。だから今からあなたがなにかを始めようとしても、必ずと言っていいほどそこには既に「先駆者」がいる。そんななかであなたがなにをしようがしまいが、世界には大した影響がないよう...

と、断言することができるのである。

 

永遠のときを生きるにあたって、とりあえず似たことをしているひとを見つけて、そのひとたちと「競争」することで、自分を高めるという手も悪くはない。だがそれはあくまで「歩き始める動機のひとつ」にすぎず、「歩き続ける動機」にするにはあまりに弱すぎる。

だがだからこそ私たちは、私たちが今生きているこの社会は、まだまだ未熟で発展途上なのだ。共産主義をうまく扱えなかったからといって、資本主義で自爆しかけた私たちなのだとしても、これからはそのすべてを糧にしていよいよ飛躍できる可能性があるということなのだから、こんなところで、頭打ちになっている場合ではない。まだまだ、まだまだ、先がある。そのことに否応なく気づかされ、驚きながら笑うしかなくなる日は、刻一刻と、確実に近づいている。

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