陰謀は多々あって当然。だから私も私らしく、それを粛々と前に進める

以前私は

と言った。

だが私は別にここに挙げたようなものを単に

根も葉もない、荒唐無稽な説だ

などと見なして、最初からまったく意に介していないというわけではない。むしろ私としては

「まだ根も葉もないところに根を付ける」ためにこそ、私たちはそれぞれの構想を練り、実現のために努力する。だから今までも今もこれからも、陰謀は多々あって当然だ

と、そう思っているのである。

ただここにはひとつの大前提として

水面下ではいろいろな陰謀があるとしても、その「実現可能性」や「達成度」にはもちろん差がある

という認識がある。つまり

陰謀はときに対立し合い、相克し合うものでもある。だからなかにはその存在すらも知られないうちに、潰されて立ち消えるものも多い

ということだ。

しかしそのような綱引きや紆余曲折を経て、実際に「表に出て力を発揮する」ところにまで至ったものが、そこから世界を動かし、変化させていく。逆にもし誰ひとりなにも考えていないのだとしたら、世界は停滞し、代わり映えのないままに続いていくかもしれない。だが見てのとおり、そんなふうに世界が停滞したり、完全に停止したときなど一瞬もなかった。だからやはり、陰謀はあって当たり前なのである。

ただそもそも、

「陰謀」

という言葉には既に後ろ向きで、陰湿で、なにか破壊的なイメージが付いてしまっている。だがそういう余計なものを脱色してしまえば、それはつまり

「計画・希望・アイデア・プラン・ヴィジョン……」

というものとなんら変わりないと言える。そして前に

のなかでも少し触れた

想像できることは、必ず実現できる

という表現もあるように、それは最も単純に言えば

「発想・想像」

そのものなのだ。

だから原理的にあらゆることを発想できる私たちは、あらゆる計画を立て、その実現に向かって進んでいくことができるというわけなのである。

ですからこうした観点に立ってみると、私は先日には

彼らのように「私より情熱的で急進的な守護霊たち」が私をさらに驚かせてくれると言うなら、もちろんそのときは素直に感心しつつ、私もみんなの労をねぎらいたいと思っています

2021年になりました。さらなる「加速」に挑むひとたちもいるなかですが、私も粛々とやっていきます
さて、2021年となりました。いかがお過ごしでしょうか?こないだとごあいさつしたばかりではありますが、ともかくそれはそれとして、改めて今年の初めに思うことな...

とも言いましたが、もし仮に「目に見える成果」が顕れなかったとしても(私が驚くことは起きなかったとしても)、彼らも自分の計画を実現させるためにできる限り懸命に努力をした(し、もちろん今もし続けている)ことに違いはないのでしょうから、その労は結果がどうあれねぎらってあげたいと、そう思っています。

そしてその根幹が「発想」にあるとわかればなおのこと、そこに霊存在の影響があることも自然なことだと腑に落としていけると思う。私が以前から

と言っているのも、そういう意味である。

そのうえで、私が言う「負の霊」やそれと協力し合っているひとたちが、

「私たちを弱らせ、対立させ、分断し、苦しませる」

ことを「計画」し、実践しているのであれば、彼らの最終目標・理想はいったいどこにあると、あなたは思うだろうか?ここではいちど「相手の立場」に立って、できるだけ想像力を豊かに膨らませて、自由に考えてみてほしい。

するとたとえば

「人工的に災害を起こす」

「それぞれを極限まで対立させて、大戦争を起こす」

「食糧やエネルギーの生産・供給を混乱させる」

といった計画・アイデアなら、わりとすぐ浮かんでくるかもしれない。それに実際、こうしたことが実現してしまったら、人類が滅亡してしまうことだってあり得ると思う。それは嫌だ。確かに、とても嫌なことだ。それは、決して間違っていない。

