以前私は、
のなかで、
そして先ほども言ったとおり、私は神のことを、そもそも「好き」とか「愛する」という対象になるようなものとしては捉えていない。というかそれを言うなら、私は本当には人間(人類)がいちばん好きだ。そして他のどの星にいるひとたちよりも、今この地球に生きるひとに魅かれる。
(中略)
だから結局のところ、私は別に神をいちばんに愛しているわけではないということなのである。そして私はそれを悪いことだとも思っていない。なぜなら私には神以上に好きなひとがいるからだ
と言った。すると何人かのひとから、
あなたはどうして、そんなふうに「ひとが好きだ」と言い切れるんですか?私はひとが嫌いです。確かに「すべてが大嫌い」だとは言わないにしても、それでも好きか嫌いかで言えばやっぱり嫌いだと思ってしまうので、私はあなたがすごいというか、不思議に思えます
というような感想をもらった。だから今ここで改めて、私なりの想いを書いてみようと思う。
と言っても、結論だけを言ってしまえば私の立場はとてもシンプルだ。私はつまり、
私はいつもどうしても、ひとに傷つけられる。でもだからこそその度に、私はひとのことを、その相手のことを愛していることを思い知る。だからやはり、私はひとが好きなんだ
と、思っているということなのである。
私は少なくとも今生においては、動物と生活を伴にしたことはないし、これからもないと思う。だがもし私が猫でも犬でもいい、なにかの動物と暮らしていたとしよう。そしてその動物が家を汚したりなにかを壊したり、要するになにか粗相をしたとする。そしたら私は、そのことに傷つくだろうか?
実際に起きていないことだから楽観的に考えられるという可能性を差し引いても、私はやはり、そんなことはないと思うのだ。なぜなら
動物とは、そもそもそういうものだ
とわかっているからだ。動物は別に「人間のために存在している」わけではないし、彼らと私たちはそもそも種族が違う。つまり根本的な生活様式も、大切にする価値観も、なにもかもが違う。そんななかで私たちの事情を汲んでもらうのは容易ではないし、仮に少しは伝わったとしても、彼らがそれを自分の意志、あるいは習性よりも優先する義務はないのである。
とはいえもちろん、動物とお互いを理解し合う努力をするのを最初から諦めることではないと思うし、実際に生活を伴にするなかで、少しずつお互いにとっていい状態が創られていくことも、充分にあり得るだろう。
ただそれでも、やはり動物は私たちの意に沿わないことをしたり、私たちの気持ちを誤解・曲解して、攻撃してきたりすることはあると思うのだ。だがいずれにせよここでいちばん重要なことは、
やはり私は、彼らにそんなに深く、ひとにされるほどに傷つけられるとは、どうしても思えない
ということなのである。
だが他の動植物に対してはそう思う一方で、やはりひとに対してだけは、私は同じようには思えないのだ。だからその事実を考えれば考えるほど、
やっぱり私は、ひとを「特別な存在」と見なしているんだ。そしてどう考えても、それは「特別に好きだ」と言う以外にない。だからこそ私は、いつもいつもこんなにも、ひとに傷つけられるんだ
と、言わざるを得なくなるのである。
私は別に、動物や植物が嫌いなわけではないし、できることなら彼らとも仲良く、お互いを大切にし合っていけたらいいと思ってもいる。だがその「度合い」をひとに対する場合と比べたら、私がひとに対して抱くそれは、他より圧倒的に大きく、深いものなのだ。
逆にもし、私がひとに抱く気持ちが他の動植物や生きものに対するものと大差ないのであれば、私はひとにこんなに傷つけられることもないはずなのである。そしてこれは、
私はあなたとは違って、ひとはそんなに好きではないし、もっと言えば嫌いなほうなので……
とか、あるいはもっと強い口調で
俺は人間なんか大っ嫌いなんですよ!
