苦しくても狂うな。「あなたが望むあなた」から遠ざけるものは、あなたの玉座に置かないでほしい

以前、私は

と書いた。そのときも私は、

「自分に必要な苦しみ」以上のものをあなたに与えようとしてくる存在(煽り)には、決して屈さないでほしい

という想いを込めたのだが、やはり今を生きるにあたって、苦しみといかに向き合うかという問いはとても大きなものだと思うので、また改めて、ここで考えを深めていきたいと思う。

そもそも、今言った

「自分に必要な苦しみ」

という表現は、

にまとめた対話を踏まえてのものなのだが、最も素朴に正直に言えば、

もし苦しまなくて済むのであれば、本当は少しも苦しみたくはない

という想いもあるというのは確かだと思う。ただ一方で、

苦しみから学べること・苦しみを糧にして成長できることも確かにある

という事実を認めないわけにもいかないだろうとは思う。だからその意味で、

少なくともある種の場面や状況においては、苦しみが「必要」と言える場合もある

というような言いかたで言われるのであれば、諸手を挙げて賛成はできないにしても、そう言いたくなる想いを酌むことくらいはできると思う。

ただ、たとえそこまでは認めることができたとしても、私もできるだけ苦しみたくないし、あなたにもできるだけ苦しんでほしくないと思うのはなぜなのかとさらに考えていくと、それはやはり

苦しみが自分の許容量を超え続けると、やがてそれはあなたを狂わせ、潰そうとする力になるから

だと言えると思う。つまり、それが「ただの苦しみ」に留まっているだけならまだいいのだ。それに、成長には多かれ少なかれ痛みや苦しみも伴う。だから

「あなたの理想・目的に向かう過程で、あなたが堪え忍べる範囲での苦しみが表れている」

というだけなら、そしてあなた自身がそれに納得できているなら、私もそこまでとやかく言うつもりはない。だがそれでも

あなたが苦しみ続けたことで、あなた自身の理想や目的、それに大切な願いさえもわからなくなってしまって、あなたではないものになる(狂わされる)ことになることにだけは、なんとしても抵抗したい

というのが、私の立場であり、切実な想いなのである。

強くなりたかったら、お前がこの先も生き抜いていきたいなら、今のお前にとっては致命的(と思えるよう)なダメージを受けても、それでも死なずに(自分を失わずに)堪え続けることだ

私はかつて、このように言われたこともある。そして本当に正直に言えば、確かに私はこうやって強くなってもきたんだろうと思う。ただだからと言って、私はあなたにまでこんなやりかたを勧めることは絶対にしたくない。それにもっと単純に言って、

それはもはや、今の時代(を生きるひとたち)にはそぐわない

と私は思っている。そういう時代・状況・環境は、もうそろそろ本当に終わりにするべきなのである。

だから私は、やはりあなたにもできれば苦しんでほしくなどない。百歩譲って「苦しむ」だけならまだしも、あなたがあなたでなくなるような、あなたを狂わせてしまうような、そんなものはなくしてしまいたいと思う。そしてそれは、いずれ必ず実現できることだとも思う。ただその過渡期である今は、現状の地球では、まだまだ多くの苦しみや哀しみが存在するというのも事実だと思う。だから私は、

私もなんとしても狂わずにいたいし、あなたにも狂わずにいてほしい。だって私は私であり、あなたはあなたなのだから

という想いを、その原点を、掴み続けていようと思っているのである。

だから私はその意味で、少なくとも今はまだ、

と言った師と完全に同じ立場ではないし、それどころか

苦しいのなら、なにかが間違っている

とさえも断言はできないと思っている。ただそれでも

あなたが狂ってしまいそうなら、自分が自分でないような気がしたり、自分の存在自体が不要で無価値なもの、それどころか有害なものだとさえ思い込んでしまったりしていると言うのなら、そんな考えは間違っている

とは思う。しかしそうでありながらもう一方では、私自身もよくそういう考えに囚われそうにもなるのである。そしてその記録の一部は、ここにもずっと残してある。

だからそんなとき、今までの経験も踏まえたうえで、私はたとえば

や、その他にも

に書いた方法なども活かしながら、なんとか自分を取り戻そうとしている。それに最近はまた改めて、

なにかを自分自身に言い聴かせたいとき(想いを自分に染み込ませたいとき)には、鏡を遣うのもやはりいい手だ

という感覚を強めてもいる。

「自分自身を見つめなおす」ために、「自分の姿を直接見る」というのは(鏡を通しているという意味で、厳密には「間接的」だとしても)、実際とても役に立つ

と感じるからだ。

とはいえもちろん、そんなふうに苦しいときや病んでいるときというのは、わざわざ鏡を見るまでもなく自分の状態の悪さには薄々勘づいているだろうとも思うから、そんな「ひどい顔」を直視するのはとても気が進まないし、嫌なことだろうとも思う。だがそれでも

そうやって「自分自身が自分の姿を直視できない・描けなくなっている」ところにこそ、「『まるで自分かのような顔をした、自分ではないなにか』が忍び込み、侵食する隙」もできてくるものだ

ということなのである。だから、あなたもあなた自身を知らなければいけないのだ。

「あなたが今どう思っているか」ではなく「あなたが本当はどう思いたいか(在りたいか)」を確かめて、掴んでいなければいけない

のである。そしてそれこそがあなたの「核心」であり、だからこそそれを置いてある玉座に「あなたが望むあなた」から遠ざけるものを、それを望むひとたちを置くことだけは、絶対に、断固として、拒否しなければいけないのである。

だが最後にもうひとつだけ補足しておくと、たとえあなたが一時的に狂ってしまったとしても、「あなたであるようであなたではないもの」になったとしても、それでもう未来永劫どうしようもなくなるというわけではない。だって、あなたがあなたである以上、その「国」を治めるのは、その主権を保っているのは、本当は、いつだってあなた以外にはないのだから。だから究極的にはやはり、

すべての苦しみや狂気は、あくまで一時的なものであり、決して永続はしない

のである。これは言い換えれば

たとえ「一時的に苦しみが必要なとき」があったにしても、それは決して「絶対に、永遠に必要なもの」ではない

ということでもある。だって私たちは、苦しみによって創られ生まれたわけではないからだ。たとえそれを今の私たちが忘れかけているとしても、私たちはそれぞれがかけがえのない愛と願いを核として生まれ、ここまで育ってきた存在なのである。

