2020年の終わりに。今年も本当に、ありがとうございました

今年2020年もついに、あと数日を残すばかりとなりました。いかがお過ごしでしょうか?

今年はまずなんと言っても、いわゆる

「新型コロナウイルス」(COVID-19)

を抜きには語れない1年だったと言ってもいいと思いますが、これはオリンピック・パラリンピックを戦争以外の理由では初めて延期させただけでなく、私たちの生活様式そのものを大きく変化させるほどの影響を及ぼしました。

そしてそれはもちろん現在でも続いているわけですが、そんななかで人生の方向性や生活の基盤が揺れ動いたり、根本的に問い直されたりしたひとも多かったと思いますし、多かれ少なかれ、誰もがそのような問いと直面せざるを得なかったのではないかとも思います。

そんななかで私自身はと言えば、いつものことながら

今年も、よくここまで来たなぁ……

という感想がまずあります。そしてだからこそ、あなたにも

今年も本当に、お疲れ様でした

と、心からのいたわりを申し上げたいと思います。

いくら本当には自分で望んで生まれてきたのだとはいえ、それを実際に体験する・生き抜くというのが、事前の予測や目算よりはるかに大変なことだというのは、もちろん私も私なりによくわかっています。それに今の時代はあらゆる意味で変化が烈しいですから、

今日も昨日と同じような日になる。そして明日もきっと、今日と同じような1日になるはずだ

とはそうそう思えないでしょう。ですからそれが「不安」となり、自らの力を弱めてしまったり、未来に希望を見出しにくくされたりしてしまうとしても、それはごくありふれた反応だろうと私は思います。

 

自分がなにかに期待して、そのうえで少なからず努力もしたと思っているのにもかかわらず、それでもなお結果が思わしくないどころか、まったく思いがけない苦難につながった場合、その失望から這い上がるのは容易ではありません。

だからこそ、それを避けるために最初からなにも期待せず、なにも求めず、なにも得られるとは思わないで、それどころかいずれすべてが失われる前提で生きるという選択肢を選びたくなることもあるかもしれませんし、あるいはまた、すべてを虚無的に、あるいは偶然と他力の産物として捉え、できるだけ没個性的・傍観者的に生きるしかないと高を括りたくなる瞬間もあるかもしれません。

そしてもちろん私自身も、ある日やある瞬間においては、そのような感情の影響を強く受けるときもあります。というよりもっと正直に言えば、以前

時間帯による負の念の変動。私が「精神病患者」だと見なされるのも無理はないが、だからこそ私が伝えたいこと
私たちは、日々たくさんの負の念を受けながら生きている。これが 「異常事態」 であることは間違いないのだが、少なくとも現時点では、世界全体がまだまだ異常なので、そこに生きる私たちも、当然のようにそのようななかに置かれているというこ...

とも書きましたように、私はほぼ毎日起き抜けの精神状態が最悪であり、そこから自分を充分に整えるまでには、かなりの時間を要します(もちろんその間にもそれなりに活動はするのですが、私にとってのベストパフォーマンスはおそらく午後2時以降からだと自覚しています)し、特にひどい場合には朝起きた瞬間にわけもなく叫びたくなったり、それこそ自分の存在のすべてが無駄であるどころか害でしかないというような強烈な意識に囚われかけたりするときもあります。

ですからそんな私はもちろん、あなたがときどき、あるいは今もなおそういう感情の渦のなかで苦闘しているとしても、それがおかしなことだとは思いません。

 

ただそのうえで、私には

実は最も苦しく大変なのは「0を1にするとき」であって、それを乗り越えれば「1を2に増やす」とか、「2を3にする」というのは、意外に予想よりうまくできることも多い

という認識があります。それに実際たとえば負の霊たちも

「なにかをかたちを成し始める直前=最初の1歩を踏み出す直前に最も烈しい妨害をかける」

というのがひとつの常套戦術だと言ってもいいと思います(ただ、実はもうひとつ同じくらい烈しい妨害を受けるタイミングもあります。それは9が10になるとき=完成の直前です)。

