希望を受け容れて、絶望に抗う。かつてひっくり返されたものを、もういちどひっくり返す

今まで何度となく言ってきたことだが、今のこの世界はめちゃくちゃである。そしてそれは当然、私たちそれぞれの人生や現状に大きな影響を与えている。だからそこで悪戦苦闘しているのが私だけであるはずはなく、それは多少の程度の差こそあれ、私たち全員に共通したことだと思う。

だが、私たちは今こうして肉体人として最前線にいるからこそ、その印象があまりにも強烈すぎるので、ついそれに囚われてしまいもするのだが、実は冷静に考えてみると、この問題の本質は、「現状がめちゃくちゃであることそのもの」ではないということもわかる。つまり本当には、

たとえ過去や現状がどれだけめちゃくちゃだとしても、だからこそそれを改善することができれば、そして最終的にしあわせを感じられれば、究極的には問題でもない

と言うこともできるはずだと思うからである。

だからこういう観点に立ったうえで、もし誰かが今の私たちとは違う意図、つまりは

この世界をこれからもずっと、混乱と苦しみのなかに留まらせておきたい

という意志を保って動いていることを想像してみると、彼らがたとえどんなに世界を混乱と阿鼻叫喚のなかに陥れることに成功したとしても、それだけでは決して充分ではないということもわかってくる。だってたとえどんなに相手を苦しめてみても、そこに

いずれ必ず、みんなでしあわせになるんだ!

という決意の炎が燃えているのであれば、それは常に逆転の可能性を孕んでいて、決して楽観できる状況とは言えないからである。

では、どうすればこの状況を完全に掌握し、相手から逆転の可能性を摘み取ったと言えるのだろうか?

現状をどんなに悪化させてみても、それだけでは決して勝利を確信できないとするなら、どうすれば本当の意味で、「絶対的優勢を確保できた」ことになるのだろうか?

こうした思索の結果浮かび上がってきたものこそが、彼ら(負の霊団と協力者)の古くからの基本戦略、すなわち

現状を壊すこと以上に、相手の「よりよい未来を育てる意志」こそを削り落とす

という、普遍的戦術なのである。

未来とは、「可能性そのもの」である。これは

私たちにはそれぞれの主体性と個性があるので、それぞれがどんな未来を想い描くかは、それぞれ本人に委ねられている

ということの結果でもある。だから未来は常に、少なくとも完全には、決定していないのである。だがその「ブレ」の大きさは結局「それぞれが想い描く未来図」の違いから来ているのだから、そこから

もし自分とは違う未来を描き、その実現に動いている相手がそれを諦め、未来にそのエネルギーを投げ込むことをやめてくれたとしたら、それは相対的に「自分の影響力を高める」ことになる

という認識にたどり着くことは、さほど難しくもない。だからこそ

「この世界を混乱させ、絶望のなかで朽ち果てさせる」という目的を達するためには、「この現状を変えることができる」という希望を曇らせ、「自分たちは永遠に苦しむしかないんだ」と思い込ませることこそがカギなんだ

というのが、彼らの出した結論なのである。

ではいったんこの方針が定まったら、あとはそれを実践していけばいい。つまり簡単に言えば、

未来への希望を減らし、その代わりに絶望を拡げればいい

ということだ。

だからもし誰かが「希望」を語り出し、「現状の改善」に向けて動き出したら、できるだけ速やかに、そして大勢で

そんなものは絵空事だ!

まったく現実味のない理想論だ!

余裕のある世間知らずが、空想のなかで作り上げただけの幼稚な妄想だ!

と言ってそれを叩き潰す。

そして逆に現状の哀しみや苦しみに呑まれ、絶望に浸っているひとを見つけたら、

しかたないよ……。あなたはそんなにがんばったのにダメだったんだから、きっともうどうしようもなかったんだよ……。この世界は最初からずっとそういうものだから、今さらどうにもならないんだ……。それに他のみんなも、同じことを思っているよ?