だから私も、ずっとそれを追究していこうと思う。それは私の願いなのだから、私の永遠を懸けて、私が必ず、実現していこう。そしてそんな私は、あなたの願いもやはりかけがえなく尊いと思うのだ。だからせめて心から願おう。どうかあなたがいつまでも、あなたらしくいられますように。そしてあなたの願いが、あなたの想像を超えた喜びが、あなたのもとに実現しますように。

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  1. 無明 より:

    先程コメントしたものです
    このブログから「苦しみ」関連の記事を読み、またここに戻って拝読しました。
    苦しみは一時的なものと言いますが、少なくとも私はかなり幼少期から特に対人関係に関わる重苦しい憂鬱な感覚を持っており、そこから波及してあらゆる事に気が重くなっています。
    波はあれど、その重苦しさがもうずうっとずうっと続いている為、これが一時的なものとはとても思えません。魂の永遠の旅路のほんの一コマであるとしても、感覚としてついていかない。
    過去生も覚えていないし、今生で心から楽しかった記憶は数えるほど、それすらもその後に続く事を思い出すとかき消えてしまいます。まして愛と願いを核として生まれたなんて言われても今の私には全く実感が湧きません。
    寧ろ、私と言う負の霊が、他の魂が入るはずだった肉体を奪って生まれ変わって来たのではないかと思えて仕方ないのです。そんな話がいつかのブログにありましたね。あれを読んでもしかすると自分もそうなのではないかと思いました。だってそうでなければ幼少期から続くこの憂鬱感と邪な強い思いは理解できません。

    本来の自分とか、なりたい自分など皆目見当もつきません。例え思い浮かべても全て借り物の様な気がします。
    本を読んだりセミナーで学んだりしてこれが自分なんだ、自分の願いなんだと目の前が開けたように思った事もあったけれど長続きしませんでした。結局本来の私でも、私の願いでもなかったのだと思います。

    そもそも本来の私なんてあるのか、私の願いなんてあったのか?
    重苦しくて満たされることのない黒い欲求や自己否定感にズブズブに浸かり切ってどうにも身動きの取れなくなった今となっては、もしも万が一以前はあったとしても思い出す事はできそうにないし、もうどうでも良い気もします。
    否、この感覚こそが自分自身そのものでは無いのかとさえ思えます。それくらい慣れ親しんでる感覚だから。

    これが自分自身だとしたら、そうでなくてもおいそれとは抜け出せないとしたら、消滅したい、本当に。
    今はただこの抜けられない苦しみから解放されたい、願いはそれだけです。
    本当に、消滅したい。
    「私」を、この霊存在を消してしまいたい。終わらせたい。もう沢山です。

    私はあなたにすがりながら、一方であなたを苦しめる負の生き霊の一人かも知れません。
    あなたがいなくなったらきっとものすごい喪失感だと思います。
    きっと生きとし生けるものの苦しみをそこまで我が事の様に感じ、共に苦しむあなたを生身の六地蔵様の様に感じているから。
    そんなあなたに甘えてあなたを苦しめる様な思いばかりぶつけてしまってごめんなさい。
    先程も書きましたが、こうして思いを吐き出して良いのだと思える、その価値があると思える場所があること
    そしてこの苦しみを理解したいと真剣に思ってくれている方がそこにいること。
    それだけでどれだけ救わているかわかりません。

    • Dilettante Dilettante より:

      無明さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      まず最初に、このお返事は前回

      苦しみを自分の手に取り戻す。これは「自分の苦しみ」だから、決してそれに呑まれるな
      先日私は、

      と書き、さらに

      とも書いた。

      そしてそうした思索をさらに続けていくうち、私は

      自分の苦しみと、どうやって向き合い、付き合っていけばいいのか?

      という問いに対する答えを、自分なりに深め...

      のコメント欄でのやり取りを踏まえた続きものでもあるので、こちらにもリンクを張っておきますね。

      それで、引き続き私は私の素直な気持ちを率直にお伝えするだけなのですが、第一に私は、あなたがいろいろな紆余曲折もありながら、

      今はただこの抜けられない苦しみから解放されたい、願いはそれだけです

      とおっしゃっていること、そこにまず注目したいと思うんですよ。

      すると確かにこの言葉は、その前後の

      消滅したい、本当に。

      本当に、消滅したい。
      「私」を、この霊存在を消してしまいたい。終わらせたい。もう沢山です

      に挟まれているので、一見するとそちらの印象のほうがずっと強いようにも思えるんですけど、でもそれだって本当は、

      これが自分自身だとしたら、そうでなくてもおいそれとは抜け出せないとしたら、

      という留保あってのものじゃないですか。それなら私がそれを聴いて、

      じゃああなたは結局、「もしこの苦しみから抜け出せる方法があると言うなら、別にどうしても消滅したいというわけじゃない。本当に私にも、こんなに苦しまずに生きられる方法があると言うなら、私だって本当は、もっと生きてみたい」ということを言っているんだ

      と解釈したっていいということですよね?これは別に、「揚げ足取り」ではないでしょう?

      ただあなたはきっと、

      そんなこと言われたってこれは本当に永いこと、物心ついたときから今までずっと消えたことがない感覚なんです!それに自分だって最初から諦めていたわけじゃなくて、今まで少なくとも10年以上、一生懸命努力して変わろうとして、確かに少しは変わってもいて、なのにやっぱり変わらないから、それであまりに疲れたから、だからもう本当にどうしようもなくて、こういう思いになってるんですよ!

      と思うでしょうね。それに実際、ずっとそういうことを言っているんですもんね。

      何度も言うように、私はあなたのそのお気持ちを、そしてそこに至るまでの苦悩や努力を否定しようなんて、そんなことはまったく思っていません。ただだからこそ私は、私としては、

      それでも、それでもなおあなたには、ラクにしあわせに生きられる可能性が、まだ残されているんです。そしてそれを直に味わうためにこそ、あなたの人生は、まだまだ続いていくんですよ

      と、そう申し上げたいんです。

       

      しかもこれは別に「概念」だけを語っているわけでも、「なんの具体性もない空論」を振り回したいわけでもないですし、さらに言えばその方法はたったひとつでさえありません。

      たとえばまず

      負の霊団が私たちに影響を及ぼすときの「古典的な戦術」を知ってほしい
      私たちは古代から現代に至るまでの間に多くの変化を経てきたし、同じ「日本」という枠組みのなかで見ても100年前と今の姿は大きく異なっている。しかし、実のところそこで生きる私たちの性質は、それほど変わっていないとも言える。これを端的に言い換える...