ですからそういう観点に立ってみると、この2020年代というのもまた、

もうすぐ0年が終わり、1年となろうとしている

というふうに見ることができるというわけなのです。そしてもしかしたら、この1年での苦しみや葛藤を乗り越えたうえであと数年、あるいはあと1年先を見てみたら、そこには今とはいい意味でまったく違う光景があるということも、充分にあり得ると思うのです。

 

だからこそそんな私は、今年もこの1年をここまで乗り越えてきたことを心からいたわりながら、あなたのこれからが少しでもいいものになることを、確かな希望とともに、心から願っていたいと思います。

それに実のところさっき言ったような

「私の思考のクセ・あるいは隙」

というのは1日単位だけではなく1年単位で見ても当てはまりそうなところがあると思っていて、つまり私はいつも年始より年末のほうがずっと穏やかな心持ちでいやすいんです。

というかもっと言えば、私の場合人生全体がそういう流れのなかにあるとさえ言えるのかもしれません。確かに私の人生の初期は、波乱に次ぐ波乱でしたからね。

だとするとこれから私の人生もようやく落ち着いてくるのかもしれないと思いますし、私がそう思えるような状況になると言うなら、世界全体もきっとそういう流れになるということなんだと、私はそう思っています。

 

ですからこの年末の、夜の、それなりに落ち着きを取り戻している私だからなおさら、やはり冷静に率直に、

あなたの未来にもきっと、もっともっと大きくて深い、たくさんのしあわせが待っています

とお伝えしたいと思います。そしてだからこそそれまでお互いにどうか腐らず諦めずに、日々夜々励まし合いながら進んでいけたらと、そう思っています。

今年も本当に、ありがとうございました。どうぞよいお年を、そしてよい世界を、お迎えください。これからも、よろしくお願いします。

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  1. ゆきうさぎ より:

    Dilettante様、初めまして。
    今年の7月の俳優さんの自死が大変にショックで、自死に関しての色々なサイトを巡る中で偶然こちらに辿り着き、以来ほぼ毎日のように通い詰めてログを読ませていただいております。

    私は昔から、人知を超えた存在?意思?原理?(うまく表現できなくてすみません)というものはハッキリと確かに在って、それが長い時間をかけて人を介して伝わるうちに『伝言ゲーム』のように内容が少しずつ違ってきたモノが既存の宗教なのだと思っています。人を介している以上は、単純にある事象についての解釈が違っていたり、あるいは伝える人によって意図的に歪められていたりして、それが自分たちが信じる神仏以外の教えは間違っているという偏狭な信心になってしまっている気がして、霊魂の存在は信じていても、特定の宗教を深く信仰はしていません。

    そんな私なので、こちらの『神とは神羅万象の総覧者』という捉え方はとても分かりやすくて腑に落ちるものでした。肉体は滅んでも魂は永遠に存在していて、自分のした事は絶対の公正さをもって自分に返ってくる。なんて恐ろしくてなんて優しい仕組みなんだろう・・・仮にこれが絶対的な真実で(失礼な物言いでごめんなさい。自分としては真実、真理だと完全に信じたいのですが、どこかでまだ、そう妄信するのは既存の宗教に全てを委ねて生きる人々と同じではないのか?と自問自答して葛藤する部分があるので)世の人々に浸透したなら、貧富の差、犯罪、争いごと等の様々な悲哀がなくなり、皆が楽しんで生きていける、そんな理想郷が実現しますね。

    そう思いながらも、私自身は日々そんな壮大な理想を掲げているわけでもなく、それどころか些細なことで気持ちが浮き沈みし、正しくありたい優しくありたいと思うのにそうできず自己嫌悪に陥り・・・と、もがきながらあがきながら生きているというのが現状です。

    なので、ご自身も決して心身ともに常に完璧で万全な状態という訳ではなく(そういう弱い部分も見ず知らずの他人に晒してくださるというのは、すごい勇気だと思います)それでもご自身の信念に従って負の霊に負けずに凛と生きて、他者への思いやりに溢れてこのサイトを続けてくださっているDilettanteさんに心からの感謝を伝えたくて、毎週月曜日に記事が更新されると「今週もDilettanteさんと一緒に生き抜けた」と勝手に同士のような気持ちになって励まされている者がいる事を知っていただきたくて、初コメント致しました。本当にいつもありがとうございます。