と一見「優しく寄り添う」ふりをしつつ、その絶望を染み渡らせる。これが、彼らがずっと実践してきた戦術なのである。

ここまで言えばもうおわかりのことと思うが、これこそがこの世界をここまでめちゃくちゃにした元凶なのである。そしてこの戦略には私もあなたも、もちろん霊(≒かつてここにいた、そしてこれからまた生まれ来る肉体人)すらも、この世界に関わるすべての存在が巻き込まれ、「駒」として利用され続けているのだ。だからこそこの世界は、私たちの社会は、こんなことになってしまったのである。

本来は、こんなはずではなかった。少なくともこんなところにずっと留まることが、この世界の初期設定ではなかったのである。だって最初から絶望しきっていたのなら、そこにはなにも生まれなかったはずなんだから。絶望も「力」ではあるが、それは決して「創造力」ではないんだから。本当になにかを生み出し育むためには、その存在の核心には、必ず「希望」があったはずなんだから。

だが彼らは、それを見事にひっくり返した。本来は

「希望の創造場」

であったはずのところに「疑心暗鬼」を植え付け、それを時間をかけてねじ込みながら、そこから哀しみや苦しみを拡げ、最終的にそれを「絶望」にまで深めて、世界中にばら撒き続けた。そしてそれは今は「数」のうえでも完全に優勢となった。いったん「多数派」を確保してしまえば、そこからはますます話が早い。

これだけの数のひとの存在を、その訴えを、この「現実」をあなたはどうして無視できるんですか!

と言うことができるなら、もうその「力」に抗うことができるひとはそうそういない。「少数派を各個撃破する」くらい、簡単なことだ。しかもそれすらも必要はなく、あともうひと押しするだけで、「自滅」してくれるかもしれない。それならもはや我々に負けはあり得ない。つまりこれこそが、「完全勝利」なのである。

と、ここまでがまさしく

「現状の分析」

というものである。しかし実際、彼らの手腕は見事なものであり、しかも初期における数的不利を逆転するまでの粘り強さは目を瞠るものがあると思う。そして彼らは、ここまでの優勢を築き上げた。これは相手からすれば

「会心の成果」

と言えるだろう。私もそれは素直に認める。このくらいは私だって、ちゃんとわかっているのである。

だがそれでもやはり、私もひとりの存在として、未来に影響を与え得る主権者のひとりとして、だからこそ気に入らないものは気に入らないと、素直に言い続けたいのである。

ここまで劣勢な状態から、どうやって逆転できると言うんだ?

と言われるのももっともだ。それどころか今のあなたにだって、同じことを言われてしまうかもしれない。それに私だって、現状が劣勢であること自体は、ずっと認めているのだ。ただ私はだからこそ、

でも、どんな劣勢な状況からでも、たとえそれが「初期設定」を外れたものでも、そこからでさえ逆転し得る可能性があることを示したのは他の誰でもなく、あなた自身じゃないか?だからこそ私は、かつてあなたがたがひっくり返したものをもういちどひっくり返そうと思っているし、それは絶対に可能なことだと、そう思っているんだ

と、率直に言い続けているだけなのである。

希望を絶望に変えることができたと言うなら、絶望を希望に変えることも必ずできる。最初はきれいだったはずの部屋を汚されてしまったとしても、それをわかっているならなおさら、その部屋をまたきれいにすることもきっとできる。だって最初にそれをやってのけたのは、その可能性を示してくれたのは、彼ら自身なんだから。

だからこれは別に皮肉でもなんでもなく、「端的な事実」なのである。逆に言えば、もし彼らがいちど盤面を完全にひっくり返してくれていなかったら、そのときこそ私は

運命は最初の設定で決まり、それを変えることは決してできない

という思想に呑まれてしまっていたかもしれない。だがそれに対する「最高の反例」を彼ら自身が示してくれたなら、私はもう無駄に迷いはしない。私は別に「まったく新しいこと」をする必要なんてないんだから。ただ

「彼らがいちどやって見せてくれたことを、もういちど逆向きにやるだけ」

で、私の目標は達せられるんだから。実は本当にそれだけのことなんだから。

だから私はこれからも、

希望を受け容れ、絶望に抗おう

と、そう思っているのである。

ただそんな私だって、あなたが

とてもじゃないけど、こんな状況で希望を保つなんてできないよ!

と思う気持ちもよくわかる。だが私はそれでも

たとえ「希望を保つ」ことはできないとしても、だからこそせめて「絶望しきらない」ことができていれば、それだけでまずは充分です

とお伝えしようと思う。別に

「いきなり正反対に振り切る」

必要はないのだ。今までは

今もこんなにひどい世界なんだから、ここからよくなるわけがない

と思い込んでいたのを、

未来は誰にもわかんないんだから、確かにもっと悪くなる可能性もあるけど、もっとよくなる可能性だってある

と思ってもらうだけでも、間違いなくかなりの変化なのだから。

だから私はその意味で

いつまでも傍観者でいないでください!

