「石の上にも三年」ということわざと、恋愛ホルモン。お互いを理解し合うための、永遠の過程について

石の上にも三年

ということわざがある。これは、

(冷たい石の上でも三年すわり続ければ暖まるの意から) たとえつらくてもしんぼう強くがんばれば、やがて報われるということ。

石の上にも三年とは - コトバンク
デジタル大辞泉 - 石の上にも三年の用語解説 - 冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる。がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ。

というように説明されるものなのだが、今の日本においては

冷たい石のようにつらい環境で、3年も耐え続ける必要なんてないし、そんな無理を続けていたら心もからだも壊れてしまいます!だからこんなことわざはもう死語なので、気にしないほうがいいですよ!

というような反発を受けることも多いようだ。

ただ私も以前

と書いたとおり、

なんでもただ我慢して耐え忍ぶのがいちばんいいとは限らない。むしろ場合によっては、自分に合わない環境には早々に見切りをつけたほうが、自分のしあわせにつながる

という意見にも共感するところはある。だがもう一方で、

かといってもしこの考えだけをどこまでも推し進めていったら、そこにもやはりなんらかの歪みが出てくるのではないか?

というなんとも言えない引っかかりのようなものがあって、それがいったいどこから来ているのか、どうやったらそれをもっと消化していけるのかと、長らく考え続けていたのである。

そして確かにこのような話題を、仕事や転職といった実務的な観点、あるいは引っ越しに代表される生活環境などの観点から考えてみることにも大きな意義はあると思うのだが、今回は少し違う視点、それも人間関係の極致とも言えるだろう

「恋愛関係」

という入口から、あなたとも一緒にいろいろ考えてみたいと、そう思うのである。

ただ最初に強調しておきたいのだが、私は別に恋愛の熟練者でもなければ、それについてなにか「明確な真理」を見出しているわけでもない。それに、こうしたことは誰にとっても繊細で切実な問題であるうえに、育ってきた時代背景などからも大きな影響を受けることなので、立場や考えに様々な違いが出てくるのは当然のことだ。だからこれもここにある他のあらゆる文章と同様、

「私なりにいろいろ考えて、今はこんなふうに思うようになった」という私の実例を書き残しておくので、少しでも参考になりそうなところがあれば、ぜひあなたの人生に活かしてもらえれば嬉しいです

というのが第一の趣旨だということを確認してから、話を進めたい。

まずそれをお伝えしたうえで、それではなぜ恋愛を入口(切り口)にするのかと言えば、先に言ったとおり、

恋愛関係というのは、原理的に他のあらゆる人間関係でも起こり得ることが最も濃密に凝縮された、人間関係の極致のひとつだと思う

というのも大きな理由なのだが、そのうえでもうひとつ、今回あなたと共有したい話を思い立ったきっかけが、

「恋愛ホルモン」

だったというのが、もっと直接的な理由なのである。

では、その「恋愛ホルモン」とは、いったいどんなものなのだろうか?

これは端的に言えば

「脳内物質」

のひとつであって、別に恋愛のときにだけ分泌されるというわけでもないのだが、

「特に恋愛の初期段階において、その分泌量や頻度が格段に上がる」

という観点から、そのような表現をされるようになったものである。具体的にはたとえば

「エンドルフィン・オキシトシン・ドーパミン・エストロゲン・フェニルエチルアミン(PEA)……」

などが挙げられるのだが、ともかくここで最も重要なのは、

このような恋愛ホルモンの分泌が上昇・促進されるのは、恋愛の始まりから数か月〜4年ほどの間に限られる

という事実だと思う。そう、だからこれはある意味

「時間制限付きの魔法」

のようなものなのである。

私は医者でも脳科学者でもないので、本当にこうした恋愛ホルモンが作用しているのかどうか、それ自体を確認することはできない。ただ私もひとりの人間として恋愛の経験はあるので、そうした恋愛初期の心の動きについては、共感するところも大きい。そしてそこに恋愛ホルモンの影響があるのだとしたら、それもそうなのかなとは思う。

