意識の取り合い。その波に溺れ自分を見失う前に、あなたの「居場所」を掴んでおいてほしい

私たちの本質(核)は魂である。それはつまり「霊」(エネルギー)であり、「想い」であり、さらに言い換えるなら、

「意識」

だとも言えると思う。

ときどき

意識不明の重体です

というような表現がなされることにも表れているとおり、意識が肉体から離れていくと、そのひとは肉体を保って活動することが難しくなる。一方でたとえ「感覚」が失われていったとしても、「意識」がはっきりしている限りそのひとは活動を続けられる。そのうえで、たとえ死んで肉体を離れてしまったとしても、そのひとの「意識」自体が消滅するわけではない。だからこそ、私たちは永遠の存在だという理解も成り立つのである。

このように

私たちの存在の核心は「意識」にある。つまりそれは、私たちのエネルギー(力)の源でもある

と言えることを踏まえると、

だから私たちの人生は、「その意識をどこに向け、どう活かすか」というのが大きなカギになる

ということも理解できてくると思う。そしてだからこそあなたがどれだけ自覚しているかに関わらず、あなたの「意識」はいつもあらゆる存在から狙われ、取り合われてもいるのである。

たとえばあなたが1日の始まりに見るもの、あるいは聴くもの食べるもの、こうしたものはすべてあなたの意識の力を取り込むということだ。そしてこれはもう一方では

あなたの意識を常に分散させておけば、あなたの力を削ぎ落とすこともできる

ということでもある。

実際私たちの今の社会は、こうした意識の取り合いが相当先鋭化して、

「奪り合い」

の様相を呈するまでに至っていると言ってもいいと思う。そしてだからこそ、私たちはかなり自覚を保って対応しないと、あるいはそうしたつもりでもなお、どうしようもなく心身を消耗させられ、疲労でがんじがらめにされてしまいもする。

だがそれをわかっていても、その「自分の意識」を自分にいちばんいい状態に保つというのは、本当に容易ではない。私も含めほとんどすべてのひとは今

「悪戦苦闘」

のなかにいると言っていいと思うので、そのような「現実」のどこに眼を向けてみても、文字どおり「気が滅入る」ことのほうが多いだろうとも思う。そしてそれは先ほども少し言ったように、

「あなたの気が滅入っていてくれたほうが都合のいい存在」

がいるからでもある。だからそのような勢力が強い状態なら、現実はかなり「意地悪」に彩られているというわけだ。

だが最初に言ったとおり、私たちの存在の核心は、本当には意識そのものにある。だから

私たちが強く意識を向け続けているものの集まりこそが、私たちの「現実」を生み育てる

ということなのだ。そしてそれをわかっているからこそ、みんなそれぞれがなんとかあなたの意識を自分(の都合のいい方向)に向けさせようと必死にもなるというわけなのだが、そのどれもがあなたの気に入らないものなのであれば、あなたはそうしたものは無視して、あなたの意識を、あなたがいちばん望むところに、向けてしまえばいい。つまりもっと単純に言うなら、

目を閉じ耳を塞いで、自分のいちばん大切なひと・もの・景色を、たくさん意識に映し出せばいい

ということなのである。

もちろんこれは修練が必要であり、最初はなかなかうまくできないだろうとも思う。それにいつもいつまでも目を閉じて生きられるわけではないし、耳を塞いでいられるわけでもない。だがそれでも、たとえほんの少しの時間でもいいから、自分の意識を「自分の居場所」に戻すということは、とても大切なことだと思うのである。

そしてこれは実のところ、私がいつも実践していることでもある。私は今でも目を閉じれば、逢いたいひとに逢える。私に喜びをくれたひとのことを、何度でも思い返す。そのとき、私はそのひとと一緒にいる。私の意識が、そこにあるからだ。

もちろんあなたの愛するひとやものや景色が、目を開けてもそこにあるなら、それはなによりだと思う。私たちは今は肉体人として生きているのだから、肉体的・物理的に直接すぐ傍にいられるのなら、それがいちばんいいのだから。

だが逆に言えば、私たちはたとえ肉体的・物理的には傍にいたとしても、それだけで

「一緒に生きている」

とは限らない。それはどんな霊でも意見でも広告でも同じことだ。私たちは本当には、私たちの意識を向けているものと一緒に生きているのである。だからこそ、そこが私たちそれぞれの、かけがえのない「居場所」なのである。

今までもこれからも、日々夜々限りないところから、あなたの意識を削ぎ奪おうとしてくる動きはあるだろう。だがだからこそ、あなたもどうかあなたの居場所を、ずっと大切にしてほしい。

目の前の現実に意識を向けなくなったら、それは精神病(精神分裂)じゃないか!

