自分を殺すくらいなら自分を入れ換える。生きたまま生まれ変わるための、いろいろな方法について

以前私は

と言い、さらに

とも言った。

これはつまり、

私たちは日々代謝・変化の渦中にいるわけだが、それを自分の意志によって早めることもできるし、なによりその方向を自分の望むほうに向けることは、とても大切なことだ

ということでもあるのだが、今回はそれも踏まえたうえで、改めて私なりの想いを書いてみようと思う。

もうきっとあなたにも伝わっているとは思うのだが、私は

という認識を保っているのでなおのこと、

どうすれば自殺をなくすことができるだろうか?私はそのためになにができ、なにをどう伝えたらいいだろうか?

ということを、よくよく考えている。そして実際に自殺したいと思っているひとたちからの話も聴いていくなかで、彼らにひとつの共通点として、

自分であることをやめたい。自分ではないものになりたい

という想いがあるのではないかという気もしている。そしてこれはもちろん、

死ねば無になる・完全に消滅できる

という見解を採っている場合でも同じである。

だが少なくとも私は、このような考えに賛同できない。仮に百歩千歩百万歩譲って、

あなたがまだ知らないだけで、自殺しても後悔していないひともいるかもしれない。それに少なくとも私は、あなたの話もすべて聴いたうえで、それでも後悔するとは思えない

という意見を受け入れたとしても、

たとえそうであったにせよ、あなたが死んだ(肉体を離れた)からといって、それで完全に消滅して無になるなんてことはないです。これはある意味では、私が伝えている他のどんな情報より、いちばん強い確信を保って言えることです

とは言い切りたいと思う。そしてこれは

あなたが自分の肉体を殺したくらいでは、あなたは変わりもなくなりもしない。だからその意味で自殺を「最後に残された、究極の選択肢」だと考えるのは、やはり間違っている

ということでもある。それにもしあなたが

自殺してもなにも解決しないのはわかっているし、誰を憎む気も責める気もありません。ただ私はとりあえず今生はもう終わりにして、来世でまた心機一転やり直したいんです

というような気持ちで自殺したとしても、やはり問題は残る。それはつまり、

本当は今生だってそういうふうに「心機一転してがんばろう」という気持ちで生まれてきたはずなのに、それでも自殺してしまったという事実が残るのであれば、その次の人生を構想してそこに踏み込むのは、実際には相当な困難や葛藤を伴う

ということなのである。

だから私は、今のあなたの哀しみや苦しみを軽んじたり否定したいわけではないが、だからこそやはり自殺だけはどうしても勧められないし、賛同もできない。そしてそのうえで、

じゃあ、どうしたらいいんですか!

と問われたら、

自分を殺すくらいなら自分を入れ換えてみてください。そして生きたまま、生まれ変わっていってください

と、心からそうお伝えしたいのである。

そしてこれは別に「抽象的概念」ではまったくなく、実に「具体的な話」である。たとえばあなたがいずれ今のあなたとはまったく違う食べものを食べるようになったら、あなたは確実に変化する。これはまさに

「あなたの中身を入れ替える」

ということだからだ。あなたの中身が入れ替わったら、あなたの名前や外見がまったく同じでも、あなたはもはや「別人」である。

「生きたまま生まれ変わる」

と言ったのは、そういうことだ。

それにもちろんこれは食べものに限った話ではない。たとえば言葉遣い(言葉選び)も大きな影響を及ぼす。もしあなたが今まで心のなかででも声に出してでも

死にたい。もう本当に死んでしまいたい

と言っていたのを、もし

生きたい。私は本当は、もっと違う生きかたをしたい

という言葉に換えることができたら、それだけでもあなたは生まれ変わり始めるだろう。

そんなほんとは思ってもいないことなんて、うまく言えませんよ!

と言われるかもしれないが、それでも私は

最初はそれでもいいので、やってみてください。そうやって、「言葉に心を引っ張ってもらう」のだってありなんですから。それにそもそも、今のあなたに根づいている否定的な想いだって「ほんとは思ってもいないことを、いつの間にか刷り込まれた」ものじゃないのかって、そうは思いませんか?

と言いたいのである。それにいきなりそこまで一気に変えることはできなくても、

私は本当は自殺したいんじゃない。私はただ、ラクになりたいんだ

というくらいでも入口としては上々である。そこから

ラクになれる方法は自殺だけじゃない。というか、自殺ではラクになれない

ということを腑に落としていけたら、もう私と同じなのだし。

ともかく、

今(まで)のあなたとは違う言葉遣い(言葉選び)をするあなたになったら、それはもう生まれ変わったことと同じなのだ。だからこれも、生きたまま生まれ変わるための、ひとつの方法だというわけだ。

