控えめに、しかし率直に。自分なりに育んできたこの場所で、私もあなたと生きていく

先日、私は

という文章をまとめた。だが、いくら私に理解したいことがあり、そこに大きな理由もあると言っても、真実はまさにその力によって、私たちを強く揺り動かす。

だからこそ私たちはときに、

こんなことなら、知らないほうがよかった!

などと言いたくなるんだと思うし、その気持ちはもちろん、私にだってわかる。

そしてこの気持ちは、実のところ

私はまだ、こんな真実を受け止める準備なんかできていなかった!

という抗議でもあるのだろうと私は思う。だからこれはさらに言い換えれば、

私がいつどのタイミングでどんな情報に触れるかは、私がよく吟味して決めたい

という気持ちの顕れなのではないかと思うのだ。

「みんなが一斉に、同じ情報に触れる」

のであれば、その負荷はみんなでわかち合えるものでもあるが、

「多くのひとがまだ触れもしていない、あるいは「虚偽」や「無価値」だと判断したものを、自分の責任において改めて吟味する」

という場合には、そこには確かに多くの葛藤や痛みも伴う。

情報の取捨選択が「価値観」や「信念」の基礎である以上、「どの情報をどの程度受け容れるか」は、自分自身を根本から変えてしまう可能性もある

からだ。だからこそ、その困難に立ち向かうには、自分の「意志」と「勇気」が必要なのだと思う。

また一方で、別にその情報が自分にとってさほど重要とは思えなかったり、自分の人生にはほとんど関係ないとしか思えなかったりするものであったとしても、

そんな情報が自分の、あるいは自分の大切なひとの目に触れるだけでも嫌・不快だ

という気持ちになるひともいる。これはもちろん

情報はそれが「真実」であるか「虚偽」であるかにかかわらず、そもそもそれぞれの「エネルギー」を保っている

からでもある。だから、

その情報をうまく消化・濾過・選別できないひとには、そもそもその情報(エネルギー)を与えるべきではない

という考えも出てきて、これが

「ゾーニング」(情報の区域分け・制限)」

となって現実化することもある。というかこれは実際に、いろいろなところに見られるものだと思う。

特にインターネットの黎明期において、

これから世界中の情報にみんながアクセスできるようになれば、みんなが同じ目線に立って、一緒に真実に近づいていけるようになる

というような期待は結構あったと思うし、私自身もそのような期待を共有していた。

だがそれから20年以上経った今、現状はその期待に沿っていないどころか、ある部分では明らかにそれを裏切ってもいる。つまり私たちは確かに「以前よりはるかに多くの情報に触れられるようになった」のだが、だからこそもう一方では、

そんな「嘘」や「騙し」かもしれない、「苦痛」や「葛藤」を伴うかもしれないものなんて見たくない。だから私は私にとって心地よい情報(エネルギー)だけをたくさん集めたい

という想いもむしろ強めたのだろうと、私は思うのである。

そして私は、

私自身の意図や気持ちがどうであれ、私が発信し続けている「霊的な情報や実体験」というのは、特に「現在の常識的な世界観」を基盤にしているひとにとっては、少なからず不快にも感じるかもしれない

という認識を、ずっと保っている。それに実際、

お前のやっていることは、死者や遺族への冒瀆だ!

というようなことを言われることもあるのだからなおさらだ。死や生まれ変わり、それに霊存在や魂の永遠性についての捉えかたは、文字どおりそのひとの根幹を変えるかもしれない。だからこそ、そんなものを意図しないタイミングで見せられたら、混乱したり不快に思ったり、あるいは憤慨したりすることだってあると思う。私もそれはそれで、自然な反応だと思っているのである。

だがだからこそ私は別に私の文章をやたらと「拡散」してほしいとか、様々な「ゾーン・領域」を踏み越えて大声で伝えて歩きたいとか、そんなことは思っていない。それにこの意識は、この場所の名前やデザインにも、ずっと反映されていると思う。つまり言ってみれば、

私はずっと私なりに、「セルフ・ゾーニング」しているつもりだ

ということなのである。

それに実際、最近はTwitterやFacebookなどのメジャーなSNSもこうした雑多な情報に対し、

「常識的な観点から処理・検閲する」

ことも特に多くなってきたようなので、もし私なんかが今さらそこに乗り込んでみたところで、「有害な情報」とか、「混乱を招く勧誘」などと見なされて、いつ強制追放されてもおかしくないと思う。それに、そもそも

「無料でプラットフォーム(発信の基盤)を利用されてもらう」

ということはそういうリスクも当然あるのだから、それに声高に抗議しようとも思わないのである。

だから私は別に

私の話は、世界中のひとに聴いてもらう価値がある!