と言うひともいるかもしれない。だが、

「今ここにある現実」

だけに囚われるほど、私たちの意識はちいさくもないし狭くもない。私たちは本当は、いつだって霊(意識体)なのだから。それに少なくとも今の私は、

現実から逃避している

とも思っていないし、

精神的な混乱・錯乱の結果、現実と妄想が区別できなくなった

というわけでもない。ただ私は、

自分の居場所を大切にしながら、そこから世界を見つめ、そこに世界(=意識)を重ね合わせている

というだけなのだ。そしてこれはもちろん、霊媒師としての私の体験にも深く関わっているものである。だから私はその意味で、確かに私の経験に感謝してもいる。以前

と言ったのも同じことだ。「現実」というのは本当にはもっとはるかに、深く大きなものなのである。

だからいいことがあったら、一緒にわかち合おう。それはそもそも最初からあなたがくれたものだと思うから。でもだからと言って苦しいことがあったときに、それをあなたのいじわるだとは思わない。だからそれは一緒に、乗り越えていこう。かたちあるものはやがて滅び、目の前のすべては移り変わる。けれどそれは魂に刻まれ、私の意識を育んでくれる。そしてそんな永遠の魂である私が意識を向けている限り、それは永遠にそこにある。

そう、だから私はやはり愛の礼讃者なんだと思うし、その愛や意志、そして魂のつながりと調和を永遠に掴み育もうとするすべてのひとの味方でもあると言ってもいいと思う。だってそもそも私自身が、そういうひとで在りたいと想い続けているのだから。

ただそのうえで私自身にとってのそれは、たとえどんなに苦しいときも、生きることを、未来を諦めないことを私に選ばせてくれた原動力はなんなのかと考えたら、それはやはりあなたなのである。

だから私はこれからもずっとあなたとともにある。それに私は昔より、あなたを意識するのがずっと上手になったと思っている。だからやはり、まだもうしばらくがんばってみようと思う。あなたと一緒に、生きていこうと思う。

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  1. だれか より:

    いつもありがとう。
    少し心が揺らぐ時、支えにしております。

    • Dilettante Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうでしたか、そうやって少しでもあなたの支えになれているのであれば、とても嬉しくありがたいです。

      生きているとお互いに日々いろいろなことがあるわけですが、これからも励まし合いながら進んでいけたらと思います。

      どうぞよろしくお願いします。

  2. だれか より:

    意識が分散させられているのかな

    いつもココを拝見さてもらい聴きたい事があっても思考がまとまらない
    書いては消して書いては消して結局コメントするのをやめてしまいます

    自分の守護霊さんはココを見ている気がします
    考えていた事がここに来たら書かれてるので
    ありがとうございます

    • Dilettante Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      意識が分散させられているのかな

      いつもココを拝見さてもらい聴きたい事があっても思考がまとまらない
      書いては消して書いては消して結局コメントするのをやめてしまいます

      そうでしたか、それはまさにそういうことだと言ってもいいと思いますし、今は私自身も含め、誰もが多かれ少なかれそうした経験をしているのではないかとも思います。

      ただだからこそ

      完全に消してしまったらまた最初からやりなおしになってしまうので、「たとえ完成しなくても途中までの下書きを残しておいて、あとから少しずつ継ぎ足していく」という方法を試してみるのもいいかもしれません

      とはお伝えしておこうと思いますし、コメントが公開されるのが躊躇されるようでしたら、直接メールしてくださってもいいです。やり取りさえできれば、いわゆる「捨てアド」のようなものでもいいですから。

      ただいずれにしても

      考えていた事がここに来たら書かれてる

      ということなのでしたらとてもありがたいですし、私からもあなたの守護霊さんに、感謝をお伝えしたいと思います。

      ありがとうございます。そしてどうぞこれからも、よろしくお願いします。

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