こういうふうに考えていけば、きっかけがどこでも根は同じことである。

「今までの私だったら行かない場所に行く」

「今までの私だったら会わないひとに会う」

「今までの私だったら聴かない音楽を聴く」

「今までの私だったらしない恰好をする」

こういうことはすべて、

「生きたまま生まれ変わる」

ことの一例なのだ。そしてこの方法が優れているのは

勢い余っていろんな部分を変えすぎて、「これはやりすぎだったな。この部分は前のほうがよかったな」と思ったときは、また適宜元に戻せばいい

と言うことができるところにもある。

切りすぎた髪もいずれまた伸びる。いちど引っ越してもまた帰れるし、服は着替えればまた元に戻る。だから、決断の重みが段違いなのだ。これは

「自殺して後悔したからやっぱり生き返る(前の人生に戻る)」

ということができないことと比べてみれば明らかである。だからこそ、私は

自分を殺すくらいなら自分を入れ換えてみてください。そして生きたまま、生まれ変わっていってください

と、何度でもそう言いたいのである。その方法は、本当は、いくらでもあるのだから。

そしてこれは究極的には

なににどのくらい意識を向けるか・なににどのくらい時間を遣うか・どこにどのくらいエネルギーを向けるかを変えれば、あなたの人生は別物になる

ということそのものである。だから私たちはやはり

「エネルギー体(霊体・意識体)」

なのだ。そして実のところ、あなたの中身が入れ換わったら、それはあなたの外部や外見にさえ、なにかの影響を与える。

内側のエネルギーは、いずれ当然外にもにじみ出てくる

のだから。だからこれは実際、今のあなたの想像をはるかに超える結果につながるかもしれないということだ。それは自殺とは真逆で、

「今の想像をはるかに超えるいい結果」

のことである。そして

今のあなたが思っていることと真逆の選択をすれば、結果もやはり真逆につながる

というのも、やはり当然のことなのである。

だからあとは、あなたがどちらを選ぶかだ。それに私は自殺にだって大きな勇気が必要なことをよく知っている。だからこそ、あとはその勇気を向ける方法を逆にするだけでいい。それができたらあなたはこの瞬間から、生きたままこの人生のなかで、生まれ変わり始める。

そしたら一緒にもういちど目を開けよう。そして一緒にもういちど泣こう。あのときあなたが泣いたのは、哀しかったからではないはずなのだ。だがそこからがあまりにつらく苦しすぎたから、そのために泣くのが当たり前になってしまったけれど、今度はもういちど、嬉しくて泣けるようになろう。それが生まれ変わりの証であり、私たちの旅は本当は、最初からそのためにあるのである。

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  1. 永遠の旅人 より:

    Dilettanteさんお久しぶりです。久々に書き込みします。永遠の旅人です。自分も基本的に自殺は絶対にしてはいけない事だと思います。ですがイレギュラーで許されるとまではいかなくても罪が軽くなる自殺があると思います。

    具体的に事件名を挙げたいと思います。京都伏見介護殺人事件の犯人の男性ですが彼は母親の介護に疲れて介護殺人をしてしまいます。彼はその後、懲役2年6か月執行猶予3年の有罪ですが実質無罪みたいな判決を言い渡されます。 

    彼はその後悲しい事に結局自ら命を絶ちます。彼はやはり地獄に落ちてしまうのでしょうか?

    一応漫画動画ですがyoutubeのURLを貼っておきます。

    彼は少なくとも善良な人間であると思います。

    自分としては余りにも救いがないと思ってしまうのですが、母親を自ら殺めた事を知っていながら生きるなんて生き地獄すぎると思いませんか?

    ならいっそ自殺して記憶をなくしてから生まれ変わりをしてやり直しした方が記憶がない分人生を歩むのが楽になると思います。

    自分は彼が悪いというよりこの国のシステムがおかしいのが原因なんで彼の罪は大分少なくなると思います。彼が死後少しでも良い世界に行けたら良いなと思います。

    長々と書きましたが自分としては自殺と言っても失恋で自殺する大馬鹿者と彼みたいな自殺は次元が違うと思うのであの世でも情状酌量のようなシステムがあるのか聞きたいです。

    それとこれは個人的な事を聞きたいのですが遠い親戚のおじさんが原因はおそらく借金苦で自ら命を絶ちました。そのおじさんはおそらく地獄に落ちてしまったと思うのですが、自分が神社とかで1万でも2万でもお布施したら少しはおじさんは地獄の刑期が短くなるのでしょうか?

    自分は死後の世界を信じていますが余り詳しい事がわかりませんのでお答え頂ければありがたいです。

    • Dilettante Dilettante より:

      永遠の旅人さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですね、あなたの疑問にお答えするにあたっては、まず大前提として、

      閻魔大王も地獄もない。あるのは「自責の念」と「改心」だ
      私たちが死ぬと、「閻魔大王」のところへ連れて行かれ、生前の所業をすべて暴かれる

      というような考えかたがある。そして、相当の「悪いこと」をしたものは、それに応じた「地獄」に連れて行かれるのだと言われることもある。似たような思想は、きっと...

      をお読みいただければ、この後の話がよりわかりやすくなるのではないかと思います。

      つまりそもそもこれは

      罪が軽くなる

      とか

      地獄の刑期が短くなる

      などというよりもある意味もっと単純な話で、

      その人生を終えて自分が改めて振り返ったとき、そこにどのくらいの悔いが残り、それを解消するのはどのくらい大変なことだろうか?

      という1点を入口にすれば充分だというわけです。

      ですからこれは本当には自殺に限った話ですらなく、そもそも私たちは誰か他の存在(≒閻魔大王)に

      お前はひどい人生を送ったから、罰として100年暗闇で反省すること。お前はもっとひどいから500年で、お前はそれでも足りないから1000年。でもお前は真っ当に生きたから、天国でゆっくり楽しく暮らせばいいよ

      と告げられて、渋々でもなんでもそれに従わされるというようなことはなくて、これはあくまで徹頭徹尾

      自分自身がその人生を振り返り、反省したり喜びを噛みしめなおしたりしながら、次へと向かうまでにそれぞれ必要な時間を取るだけなんだ

      ということなんです。

      なのでその意味で、ほとんど同じような状況で自殺したからと言って、その後悔に苛まれる程度や期間が同じとも限りませんし、究極的には

      俺は自殺したけど一切の悔いはないし、楽しく天国でしあわせに暮らすんだ!