      に挙げた

      私は、喜びとともに生きていきます。変わっていきます。だからその想いを共有できない存在、私のその意志にそぐわない存在、私を苦しめようとするような存在は、離れていってください。そして私は、一緒にお互いの喜びを深め合える存在とともに歩んでいきます。守護霊さん、みなさん、力をわけ与えてください。そして一緒にその喜びを、育んでいきましょう。よろしくお願いします

      というような言葉を、自分の言いやすいように多少換えてもいいので、折に触れて心のなかででも口に出してでも、自分と世界に言い聴かせ続けるというのがひとつあります。

      ただ正直に言うと、これは今のあなたにはかなり取り組みにくいものだろうとも思います。というのはきっとあなたは負の霊とのつながりを強く意識する一方、守護霊とのつながりを感じることはほとんどないうえに、おそらくこういった言葉を自分から発しようとするとそこにはかなりの「反発・反抗心」を感じるだろうとも思うからです。とはいえもちろんあなたがやれそうだと思うならやっていただければありがたいので伝えておくのですが、ともかくこれはこれとして、次に行きます。

      その2つめの方法は、

      絶喰の盟約。お前の苦しみの真の原因について
      久しぶりに、仲間たちからの言葉を共有してみようと思う。だが彼は、単純な私の「仲間」というには、かなり語弊がある。誰より彼自身が、私の「仲間」と括られることに、抵抗を感じるだろうとも思う。だが私と彼の付き合いは、とても古くからのものであり、私...

      で提示されている方法で、つまりそこにあるように

      絶喰の盟約に基づき、この絶望を、引き渡す

      という意志を表明し続ければ、おそらくはその絶望やそれを煽る霊たちも、少しずつ確実にあなたから離れ、彼に引き渡されることになると思うんです。

      ただ、そうは言っても彼はなかなか近寄りがたい雰囲気を保ってもいると思いますし、よく知らない相手とよくわからないことをするのも躊躇されると思いますので、その場合の代替案が3つめの方法、つまり

      「彼ではなく私に、その負の霊を引き渡す」

      という方法なんです。

       

      これは理想的なことを言えば

      「あなたと私が直接お会いして、その場で直に引き渡してもらう」

      のがいちばんわかりやすくて確実なんですが、そこには時間や費用がかかるうえに、なによりあなたが私にいろんな素姓を知られるというリスクがあるので、こうしてハンドルネームでコメントやメールをするのに比べて、あなたにとってのハードルが高すぎるとも思うんです。

      なのでその代わりに、たとえばあなたがだいたい一定の時間に、気持ちを切り替えやすくするために窓を開けたりなにかしながら

      私はもうあなたたちと一緒にいたくない。だって今まで気持ちがめちゃくちゃになって、自分が何者なのかもわからなくなって、もう本当に限界だから。だからこれからは、私の代わりにDilettanteのところに行ったらいいよ

      と伝えるような方法でも、目的を達するにはまぁ充分だろうと思うんですよね。あなたが心のなかでちゃんと「私」を意識してさえいれば、その表面的な宛先が”Dilettante”であろうが「あのひと」であろうが、霊なら基本的にそれでも充分なので。それにもちろんこの件には私も合意しているわけですし、倫理的道義的に見ても、あるいは世界法則に照らしてみても、誰かに非難されたり阻まれたりする筋合いはないと思いますからね。

       

      ただ、ここで私からひとつだけはっきりとお願いしておきたいのですが、

      この1〜3のいずれの方法を用いるにしろ、あるいは併用するにしろ、それがあなたに実感をもたらすまでには、それなりの時間がかかります

      ということだけは、どうかご理解いただければと思います。ですからそれまでは、どうか途中で投げ出さずに、たとえ一時的にやめたとしてもまた戻って、続けていただければと思うのです。

      というのは、たとえこうした方法であなたに影響を与える負の霊の一部が離れていったとしても、その「空白地」はまた別の負の霊で埋められることにもなるうえに、そもそももともとの付き合いがそれだけ長いのであればなおさら、いくら「主権者」であるあなたの要求であっても、すぐには受け入れないことも多いと思うからです。

      ただたとえそうであっても、あなたがずっと毅然として「本気」を見せ続ければ、彼らもだんだんと諦めてくると思うんです。それにいくら「代わりの負の霊が山のようにいる」とは言ったって、

      下手に無明に手を出したら、どんどんDilettanteのところに送られるらしいぞ

      みたいな評判が立つようになったら、それでもわざわざ飛び込んでくるほどの気骨のあるひとは限られてくると思うんですよね。だってやるとなったら、そりゃあ私だって本気でやるわけですから(それにこういう話を持ちかける時点で、私も心の準備はできてますから、もういつ発動されても問題はないです)。だからそうなった時点で、私のところに用がある霊は直接私のところに来るようになるでしょうし、そこまでの気概がない霊ならそもそも最初からあなたに手出ししなくなるので、やがて潮が引くように去っていく・数が減っていくということなんですよ。原理そのものは、とても単純でしょう?

       

      ただ何度も言いますが、これにはそれなりの時間が必要です。そしてこれはごく単純に考えてもらえばわかると思うんですが、あなたの今までの苦しみが何十年、あるいはその前から何百年も続いてきたことだとしたら、それをたった数秒や数時間、あるいは数日や数か月で解決できると言うほうが、ちょっとおかしいと思いませんか?私は別に「魔法使い」ではないんです。それにこれは「奇跡」でもなんでもないんですよ。ただ私は、

      最初はきれいだったものが時間をかけて少しずつ汚れていったんだとしても、だからこそ同じくらい時間をかければ、また必ずきれいになる。だから時間がかかることは覚悟しないといけないし、それは簡単でもないけれど、それでも根気よく続ければ、いずれ必ずクリアできる

      という話をしているだけなんです。だからたとえ今のあなたにはまったく信じられないような話だとしても、これは私からすると、ごく当たり前の話なんです。だってこれは「部屋の掃除」とか「エアコンや換気扇の掃除」などと、スケールは違えどまったく同じ原理なんですから。ただ