ちなみに、これが実際にどの程度広く共有されているものなのか、そして彼らを

イルミナティ

と呼ぶのが正しいのかどうかなどはひとまず脇に置いて、たとえば

などを観てみれば、ここに挙げた負の霊や彼らと協力する肉体人が目標とするものの一端を垣間見ることもできるかもしれません。

ただこの動画は演出が過剰すぎる気もしますし、音楽もおどろおどろしすぎるかと思いますので、音を消して字幕を追うか、たとえば

に記録された文字起こしを読むだけでも、意味を取るには充分かと思います。

そしてもちろん私(たち)としては、こういった「陰謀・戦略」にもかなりの力はあると認めたうえで、だからこそいつまでもこんなものにいいようにやられ続けようとは、まったく思っていません。

だがここで、あえて「究極の視点」に立ってみたらどうだろう?つまりもし、

仮にそのようなかたちで私たちが地球ごと滅びたからと言って、それですべてが終わるわけではない

と考えたら、そしてさらに

もしそんなことをしたら、本当に苦しむのは、その行動の責任をいちばんに追及されるのは、いったい誰なのか?

と考えてみたら、そこからいったい、なにが言えるだろうか?

端的な結論を先に挙げてしまおう。もしそんなことが本当に実現したら、確かに私たちも哀しいし苦しいだろうが、それ以上に追い詰められるのは、むしろ彼ら(負の霊やその協力者)自身なのである。

もしそこまで「あからさまな介入」を実行したら、その結果の責任からは、もう絶対に逃れられない

のだから。

とはいえもちろん、実際にはこうした計画も存在するし、現時点でも部分的には実現していると思う。しかも彼らはかなり自暴自棄になっていることも多いので、

最後は自分が責任を取らされていちばん苦しむことになるとか、そんなことは知ったこっちゃねぇ!とにかく俺はすべてを道連れにしてやれればいいんだ!

などと言うかもしれないし、自分でもそれが「本心」だと思い込んでいるかもしれない。

だがたとえそうであったとしても、彼らは本当の意味では、誰も

「道連れ」

になどできないのである。

確かに、究極的には世界(社会)はそこにいる全員の総意で動いているのだから、もしそんなことになって、私たちが滅亡するようなことになったら、その責任はみんなそれぞれにもあるとも言えるだろう。

だがだからと言って、

「ほとんどのひとは希望を保って一生懸命に生きようとしていたのだが、一部のひとたちの謀略と悪意により、世界は滅んでしまった」

というときに、

それを「意図的に」仕掛けたひともそれに「望まずに巻き込まれたひと」も、まったく同じ重さの責任を負うべきだ

と言うのは、どう考えても筋が通らないだろう。

もちろん何度も言うように、その結果(滅亡)自体はとても哀しい。だからもしそんなことになったら、私だってかなり落ち込むとは思う。

だがだからこそ、いずれは私もまた違う星に生まれ変わるだろう。そしてまた改めて経験を積みながら、成長していこうとするだろう。そしてもしかしたら、いつかは仲間を集めて、

「かつての地球のような星」

を創り、そこでまたやりなおそうともするかもしれない。だから私は、私たちは、きっとまた立ち直れる。

「意に反して無理やりやらされたこと」

などで、私たちの魂を、その核心を穢すことなど、できるわけがないのだから。

そしてこのくらいのことは、当然彼らだってわかっている。だからこれを「最終目的」だと思う霊は、

「自暴自棄で、経験も浅く視野の狭い負の霊」

くらいである。少なくとも

「本当に強い信念を保って、本当の意味で私たちを邪魔しようとしている負の霊」

は、こんなことを最終目的だとは思わないだろう。

では、彼らならどうするか?結局は「ただの肉体」にすぎず、究極的には「数ある星のひとつ」でしかないものに、本当には「そう重くもない傷」を負わせるだけではなく、

「魂にまで及ぶ深傷」

を負わせるには、どうしたらいいのだろうか?