      と本当に思えるひとがいたなら、そのひとにとって自殺はほとんどなんの影響もないとも言えてしまうかもしれません。

      ただ、私の知る限りそんなひとにはいちども会ったことはないですし、それはそもそもの生まれ変わりの仕組み(=みんなそれぞれ、生まれたいから生まれてきた)などから言ってもごく当然のことなんだろうと思っています。私が誰にも自殺してほしくないと思っているのはそのような立場からであって、別に私は「警察や裁判所の代理」をしているわけではなく、もっと本質的には

      「生まれてくる前のあなたの代わりに、あなたが忘れてしまったその気持ちをあなたになんとか伝えようとあがいている」

      と言ってもいいのではないかと、実はそんなふうに思ってもいるんです。

       

      ただそれを踏まえたうえで

      一般論として、「より後悔が大きくなりやすい自殺」と、「それほど強くは後悔しにくい自殺」があるんじゃないか?

      と考えることにまで反対することは私もしませんし、たとえば

      「半強制的な集団自決」

      のように、

      「自己決定権が事実上ほとんど剥奪されていたような状況」

      においては、ある程度そうした可能性を想定することも可能かとは思いますが、それでも

      本当の本当に、自殺するしかなかったのか?

      ということを自分で振り返ったときに、

      まったく後悔はない

      と言い切れるのかと言えばそんなことはないんだろうと思います。ですから私はともかくすべての自殺に反対する立場にいるわけです。ただこれは決して自殺者を責めようとしているわけではなく、

      たとえどんな状況に置かれたとしても、最期まで、最初に自分が決めたその日そのときが来るまでは、生きることをどうか諦めないでください

      と、私なりの全力を以って懇願しているという、そういうことなんです。

       

      とはいえもちろん、私もあなたが一個人として相手の苦しみに共感し寄り添い、

      自分は彼が悪いというよりこの国のシステムがおかしいのが原因

      彼が死後少しでも良い世界に行けたら良いな

      などといたわり慈しんであげること自体はなにもおかしくも悪くもないと思いますし、実際本人が自分と向き合い次に進むための手助けにもなると思いますから、ぜひその想いを手向け続けてあげたらと思いますし、それはなによりあなたの優しさの顕れなんだと、私も思っています。

      ただだからこそ、そんなあなたに

      失恋で自殺する大馬鹿者

      なんて言われてしまったら、それは一方でそのひとたちをさらに追い詰めてしまうこともあると思いますので、その意味でどうか考えなおしていただけたらと、そう思っています。

      それがどんな原因であれ、

      「それがその本人にとっては、自殺したいと思えるほどの哀しみや苦しみだった」

      ということには違いがないのですから。

      そしてだからこそそれが

      「自殺という最も哀しく切ない結末」

      を迎えてしまったことを私も率直に哀しみ、心から悼んでいるから、だから私はいずれ必ずそんな自殺者がいなくなるような世界を創りたいと、ずっとずっと、そう想い続けているのです。

       

      そしていちどこうした観点に立っていただければ、

      遠い親戚のおじさんが原因はおそらく借金苦で自ら命を絶ちました。そのおじさんはおそらく地獄に落ちてしまったと思うのですが、自分が神社とかで1万でも2万でもお布施したら少しはおじさんは地獄の刑期が短くなるのでしょうか?

      という疑問も基本的には同じように考えていっていただければいいかと思うのですが、この場合はもう少し違う観点から言うこともできて、つまり

      もしあなたが神社や寺院、または教会や他の宗教施設に寄付したとしても、それをどのように遣うかを決めるのはそこの管理者にすぎないわけで、それが本当の意味で「よりよい未来」のために遣われるかはとても不透明でしょう?だからそれならむしろ「児童養護施設」や「植林団体」などのほうが納得しやすいかとも思いますし、あるいはあなたが自分自身のリフレッシュや勉強のためにそのお金を遣って、おじさんのことを想いながらしあわせに生きている姿を見せてあげたほうが、ずっと本質的な供養・癒やしになる

      と、私は思うんですよね。私がいつも

      すべての想いは、いずれ必ず相手に届いて、なんらかの影響を与え、未来に反映される

      と言っているのも、そういう意味なんです。

      とはいえもちろんこうした問題には様々な立場や見解が濫立してもいるので、最終的にはあなたがいちばん納得するようにしていただければと思うのですが、ともかく私はずっとこういう立場から私なりの想いをお伝えしていますので、それをあなたに少しでも役立てていただけたら、とても嬉しいです。

      どうぞよろしくお願いします。

  2. jubee より:

    jubeeです、ご無沙汰しております。
    こちらのお話「生きたまま生まれ変わる」というタイトルを見たとき、
    なんてすごい事をおっしゃるんだ、そんなことができるのか!と、まさに青天の霹靂状態になりました。
    私は、人は1度死なないと絶対に生まれ変われないと思っていましたので(笑)
    本当に生きたまま生まれ変われる? どうやって? と目を皿にして記事を読ませて頂きました。

    けれど、生まれ変わると言うことは、何のことはない、ただ、自分の持つエネルギーを向ける先を、ちょっと変えれば良いのだと言うことが読み取れました。
    それは、心の向きを、今は北に向いているのなら南に、それが極端だというなら東や西に、意図して動かしてみれば良いと言うことなのかなと自分なりに思いをはせてみました。
    たった90度、目線を変えるだけで、見える景色が全然違うことがありますものね。

    自分なら絶対にしないだろうと言うことをする。
    それはとても、ある意味勇気がいることだと思います。
    ルーティンに沿った行動はとても楽ですし、極端な話、考えなくても身体が勝手にやってくれますし。
    それを、あえて意識してやり方を変えてみる。
    変わった考えを持ってみる。
    そしてそれを続けるうちに、違う自分になっている、と言うことなのかなと。