    明後日には新年となりますが、2021年も御身お大切に、健やかに穏やかにお過ごしください。また記事の更新を楽しみにお待ちしています。

    • Dilettante Dilettante より:

      ゆきうさぎさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      私は昔から、人知を超えた存在?意思?原理?(うまく表現できなくてすみません)というものはハッキリと確かに在って、それが長い時間をかけて人を介して伝わるうちに『伝言ゲーム』のように内容が少しずつ違ってきたモノが既存の宗教なのだと思っています

      ええ、この認識は実のところ私とほとんど同じだと言っていいと思います。ですから私も広い意味での

      「信心」

      は深いほうだと思いますし、いろいろな考えや世界観に触れるために様々な立場からの情報を集めることは多いですし、部分部分では賛同したり共感することもあるのですが、やはり特定の宗教に傾倒してはいません。

      ですがだからこそ、あなたに

      こちらの『神とは神羅万象の総覧者』という捉え方はとても分かりやすくて腑に落ちるものでした

      と言っていただけることは、とてもありがたいですし、

      (失礼な物言いでごめんなさい。自分としては真実、真理だと完全に信じたいのですが、どこかでまだ、そう妄信するのは既存の宗教に全てを委ねて生きる人々と同じではないのか?と自問自答して葛藤する部分があるので)

      とおっしゃるのも実に当たり前なので、まったく失礼とは思いませんから気にしないでいただけたらと思います。

      以前から、たとえば

      知識と見識。「自分はこう思うからこう生きる」という指針を保っておくことは、これからますます役に立つ
      現代社会は、明らかに「高度情報化社会」であると言える。そして先日

      と書いたように、その情報はますます複雑化し、大波となって日々私たちを呑み込もうとしてきている。

      しかしこれはもともと私たちがずっと

      「必要とされる情...

      などと書いてあるとおり、私は

      自分自身が実際に様々な体験を積んできた私でさえ、「本当は、自分はただ狂っているのではないか?」と思うときがあるのだから、今のような社会のなかで生まれ育って、私の言うことをただ真っすぐに受け入れるなどというのは、ほとんど無理なのが当たり前だ。でもだからこそ、私が私なりに伝え続けている体験や想いもひとつの参考・たたき台にしつつ、あなたにもあなたが納得できる「真実」を見出し育んでいってもらえたら、それがいちばんありがたい

      という気持ちで、私なりの活動を続けているだけなのですから。

       

      なので実のところ、

      そういう弱い部分も見ず知らずの他人に晒してくださるというのは、すごい勇気だと思います

      というのも、私からすると

      たとえ「霊的感受性が今の平均より高い・高くなった」としても、本来それは別に「特別なこと」でも「選ばれた結果」でもないのだし、「霊媒行為」や、いわゆる「霊能力」というのも、本当にはひとつの「技術」でしかないんだけど、それでももし私を「特別にすごいひと」だと勘違いされて、一種のハードルを上げられたりすると困るので、それなら自分からダメ人間ぶり・自分の未熟さを開示していったほうがずっとラクだ

      と思ってやっているだけなのですが、一方ではそもそもこんなことをずっと伝え続けること自体に勇気が要るというのも一面の事実ではあるので、ともかくあなたに応援していただけていることはとてもありがたく嬉しく思います。

      それになにより、

      毎週月曜日に記事が更新されると「今週もDilettanteさんと一緒に生き抜けた」と勝手に同士のような気持ちになって励まされている

      というのは、実に冥利に尽きると言うか、うまく言葉では表しきれないほどありがたいです。本当に、ありがとうございます。

      これからも1週間1週間、1日1日を、一緒に乗り越えていきましょう。そしてその先にあなたにとって少しでも喜ばしい景色があることを、私も心から、ずっと願っています。

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