すべての「あなた」はつながっている。だから「新しい自分」に変わることは、「過去の自分」の否定ではない

先日私は

と書いた。ただそれを書き終えてから、私は以前ある霊と話したときのことを思い出したのだった。彼は私に、

俺は、あの頃だってがんばってたんだよ!でもこれから俺が変わってそれでしあわせになったとしたって、それじゃあ「昔の自分は間違っていた」って自分を突き放すみたいで、それがすごく嫌なんだよ!

と、こう訴えてきたのである。

なにかを成し遂げたくて、自分なりに精いっぱい努力した。周りに止められても、反対されても、嗤われても邪魔されても、それでもうまくいかなかった。

ただそのあとで、周りの助けや影響もあって、今までとは違うやりかたをする

「違う自分」

に変わって、その結果やりたかったことがうまく行ったとする。

だが彼はこうしたことについて、

それじゃあそれまでの自分の努力や信念が否定されたみたいで、すごく嫌だ!

と言うわけなのである。

ただそれを聴いた私の答えは、それほど複雑なものではなかった。つまり私は彼に、

「違う自分」に変わろう・今までとは違うやりかたを試してみようと思えたこと自体が、結局は「それまでの自分がやってきたこと」の成果なんだよ。だからどんなに自分が変わろうと、本当にはすべての「あなた」はずっとつながっているんだから、そのうえでしあわせだと思えるところまで行けたら、それがなによりなんじゃない?

と、そう伝えたのである。

だが彼は、そうすぐには納得せず、さらにこう言い募る。

でもそれなら、がんばっていたその人生のなかでしあわせになれるべきだろ!けど俺はそうじゃなかった!がんばってがんばってがんばって、それでもうまく行かなくて、それでこんなふうになったんだ!それで今さら変わってしあわせになっちまっても、そんなのおかしいだろ!じゃあなんであのときしあわせになれなかったのかって、そういう話だろうが!

正直に言って、私は彼の想いにも共感できるところは多々あった。だから私は、それも率直に彼に伝えた。

うん、そうだよね。その人生で努力した結果は、できればその人生で受け取りたいよね。あなたが言っている「あの頃」っていうのがいつなのかはわからないけど、それが何百年前であれ何千年前であれさ、「ここでもういちど勇気を出して変われたらこれからあのときのぶんも報われるから」なんて言われても、そう簡単には腑に落とせないよね。その気持ちは、私にだって理解できないわけじゃない

と。ただそのうえで、私はさらにこう続けた。

でもさ、今のあなたは霊なんだから、もうはっきりとわかってるはずだよ。「肉体がなくなっても自分のすべては消えないし、ひとつの人生が終わっても、それは次以降にも引き継がれる」ってことを。それになにより、「過去生の悔いややり残しが次の生に影響して、いろいろな課題を生むこともある」ってことだってそうだ。じゃあそういう引き継がれるもののなかには、いいものだって含まれてるはずでしょ?「悪いことをしたらずっと反省してもらうけど、いいことをしても報われるとは限らない」なんて、そんなのはあんまりだし、そんな仕組みにはなってないんだよ。だから、「過去生の悔いや横暴の顕れとして苦しむこともある」代わり、「過去生からの積み重ねの結果としてこれからついに変われる」ってことだってあるんだよ。だからそれはそれで「今までのあなたの集大成」なんだから、それを受け取ることが過去のあなたを否定することになるわけないんだ

もし人生が1回限りで、なにも積み重ならず引き継がれず、その人生はあくまでそのなかで完結するのだとしたら、それはあまりに理不尽だと私も思う。だからそれを真摯に考えたらどう見ても「生まれ変わり」(魂の永続性)は必要な仕組みだと思うし、だからこそ実際にそれは用意されている。ただそれでも、

今がんばってる結果がこの人生に顕れないこともあるなんて、それどころか100年後1000年後になるかもしれないなんて、そんなの意地が悪いとしか言いようがないだろ!

と言いたくなる気持ちはわかる。本当によくわかる。本来、みんながもうこの瞬間にだって、しあわせでいるべきなのだ。本当はしあわせでいられることなんて当たり前なはずなのに、なぜそんな当たり前のことがこんなに貴重で、どうしても手の届かないものであるかのようになってしまったのだろうと、そう思い憤りたくなる気持ちは、私にだってわかる。

だがそれでも、

今までずっと報われなかった(報われたと思えなかった)から、それならもう今さら報われたくもない

と言うのでは、やはりおかしいのである。確かに、あなたはもっと早く報われたかったし、しあわせを感じたかったし、努力の成果を実感したかった。でもそれを明日感じるよりは、10年後に感じるよりは、今日のほうがまだ早いのである。だからそれは確かに期待より遅かったかもしれないし、一瞬ですべてが変わるわけでもないだろうが、それでもそのきっかけがようやく現れたときには、今からだってそれを掴めばいい。そしてそれこそがなによりの、

「今までのあなたの経験の結果」

なのである。昨日までのあなたには、さっきまでのあなたには、そのきっかけは現れていなかったし、気づかなかったし、掴めなかったのだから。でもそういう「あなたたち」のあらゆる経験や想いや成長があったからこそ、今あなたは確かに、ここまで来たのである。だからやはりあなたはあなたであり、今までの「あなた」と今のあなたがどんなに変わったとしても、そのすべては今のあなたに、確かにつながっているのである。

