落ち込んで苦しくてどうしようもないときだからこそ、あえて「不自然」なこともしてみてほしい

どう考えてみても、私たちの人生は

「単なる無機質な点(瞬間)の集合」

ではない。つまり

そこには、なんらかの流れ・連鎖がある

ということだ。

確かに、

私たちは毎日毎秒、新しく生まれ変わっているし、生まれ変われる

というのも一理はあると思うが、それでもやはり、昨日の起きたことと今日の自分は無関係ではないし、明日にまったく影響を及ぼさない今日もない。だから私たちはやはり、「なんらかの連続・全体的な流れ」のなかにあると言えるのだと思う。

だからこそ、そういう

「自分でもきちんと自覚(把握)できないなんらかの流れ」

のようなものを、私たちはたとえば

「運・ツキ」

と呼んでみたり、あるいは

「運命」

と呼んでみたりもするのだろう。

ただ、以前にも

などと書いたように、

それがどんな流れであるにせよ、特にそれが自分にとって望ましくないものだと思うならなおさら、それを断ち切り変化させるのには、やはり「自分自身の意志の力」を発揮するしかないんだ

と、私はそう思っているのである。

もし自分にとっていい(望ましい・喜ばしい)流れが来ているときであれば、わざわざ意志の力を引き出そうなどとするまでもなく、その流れに乗っているだけでも充分にいい日々を送れるかもしれない。喜びや充実感はなにより直接的な自分のエネルギーになるのだし、そんなふうにうまく行っているときには、その先の未来に対しても、自然とたくさんの希望を見出すこともできるだろうから。だからむしろできるだけ、その好循環の流れに乗って進んだほうがいいと思う。

だがその逆に、自分にとって悪い(望ましくない・苦しい)流れが来ているときには、その流れにただ身を任せていてはいけない。そんなことをしたら、文字どおりどこまでも落ちていくかもしれないからだ。そして誰であれ、あなたが特別に「悪い」とか「業が深い」というわけではなくても、そういうふうに

「負の連鎖を維持しよう・より強めよう」

と活動するひとたちというのも、確かに影響を及ぼしているのだ。だから私たちは、そんな動きに無防備でいるわけにはいかないのである。

私たちは、多少なりともなんらかの「流れ」のなかに存在する。それは「傾向」であり、「選択・思考のクセ」であり、「自分や周りが生み育んだエネルギーの影響」でもあるのだが、その流れに身を任せて生きるというのは、ある意味ではとても「自然なこと」だとも言えると思う。だがだからこそ、私はこうも言いたいのだ。

落ち込んで苦しくてどうしようもないときには、あえて「不自然」なことをしてみてほしい

と。

初めはほんの少しの苦しみ(哀しみ・怒り……)から始まったはずのものが、だんだんと様々なところに亀裂を生み、気づけば周囲との関係も悪化して孤独になり、なにもかもうまくいかなくなる。とても単純に言えば、これこそが

「負の連鎖」

の典型である。そしてそれは明らかに心身のエネルギーそのものを削り落としていく。となればもちろん最終的には、

自分には生きている価値もない。死んでしまったほうがいい

というところにまで行き着くことになる。そしてそれは、それを望んでいるひとたちの影響・策略どおりの結果でもあるのである。

だが、これが厄介なのは、

そのような「負の連鎖=悪しき流れ」でさえ、ある意味では流れに乗るほうが自然(ラク)なんだ

というところにあると思うのだ。ましてエネルギーがなくなっているのならなおさら、その周りの流れに逆らって、自分でそれを塗り替えるというのは容易ではない。だから、流れに乗って、ラクなほうに身を委ねようとする。それはある意味では本当に自然なことだと思う。しかしだからこそ、私はそんなあなたに「不自然なこと」をしてみてほしいと、そう思わずにはいられないのである。

たとえばそんなあなたにとっては、

「ゆっくりお風呂に入ること」

もとても「不自然なこと」だろう。それどころか、

お風呂に入りたいなんて思わない。入らなくて済むならずっとそうしていたいし、なにもかもめんどくさい

と思うかもしれない。あるいはときどき、

「毎日決まった時間に食べて、決まった時間に眠る」というのは、そもそも生きものの本能を無視している。だから本当には「食べたいとき(おなかが減ったとき)に食べて、眠りたいとき(眠くなったとき)に眠る」ほうがずっといい

ということを言うひともいるし、それもある程度元気なひとになら有効(有益)な考えかたかもしれないが、今のあなたにそれを当てはめようとしたら、あなたに「食べたいとき」や「眠りたいとき」なんて来ないかもしれない。だから私はそんなあなたには、「不自然なこと」を勧めたいと思うのである。

とはいえあなたは、

お風呂に入るのはまだしも、食べようとしたって食欲がないし、眠ろうとしたってろくに眠れないんだから、そんなことしたって無駄なんですよ!