    また、自殺に関しても、死んだら楽になるのでは? と、思う気持ちがわからないではありません。この重い重い、鎧のような身体を脱いだら、ものすごく楽になって、別人になって、大空を羽ばたけるのでは? と思ったりするときも未だに時たまあります。
    ただし、Dilettanteさんの思いを充分理解した今では、そんなことはありえなーいのは深いところでわかっていると思います。

    だから、と言いますか、「生きたまま生まれ変わる」と言う言葉が、私にとってはどんなに希望に満ちているか、嬉しかったか。

    こんなにしんどい世界に、こんなしんどい時代に、あえて、希望して生まれてきたらしい自分を、ここ地球上で身体をまとったまま変えていけるのなら、それこそ生まれてきた甲斐があるというものですね。
    たとえそれが自分にとっては目に見えないほどの変化であっても。
    変えていこうとするその「思い」に意味があるのかも。

    そうして、もしかしたら、寿命を全うして本当に身体を脱ぐことになったとき、
    「うわあー!」
    と驚くほど生まれ変わった自分がいたりして。
    今の命を生ききった人だけが味わえる醍醐味ならいいのにですね。
    あくまで希望的観測ですが。

    3月に入りました。
    春はもうそこまで来ていますね。
    今の世の中は色々ありますが、平和と調和と喜びあふれる世界が来るまで、なんとか生き延びていきましょう。
    とりとめのない話で失礼しました。

    • Dilettante Dilettante より:

      jubeeさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      こちらのお話「生きたまま生まれ変わる」というタイトルを見たとき、
      なんてすごい事をおっしゃるんだ、そんなことができるのか!と、まさに青天の霹靂状態になりました。
      私は、人は1度死なないと絶対に生まれ変われないと思っていましたので(笑)
      本当に生きたまま生まれ変われる? どうやって? と目を皿にして記事を読ませて頂きました。

      そうでしたか、それだと実際には多少「拍子抜け」させてしまったかもしれませんね。

      ですがそのうえであなたに

      たった90度、目線を変えるだけで、見える景色が全然違うことがありますものね。

      だから、と言いますか、「生きたまま生まれ変わる」と言う言葉が、私にとってはどんなに希望に満ちているか、嬉しかったか。

      こんなにしんどい世界に、こんなしんどい時代に、あえて、希望して生まれてきたらしい自分を、ここ地球上で身体をまとったまま変えていけるのなら、それこそ生まれてきた甲斐があるというものですね。
      たとえそれが自分にとっては目に見えないほどの変化であっても。
      変えていこうとするその「思い」に意味があるのかも

      と思っていただけたことは本当にありがたく、嬉しいです。

      それにこれは念のための確認のような話なんですが、別にあなたが今の自分を気に入っている・それでけっこううまく行っているというときにまで、無理して「生まれ変わる」必要はないんですからね?

      それは霊界からこっちに生まれ変わってくるときとまったく同じなんです。すべては自分の望み・願いによって、それを叶えるために、自分で決めることなんですから。

      ただそれはそれとして、

      今がベストだとは思わないし、だからこそなにかを変えたいとは思うんだけど、ヘンにいじくり回したら余計ひどいことになりそうで、どこをどうしたらいいのか、実際にはよくわからないんだよなぁ……

      なんて気持ちになることも、きっと誰だって経験があることなのではないかとも思います。だから実際にはそう単純な話でもないとは思うんですけど、だからこそ私も私なりに、まぁいろいろと試行錯誤を続けていけたらと、そう思っています。

       

      それになんと言うか、私たちはこうして肉体を保って生きているわけなので、無理に

      変わろう変わろう変わろう!!

      なんて思わなくたって、日々なにかしら変わっていってるじゃないですか?

      それこそときが経つにつれからだもいろいろ変化してきて、

      生まれてからこのくらいの時間は経ったよ。ということは帰りの日まで、あとだいたいこのくらいだよ

      って、少なくとも「ある程度の目安」くらいは、教えてくれるわけですし。

      これが霊だったら、エネルギーが保たれていて想いが変わらなかったら、見た目だってなんだってずっと変えずにいることもできますし、そもそものベースが

      「永遠」

      なうえに

      「想いがすべての基礎」

      でもあるので、その気になればなんなら実際数百年とか数千年くらい、あっという間に流せちゃいもするんですよね。

      もちろん本人がそれでいいならいいし、しあわせな状態が安定的に続くならそれがなによりだとも思うんですけど、でも同じ数百年とか数千年でこっち(地球)では何回人生を送れるんだ、それでどれだけ変われる可能性があるんだと考えたら、やっぱり結局よしあしだなぁというか、それぞれの好みだよなぁと思うんですよね。そしてそのうえで、

      ただひとつ間違いないのは、たまに生まれ変わってきたほうが、生活に「メリハリ」は付くよね

      とも。

      だからその意味で、私たちみたいにだいたい同じくらいの時期(特に宇宙感覚で言えば数十年なんて誤差みたいなものなので)に同じ地球に生まれてきたひとたちというのは、どこかに

      「共通の嗜好・好み」

      があるとは言えるんじゃないかなと思います。つまり

      軽いのはいいんだけどそれって「淡さ・浅さ」でもあるよね。重いのは確かに疲れるけど、それはときには「濃密さ・深さ」にもつながるよね

      というような。

      でもやっぱり何度生まれ変わってみても、現実はいつだって予想を超えてくるし、ましていくら自分で望んだとは言え、「集大成」は伊達じゃなかったなというわけで、私もちょくちょく限界を感じながら、それでももうちょっともうちょっと思ってなんとか生きているんですけど、まぁでも私独りだけがそんな状況にいるわけではないのですから、これからも一緒に励まし合いながら進んでいけたらと、そう思っています。つまりあなたが

