魂の曇り・やり残し。あなたなら、それに一気に決着をつけたいと思うだろうか?

私たちは生きている間に、様々な他者と関わっていく。そしてそこから多くの喜びや味わいをもらうことにもなるのだが、その一方で意図的にしろそうでないにしろ、相手を傷つけてしまったり、苦しめてしまったりすることも、やはりたくさんあると思う。

そしてそうした体験はもちろん、自分がその生を終えたときにも必ず振り返ることになる。そこで相手が自分に対して怒りや憎しみなどの感情を残していた場合、それはある種の「敵対」にもつながってしまうのだが、そうではなく相手としては自分をゆるしてくれたとしても、自分自身がその事実に悔いや苦しみを感じたのなら、それはもちろんその後の選択に大きな影響を及ぼすことになる。またこれは

「自分がしたことに対する悔い」

だけではなく、

「自分がしなかったことに対する悔い」

として残ることも多いと思う。

だがいずれにせよそうした悔いや葛藤は素朴に言えば

「魂の曇り」

などと呼ばれるようなものとして、魂に残ることになるというわけだ。

そうすると、そういう曇りやしこりのようなものを残したまま存在し続けるのはとてもつらいうえに、ただ霊の世界に留まっているだけでは大きな変化も望みにくいので、最も素朴な選択肢として、

次はその曇りやしこりを解消できるような人生を設計して生まれ変わろう

という案が浮かぶのも、ごく自然なことだと思う。

ただ、なにごとも実際は計画どおりに行かないことが多いうえに、そもそもその計画を好意的に見守ってくれる存在ばかりではなく、意図的に邪魔しようとする存在までいるのならなおさら、

曇りを解消しようと思って生まれ変わったら、かえってもっとひどい状況になって終わった

なんてことが起こるのもまったく珍しいことではない。そしてそんなことを何百万何千万回と繰り返していくうちに、

なにが始まりでどこからどうなってこうなったのかさえもうよくわからない

という事態に陥ることも、ごくありふれた状況なのだと思う。

そしてこれをわかりやすく伝えるひとつのたとえとして、

「魂のツケ・借金」

というような表現を用いるひともけっこういると思うが、確かに現代における借金に「金利」が付くのと同じように、それぞれが複雑に絡み合った結果、気づいたらそれはあっという間に膨れ上がって、原型がどんなものだったのかさえわからなくなりそうにもなる。だがだからこそ、

こんなものを細切れに返済していっても将来の見通しがまったく立たないから、もうこの際一気に決着をつけたい

と思うことも出てくるかもしれない。だとしたら、その場合私たちはどうやってその曇り・ツケ・借金を清算すればいいのだろうか?

そう考えていくと、たとえばそのひとつとして

ものすごく苦労する人生にはなるけど、そんな大変な状況のなかで一気にいろんな経験を積んで魂を磨き上げればいい

という答えが浮かび上がってくる。そして私は、

今のこんな過渡期・大変革期の地球にわざわざ生まれ変わって大変な人生を送っているひとというのは、こういうふうに「今までの総決算」としての人生を望んだ結果でもあるのではないか?

と、薄々そう思ってもいるのである。

そもそも、本当は誰だってそんな「借金」を後生大事に抱えていたくはない。しかし永い年月のなかでいつの間にか袋小路に陥ってしまい、中途半端な力では堂々巡りから抜け出せそうもないし、それこそ「金利」を払うのがやっとで、「元本」はなかなか減りもしない。でもそんな状況では、本当のしあわせを感じるのにはほど遠い。まして今は宇宙も霊界も大きな変わり目を迎えつつあるから、このままじっとしていてもますますジリ貧に陥る可能性すらあって、現状維持すら容易ではなさそうだ。

と、そんな状況のなかで、地球という星のことを思い出す。そこは今の世界の大変さが凝縮されたような場所であり、すべてがあまりにも雑然としていて、あり得ないほど多様な存在が同居している。だからそこで生きるのは本当に大変でもあるのだけれど、だからこそその過程には多くの学びが詰まってもいるし、そこでは自分の悔いを晴らせるかもしれない可能性も、借金を返せるかもしれない大仕事も、あの人生でやり残したことにもういちど挑めるかもしれない場も、たくさん用意されている。

だからそれはある意味では確かに、

「千載一遇のチャンス」

である。そしてどうせなら徹底的にのめり込んで、今までのツケも借金も一気に返済して軽やかになってしまおうと、盛りだくさん波瀾万丈の人生を設計した。そしてその結果として、今ここに地球人として生きているのだ。

と、ざっくり言えばこのようなケースに当てはまるひとというのは、意外にかなり多いのではないかと私は思うのである。

もちろん、たとえば病気や困難や不運などのすべてが

「過去の悪行・魂の借金」

のせいだとは思わない。そもそも

「様々な立場で、様々な体験を積む」ということそのものに、私たち(の成長)にとってかけがえのない価値がある

からだ。それに

というような実例も踏まえると、やはり自分の「全力」を出し切れるような挑戦をしてみたいという気持ちもわかる。

またもう一方で、そうした苦しみや困難が襲ってくる背景には負の霊(あなたを快く思わない存在)の影響もあるから、すべてが

「あなた自身の当初の計画」

から生まれたものだとは言い切れないのも確かだ。

だがそうしたことをすべて踏まえたうえでも、実際に生きてみてそれがあまりにも

「無謀な返済計画」

だったと思うのであれば、それを

最初は一括で返そうと思ったけど、それはちょっとあまりにもキツいから、やっぱり「分割払い」に変更しようと思う!その代わり、そのぶんの苦労は、来世以降に持ち越してもいいから!