などと言われたときにも思うことなのだ。だから私はそう言われたときは、実際に直接訊いてみるのである。
あなたがそこまで人間を嫌うのは、「本当は人間を好きになりたい。それに人間は本当には、もっともっと素晴らしい存在であるはずだ」という想いがあるからなんじゃないですか?
と。
それにこれは以前
に書いたこととももちろん相通じる。そこで
「自分の理想には揺るぎない自信を保っていて、その実現に自分の力が大きな影響をもたらせることを、傲慢なまでに信じきっている」
からこそ、私は自分の「現状を責める」のである
と書いたことは、ここでの話と結局同じものを、ちょっと違う角度から見ただけなのだ。つまり
私はひとに対して、「本当はもっと仲良くなりたいし、仲良くなれるはずだ。もっとお互いを理解し合って、もっとあたたかく素晴らしい関係を育みたいし、私たちならきっとそうできるはずだ」と思っているからこそ、そうできなかったときにこんなにも哀しみ、苦しむんだ。だから私がこんなに傷つき苦しんでいるのは、実はこれ以上なく、私がひとのことを、あなたのことを愛している・愛さずにはいられないという証なんだ
と、私は思うのである。だからこそその想いを正直に言うなら、私はやはり
私はなによりも、ひとが好きです
と、言う以外にないということなのである。
私は動植物とのことではそんなに傷つかない。そしてこれは神についても同じだ。だって神は私にただ
「受け取ったものを少し大きくして返しているだけ」
なのであって、そこに悪意もなにもないし、そもそも神というものは、少なくとも私にとっては、そういうものなんだから。
あるいは守護霊にしたってそうだ。守護霊は「神」よりもずっと私たちの身近にいるし、結局いつも一緒にいる仲間だからなおのこと、ときには少し噛みついたり、反発したくなるときもある。だがそれが「傷ついている」(傷つけられた)ということなのかと考えたら、やはりそうではない。だって守護霊というのは「そういう役目・立場にいる存在」なんだし、それも結局は
「自分が望んだとおり、私たちに経験を積ませながら、成長を手助けしてくれているだけ」
なんだから。
そう、だからその意味で言ったら、私はむしろ神よりも守護霊よりも、はるかに
「負の霊」
に傷つけられている。
負の霊だってそういう役目なんだから、しょうがないだろ!
なんて言われたって、私は引き下がったりしない。だって
最初から負の霊になるために生まれ育ったひとなんかいない。でも実際にそういう状況に陥っているひとがたくさんいるから、しょうがなくそれを「負の霊」と呼んで、それもなんとか糧にしようと思っているだけで、少なくともあなたに「その役目を引き受ける義務」なんてないし、私とあなたの関係は、理想的でも絶対普遍的でもあり得ない
んだから。私とあなたの関係は、もっともっと変われる余地がある。それもはるかに、いい方向にだ。私はそれを知っているから、そう確信しているからこそ、今のあなたとの関係に、とても傷つけられるのである。
だがやはりそんな負の霊よりも、はるかに私を傷つけるのは、今同じ世界に生き、肉体人同士として関わっているひとたちである。もちろん、そういうひとの背景には負の霊の動きも絡み合っているのはわかっている。だがそういうことも含めたうえで、やはり私は「ひとに傷つけられている」のだ。だって私がなによりも理解し合いたいのは、もっともっと素晴らしい関係を育んでいけると思っているのは、やっぱりどう考えても、ひとでしかあり得ないんだから。
さらに言えば、私はかつて
と言ったのだが、今の私は
確かにあのとき言ったことも嘘ではない。それに一般論としては、自然が私たちの癒やしになることは事実だと思う。だが私の本当の気持ちを掘り下げて正直に言うなら、私自身が「自然そのものに癒やされた」と感じたことは、本当はきっといちどもない