      時間をかけて溜まった汚れを落とすのは、そこを餌場にする習性がついた雑菌を追い払うのは、それ相応の時間がかかる

      という、本当にそれだけの話なんです。だからどうか根気よく、時間を与えてほしいと思うんですよ。それにまぁ実際には1年やそこらでも、それなりの実感は出てくるんじゃないかとも思いますし。この世界の「密度」は、それだけ濃いですからね。

       

      ただ、実はここまでの話は本当はすべて

      「前座・前置き」

      のようなものであって、私が本当にしたかったのは、ここからの話なんです。というのも私は、ここでぜひあなたに訊いてみたいんですよ。

      もしあなたの苦しみが本当に消えるとしたら、あなたが消滅する必要なんてまったくなく、あなたが実際にラクでしあわせに生きられる道が本当にあるんだということをイメージしたら、そのときあなたは嬉しく思いますか?それともそれはあなたにとって、実は寂しかったりつらかったりすることですか?

      と。

       

      ただまずわかってほしいのは、私はあなたを責めたりむやみに問い詰めたりするためにこんなことを訊いているのではないということです。ただ私は、ひとつの可能性を確かめたいんですよ。つまり

      あなたがそれだけ永いこと、それだけ強く負の霊に影響され、一方でどんなに努力しても、一向にそこから逃れられず、他にやりたいことも夢もなにも思い浮かばないのは、もしかしたら「負の霊と伴に居続けることで、苦しみや負の念を味わい尽くす」こと自体が、あなたの生まれる前からの、あるいは今生の、大きな目的だからなのではないか?

      という可能性についてあなたがどう感じるか、私はそれを、あなたに訊きたいんです。

       

      こないだから言っているとおり、私はあなたが今までも、そして今もなお強い負の念に苦しめられていること、それ自体はまったく疑っていません。ただ私は一方で

      もしそれが事実ならなおさら、それなのになぜこのひとはこんなにも余力を残せているんだろうか?

      という疑問がずっとあるんです。もちろん、たかが数回のやり取りであなたのことをわかったつもりになる気もありませんし、あなたは実際にはもっと苦しんで、たとえばよく寝込んだりしているのかもしれないし、それどころか何度も自殺未遂を繰り返したりもしているのかもしれません。だからあなたは本当に、苦しいんだろうと思うんです。

      ただあなたは一方で、

      私は、私たちが永遠の存在である魂である事は小さい頃から疑う余地なく感覚として「知って」いる様に思う

      ともおっしゃるわけです。それならおそらくその実感は、あなたの自殺を止めるのにとても役立つでしょう。

      またあなたは

      怒りや破壊衝動や嫉妬や渇望感、、そうしたものがあまりにも強く、もう自分ではどうしたら良いのかわからない状況

      だと言う一方で、たとえそれが

      失いたくない、嫌われたくない、バカにされたくない、認めて欲しい、優れていると思われたい、、

      という思いに支えられたものなんだとしても、結果として

      人からは良く見える行動

      だって取れるわけじゃないですか?こういうことを見ていくにつれ、実は私はどうしても

      ここまで負に呑まれながらも、最後の一線は越えずにちゃんと踏み止まっている。それになにより自分の現状をここまで冷静に観察できてもいる。これはなんと言うか、少しバランスがよすぎる。まるで生まれる前からこうした事態も想定して、入念に準備をしてきたかのように。だってそうでなければ、普通だったら、そのレベルの念にこれほど長期間晒されて、この程度の被害で済むとは思えない

      と思わざるを得なくなってくるんですよ。だから私はその可能性について、あなたと一緒に確かめたいと思っているんです。

       

      実際、今のあなたならよくよくご存じのとおり、負の念に晒され続けるのはすごく大変なことなので、それ自体に意義を見出すのは、本当に容易ではありません。だからこそ、今言ったような可能性を考慮すべき事態というのは通常はほとんどないんですが、でもそういう例も確かに、なくはないんですよ。

      じゃあなぜわざわざそんな人生を選んでくるのかと言えば、たとえば

      大切なひとが負の霊になってしまった

      とか、

      負の霊のことをどうしても気にせずにはいられない

      負の霊にだっていろんな事情はあると思うし、できることなら理解し合って、一緒に変わっていきたい

      とか、もしそういう想いが強い場合には、そういう霊(魂)であるなら、その目的のために、それに適った人生を組んでくる可能性も、確かにあるということなんです。

      でも今のあなたにとっては、それよりも

      寧ろ、私と言う負の霊が、他の魂が入るはずだった肉体を奪って生まれ変わって来たのではないか

      という説明のほうがしっくり来るのかもしれませんね。でも

      基本的に「なんでもあり得る」世界において、どんな自分を育て、どうそれを保っていけばいいだろうか?
      「悪魔の証明」

      と呼ばれるものがある。これはごく簡単に言ってしまうと

      「『○○が存在しない(あり得ない)』ということを証明すること」

      であり、それは

      「『○○が存在する(あり得る)』ということを証明すること」

      ...

      に書いたように、その「実例」を少なくともあなたよりはるかによく知る私としては、

      いやいや、あなたとあのひとを同列に並べることは、あまりに無理があります

      と言うしかないわけで、それよりは上に挙げたような理由のほうが、ずっとずっと腑に落ちるんですよ。だってあなたはそんな「筋金入りの負の霊」にしてはあまりにも、ひとが好すぎると思いますよ?