などと言ってみることも、ひとつの選択肢としては有力なのではないかと思うのだ。まして極端に無理をし続けて潰れ、自殺してしまうくらいだったらこのほうがずっといいと思うから。

先に言ったとおり、そもそもなにごとも当初の予定どおりにはなかなか進まないものだ。だが自分で立てた計画ならなおさら、途中で変更することだってできる道があるということなのだ。魂の借金に「自己破産」(債務免除)は利かない。だがその代わり

それをいつまでに、どのくらいのペースで返していくか?

は自分で決めていい。だからどうしても苦しいなら、返済計画の変更を申し入れることも悪くはないだろうし、本気で頼んだらきっと拒否されることもないのではないかと思う。だってこれは、あなたの人生なのだから。

ただ最後に私の個人的な話を少しだけすると、私自身はそういう申し入れをしたいとは思っていないし、これからもすることはないと思う。それは

私としてはどうしても、今生である程度の決着(目処)をつけて、来世以降はしばらくのんびり過ごしたい

という想いが強いからなのだが、もちろんこれはそれぞれの年齢や立ち位置にもよるだろうから、あくまでも私個人の話だというのは強調しておきたい。それに私は実のところ、こうした問題についても

これも結局は好みの問題なんだろう

と思っている。つまり

必死に早く返すのが偉いとか、ゆっくり少しずつ返すのが悪いということでもない。ただそれぞれが自分のペースで、自分と向き合っていけばいいんだ

と、私は思うのだ。

それに以前

とも書いたように、結局はすべてを糧にできさえすれば、それでいいのである。永遠という時間から見れば、本当には早いも遅いも、なにもないのだから。

ただ本当に正直なことを言うと、私も今までそれなりにつらく苦しい想いもしてきたので、

そろそろ今までの借金は完済して、心新たにしあわせや喜びを深めていければいいなぁ……

と思っているのだが、今はその過程のどのあたりまで来ているのか、生きている間にはやはりよく見えないのである。

だがそんなことに不満を言ってしまうとまた「利息」がついてしまうのだから、とりあえず淡々粛々と、1歩ずつ進んでいこう。そしていずれはその経験もすべて含めて、もっともっと大きく深い存在になろう。私は今もそう思いながら、ここで生きているのである。

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  1. kazuki より:

    こんにちは。

    これは一言で言えば過去生におけるカルマの解消についてですよね?

    例えば凶悪な殺人事件を起こした人物は相当大きい「魂の曇り」が残ると思います。
    このような人物が生まれ変わった場合、一般的にはどのような人生を送ることが多いんでしょうか?

    相当過酷な環境で生まれる人には、このような人が中にはいるのではと思ってしまいます。

    • Dilettante Dilettante より:

      kazukiさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      これは一言で言えば過去生におけるカルマの解消についてですよね?

      ええ、そのように言い換えても概ね問題ないとは思うんですが、ただ一方で個人的には

      「カルマ(業)」

      と言った場合には特に

      「悪いこと」(悪行)

      のニュアンスが強い気がするので、そうするとここで私が言う「魂の曇り」に込めた

      自分の全力を出しきれなかった……。やりたいこと(前向きな希望)に挑戦できなかった……

      という要素を表しきれないという意味では、やはり微妙な相違もあると言えるかもしれません。

       

      そのうえで

      例えば凶悪な殺人事件を起こした人物は相当大きい「魂の曇り」が残ると思います。
      このような人物が生まれ変わった場合、一般的にはどのような人生を送ることが多いんでしょうか?

      というご質問については、ここで私の立場からはっきりとなにかを明言することは、そうした事件の関係者の方々をむやみに傷つけたり混乱させてしまう可能性もあるという観点から、少なくとも今このような場では差し控えさせていただきたいと思いますので、どうかご理解いただけたらと思います。

      ただそれでもほんの少しだけ言うとすると、そもそもこうした問題は殺人犯になってしまったその人生を起点とするのが正しいとも言い切れない、つまり

      なぜそのひとは、殺人を犯すような人生を選ぶことになったのか?

      という観点を持つ必要もあるということ、そしてそこに併せて

      そもそもその殺人は生まれてくる前の構想に含まれていたのか?それともそれはやはり「『負の霊の煽り・刷り込み・唆し』にやられた結果としての『予定外のできごと』」なのか?

      という問い、さらには

      そのいずれの場合にしても、そこで殺されることになる被害者は、生まれる前にその可能性をどこまで意識していたのか?そしてもしそれすらも「望んで選んだこと」だと言うひとがいるとするなら、そのひとはどうしてわざわざよりによって、「殺される」という人生の終わりを選択したのだろうか?

      という問いまでも見据えたうえで考え、見つめていかないといけないということになるんですよね。

      そうするとこうした種々の事情はそれぞれの事例によって様々であり、

      少なくともこれをまとめて一般化するなんてことはとてもできないだろう

      と思うわけです。しかも最初に言ったとおり、これを今の私たちが肉体人としての立場・目線に基づいてこうした場で話し合うことは、いずれにせよ多くのひとを苦しませたり不快にさせたりする可能性が大きすぎると思うんですよ。

      ですからそうしたすべてを踏まえて、今の私としては

      そうした問題に関心を持つのは一方ではかなり自然なことだとも思うのですが、やはりこれはあまりにも複雑かつ繊細なことだと思うので、ここで話すのは適切とは言えないでしょう。だからもしあなたが死後もそれをずっと気にかけていて、なおかつその考えを私とも話し合いたいと思ったのなら、そのときは霊同士として、より広く大きな視点から、改めて率直に話し合ってみましょう

      とお伝えしておくことで、この場でのお答えに代えさせていただきたいと思います。

      どうぞよろしくお願いします。

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