だからそうした意味で、とりあえずこの説に沿いながら話を進めてみようと思うのだが、とにかくこうした恋愛ホルモンがなぜ作用するのか、言い換えれば私たちが恋に落ちたとき、なぜあれほど強烈な感情が生まれるのかと言えば、それはつまり

「両者の臆病さや心の壁を取り払って、早く親密な関係を築くため」

なのだと思う。それを「種の保存・繁栄のための仕組みのひとつ」と見るひともいるだろうし、それもそれでひとつの説明だと思うが、とにかくそういうはたらきにはなんらかの「必要性」もあるのだろうと思う。それにこれが昔から

恋は盲目

あばたもえくぼ

などと呼ばれてきた現象のきっかけなのだとしたら、腑に落ちるところも多い。

ただいずれにしても、私たちは別に

「種の保存・繁栄」

を第一目的にしているわけではなく、

できれば長期的な関係性のもと、慈しみや安らぎを保って生きていきたい

と思っているひとがむしろ多数派ではないかと、私は思う。だがだからこそ、そうした視点から見たときには、このような

「恋愛ホルモンの劇的な作用」

は、私たちを翻弄し、悩ませもする。それは端的に言えば、

「最初はこんないいひとは他にいない」とまで思っていたのに、今思えばその頃が頂点で、だんだんと相手の嫌なところが目について、今ではもう冷めきっている

というような哀しい事態が、そこらじゅうで起きるということである。

だから簡単に言えば、

恋愛はその初期(数か月〜数年)において、圧倒的な追い風(ブースト)が吹いている

ということなのだ。だからこの恋愛ホルモンを

「天然の惚れ薬」

などと表現するひとがいるのも頷けると思う。だがそれが薬(追い風・魔法)である限り、それはいつか切れるのである。そしてそこからこそが、いよいよ「本番」であり、互いの「実力」が試されるときなのだ。

だからそう考えると、私が生まれ育ったのは今よりももっと

誰かを好きになったとしても、その気持ちにのめり込んで、あせって進んじゃいけないよ。よくよく時間をかけて、ゆっくり自分の気持ちを確かめなさい

というような価値観が強かった時代だったと言っていいと思うが、今になって改めて振り返ると、それもそれでひとつの重要な助言だったのかなという気もしてくる。つまり

お互いが本当に冷静になるまで、取るべき時間を取りなさい。最初はお互いに、どこかのぼせ上がっているものだから

というのは、

「天然の惚れ薬や追い風が、いかに強烈なものか」

というのを、どこかで理解していたからだとも思えるからである。

だが時代は変わって、今は結婚そのものの数が減ったことはもちろん

私にはそもそも「恋愛への関心」自体がそんなにないし、そんなことより他の趣味のほうが何倍も大切だ

という価値観も当たり前に表明され、受け容れられるようになってきている。だがだからこそ興味深いのは、

もう一方で究極の例では「交際0日婚」など、今まで以上に圧倒的な速さで関係を縮める例も出てきている

ということである。そしてそれはここまでの話に沿えば

「恋愛ホルモンの影響をそのまま受け容れている」

ということだとも言える。そしてそういう観点から言えば、

だとしたらその追い風が止み魔法が切れたときに、それぞれが離婚したり別れたりするのも、ごく自然な流れなんだろう

と、私は思うのである。

ただ私は別に恋愛関係を解消したり離婚したりすることそのものについて、悪いとかどうだなどと言うつもりはない。結局すべてはかけがえのない経験でもあるのだし、究極的にいずれそれぞれが、しあわせになれればいいのだから。ただこのような流れを、単に

恋愛への価値観が二分化している、あるいは多極化している

という観点からだけ見るというより、私としてはむしろ

あらゆることについて、「誰がなんと言おうと、私が好きなものは好き!嫌いなものは嫌い!」だという判断基準がはっきりと浮き彫りになっているのではないか?