と言うかもしれない。だがそれでも私は、

たとえほとんど食べられなくてもなにか口に入れてみるだけでいいし、たとえほとんど眠れなくてもだいたい決まった時間に横になるだけでもいいです。とにかくそうやって、自分なりの生活のリズムを、自分の掌に取り戻すこと、「自分はまだ生きているし、生きていていいんだ」ということを自分で確かめることが、なにより大切なんです

と、そう言いたいのである。

だから他にもたとえば

「鏡で自分の顔を見ながら自分と対話する」

なんてこともそうだし、あるいは

「部屋を少しでも掃除してみる」

ということでさえ、今のあなたには「あまりにも、不自然なこと」だと思えるかもしれないことはわかっている。だが私は、それを勧めたいのだ。それはつまり、

今のあなたは、なにをやるのにも意欲が湧かず、なにより自分のいのちや存在さえも不要で無価値なものだと思っているあなたは、本当は「不自然な状態」なんです。だからそんなあなたが「不自然に感じること」は本当は不自然ではなくむしろ自然(生きるために必要)なことなんです

ということなのである。

だがこれを別の観点から見て、

あなたがそんなに苦しいのは、今まで「不自然なこと」をし続けたせいなんです。だからこそこれからは、あなたが「自然にできること・やりたいと思えること」だけをするべきなんです

というひとがいるのもわかるし、私にだって

という想いもある。しかしそのすべての原点には

自分が本当にしたいこと、本当に望んでいるのはなんなのか?「今私がしたいと思っていること・今の私が望んでいると思っていること」は、本当に私自身の願いなのか?

という問いがなければいけないと思うのだ。それに昔から

病んでいるとき、心が落ち込んでいるときに、重要な決断をしてはいけません

と言われるのも、そういうことだと思うのである。

自分には生きている価値もない。こんなにも苦しいのなら、もう早く死んでしまいたい。消えてなくなりたい

と言うひとは、ある意味では本当に、それを「自然な願い」だと思っているのだから。

それに究極的にはどんなひとだって、そのときその瞬間には、

これが最善の選択で、他のあらゆる選択肢も吟味した。それに誰だって自分の立場になったら、こうするしかないと思う。だからこれがいちばん自然で、当然の選択なんだ

と思っているのではないかと思う。わざわざ自分から「不自然な選択をしよう」と思うひとは稀だし、まして自分に余裕もなにもない、苦しみのどん底にいるときならなおさらそうだろう。ただだからこそ、そのときには

いったい自分は、今どんな流れのなかにいるのか?これを自然に連鎖させていったら、最終的にどこに行き着くのか?

ということをよく考え、もしそれが自分の望まない流れだと気づいたなら、その流れを変える動きをする必要があるということなのだ。そしてそれこそが、

「今までの自分(流れ)からは、むしろ不自然に見えること」

なのである。

ひとは自分でも無意識に、流れに乗ってしまう。だってそれは確かに自然で、ラクなことだからだ。だからある意味では

いったん強力な流れを作ってしまえば、その時点でほぼ終わり

なのである。つまり負の霊からすれば

いったん負の連鎖に陥らせてしまえば、あとは勝手に自滅する

というわけなのだ。

だがたとえそれを踏まえたうえでも

今日もろくなことがないと思っているのに、自分を奮い立たせて鏡の前で笑うのは不自然だ。自分を責め追い詰めてくるようなひとと、素直に話し合ってみようだなんて不自然だ。今までも今もこんなに苦しかったのに、これからは変われるかもしれないなんて不自然な考えだ。むしろもうお粥すらろくに食べられず、疲れ果てているはずなのに眠ることもできない、そんな自分はもう死んでしまったほうが、ずっと自然なことなんじゃないか?

などと思ってしまうのは、一見すると実に当たり前のことだ。それに私自身、こういうふうに思ってしまったことは何度もあるし、今だって油断すればこういう思いに囚われそうになることもある。だがだからこそ、私はやはり

その流れを変えるためにこそ、「今のあなたにとっては不自然としか思えないこと」でも、どうか少しでもひとつでも、やってみてください

と言いたいのである。それはあなたに生きていてほしいし、あなたの人生にはそれだけの意味も価値もあると、私がそう確信しているからなのである。

それになにより、今まで何度も言ってきたように、本当は今のこの社会こそが、こんなにおかしな現状こそが、まったく不自然なのである。だから、もともとの基準がおかしくなっていれば、その判断が狂うのも当たり前なのだ。だが最も大切なことは、

不自然なものは、永遠には決して続かない

ということだ。そしてだからこそ、今のあなたにとっては不自然に思えることも、いずれはもっと自然にできるようになる。そう、

いったん強力な流れを作ってしまえば、その時点でほぼ終わり

なのだから。だからいちばん大変な最初の1歩を踏み出してしまえば、そこからはもっとラクになる。そしてこれからは、全体的にいい流れに塗り替わってもいく。だからきっと、だいじょうぶだ。今は無理をしないと笑うことなんかできないとしても、日々奮い立たせて生きるのが精いっぱいだとしても、やがてはもっと自然に、当たり前に、そうできるようになるから。

だから本当は

本来は「努力する必要もないはずのこと」を、努力しないといけないこと自体がおかしい

ということなのだが、そんなおかしいことはやはりもう終わる。だからそれまでもう少し、一緒に生きてみよう。生きることは本当は自然で、とても嬉しいことなのだから。きっと、そうであるはずなんだから。

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  1. だれか より:

    いつもありがとうございます!今の私にぴったりのお話でした。

    • Dilettante Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうでしたか、あなたにそう思っていただけて、もし少しでもお役に立てるのでしたら、とても嬉しいです。

      これからも、どうぞよろしくお願いします。

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