こうした話し合いを経て、彼は渋々ながらも私の想いを受け入れてくれた。そして今では、あの日よりさらに変わり続けていると思う。だが私は、そんな彼のことを振り返りながら、だからこそより強く思うのだ。

たとえどんなに変わり、その過程で「表面的なやりかた」をどんなに換えてみたとしても、私たちの根底にある想いは、私たちの「核心」は、ほとんど変わらないんだ

と。

私たちは結局、しあわせになりたいし、しあわせでいたいのだと思う。そしてその

「しあわせ」

とはいったいなんなのか、それをどう解釈しどう実現するかに立場や見解の違いがあるからこそ、そこから私たちの「個性」が生まれるのだろうとも思う。だがそれを踏まえたうえでも、今の私はやはり思うのだ。

結局はみんな、「自分が存在すること(今まで生きてきたこと・そしてこれからも、ずっと生きていくということ)を喜びたいし、自分に関わるひとたちにも、自分がいることを喜んでほしい」と思って、それに向かって日々それぞれのやりかたで、試行錯誤を続けているのではないのか?

と。そういう観点から言えば、私が

理解したい

とか、

いろいろな争いを終わらせたい

などと言ってきたのだって、すべてこの想いが派生したものだとも言えると思う。私は結局、自分の存在に納得したいのだ。そして私を生み出した世界にも、私がいることを、私が生まれてきたことを間違いだったとは思ってほしくない。私を創り育んでくれたひとすべてが、間違いに加担していたなんて思いたくないし、そうではないのだと心から思いたい。そして本当に心から、心の底から

今まで生きてきてよかった。これからも生きていけて嬉しい

と、思えるようになりたいのだ。肉体人であれ霊であれ、あるいは

「最初の存在」

であれ、本当は誰もがこの想いを保っていると言えるのではないかと、私は、そう思うのである。

だからどうせどんなに変わったってその核心は変わらないのだから、あなたがあなたでなくなる日なんて来ないし、すべてのあなたはあなたなんだから、安心してどんどん変わればいいのだと思う。それにそんなふうに

「変えられるもの」

をいくら変えたって、そんなところにあなたの本質があるはずもないのだから。だからそんな

「手段」

は別にどうだっていいのだ。大切なのは、あなたが自分の人生に、存在に、少しでも深く納得できることなのだから。そして私もできることなら、その日が早く来ることを願っている。だがたとえそれがまだ今日でも明日でも、あるいは今生ですらないとしても、いずれはそんな日が来ると思っている。だからその日まで、お互いにがんばってみよう。それに対して

でもそれで本当にしあわせになっちゃって、それまでの夢や目的もぜんぶ叶ってしまったら、それで生きる意味がなくなるんじゃないのか?だから実はみんな夢なんて叶えようと思ってなくて、永遠に目的地には着けないように、実は自分で望んで自分を抑え込み続けてるんじゃないのか?

なんて言うひとがいても、そんなことは気にしなくていい。だってしあわせというのは、無限に深まっていくものなのだから。「自分だけで味わう」より、「一緒に味わう」ほうが、ずっと素晴らしいものなんだから。だから本当は、しあわせになれることなんて、あなたの存在に価値があることなんて、当たり前のことなのだ。

ただ今はそれにすら自信が保てなくなっているから、まずはそこから始めよう。そしてそれが本当にわかったら、また「その先」に踏み出そう。そのときの私たちになにができるかなんて、そんなことはとりあえず今は考えなくていいだろう。だってそれはきっと今の私たちには想像もつかないくらい、素晴らしいことなんだから。

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  1. 小鳥遊 より:

    幸せが無限に深まるとはどう言った意味が込められているのでしょうか?
    自分はこの言葉をこのブログ内でよく目にする事がありますが何回繰り返して読んでも正直中々理解に辿り着けません。
    例えばオリンピックで優勝したり、悲願の宇宙飛行士になれたりして自分の目標を果たせた人達でいざ元の生活に戻ってみると、やはり平凡な生活に満足出来ず、日々を悶々としながら過ごしているという話を聞いた事があります。
    またその行為に忍耐や努力は必要でしょうか?

    • Dilettante Dilettante より:

      小鳥遊さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      幸せが無限に深まるとはどう言った意味が込められているのでしょうか?

      そうですね、これは言い換えれば

      この世界には「ここまで行ったら終わり」(この先はない・もうこれ以上はない)というような到達点はない

      ということです。そしてこれは当然

      私たちは永遠の存在なんだ

      ということとも深く関わっていますし、さらに言えば

      私たちは永遠に深化成長を続けていくのだから、その意味で「完成」を迎えることはなく、どこまでも熟成していくことになる

      ということなんですが、じゃあその永遠の時間を怒りや憎しみ、または虚無感や絶望のなかで費やすのかと言ったら、それはあんまりでしょう?

      だから私としては

      せっかく永遠があるのなら、それはしあわせや喜びを深めるために遣いたい

      という意味で、こうした表現にその想いを込めているんですよね。

      そのうえで、

      その行為に忍耐や努力は必要でしょうか?

      と訊かれたら、

      特に今の地球のような環境ではそうでしょうね

      と答えることになるかと思いますが、逆に言えば

      今の地球のような環境にいれば、努力は別としても忍耐力ぐらいは、自然と鍛えられることになるだろう

      とも思いますので、その意味で「そこまで特別なこと」をする必要はないんだろうと、私としては、そんなふうに思っています。

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