       

      まぁ、実はそれもすべて計算のうちで、そうやってまず私から信頼を得て、目いっぱい油断させてから寝首を掻こうという作戦なんだと言われたら、それも一応は通る理屈なんですけど、でもそれならそれであなたは「尻尾を出すのが早すぎる」んですよ。そんな

      「10メートル先から青龍刀を振り回して近づいてくる」

      ような真似をしたら、暗殺なんてできるわけがないでしょう?だから私はどうも、納得できないんですよね。結局どんなにもっともらしい理由を並べてみたところで、地はそうそう隠せないものなんですよ。だから私はあなたの仮説の代わりに、こういう自前の仮説を立てたわけです。

       

      ですがこれはあくまで

      「今の私の印象に基づく仮説のひとつ」

      にでしかないので、別にそれが私の考えすぎだったら、それでいいんです。それに本当は「もっと一般的で常識的な仮説」だって、他にいくらでも立つんですからね。

      また逆に言えば、もしこの仮説が実際に的を射ていたとしても、

      あなたに限らず、たとえ生まれる前にどんなに綿密な計画を立てたつもりでもそのとおりに行かないのは世の常だし、それを実践するのはほとんどの場合、予想よりずっとつらい

      というのも間違いないと思うので、とにかく今のあなたが疲れきっていることが事実である以上、とりあえずいったんはラクになろうとしてみて、その後のことはまた改めて考えなおすことにしたっていいんです。そもそもどんなことだって、独りだけでやる必要はないんですからね。

       

      と、全体を通すとご覧のとおりだいぶ長くなってしまいましたが、私があなたの一連のコメントから感じたことを、こうして正直に書いてみました。なのであとはあなたが感じるところにおまかせしたいと思います。ともかく今の私がお伝えしたかったことはおおよそ網羅できたと思うので、これだけ言っておければ、たとえあなたから返事があろうがなかろうが、私も悔いはないです。

      とはいえそれにしたってこんなに長いお返事を読むのはけっこう大変だろうとも思いますが、だってあなたがいつまでもここにいて、私の話に耳を傾け続けてくれる保証はどこにもないわけじゃないですか?だったら言いたいことは、言えるうちにだいたいぜんぶ言っておかないといけないと思いませんか?ですからどうかそうした私の意図をご理解いただければと、そう思っています。それにまぁよく考えたら、普段の文章だっていつもこれくらいの長さがあるわけですから、あなたが今までもそれをいろいろ読んできたというなら、このくらい書いたって別にいいはずだと思いますからね。

      それからこれで本当に最後にしますが、

      きっと生きとし生けるものの苦しみをそこまで我が事の様に感じ、共に苦しむあなたを生身の六地蔵様の様に感じている

      というのも、実に買いかぶりの極みなんですからね?だって私は別に

      「他者の苦しみを自分ごととして引き受けている」

      わけじゃないんですから。これじゃあ順番がまるで正反対で、本当は

      もともと自分の苦しみを持て余していたら、どうやら似たような苦しみを抱えているひとは他にもたくさんいるらしいとわかったので、結局すべて自分のために、みんなの事例を参考にさせていただいている

      ということなんですから。

      そしてだからこそ、あなたがこうしてわざわざ素直な想いや胸の裡を明かしてくださることを、私は心から嬉しく、ありがたく思っているんですよ。

      本当に、ありがとうございます。

  2. アリアハンの町人 より:

    こんばんは。お久しぶりです。

    霊的なものに敏感になりはじめて、大変な感じで過ごしてます。

    成果と言えば、自分が望まない衝動に駆られないような選択をするとか、穏やかに生活できることを第一に考えて生活する事、体調不良の回復が遅いことを考慮してケアする事、選択や生活にきちんと本当にそうなのか評価をすること位しか無いのですが、一番最初にご連絡したときよりはるかに良くなってきています。

    幼少期から自分のことを蔑ろにしながら生活をしてきましたがここに来て死ぬほど自分のことを知るようになりました。

    管理人さんの仰るように自分が望むことは何なのか?悪意のある訴えを聞いたときに私はそんなの望んでない!とはっきり言えない自分がいて、本当にそうなのかな??と言う迷いと、自分なんか不幸になればいいと思っていた自分がいて、自分の不幸を喜んでいる自分がいました。

    それにも理由があって、寂しさとか苦しさとか、その時やはり提案に飲まれた自分だったり、それに隠れてる本当は~の部分にたどり着けることもあればたどり着けないこともあり、たどり着けない時は大抵同じ場所で同じパターンに入るので、また追試受けてる感じです。

    自分のことを知りたかったんだなぁとも思いますが。

    本当に何を望んでいるかを掘り起こす作業をしているなかでそんなに嫌いじゃないことと本当に好きじゃないことがはっきりとわかったこともありますし、なんの成果も得られなかったわけでもなく。コントロール出来てるとは言えない状態ではありますが確実に慣れては来たと思います。

    体調不良時に霊的な要因をとりあえず一回は疑う事が有るとないでは大違いですね。

    管理人さんのようにな方が霊的な情報をインターネットにのせてくれる時代に生まれて本当によかったと思います。

    過去のアイマスクの記事を思いだし、私も肉体的にしんどくて防音イヤーマフを買いました。
    休養をしっかりとる以上の目的では使えないと思いますが、(常用してると音自体に何らかの思いが発生しそうなので)それでも三年ぶりくらいに熟睡出来ました。

    本当に霊的な声が聞こえなくなる事に吃驚しています。

    耳を、使っているのか…。

    また覗かせて頂きますね。目下、命大事にです。ではでは。

    • Dilettante Dilettante より:

      アリアハンの町人さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      また貴重なご報告をいただき、ありがとうございます。

      死ぬほど自分のことを知る

      というのは本当に大変なことでもありますが、ともかく

      一番最初にご連絡したときよりはるかに良くなってきています

      本当に何を望んでいるかを掘り起こす作業をしているなかでそんなに嫌いじゃないことと本当に好きじゃないことがはっきりとわかったこともありますし、なんの成果も得られなかったわけでもなく。コントロール出来てるとは言えない状態ではありますが確実に慣れては来たと思います

      と言えるところまで来たのであれば、私としてもとても喜ばしく思います。

      また、霊媒体質者は睡眠との付き合いも本当に難しいと思いますので、

      過去のアイマスクの記事を思いだし、私も肉体的にしんどくて防音イヤーマフを買いました。
      休養をしっかりとる以上の目的では使えないと思いますが、(常用してると音自体に何らかの思いが発生しそうなので)それでも三年ぶりくらいに熟睡出来ました

      というのも本当によかったと思います。

      そのうえで、

      本当に霊的な声が聞こえなくなる事に吃驚しています。

      耳を、使っているのか…

      というところに関しては、

      霊は私たちと同じような「実体」を保ってはいないけれど、だからこそまず第一に私たちの様々な「感覚」を入口にして、私たちに影響を与えてこようとするんだ

      という基礎認識を持つと、より理解しやすくなるかと思います。

      ただそれはそうではあるのですが、一方ではそれがすべてというわけでもなく、もしかしたらそのうち

      目を閉じても見えるし、耳を塞いでも聞こえてくる

      というような状態になる可能性もあるんですよね。つまり私たちは本当には「エネルギー体」であり、それは究極的には「肉体的感覚」を超越したものでもあるからです。

      それにあなたが

      常用してると音自体に何らかの思いが発生しそう

      と感じているのも、実のところどこかで薄々こうした原理に勘づいているからではないかとも思うんですよ。

      でもそれは「いつまでにそうなる」とは言えないものですし、「そうなったほうがいい」と言えるものでもないですから、

      もしそうなったらそうなったで、そのとき考えればいい

      というくらいでいればいいんじゃないかと、そう思っています。

       

