ジェネレーションギャップ。その断絶を切なく感じることもあるが、それは世界が変わった証でもある

以前から私は、

と言ってきた。このようなそれぞれの「世界」は、

「基本的な価値観や感受性の違い」

によって分かれているものだとも言えると思う。そしてそれはもちろん、年代によっても移り変わっていくものだ。だからそれを特に、

「ジェネレーションギャップ」(世代差・世代間格差)

と呼ぶことも多い。

私たちは、生まれた瞬間から「空気」を吸い続けている。それは物理的なものだけでなく、周囲のエネルギーや想念、それに価値観や世界の捉えかたなど、様々なものを含んでいる。そこには特に幼少期に自分の身近にいた家族や保護者、それに近所のひとや教育者などの影響が大きいとも言えると思うが、とにかくそうした「空気」というものは、数年や数十年で大きく変わることもよくある。だからそこで生まれ育つひとの在りかたが変化するのも、当たり前だということである。

だからこそ、成長するにつれて様々な年代のひとたちとの関わりが多くなればなおさらだし、そもそも家族間、たとえば親子間でさえ、ジェネレーションギャップを感じることは多々ある。上の世代である親は、下の世代であるこどもに対して、自分の吸ってきた「空気」を基にした話や振る舞いをする。しかしその「空気」は、こどもにとってはときどき奇妙に映る。だから、話が噛み合わず、想いもうまく伝わらないのである。

一応お互いの空気の醸成に強い影響力を及ぼし合うはずの家族間・親子間でさえそうであるなら、生まれてから出会うまでの間に、相当異なった空気を吸ってきた他者との間にジェネレーションギャップが生まれるのは当然だとも思うのだ。そのうえで、できるだけお互いが心地よく、うまく協力して生きていくために、そのギャップ(溝)を埋めるために双方が努力したり、話し合ったりすることはもちろん必要だと思う。

ただそれでも、その溝を埋め乗り越えながらお互いを理解し合っていくのは、やはり容易ではない。自分が体感できるのは、自分が生まれたときから今までに吸った空気だけだからである。だが自分より下の世代である相手が生まれたときには、もうその空気は入れ換わってしまっている。だから「古い空気から新しい空気に換わっていく」のを実感することはできたたとしても

「自分が生まれてもいない、今はもうほとんどなくなってしまった空気を実感的に想像する」

というのは実に、実に難しいことだ。だからこそ、新しい世代である下の世代というのは、ある意味では確かに「古い世代」である上の世代の価値観や振る舞い、そしてその影響からなかなか逃れられずにいる様を、奇妙かつ滑稽に思うかもしれない。そしてなんとかそこに折り合いをつけながら、自分たちの未来を切り拓いて行こうとするのだと思う。

ただ私はそのことを、基本的にはさほど悲観していない。だって私自身もそうやって未来を拓いていこうとしてきたのだから、それがこれからも続いていくのは当然だと思うし、なにより上の世代はやがて死に(前線を離れ)、下の世代が社会の中心を担うようになるのだから、社会に彼らの意識がより濃く反映されるのも自然なことだと思うからだ。それになにより、彼らがそうやって

「昔の社会とは見違えるほど素晴らしい世界・未来」

を創っていくのなら、それは私の願いどおりでもあるのだから。以前から

と言っているのも、そういうことである。

ただ、それを大前提としたうえで、今から数百年、あるいは数十年後を生きるひとたちが、もし

昔のひとたちは、肉とかあんなものを平気で食べてたんだなぁ……どうしてなにも思わなかったんだろう?

昔のひとたちは、いつも戦争や奪い合いばかりをしていたみたいだけど、ずいぶん乱暴でめちゃくちゃなひとたちだったんだなぁ……

などと思うようになるのだとしたら、それは確かに少しだけ、寂しいと思うところもある。それはつまり、

今から振り返ればどんなにおかしくて、信じられないほど狂っているように見えても、そのときの私たちは私たちなりに、一生懸命に考えていたんだよ。そしてそのときと今との間にどれだけの差や溝があるように見えても、本当はすべて、つながっているんだよ

ということを、どうしても強調したくなるからなのだろうと、私は思うのである。

だがもう一方で、いったん霊の世界に視点を移して考えてみれば、こんな数十年や数百年くらいの間に、ここまでのジェネレーションギャップが顕れることなど、霊界ではまずあり得ないとも思う。もちろん今のような例外的な時期もあるにはあるのだが、霊はもともとが

「想いの世界・気の合うひと同士が集う世界」

に分かれて暮らしているのもあって、なにも変わらずにいようと思えば、数百年だろうが数千年だろうがほぼ変わらずにいることもできるのである。だからその世界(共通の層)に100年前からいるひとと、明日入ってくるひととの間に、そこまでの溝は基本的に生まれないということだ。

つまり、

この肉体界にこれだけのジェネレーションギャップが、これだけの短期間で生まれるということは、ここがいかに多様な経験を積みながら、大胆に変化してきたかの証でもある

ということなのである。そしてだからこそ、この世界に生まれ変わり、肉体人としてこれほど濃密な体験を積むことは、やはり確かにかけがえなく、尊いことなのだと思うのである。

この世界はときにあまりにも早く変わってしまいもするから、「同じ空気」を吸ったことのないひとには、どうしても実感してもらえないほどの溝ができることも多い。そしてその溝の存在が、お互いの気持ちを理解し合うための妨げにもなるのであれば、それは確かに切なく哀しいことだとも思う。

だがもう一方で、

その溝の大きさこそが、私たちの努力と変化、つまりは成長の証でもあるんだ

と思えば、それは確かに素晴らしいことなのだし、それなら私が

「ものをよく知らなかった野蛮人」

だったと思われることくらい、別にたいしたことでもない。

それにもうひとつ別の言いかたをするなら、

この激動の、あと数十年もすれば2度と味わえなくなるかもしれないこの時代のこの星の空気を共有できていることは、かけがえのない絆にもなる

と、私は思うのである。いくら歴史書を読み込んでも、当時を知るひとにインタビューしても、その「肌感覚」は、その「リアルで、日々刻々と移り変わる空気の流れ」は、そこにいたひとにしかわからないものでもあるから。

だからこそ、たとえ私たちが今生を終えてまた違う世界に生まれ変わるときも、ここでこの空気を身に染み込ませた体験は、必ず活かされると思うのだ。だからなんなら今生はわからなくてもいい。いずれこの時代のこの地球に生まれた意味がわかったそのときに

あの人生を生きたことは、本当によかったんだ

と思えたら、それでも遅くはないのだ。いずれにせよ、今を生きられるのは今だけだ。その価値を本当に味わえるのは、今を生きたひとだけなのである。だから私はその今をあなたとも共有できていることを、本当はずっと心から、嬉しく思っているのである。

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