      春はもうそこまで来ていますね。
      今の世の中は色々ありますが、平和と調和と喜びあふれる世界が来るまで、なんとか生き延びていきましょう

      と言ってくださるのであれば、私から付け加えることは、もうほとんどなにもないんですよね。だって結局私はずっと、それを伝え続けているだけなんですから。みんなせっかく生まれてきて、ここまで生きてきたんですから、じゃあせめてもう少しは満足して、もっとたくさんいい想い出を作ってから、帰りたいですもんね

      今の命を生ききった人だけが味わえる醍醐味

      を、あなた自身それがあると思ったから生まれ変わってきたものを、実際に味わってみたいですもんね。

      というわけでお互い本当の意味でラクになるために、自分が見たかった景色にせめて少しでも近づいたと思えるようになるために、これからも1日1日、なんとか生き抜いていきましょう。

      どうぞよろしくお願いします。

  3. サイコソーダ より:

    Dilettanteさま

    ご返信ありがとうございます。
    自身をサイコパスと認識しているサイコソーダと申します。
    懺悔にしても不格好な一方的な独白に、ここまで真摯にお返事を頂けるとは思っていませんでした。

    誰に聞かせることもできない、自分の性質について、どこかに吐き出さずにはいられず。その捌け口としてたまたま御サイトを選んでしまいました。

    なぜ自分を開示する場をここに決めたのかといいますと、

    自殺して後悔しなかったひとに出会ったことはない
    自殺者は世界全体で年間100万人ほどと言われている。日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜなら、ここには「変死」が含まれていないからである。このあたりの諸事情は、今では誰でも調べることができる...

    というブログの、

    死んだ方が楽だ、自分には生きていく術がない、汚ならしく生きて大切な人に見限られるより、惜しんで悲しんでもらえるうちに死にたい。

    という心持ちと記事の青吹き出しの台詞が完全にシンクロしていたこと。

    言うことを聞かない霊が魂の墓場へと至る一連の道筋が、これから自分が辿る運命を示しているような気がしたからです。

    私に対して、これまで色んな人が、怒り、悲しみ、呆れ、軽蔑しながら、大切なことを言葉で教えてくださいました。
    自分には確かにどれも正しく思えて、反抗や反論する気は起きませんでした。
    にも関わらず、その通りに実行できる感覚や、悔しさや恥ずかしさ、向上したいという感情がおこりませんでした。そのうちに諦められ、取り残され、静かさが戻ってくるのを、空しさと妙な居心地のよさでもって受け入れるような人間です。

    もはや会話もほとんど成り立たず、憎しみや妬みすらも向けてこない

    という魂の在り方が実感できてしまいました。
    それでも恐ろしいとは感じられず、まるで他人事のように、

    「死後形を変えて自分が存続するなら、似たような末路になるだろうな」

    と納得してしまいました。

    愛の反対は憎しみでなく無関心だという言葉がありますが、

    「自分とは関係のないものだと、人の世の全てを断じたなら、こうした存在になるのも頷けるな」

    と感じています。究極の愛に対する究極の無関心といったところなのでしょうか。

    普通の人ならできる事が全くできず、誰の言うことも聞けず、恐怖や共感というものさえ持つことができず、ただ自意識の奴隷となり圧倒的な無力感と退屈に喘いでいる私は、自分に人間らしさを求めるのをやめてしまっています。社会の営みや目に入る素晴らしい物の全てが、自分には決して手に入らない物だと諦めかけています。

    生きているうちに変われるものなら変わりたいと、思います。
    まだ大切なものをギリギリのところで失わずにいられている今踏みとどまる術があるならどんなにいいでしょう。
    しかし自身の能力や、脳の性質というものは変えがたく、医療にはじめからなにも期待出来ないがために、昔から理由なく信じている目には見えない世界に、救いを求めてしまったのだと思います。

    ただ、前回返信でDilettante様が、これまで私が受けた、自分にはもったいない愛情や幸運が、「必要なもの」であると言いきってくださったことで、少し救われました。

    自分は穴の空いた瓶のようなもので、そこに温かく得難い湯水を惜しみ無く注がれているイメージで、自分のこれまでを振り返っていました。
    どこまでも空しく、受け皿が自分でなければ、もっと素晴らしい人が育ったはずなのに、と思っていました。

    しかし

    もしあなたがそういう環境で育たなかったら、その代わりに周囲からもっと蔑ろにされ悪意を受け続けるような環境にいたとしたら、あなたはそのときこそ本当に、「もっともっとひどいひと」になっていたのかもしれません

    という一言にハッとしました。
    どんな恐ろしい結果になっていたのか想像もできません。
    自分に期待していたほど成長できませんでしたが、確かにその愛情は私の内を濡らしたのだ、無意味ではなかった、と思うと少し心が軽くなりました。

    世や生まれを呪う事をせず、周囲の人々を恨まず、自分に刃を向けているのは、これまであった様々な何かが、私にそうさせるのだと、今は思います。

    ただ生きているうちに変わるのは、何もよい方向とは限りません。悪い方向にも変わりえます。
    今感じる空しさと退屈と疎外感が、いずれ私に向いている刃を誰かに向ける日が来ないかと、それが家族だったらと、それがどうしようもなく嫌です。
    自分がよければ、他はどうでもいいという闇が、私のうちに根深くあるのを知っているからです。
    ならば今の私のうちに、……という考えがよぎりますが、それは肉体的でなく、これ以上ない精神的な凶器として、家族を斬りつけるのも理解していますので、実行はできません。

    なんとか生きているうちに、少しでも変わりたい。人並みになるとは言えずとも、家族をあまり深くは悲しませず、1人静かに苦しみ生きることはなんとか私にもできると思いたいです。

    • Dilettante Dilettante より:

      サイコソーダさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      先日に引き続きコメントを寄せてくださって、ありがとうございます。せっかくなので他のひとにも流れが追いやすいように、こちらにもリンクを張っておきますね。

      苦しくても狂うな。「あなたが望むあなた」から遠ざけるものは、あなたの玉座に置かないでほしい
      以前、私はと書いた。そのときも私は、「自分に必要な苦しみ」以上のものをあなたに与えようとしてくる存在(煽り)には、決して屈さないでほしいという想いを込めたのだが、やは...