ここまで考えて、ようやく彼らの最終目的を察することができる。つまりそれは

「私たちがなんとしても避けなければいけないもの」

であり、

「私たちを追い詰めるための最凶最悪の陰謀」

である。しかしそうであるにもかかわらず、

「今の私たちにはかなり身近で、誰でもいちどは陥りそうになるもの」

でもあるからこそ厄介なのだ。こう言えばもう想像はつくと思う。そう、それこそが

「私たち自身にその責任を負わせるために、望んで自滅の道を歩ませる」

という、計画・作戦なのである。

経験豊富で信念が深く、上に立つような負の霊であれば、彼らはみんな知っている。

生きていたいと心から願うひとを無理に殺したら、その責任を問われるのは自分だと。

それにもちろん知っている。

なにかをいちど与えたら、大きくなって返ってくると。

だからそんなことを地球上のすべての生きものについて行ったら、なにが起こるかは予想もつかない。

そんなことは、本当にはあまりにも明白なのである。だから彼らは、そんなことは望んでいない。そしてだからこそ彼らは代わりに、私たち自身に望ませようとする。

死なせてください!

と望む私を殺しても、その責任は彼らにはないから。「まったくない」とは言わないまでも、それはまず第一に、私が負うべきものだから。

こんな世界は大っ嫌いだ!

とみんなが言うのなら、それを滅ぼすも好きに使うも、それは単なる手助けだから。毒を薬だと思わせることができたら、相手は自ら望んで、それを口にすることになるから。

だからこそ、彼らは私たちを誘い、揺さぶり、唆すのだ。だってこれは、「私たちの人生」なんだから。自分の人生の最終決定権を持つのは、そしてだからこそいちばんにその責任を負うことになるのは、やはり他の誰でもない、自分自身なんだから。

「自分で望んだものを自分の望まないかたちで、しかし『自ら引き金を引かされて』潰される」

というのが、私たちにとって最も深い痛手になるんだから。

と、こうして私が知っているくらいのことは、彼らだって知っている。彼らが考えるくらいのことは、私だって考えている。そしてそれを私たちは、お互いによく知っている。だって私たちは結局、「立場」が違うだけなんだから。

そしてそんな私はだからこそ、

たとえ世界が滅ぶとしても、自殺だけはしないでください

と、ずっとあなたに懇願するのである。そしてできればもうひとつ

もしなにもしなくても世界が滅びるのであれば、負の霊があんなに躍起になると思いますか?

ということもお伝えしたいのだ。それに私が前から

と言っているのも、そういう意味なのである。

だから私はやはり、ひとつひとつの陰謀や計画そのものを、過剰に恐れようとは思わない。だって

それは結局、「たったひとつの最凶の計画」が派生したものにすぎないんだ

から。そしてそれはつまり

彼らでさえ「私たち自身の協力」がなければ、その核心を侵すことはできない

ということなんだから。

ただだからこそ、あらゆる陰謀は究極的に、私たち自身を巡って起きているということなのである。言い換えれば私たちひとりひとりの存在は、やはりそれほどに尊く、力強く、かけがえのないものなのだ。

だからそれを知っている私にも、もちろん私なりの「計画」はたくさんある。そしてそれは結局のところ、「発想」にかかってくる話なのだ。だからたとえどんな苦境に立たされたとしても、むしろそのときこそ、柔軟な発想をしよう。そして

「誰もが思いもしなかったこと」

が起きたとき、それが「奇跡」と呼ばれるのである。でもそれだって本当は、誰かが発想し、育み続けてきたものなのだ。

だから誰がどんなことを思い描いていようが、私は私の種を蒔こう。私の計画を粛々と進めよう。それはまだまだ充分には世に顕れていないから「陰謀」と呼んだっていいんだけれど、せっかくだから言い換えよう。それは私の「願い」であり、「希望」なのだから。そしてあなたにもそれがあったから、あなたは今ここにいるのだ。だからそれを自らかき消すことだけは、どうか踏み止まってほしい。でもそれはまず第一に「私の願い」なのだから、誰よりまず私が自分で伝えよう。私の望む世界のために、私がここから、伝え続けよう。いつかあなたが心から、笑顔になれるその日まで。

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