というところがすべての基礎なのではないかと思っている。だからこそそんなひとにいくら

あのさ、恋愛ホルモンの影響を甘く見てると痛い目に遭うよ?

なんて忠告してみたところでほとんど無意味ではないかと、私はそう思うのである。

それに私は、別にこの恋愛ホルモンをただの

「危険な存在・罠」

だとだけ思っているわけでもない。だってもし

最初の勢いのおかげで不安や恐れに負けずに距離を縮めることができた。そしてそこから数か月数年の追い風の間に少しずつ基礎を造り固めることができたからこそ、今の荒波にも一緒に堪えられているんだ

と言えるようになったなら、それは絶対にまぎれもなく、素晴らしいことなんだから。だから私はやはりこうしたはたらきも、私たちに「必要」だからこそあるんだと、そう思ってもいるのである。

ただ私はこうしたすべてを踏まえたうえで、

ただおそらく私たちはみんな、「最初はあんなに好きだったのに、いつの間にか嫌いになっていた」ということを経験していると思う。でもそれならそのもう反対側には、「最初はあんなに苦手だったのに、だんだんといいところが見つかってきた」ということが起こる可能性も、たくさん秘められているのではないか?

ということも、大切に覚えておきたいと思うのである。あなたが

誰がなんと言おうと、私が好きなものは好き!嫌いなものは嫌い!

と言うことを私はむげに否定しようとは思わない。だがそれでも

あなたが今好きなひとのことをよく知らないのなら、同じくらいあなたの苦手なひとのことも、あなたはまだまだ知らないはずなんです

ということも、伝えておけたらと思うのだ。それがホルモンであれなんであれ、恋愛に「追い風」があると言うなら、同じくらい

「向かい風」

だってあるはずなのだ。それに追い風が「数か月から数年で止む・弱る」と言うなら、向かい風もそのくらいで弱ってくるという予測は自然なものだと思う。そしてこの

「長くても数年」

という数値は、まさに

石の上にも三年

ということわざにあるものと一致してくる。だから私はその意味で、そのことわざから汲むべきものは、今なおなくなってはいないと、そう思うのである。それに最初から言っているとおり、恋愛があらゆる人間関係の極致のひとつだとするなら、それは他のあらゆる関係においても、当然応用が利くということなんだから。

そして私が以前、

と言ったのも、実のところこれを私なりの表現で言い換えたものだと言ってもいいと思う。だから私はやはり

あなたがそのひとを本当に理解したいなら、やはり300時間、せめて100時間くらいは、相手をよく見てあげてください。その前に「結論」を出すのは、完全に関わりを断ってしまうのは、やはりあまりにも、もったいないことですから

と、そうお伝えしたいのだ。別にあなたに関わるひと全員にそこまでしろとは言わない。ただ

「あなたが本当に理解したい相手」

には、せめてそのくらいの時間をかけたほうがいいから。だって時間は貴重なもので、だからこそ

「その貴重なものを与える」

ことこそが、愛の顕れなのだから。それは、無駄にはなり得ないのだ。だってそれが、その「無駄」でさえも、本当はすべて、愛そのものなんだから。

どこまでいっても理解が完全にならないなら、「完全な愛」もきっとないのだろう。だが愛とはそもそも完全なものではないと私は思う。だって愛が不完全だからこそ、そこからすべてが生まれ育ち、深まっていくのだから。だからそこにはもちろん「時間」もかかるんだけれど、だからこそその終わりなき過程を、一緒に味わっていこう。だってそれは他でもない、愛を深める永遠の過程なんだから。

そう、だからもうあなたもわかっていると思うけれど、私はつまり、ロマンティストなのだ。だから私はずっと、こう考えている。そしていつか愛に満ちあふれた世界で、あなたと素朴に自然に愛し合えたらと、今までも今もこれからも、ずっとずっと、そう思っているのである。

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