ということを、はっきり認めざるを得ないのである。
確かにたまに森で過ごすのもいいだろう。夜の星を見ればきれいだとも思う。だからそれが癒やしか癒やしでないかで言えば、それは確かに癒やしだと思う。私は今でも、そこまで否定する気はない。
だがそれでも、よくよく自分と向き合っていったら、私は本当は「自然そのもの」に癒やされていたわけでも、元気をもらっていたわけでもないのだ。その証拠に私は、自分独りだけで森や川辺に行ったり、静かに外で空や雲、星や月を眺めに行ったりしたとしても、それで心から癒やされたと思えたことなんて、本当はいちどもなかったのである。
確かにそこで私は、とめどなくあふれてくる雑念から少し護られ、同時に様々な葛藤や苦しみを、ほんの少しだけ忘れた気になった。だがそれは結局は「一時しのぎ」でしかなく、そのすべてはまた必ず、私のもとに返ってきたのである。だからこそ私はそこで無理に「無我の境地」になろうとする代わり、そこで自分の守護霊やその場所の霊たちと話すことのほうを、ずっと重視していたのだ。
そう、だから私はその意味で、なまじ霊媒師であることで、事態の本質を見誤っていたのだと思う。つまり私がもし「独りでも本当には独りではなく、どこかに話し相手を見つけられる」という状況でなければ、私は本当にたった独りで自然に身を置こうなんて、思うことはなかったのである。
以前の私は、勘違いをしていた。というか少なくとも、自分のことをまだまだよく知らなかった。だが今の私はわかる。
あのとき私が自然のなかで癒やされたのは、「森に連れて行ってくれたひとの思いやり」や、「私にわざわざ海を見せようとしてくれたひとのあたたかさ」に触れたからであって、自然そのものは私にとって、別にたいしたものではなかったんだ
と。
だから私は星よりも「星を見て喜んでいるひと」を見ているほうが好きだし、それはどこのなんに対しても同じだ。要するに私は、あなたの笑顔に癒やされるのであって、自然や地球の美しさとかそういうものは私にとって、結局は「ただの背景」でしかないのである。
逆に言えば、私がひとに傷つけられたときに、森で1日や1週間、あるいは1か月や1年を過ごしたらそれをなかったことにできるかと言えば、そんなことはあり得ない。もちろん「まったくの無意味だ」とまでは言わないが、それで癒えきるような傷なら、そんなものはもともとたいした傷ではなかったのだと思う。
だって本当の深傷は、そんなもので治ったりしないから。ひとに付けられた傷は、ひとにしか癒せない。本当にひとを救えるのは、神でも地球でも守護霊でもなければ、馬でも犬でも猫でもなく、それはやはりどこまで行っても、ひとでしかない。私は、少なくとも私自身については、そうとしか思えないのである。
だからいくら考えてみても、むしろこうして確かめれば確かめるほど、私はひとを愛していると言うしかないと思う。私をこんなに哀しめ苦しませるのは、ひとだけだ。そしてそれはやはり、愛の証でしかあり得ないのだと思うのだ。それだけの想い入れがあるから、それだけの衝撃を与える。そしてそれだけの傷を付けることができるからこそ、そのすべてを癒やすこともできる。そしてあなたにそれだけの「影響力」を保たせたのは、本当は、私自身なのだ。ただ私はそれを、素直に認めているだけなのである。
そしてそんな私はだからこそ、
私は人間だ。人間的なことは何によらず、私と無縁ではない。
「私は人間だ。人間的なことは何によらず、私と無縁ではない。」テレンティウスの名言・格言心に残るあの言葉を投稿して共有できる言霊.in(コトダマ・ドットイン)。テレンティウスの名言・格言「私は人間だ。人間的なことは何によらず、私と無縁ではない。」についてあれこれ投稿してみよう!