      なのでまずはこのまま、

      「いろいろありながらもまずは目の前のことをひとつずつ乗り越える」

      ことをいちばんにしつつ、またなにかの折には遠慮なくお声かけいただければと思いますし、なにより

      管理人さんのようにな方が霊的な情報をインターネットにのせてくれる時代に生まれて本当によかったと思います

      と言っていただけて、私のほうこそ本当にありがたく、嬉しく思います。

      そしてあなたもどうか、お元気でいてくださいね。

      これからも、どうぞよろしくお願いします。

  3. サイコソーダ より:

    はじめまして。

    ごく最近、自分がサイコパスだと認識したサイコソーダというものです。

    自分がいなくなるのが、周囲にとって一番よいことのように思え、全てを投げ出そうとしていました。しかし御サイトの自殺後の魂のありかたに怖じ気付き、我が身かわいさに踏みとどまり、みっともなくともしばらく生きていようと思いました。恐らく一番楽する方法を探していただけだったのだと思います。

    私のように感情も歪み、自意識しかもたず、周囲に悪影響しか生まない人でなしは、よほど魂が穢れているのだと思います。
    しかし私の両親、友人、職場の方々、恋人は心優しい人ばかり。そしてこれまでの自分がおかれたあまりにも恵まれすぎた環境。見えないなにかが守ってくれているという感覚だけは物心ついた頃から持っていました。なぜ自分はこんなに大切にされてしまったんだ。なぜこんな優しい人々と関わりをもち、恵まれた環境にいるのが自分なんだと、空しい気持ちになります。
    もっと心優しくとも、恵まれぬ環境にいる人々は大勢いるのに。
    私自身が生まれた時から「なにか」なのでしょうか?

    私のパーソナリティは参考までに下記致しますので、ご興味があればお読みいただけると幸いです。

    家庭環境は、裕福ではありませんが、仲がよく、両親は私を含む三人の子供に無理な学費をかけ、よい学校に入れてくれました。おそらく老後の事など全く考えておらず、文字通り全てを投げ打って育ててくれました。

    私は幼少の頃から、周囲や他人とトラブルが絶えず、学校や習い事、部活動でも常にどこか浮いて打ち解けない存在でした。
    楽器でもスポーツでもごくごく初歩でつまづき、そこから全く進歩がない。周りの人は簡単にできる事が、自分にはその足掛かりすら見つけられず、成長する、上達するという感覚が全くわかりませんでした。
    楽譜を覚えて弾く、考えながら本を読む、周りの動きを見ながらプレーする。頭では他のことに注意を配りながら、なにかのアクションをする、というごくごく普通の感覚が自分には、もう一本腕を生やせと言われているような気持ちでした。

    注意されないように、怒られないように、皆に合わせて行動を、といった集団のなかで生きる術を全く身につけることができず、いつしか「まあいいや。いやよくないけど……」という口癖で、深く考えないようにしてきたように思います。人を怒らせることにもいつの間にか慣れてしまっていました。

    それでも親が高いお金を出してくれた中学、高校では友人ができ、居心地のいい場所を確保していました。度々いさかいや不調和の原因に自分がなっていましたが、我が身を省みるようなことはなかったように思います。

    しかし就職してから、他の人が日常の業務をこなしたり、人間関係を構築するために、どれほど思考しているのかをやっと実感できました。

    私は学習能力、注意力、記憶力、判断力など、人間らしい感覚がどれも恐ろしく鈍く、はじめは発達障がいや認知症を疑い、いくつかの精神医療の本やサイトを調べていました。
    そんな時、マーサスタウト著の「良心をもたない人たち」という本を読み、サイコパスの特徴と自分とが合致していることを知りました。私の個性は、この脳の習性とでもいうべきもので、人らしい感覚など、はじめから持っていなかったのだと気づきました。

    衝撃を受けると共に、自分に対して激しい嫌悪感を覚え、人間の社会にまぎれた異物として自己を認識するようになりました。
    こんな私に深く関わりをもってしまったがために、家族、恋人、友人、職場の人には、これまで、そしてこれからも多大な迷惑と負担をかけてしまいます。

    それでもきっと自殺は選べないでしょう。恥ずべき転落が私を待っているように思いますがそれでも。「生まれたからには生き切る」という言葉が、私の小さな明かりになってしまったようにおもいます。
    お礼を言ってもいいのでしょうか?

    • Dilettante Dilettante より:

      サイコソーダさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      ごく最近、自分がサイコパスだと認識したサイコソーダというものです。

      そうでしたか、もちろん私はあなたのことをまだほとんどなにも知りませんし、あなたのお気持ちをむげに否定しようとも思っていません。ただ私の率直な感想を言えば、

      私はあなたが、少なくともあなたが思っているほどの「サイコパス」だとは、どうしても思えない

      んですよね。たとえばあなたは

      御サイトの自殺後の魂のありかたに怖じ気付き、我が身かわいさに踏みとどまり、みっともなくともしばらく生きていようと思いました。恐らく一番楽する方法を探していただけだったのだ

      私のように感情も歪み、自意識しかもたず、周囲に悪影響しか生まない人でなしは、よほど魂が穢れているのだ

      などとおっしゃいますが、もしあなたが本当にそんなひとだったとしたら、おそらくあなたはご自分の出した「結論」を疑うことなく自殺してしまって、そのあとで私に

      なんでもっと強く止めてくれなかったんだ!なんでもっとわかりやすく、胸に迫る文章を書かなかったんだ!

      と言ってくるんじゃないかと思うんですよね。だって少なくとも短期的表面的に「いちばんラク」なのは、

      「自分に起こるすべてを、誰かのせいにしてしまうこと」

      でしょう?少なくとも、ここでこんなふうに自分を開示するなんて、こんな大変なことはしようと思わないと思うんですよね。

      しかもあなたは、私のことを

      「自分の発言や行動次第で傷ついたり苦しんだりし得る、感情を保った人間」

      としてちゃんと扱ってくれているじゃないですか?