とも思っていないし、

みんなが私の話を真剣に聴いてくれたら、すぐにでもあらゆる問題は解決する!

などとも思っていない。私はいつも、

今自分が伝えていることや体験が、現状の世のなかにおいてどれだけ奇妙で扱いにくいものなのか、その「身の程」を、きちんと弁えていよう

と思っているし、これは実際

とも伝えているとおりである。

だから私は、少なくとも現時点においては、まったく「意気揚々」とはしていない。それどころか、基本的にずっと「控えめ」な態度でいようと思っているし、そのほうがいいと思っている。

ただ根底にこうした認識を置いたうえで、だからこそもう一方では、

と言いながら、私はできるだけ素直に率直に、私の想いや体験をお伝えしようとしているのである。これはつまり、

私は「真実」を押し付けたいわけでも、「絶対の答え」を受け容れさせたいわけでもない。ただだからこそ、「私が自分らしくいられるように創った場所で私の想いを共有すること」くらいは、どうか容認してほしい

ということなのだ。そしてそのうえで、

私自身が誰よりお互いのことを、そして真実を理解したいと思ってここにいるのだから、もしあなたもここに留まり続けるのであれば、その私から「あなたも影響を受けることになる」ということを、どうかわかっていてほしい

とも思っていると、そういうことなのである。

何度も言うように、情報はそれ自体がエネルギーを保っている。ましてそれが、

「どうしても虚偽だとは思えない、笑い飛ばすこともなかったことにもできない、どうしようもない真実」

とわかったとき、それと自分を切り離すことはできなくなり、それはなんらかのかたちで、必ず自分に変化を迫ってくる。だからそれは決して楽しく心地よいものとは限らないし、だからこそ

こんなことなら、知らないほうがよかった!

などと言いたくなる気持ちもわかる。本当に、よくわかるのである。

だがそれでも私は、最終的には、

やはり、「なにが嘘や思い込み、あるいは誘導や偏見で、逆になにが真実なのか」を理解することなしに、本当にしあわせになること・自分らしい人生を歩むことはできない

というところに落ち着くと言うか、そういう気持ちにならざるを得なくなるのである。そして私も本当はずっと、心からしあわせになりたくて存在しているのだから、それならやはりこの道を、途中で投げ出すわけにはいかないと、そう思っているのである。

だからもしあなたのなかに、少しでも私と同じ気持ちがあるのなら、そしてこんな私の想いを知ったうえで、それに影響されてもかまわないと思ってくれるなら、どうかこれからも、一緒に生きていけたらと思う。あなたが死にたくても、私はあなたに生きていてほしい。あなたが自分を殺してしまいたいほど、自分のことも世界のことも嫌いでも、そう思い込んでいるとしても、それでも私は、あなたに生きていてほしいと思う。これが、私なのである。

自分と違うエネルギーというのは、なんであれ不快にも感じるだろう。疲れて苦しくてしかたがないときに、そんな衝撃や摩擦なんて、受けたくないとも思うだろう。でもこれが、私なのだ。なにかを押し付けたいとかあなたを変えたいとか言う以前に、どうしてもこう思わずにいられないのが、私なのである。

だからこれからもこの場所は、この『闇の向こう側』は、こんな私の想いを映し出しながら、ここに在り続ける。そしてあなたの想いも吸い込みながら、一緒に育っていく。だから私はそんな場所の主宰者として、それにそもそも私自身として、これからもお互いのしあわせを、心から願っている。

どうかあなたにとってこの場所が、そしてこのエネルギーが、真実を受け容れ糧にするまでの痛みや衝撃を和らげるものでありますように。そしてどうか少しでも心地よく、あなたを育むものでありますように。

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