という言葉に、これ以上ないほどの共感を表したいと思う。そう、私は人間なのである。だから私には人間のすべてが含まれている、あるいは少なくとも、含まれ得る余地がある。つまり私とあなたがつながっていることに疑いの余地はもはやない。そのうえましてそこに私の「意志」が、つまり「愛」が加えられたのであれば、この事実はもはや誰にも動かしようがない。だからあなたに今まで起きたこと、そしてこれから起きることのなかで、私に無縁無関係なことなど、あるはずがないのだ。だからこそ私はそのすべてを、私たちに起こることのすべてを、どこまでも深く深く、理解していきたいと思うのである。
私は確かに、ときどき自分が嫌になりそうなことがある。でも一方で、私は私が私であることを誇りにも思う。だって私をずっと育んでくれたのは、あなたなのだから。だから私は確かにあなたに傷つけられもしたけれど、それはほんとに哀しく苦しいことだったけど、それすらも誇りに思えるのだって嘘ではない。だってそれも、あなたを愛している証なんだから。そして私は今でもあなたを愛している。それにどんなことがあってもその想いだけは奪われずにいることを、私はやはり確かに、誇りに思ってもいるのである。

コメントをどうぞ (名前・アドレス・サイトの記入は任意です)
そうだよね。
私も、あなたを愛しています。
あの時微笑みあったあなたの顔を、私は今も覚えています。
とてもうれしかったな。
ちはるさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
早いもので、あなたと初めてお会いしたときからもう3年くらい経つんですね。
あのときは、泣いたり笑ったりいろいろありましたからね。
そしてこれは言葉にするとかえってうまく伝わらないかもしれませんが、あなたが私に対して
あなたがいつ死んだとしても受け容れる
という姿勢を示してくれていることは、実のところ私にとって大きな励みなんです。
とはいえ私は別に、自殺する気はないですよ?もちろんそれはあなたも当然理解していると思いますし、そんなことをしてあなたにこれ以上の重荷を背負わせるわけにはいかないというのは、あまりにわかりきったことですからね。
でもあなたはある意味で私以上に私の人生とその目的を信頼してくれているんだろうなというのは、よくわかっているんです。
そしてそんな私はだからこそ、あなたに対しても
あなたがどんな人生を歩んだとしても、私は基本的にそれを応援するし、むやみに止めたり邪魔したりはしない
ということを、改めてお伝えしておきたいと思います。
でももちろん、自殺だけは例外ですからね?これもわかりきっていると思いますし、そもそも私が言わなくたってそんなことはしないと思いますけど、一応言っておきます。
ただ私たちの人生って、よく
極端だ
という誤解を受けるじゃないですか?
しかもあなたの場合は、若干の自虐的ユーモアを含んでいるとしても、自分でもそんなふうに言うことがあるくらいですからね。
でも
たとえそれが周りの平均的感覚からはぶっ飛んでいるものだとしても、それがなによりあなた自身にとって意義のあるものなら、あなたがそれを価値のある試みだと思えるなら、それがいちばん、あなたらしい人生なんだ
と、私は思うんですよ。
しかも知ってのとおり私自身もこんなんなので、もしそんな私があなたの「極端さ」を否定的に解釈したら、それは即座に私自身に跳ね返ってくるじゃないですか?だから私は
それがあなたらしい選択の結果であるなら、あなたがどんな生きかたをしようと、それこそどんな死にかたをしようと、私はそれをありのままに見届けよう
と、特にあなたに対しては、そんなふうに思っているんですよね。しかも私自身は、あなたの人生や生き様を極端だと思ったことは、そもそもいちどもないんですから。
ただそれはそれとして、きっとあなたも今生に関しては、今まで何度も見てきたような
「哀しいパターン」
とはひと味ふた味違うところにたどり着くんじゃないかなと、非常に勝手ながらそう思っているんですよね。
そしてそれは別に「他人事だから無責任な論評をしている」わけではなくて、もちろん私自身の人生についても、同じ意気込みでいるんです。
つまり誰かのことを
極端だ
と評価するというのは、多くの場合
結局あんな目に遭うのなら自分は絶対に真似したくないし、あれはどう考えても行き過ぎだから、あのひとの感覚が普通じゃないんだよな
というような、反面教師的な教訓を暗示してるでしょう?
でもそれがもし、
途中までは極端にも思えたけど、結局は意外なほど穏やかな終わりを迎えてたな
ということになったら、それはもう「極端」だとは言えないと思うんです。
それに私だってあなただって、別に
誰と比べても絶対に目立つ、圧倒的に極端で奇特な人生を創ろう!