      それで、

      誰に聞かせることもできない、自分の性質について、どこかに吐き出さずにはいられず。その捌け口としてたまたま御サイトを選んでしまいました

      とのことですが、あなたにとってここがそのような受け皿になり得たことは、私にとってとてもありがたく、嬉しいことです。

      それに

      愛の反対は憎しみでなく無関心だという言葉がありますが、

      「自分とは関係のないものだと、人の世の全てを断じたなら、こうした存在になるのも頷けるな」

      と感じています。究極の愛に対する究極の無関心といったところなのでしょうか

      というあなたの感想・見解は、とても参考になるというか、強く胸に迫るものでした。そう、彼らは

      「もはや悪意という関心・エネルギーさえも、喪ってしまった」

      ということなんですよね。そしてそれは究極的には、実はこれ以上ないほど哀しく切ない事態なんだと、私は思うんです。

      ただだからこそ、そんなあなたがご自身について行う

      普通の人ならできる事が全くできず、誰の言うことも聞けず、恐怖や共感というものさえ持つことができず、ただ自意識の奴隷となり圧倒的な無力感と退屈に喘いでいる

      という分析・評価をそのまま腑に落とすことは、私にはやはりできないんです。だってあなたは少なくとも、ここでこうして私の話に耳を傾けてくれているじゃないですか?しかもあなたはそこに恐怖や共感を見出したからこそ、自殺を思い留まり、今もそうして生きてくださっているわけでしょう?

      だからそんな私としては、

      このひとは確かに今でも苦しみ葛藤しているし、それは今までの経験や積み重ねの結果でもあるだろう。でもやっぱりその自虐はやはり過剰でもあり、刷り込まれ煽られたものでもある

      と思っていて、だからこそ私はずっと私の想いを、最初から率直に伝え続けているんです。

      それにその結果としてあなたに

      自分に期待していたほど成長できませんでしたが、確かにその愛情は私の内を濡らしたのだ、無意味ではなかった、と思うと少し心が軽くなりました

      とおっしゃっていただけたなら、それだけでもひとまず充分すぎるほどありがたいです。

      もちろんそのうえで

      ただ生きているうちに変わるのは、何もよい方向とは限りません。悪い方向にも変わりえます。
      今感じる空しさと退屈と疎外感が、いずれ私に向いている刃を誰かに向ける日が来ないかと、それが家族だったらと、それがどうしようもなく嫌です。
      自分がよければ、他はどうでもいいという闇が、私のうちに根深くあるのを知っている

      という葛藤があるのも当然だと思うのですが、それでもあなたが

      なんとか生きているうちに、少しでも変わりたい。人並みになるとは言えずとも、家族をあまり深くは悲しませず、1人静かに苦しみ生きることはなんとか私にもできると思いたい

      のならきっとなんとかなると思うのです。

      そしてもしそれでもなお、どうしても苦しくて堪えられそうもなくなったら、それをあなたの大切なひとに向ける代わりに、

      「世界そのものや守護霊さん」

      に向ければいいのではないかとも思うのですが、でもそれだと

      「わかりやすい返事や手応えがない・わかりにくい」

      のも確かでしょう?

      ですからそんなときにはもしよかったら、またこうして私に話しかけていただければと思います。別に私にあなたの苦しみや葛藤をきれいに晴らすほどの力があるわけではないですが、少なくともせめて

      「私なりの返事」

      くらいは、必ず返しますから。

      それにもちろんそこまで追い詰められたときではなくても、お気軽にお声かけいただければと思います。

      どうぞよろしくお願いします。

  4. 永遠の旅人 より:

    回答くださいましてありがとうございます。お布施の件は自分で考えてみて決めようと思います。

    それとまた疑問が出たのですが自分自身を許すと紹介してくれたページで書いていましたがそれが本当だったら自殺は肯定出来ると思うのですがどうなんでしょうか?

    例えば貧乏で家族にも恵まれなくて病弱で仕事もブラック企業で最低最悪な人生を送っている人がいたとします。実際そう言う人はいるかもしれません。

    その人が人生に絶望して自殺をしたら本人は納得出来るのではないでしょうか?

    「俺はこんなにも辛くて最低最悪な人生を送ったんだ。自殺なんてして当然だ!しかも俺自身が自分で自分の行為を許せる権利を持っている。当然俺は自分自身を許して償いなど絶対にしない。当たり前だ。俺はこんな最低最悪な人生送ったんだから償いなどする必要は当然ない。当然俺は地獄などにいかずに天国に行く!」

    例えば自殺した本人がこう思えば自殺しても何の罰も受けず天国に行けると言う事なんでしょうか?

    正直自分で自分自身を許すなんて余程の聖人君子でもなければほとんどの人が自分自身に甘い判断を下すと思うのですがどうでしょうか?