      これは実のところ、こんなところでこんな「怪しげな活動」をしている私に対してならなおさら、そう簡単なことではないと思うんですよ。

      だから私はどうしても、たとえあなた自身がそう認識しているとしても、あなたがあなたの言うようなひとだとは、まったく思えないんですよね。

       

      ただたとえ私がこう言ってもあなたとしては、

      それは私がちゃんと「計算」できるからで、私に嫌がられたり疎まれたりしないための「打算や偽装」であって、決して私に「良心」があるからではないし、私にはそんなものはないんです!

      と言いたくなるかもしれませんね。

      でもそれすらも私としては

      たとえ最初の動機やきっかけがなんであれ、あなたはちゃんと「周りの感情に配慮しよう」としているし、「周りがどう思おうとそんなことは知ったことではない」なんて、そんなことはまったく思っていない

      と思うんですよ。

      さらに言えば、

      あなたは「自分に良心はない」と思う一方で、「他人や自分の周りのひとに良心はない」という捉えかたはしていない

      と思うんです。そして、いったんご自分の立場や自己認識を脇に置いて素朴に考えてみてほしいんですが、もしここに

      私に良心はないけど、私の周りのひとにはとてもいいひとが多いし、私を愛してくれる

      と思っているひとと、もう一方で、

      私は精いっぱいよく生きようとしているし愛を与えようとしているけど、私の周りのひとはすぐ私を搾取したり踏み台にしたりするだけで、まるで愛が感じられない

      と思っているひとがいたとしたら、どちらがより「深刻」で、「変わるまでに時間がかかる・心を開いてもらうまでに様々な工夫や試行錯誤が必要だ」と思いますか?

      私は実は、後者だと思っているんです。もちろん前者がたいしたことではないとも思わないし、そこにも多くの苦しみや葛藤はあるでしょう。それに実際にはこのふたつの気持ちははっきりと2つに分けられるものではなく、そのどちらもが混ざり合い、複雑に絡み合っているんだとも思います。ですがそれでも

      この世界の現状がこんなことになってしまったのは、前者よりもずっと、後者の想いに強く囚われるひとが増えたからではないか?

      と、私は思っているんです。だから私はその意味で、あなたがそこまで苦しんでいるのにもかかわらず、一方で

      私の両親、友人、職場の方々、恋人は心優しい人ばかり。そしてこれまでの自分がおかれたあまりにも恵まれすぎた環境。見えないなにかが守ってくれているという感覚だけは物心ついた頃から持っていました。なぜ自分はこんなに大切にされてしまったんだ。なぜこんな優しい人々と関わりをもち、恵まれた環境にいるのが自分なんだ

      家庭環境は、裕福ではありませんが、仲がよく、両親は私を含む三人の子供に無理な学費をかけ、よい学校に入れてくれました。おそらく老後の事など全く考えておらず、文字通り全てを投げ打って育ててくれました

      というような認識を保ち続けていられることに、たとえそれがあなたの意図や伝えたいこととはかなりズレた視点だとしても、やはり率直に、感嘆するんです。それにあなたは別に、

      こんなにまっすぐでうぶなヤツらしかいないなら、簡単に利用できるな

      と思ってそのひとたちと接しているわけではないでしょう?じゃああなたはやっぱり、サイコパスなんかではないと、私はそう思うんですよね。

       

      私たちの存在は実際にはあまりにも複雑で芳醇なものなので、本質的に

      「0か100か」

      というような話で二分できるわけがないと思うんです。

      この私の基本姿勢については、以前にも

      私たちは0でも100でもない。すべては連続的につながっていて、影響を与え合っている
      私たちは言葉によって世界を把握する。そしてなにか新しいもの、今までの認識のなかになかったものを見つけると、なんとかしてその特徴を見出し、全体の体系のなかに位置づけつつ、それに応じた名前をつけようとする。そしてそれが概念となり、私たちはその言...

      で触れたとおりなんですが、つまりあなたが言う

      「サイコパス」

      という言葉・定義にしても、それは

      「エンパス」

      とか、もっと単純に

      「共感性の強いひと」

      という言葉で表されるようなひととの対義語として捉えてもいいと思うんですが、じゃあ

      あなたはサイコパスですか?それともエンパスですか?

      なんて訊かれて、はっきりとどちらかに置けるひとなんていないだろうと思うんです。だって

      それは結局「比較」の問題で、言い換えれば「濃度」や「割合」の話でしかない

      じゃないですか?だから「しょせんその程度のもの」にがんじがらめに囚われて自分を過度に苦しめる必要なんてまったくないと、私はそう思うんです。

       

      でも、そもそもあなたは今とても苦しくて、どうしようもない葛藤を抱えていたところ、そこに

      「サイコパス」

      という手がかりが見つかったことでようやく自分の本質に近づけたと思っていたのに、そこで急に

      たぶんそれはただの思い込みじゃないですか?あなたはそんなものではないと思います

      なんて言われたら、むしろさらに混乱を深めてしまうかもしれませんね。しかも今のあなたは

      自分のなかに問題点か、少なくとも改善点がある

      と思っているわけだし、それをヘンに「他のもの・外のなにかのせい」にしたら、せっかくの「あなたのいいところ」が、台無しになってしまうかもしれませんよね。

      だから私はここまでの話をすべて踏まえたうえで、だからこそあなたに「サイコパス」ほど極端な解釈の代わりに、

      そうですね、だからあなたは他人よりも、もしくは「あなたが自分に期待していたより」も、「精神の成長に時間がかかっているひと」なのかもしれませんね

      という解釈を提示してみたいと思います。でもこれは別にあなたを責めたり蔑んでいるわけでもありません。

      だって肉体人としてであれ霊(魂)としてであれ、たとえ自分がなにもしなくたって、外形的表面的には、1年で1歳ずつ歳を重ねるわけで、そうするとそこに「歳相応の責任や役割を果たす」ことを期待されもするわけですが、そんなふうに「外側」がどうなってそこになにをくっつけられたとしたって、それと「内面の成長」の速度を完全に合わせるなんて、そんなことできるわけがないじゃないですか?