と思ったわけではなくて、ただただ
自分が心からしあわせだと思えるところにたどり着きたい・本当のしあわせを味わいたい
と思ったから、それに「必要」だと思ったものを、その過程を、いろいろと試行錯誤しただけじゃないですか?
だって
愛を知りたい・受け容れたい・身につけたい
と思うのが極端なことであるはずはなくて、それは本当はむしろ「あまりに普通で、自然で、ありふれたこと」ですもんね。
だからもうそろそろ、今回こそは、お互いの想い描いたそのかたちが、ようやく他のみんなにもわかりやすいかたちで顕れてくるんじゃないかと、私はそう思っているんです。
と、ここまで書いておいてなんですが、今回あなたが開示してくださった情報は、私があなたを推定するのにギリギリの量でしかなかったですし、そもそもあなたがここにコメントを残すのはとても珍しいことなので、もし万万が一あなたが私の想定した
「ちはる」
さんとはまったく違う<ちはる>さんだったときには、これは実に要領を得ない返信になっているかもしれませんが、どうかご理解いただければと思います。
ただあなたはとても神出鬼没なので、言えることは言えるうちに言っておいたほうがいいかと思って、改めてこんな話をしてみたというわけです。
それにあなたが今「元気」なのかどうかさえ、例のごとく私には確信を保てないし、あなたについては特にそうなのですが、とにかくあなたが今この瞬間もまだ生きているということを確認できただけでも、私としてはよかったです。
それに私はこれからもここにいますので、影からでも私の様子を窺い知りたいときは、またいつでもお立ち寄りいただければと、そう思っています。
私もまだ、どうにか生きていますからね。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
貴方の肉体は人間でしょうが、精神は人間の域を超えているとしか思えません。
貴方が思っている「ひとが好きだ」は、
我々人間が「犬猫を好きだ」という気持ちと同じ….とまでは言いませんが、
私の言う「私は子供が好きだ」とほぼ同じなんだと思います。
私も貴方くらい成長できれば、人間に対して愛を感じやすくなると思いますが、まだまだ人間は争ってばかりです。ほとんどの人類はまだ子供なんです。私も子供ですから、子供同士でケンカが絶えないのが今の地球です。
でも「ひと(霊)」は成長する者ですから、いずれ貴方のような人も増えてくるんでしょうね。
神世が待ち遠しいですわ。
Rマンさん、ようこそ、闇の向こう側へ。
いえいえ、もし何度そう言われたとしても、私自身にそういう認識はまったくないんですよ。
というかあなたは私が日々どれだけ悪戦苦闘しているか、よくわかっていると思うんですけどね?
それに人間が犬猫に愛情を注ぐのも、別に
「人間が犬猫の精神を超越しているから」
ではないでしょう?それに私だって、
私は実際「犬と猫のハイブリッド」みたいなものだ
と自覚しているんですよね。
ただ一応年を食ったぶん、
「ギリギリ最低限のマナー」
を身につけただけで。それもほんと、ギリギリですよ。
とはいえ私はあなたと無理に意見を一致させようと思っているわけではありませんし、あなたがそう言うなら
そういう見かたもあるんだなぁ……
と思ってとりあえずは受け止めますけど、でもそういうあなただって最初からこどもが好きだったわけではないでしょう?
それなのに今は自分でも
と言うくらいなんですから、だからいずれは自然と、私の言いたいこともわかってくれるようになるだろうと、私はそう思っています。
何度も言いますが、私は、人間なんですよ。ただあなたも
とおっしゃるとおりなんです。ただ、それだけなんですよ。
そしてだからこそ私もずっと失敗だらけなんですが、だからこそこれからもなんとか成長していこうと思いますので、それでも足りない多くの部分は、あなたの助力を仰ぐことにしようと、そう思っています。
これからも、どうぞよろしくお願いします。