    自分も30年近く人生を歩んでいますが本当に人格が凄いと思った人は片手で数えるぐらいしか知らないのです。その人達だってたまには自己正当化をする事だってあると思います。

    長々と書きましたが自分で自分自身を許すなんて何か腑に落ちないんですよね。

    それが本当なら殺人を犯したとして自分で自分自身を許せば殺人さえも正当化出来ると思うんです。究極的に行ってしまえばどんな犯罪さえも正当化出来るみたいな感じです。なんか自分は自分自身を許すなんて納得が出来ないんですよね。それが本当なら何でもありになりますから。

    • Dilettante Dilettante より:

      例えば貧乏で家族にも恵まれなくて病弱で仕事もブラック企業で最低最悪な人生を送っている人がいたとします。実際そう言う人はいるかもしれません。

      その人が人生に絶望して自殺をしたら本人は納得出来るのではないでしょうか?

      「俺はこんなにも辛くて最低最悪な人生を送ったんだ。自殺なんてして当然だ!しかも俺自身が自分で自分の行為を許せる権利を持っている。当然俺は自分自身を許して償いなど絶対にしない。当たり前だ。俺はこんな最低最悪な人生送ったんだから償いなどする必要は当然ない。当然俺は地獄などにいかずに天国に行く!」

      例えば自殺した本人がこう思えば自殺しても何の罰も受けず天国に行けると言う事なんでしょうか?

      それが本当なら殺人を犯したとして自分で自分自身を許せば殺人さえも正当化出来ると思うんです。究極的に行ってしまえばどんな犯罪さえも正当化出来るみたいな感じです。

      なるほど、ではここで改めてひとつ大切なポイントを示すとすれば、それは

      自殺者に限らず、死後は当時の自分の気持ちだけではなく、「自分の行動が周りにどんな影響を与えたのか」も、そして「周りのひとは本当はどんなことを思っていたのか」も、そしてなにより自殺者の場合は特に「自分が自殺しなかったとしたら、もし自分が計画した本来の人生をできるだけ全うしようと最期まで生き抜いていたら、そこにはどんな可能性があったのか」も、そういったすべてを見せられたうえで、自分自身と向き合うことになる

      ということではないかと思います。しかもそこにはもちろん、

      「なぜ自分自身が、そんな環境を選んで生まれたのか」

      といった要素も含まれるわけです。だって私たちの人生は、別に「くじ引きやあみだくじ」なんかで、半強制的に、あるいは偶然に決まったわけではないんですから。だからそうしたことを踏まえたうえで、本当の意味で

      「自分を許す」

      というのはそう容易なことではないと、だからこそ自殺者もむしろ死後にこそ生前以上の葛藤を抱えることになるんだと、私はそう思うんですよね。

      そのうえで

      正直自分で自分自身を許すなんて余程の聖人君子でもなければほとんどの人が自分自身に甘い判断を下すと思うのですがどうでしょうか?

      自分も30年近く人生を歩んでいますが本当に人格が凄いと思った人は片手で数えるぐらいしか知らないのです。その人達だってたまには自己正当化をする事だってあると思います

      というところについても

      自己正当化することと、自分を許すことは同じではない

      ということを、ぜひ一緒にもういちど考えていただけたらと思います。さらに言うと、私としては

      自己正当化は、本当には「自己防衛と自己否定が綯い交ぜになったもの」であって、その意味で「ゆるし」とはむしろ対極にあるのではないか?

      とさえ思っているんです。

      だってこれは

      誰か(特定のひと・あるいはその場でいちばんの影響力を保っているひと)を納得させて、そのひとにゆるしてもらえればいい

      という話ではなく、

      自分の意図や内心、そしてそこから生まれた行動によるすべてのひとへの影響を踏まえたうえで、その人生を計画した生まれる前の自分さえも含めた「自分自身」を本当に納得させることができるか?

      という話なんですからね。

       

      でもこうしていつまでも「抽象的な他人」の話をし続けてもしかたがないので、私も私自身を省みてお話をしようと思うのですが、たとえばここでずっとこんなふうに、たとえ誰にいくら

      苦しくて苦しくてしかたがないんです!

      どうせこのまま生き続けても生き地獄なんだから、死んでどんなに苦しんだってどうでもいいんですよ!

      と言われても、それでもどうにか自殺だけは止めようとしている私が、その私自身が、もしいつか自殺してしまったとしたら、それを私はどうやってゆるしたらいいと思いますか?たとえあなたが私の死を、そしてそれが自殺によるものだということを知ることはないとしても、そのすべてを知る私自身は、それをどう受け止めたらいいと思いますか?

      もちろんなかにはそんな私に対して

      あなたは日々あらゆる負の霊から妨害され煽られてきたんだから、そしてあんなにも苦しんできたんだから、その結果として泣く泣く自殺してしまったなら、それはしょうがないですよ。私は、あなたをゆるします

      と言ってくれるひともいるかもしれませんし、それは一方ではとてもありがたいことでもあるとは思うんですが、でも

      やっぱり誰がなんと言おうと、もし私が自殺してしまったら、そこから私がどうやって私をゆるしたらいいのかは、まったく見当もつかない

      んですよ。

      だから、私はどうしても自殺だけはしたくないんですよ。そしてそのためにこうやって日々

      「自殺へのハードルを上げ続けている」

      んです。

      これは一方で確かに

      「私を絶望のなかで自殺されられたら、それこそが望み得る最高の結末だ」と思っているひとたちに対抗するには、こちらも絶対に油断してはいけないし、そんなことで乗り切れるほど甘い相手・エネルギーではない

      と思っているからでもあるんですが、本当はそれ以上に

      もしそんなことをしてしまったら、私は今度こそ完全に、立ちなおる術を喪うだろう。そして私自身が私の最大の敵となり、私が私をゆるす道は、完全に閉ざされてしまうだろう

      ということを確信しているから、せめてそれだけはなんとかして防ごうとあがき続けていると、そういうことなんですよ。

       

      だから一方で

      それが本当なら何でもありになります

      というあなたの直感には、私も基本的に同意するんですよ。現に私自身も

      基本的に「なんでもあり得る」世界において、どんな自分を育て、それをどう保っていけばいいのだろうか?
      「悪魔の証明」

      と呼ばれるものがある。これはごく簡単に言ってしまうと

      「『○○が存在しない(あり得ない)』ということを証明すること」

      であり、それは

      「『○○が存在する(あり得る)』ということを証明すること」

      ...