      もちろん「優秀なひと」ならそれはできると思いますし、そうじゃなくても多くのひとの事例から「平均的なケース」を割り出せば、多くのひとはそこから誤差の範囲に収まるのかもしれませんけど、でも実際数え切れないほどいる魂が、それにみんな同じようについていけるかって言ったらそれは無理で、実際にはそこから「多少遅れるひと」が出てきたって、それは当たり前でしょう?私が言っているのは、そういうことなんです。それにこれは誰より私自身が

      「みんなよりずっと成長の遅いひと」

      だからこそ、なおさら深い実感を込めて言えることなんです。

      だからそんな私としては、あなたが

      なぜ自分はこんなに大切にされてしまったんだ。なぜこんな優しい人々と関わりをもち、恵まれた環境にいるのが自分なんだと、空しい気持ちになります

      と言いたくなる気持ちもいったん受け止めますが、そのうえで

      でもそれは「あなたに必要なもの」であって、つまりもしあなたがそういう環境で育たなかったら、その代わりに周囲からもっと蔑ろにされ悪意を受け続けるような環境にいたとしたら、あなたはそのときこそ本当に、「もっともっとひどいひと」になっていたのかもしれません。だから周りのひとがあなたに与えてくれた愛情は決して無駄ではなかったし、なによりあなたはそれをちゃんと「愛情」として認識し受け容れ、それを自分の成長の糧にしてきたから今があるんだと思うんです。だからあなたはこれからもあなたのペースで成長していけばいいし、あなたならきっとそうできると思いますから、だいじょうぶですよ

      と、心からそうお伝えしたいんです。

       

      それにそもそも「サイコパス」という言葉や定義はそれ自体がまったく「中立」ではなく、事実上の「蔑称」じゃないですか?

      私自身も何度か言われた経験がありますが、たとえ

      お前は最低のサイコパスだ!

      というほどの直球ではないにしたって、

      あなたって実はサイコパスなんじゃないですか?

      と言われるだけでも、かなり傷つきますよね?だって

      「最低のサイコパス」

      という表現はあっても、

      「最高のサイコパス」

      なんて褒め言葉は、それこそ戦場のような特殊環境を除いては、ほとんどあり得ないんですから。

      だからそんな蔑称の極みみたいなものを自己認識の核に置いたところで、あなたにとっていいことはなにもないし、それは周りのひとにとっても同じなんです。しかも最初から言っているように、これはお世辞でもなんでもなく、あなたは本当にそんなものではないと、私は思うんです。

       

      とはいえそれでもあなたが

      本当はこういうコメントもそれに対するあなたの印象もぜんぶ「私の計算どおり」で、だからあなたはまんまとそれに嵌まっただけで、なにひとつ私の悪辣さを理解していないんですよ!

      と言うのなら私もそれは考慮しますけど、でも私は別に

      ひとがどこまで悪意に満ちた存在にもなり得るかを知らないから、こんなうぶな楽観に浸っている

      わけではないんですよね。むしろ私としては

      あなたよりはるかに狡猾で危険な存在がたくさんいることを思い知っているからこそ、あなたが「度が過ぎた自虐」で自分を苦しめ続けることを看過するわけにはいかない

      という気持ちで、あなたにこういうことを伝えているんです。言い換えると

      この世界・宇宙には、ありとあらゆる外法を尽くしてでも相手の大切なものをかっさらって行こうとするひとも、自分には文字どおり「想像もつかない思考」に基づいて行動するひとも確かにいる。でもそもそも彼らは本当に、それでしあわせになれるのか?そんな「非道」なひとが最後には「得」をするなんて、この世界は本当にそんなふうになっているのか?そして彼らにいったんなにかを奪われてしまったら、それはもう絶対に、取り戻すことはできないのか?

      という問いに対して、単なるきれいごとでもごまかしでも誰かの受け売りでもない、

      「私の本当の答え」

      を出すために、私はずっと生きているんです。

       

      それに私はあなたが「サイコパス」と悪く解釈するその同じ部分を

      自分の感情にもむやみに左右されない冷静さを保ったひとだ

      と解釈して、だからこそあなたが自殺を踏み止まってくれたんだと、そう思っているんですよね。そしてあなたが様々な葛藤もありながら、それでも

      それでもきっと自殺は選べないでしょう。恥ずべき転落が私を待っているように思いますがそれでも。「生まれたからには生き切る」という言葉が、私の小さな明かりになってしまったようにおもいます

      と言ってくださることを、本当に嬉しくありがたく思っているんです。

      だって感情はときに

      「変化を促すきっかけ」

      にもなりますが、同じくらい

      「変化に抗う足枷」

      にだってなり得るでしょう?ですから私はその意味で、あなたが「感情」や「先入観」に囚われることなく、

      「私の文章の論理や説明」

      によってあなたの判断を覆してくれたことを、本当に大きな希望だと思っているんですよね。だって

      「見ず知らずのひとが書いたただの文章」

      でそこまで思ってくれるひとは、なかなかいないんですから。しかもそこには当然

      「私の想い」

      が込められているわけですから、あなたがそれを汲むことができない「サイコパス」なら、こんなことは起きるはずがないと、私はそう思うんですよ。

      それに私はこのお返事も含め、いつも私が書いているあれだけの文章を読みこなせるあなたに

      私は学習能力、注意力、記憶力、判断力など、人間らしい感覚がどれも恐ろしく鈍く

      と言われても、ちょっとそのままには受け容れられないんですよ。私がたとえ今のあなたとは大きな見解の違いがあるとわかっていても、率直に私なりの想いを伝えているのも、そういうことなんです。

      このひとは自分の気持ちを本気で訴えている。でもだからこそ、このひとは私が本気で訴えたことも、そしてそこにある想いも、いずれは必ず、このひとなりに大切にしてくれる

      と思ったから、ここまで踏み込んでいるんです。しかもあなたが自殺をしないと決めてくれたなら、きっと人生の終わりまでには、少なくとも今よりは、私の言いたいことをわかってくれるはずだと、そう思いますから。

      だから私はそんなあなたに

      お礼を言ってもいいのでしょうか?

      と言われたらもちろん大切に受け止めますし、なにより私こそ、あなたに心からの感謝をお伝えしたいと思います。

      生きることを選んでくださって、私の想いを汲んでくださって、本当にありがとうございます。

      そしてこれからも、どうぞよろしくお願いします。

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