      という文章を書いているくらいなんですから。

      ただだからこそ問題なのは、この世界が、あるいはそこに遍在する意志が

      なにをしてもいいし、それはあなたに任せるけど、でもだからこそ「あなたがしたことの意味と影響」は、そして「あなたの選択の力」は、たとえどれだけ時間がかかっても、あなたに必ずわかってもらう

      という想いを放ち続けているということ、つまり

      この世界に単なる「ゲーム」や「シミュレーター」のような「完全なリセットボタン」はない。すべては連綿と受け継がれ、それぞれの永遠を紡いでいくんだ

      ということなんだと思うんです。だから

      やっぱりこの世界はこんなにも厳しくて、こんなにも優しいんだなぁ……

      と、私はいつも思わさせられるんですよ。

       

      ただこれはあくまでも

      「私の経験を踏まえて、今の私が思っていること」

      なので、それをあなたが

      何か腑に落ちない

      納得が出来ない

      などと思うのもしかたがないとは思うのですが、それでも

      これだけ永い間、数え切れないほどの想いやエネルギーを受け続けながら、それでもなお壊れずに一貫して保たれ続けている仕組みには、それ相応の力や理由がある

      ということは言えると思いますし、だからこそ私も日々いろいろ葛藤しながらも、

      やっぱり、仕組みそのものはよくできている(=これに換わるほど優れた仕組みを、少なくとも今はまだ思いつかない)だからあとはそれを私たちが、どう活かすかなんだ

      と思っているんです。

      そしてだからこそ私はこれからも励まし合い支え合いながら進んでいけたらと、それでせめてなんとかして今生の最期を見届けられたらと、そう思っています。

      どうぞよろしくお願いします。

  5. kazuki より:

    こんにちは。

    自殺してしまう要因で気をつけなければならない事が一つ思い浮かんだのですが「心霊スポット」も要因の一つになりませんか?
    特に自殺が多発しているような樹海に面白半分に行ったところ、自殺霊の影響を受けて探索した人まで自殺に導かれるようなケースです。
    普段から特に悩みなんてないが霊媒体質のせいで憑依されて大きな悪影響を受けてしまうケースはありますよね?

    普段からこういう場所に行かないのはもっともだと思うのですが、知らないうちにそういった場所に行って影響を受けてしまう人もいるかもしれません。
    こういうのに影響を受けづらくするいい方法はないでしょうか。

    • Dilettante Dilettante より:

      kazukiさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      自殺してしまう要因で気をつけなければならない事が一つ思い浮かんだのですが「心霊スポット」も要因の一つになりませんか?
      特に自殺が多発しているような樹海に面白半分に行ったところ、自殺霊の影響を受けて探索した人まで自殺に導かれるようなケースです。
      普段から特に悩みなんてないが霊媒体質のせいで憑依されて大きな悪影響を受けてしまうケースはありますよね?

      ええ、おっしゃるとおりだと思います。

      基本的に霊はどこにでもいるし、いつだって私たちになんらかの影響を及ぼしているわけですが、そのなかでも

      「特に霊が集まりやすく、影響力を及ぼしやすい場所」

      というのはあると思いますし、それは実のところ、

      ここにはいかにもなにかがいそうな気がする……

      という、肉体人の想念というか、「霊への歩み寄り」の影響でもあると思うのですが、とにかく

      普段からこういう場所に行かないのはもっともだと思うのですが、知らないうちにそういった場所に行って影響を受けてしまう人もいるかもしれません。
      こういうのに影響を受けづらくするいい方法はないでしょうか

      と思うのも当然だと思いますので、私としてはまず

      精神の暴走を、肉体を活かして止める方法を考えている
      もう死んでしまいたいです

      毎日自殺することを考えています

      こんな話を、私はもう数えきれないほど聴いてきた。そして、私のところに届くものでさえこれほどあるのだから、実際にそんなふうに思っているひとはもっといるし、率直に言えば、生ま...

      に例示した方法、そのなかでも最後に挙げた

      「塩と水を用いた浄霊・エネルギー調整法」

      は特に手軽なものだろうと思いますので、改めておすすめしておきたいと思いますし、実際私も日々実践しています。

       

      ただそれはそれとして、

      本当はこうしたことはあくまでも「補助」でしかなくて、根本的にいちばん大切なのは「自分の想いやエネルギーが意に沿わず歪まされていないか、普段からよくよく確かめ続ける習慣をつける」ことなんだ

      ということも、ぜひ強調しておきたいと思います。だってもしその意識がなかったら、たとえもしどんなにいい方法があったとしても、そもそも「試してみる気」になれないですもんね。

      逆に言えば、最初に自分でいい意味での緊張感や危機感を保って、

      自分の心や人生を、よくわからないひとに好き勝手に弄ばれるわけにはいかない

      と本気で決心できたら、その時点で問題はほぼ解決したと言ってもいいと、私は思っているんですよ。

      だから私がここで伝え続けていることも結局はずっと同じことを言い換えているだけなんですけど、とにかくそれをあなたがあなたらしく生きていくのに少しでも役立てていただけたら、とても嬉しくありがたく思います。

      これからも、どうぞよろしくお願いします。

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