と言うひとの気持ちもわからないではないし、私自身そんなことを感じることもあるが、一方では

悲観や絶望に囚われるくらいなら、とりあえずただ傍観しているひとのほうが、ずっとありがたい

とも思うのだ。私があなたに対して、

別に私を信じきれなくてもいいし、私と同じ気持ちになんてなれなくてもいい。ただもしよかったら、「こいつはこれから、どうなるんだろうな?」と思っていてもいいから、私の悪戦苦闘の様子を、そこから眺めていてください

と思っているのも、そういうことなのである。

少なくとも私から見れば、今の世界は悲観と絶望に偏りすぎている。それに

本来は悲観主義者寄りのはずの私が、ときどき楽観主義者だと見なされる

というのが、そのなによりの証である。本当は私なんかが、楽観主義者なはずはないのだ。それはただ

私は今のあなたより、「未来はどうやって生まれ、育まれるか」という原理を理解している・腑に落としているというだけ

なのだから。だがだからこそ、そこが私とあなたを隔てている唯一の分岐点なのだと、私は思うのである。だがその原理にしても、別にそれほど難しい話ではない。言ってしまえば

過去や現状がどうであれ、未来にはあらゆる可能性が開かれていて、だからこそそれぞれが、それを自分色に染め合っている

というだけなのである。

だから私はあなたがまだ自分の「希望」を、その「色」を見つけられていないとしても、それを責めたり蔑んだりはしない。ただあなたが未来の可能性に今よりもう少しでも心を開いてくれたら、そこに絶望や諦めだけではない、希望が入る余地を少しでも空けておいてくれたら、それでひとまずは充分なのである。だって今の私自身、別に希望に満ちあふれているわけではないのだから。私はただずっと、「諦めが悪い」だけなのである。

でもそれを甘く見ていたら、今度は彼らが痛い目を見るかもしれない。

歴史は繰り返す

という教訓が本当だとしても、だからこそ私はそこから絶望だけではない、少なくともそれと同じくらいの希望を見るのである。何度も言うが私はただ

いちどひっくり返されたものを、もういちどひっくり返そう

としているだけなのだから。だからそんな私にとっては彼らの存在そのものが、あなたがそこで笑っていること自体が、本当には希望なのである。この意味をあなたが本当に理解したとき、すべては一変するだろう。そしてあなたと私は本当の意味で和解し、今とは違う関係を築くことになるだろう。これは別に「予測」ではない。これが私がずっと抱いている希望であり、願いであり、理想そのものなのである。

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  1. える より:

    自分が出来る事から始めていきたい。私が出来る事は微々たるものだろう。でも、もし、全世界の人々が全員幸せを感じる事ができたとしたら大勝利ならば、その中の1人にはなれるかもしれない。
    希望を持って生きていくこと。自分を愛すること。幸せを感じながら生きていくこと。そして、家族が希望を見出せるように、絶望にとらわれないようにサポートしていくこと。
    微々たるものでも、少しづつ少しづつでも確実に進めたい。

    自分自身という花を枯らしてしまい、夜が怖くて辛くて、死にたい気持ちに囚われていた時に、闇の向こう側さんのブログに出会いました。

    あなたが死にたいと思っていたとしても、私はあなたに生きていて欲しい

    不幸だと思うのなら、生き続けなくてはならない

    とブログにありました。何回も何百回も何千回もその言葉を反復しました。その言葉達が飛び降りてしまおうという衝動の防波堤になっていたのは間違ないです。決定的に自分をダメになってしまう訳にはいかないからと、思いとどまる時に何度復唱したでしょうか。
    ありがとうございました。

    そして、今の私がいます。

    枯れてしまった花も、埋まっていた種子があったようで発芽をし、また花を咲かす事が出来ました。

    本当にありがとうございました。闇の向こう側さんを知る事が出来てよかったです。
    助けられるだけではなく、私も助けたい。そんな想いを込めて。

    • Dilettante Dilettante より:

      えるさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      自分自身という花を枯らしてしまい、夜が怖くて辛くて、死にたい気持ちに囚われていた時に、闇の向こう側さんのブログに出会いました。

      その言葉達が飛び降りてしまおうという衝動の防波堤になっていたのは間違ないです。決定的に自分をダメになってしまう訳にはいかないからと、思いとどまる時に何度復唱したでしょうか。
      ありがとうございました。

      そうでしたか、あなたがそれほどまでにつらい状況にいたにもかかわらず、そこで私の言葉や想いを力に換えていただき、生き続けることを選んでくださったこと、こちらこそ本当にありがたく、嬉しく思います。

      またそれ以上に、そこから生き延びた今のあなたが

      枯れてしまった花も、埋まっていた種子があったようで発芽をし、また花を咲かす事が出来ました。

      希望を持って生きていくこと。自分を愛すること。幸せを感じながら生きていくこと。そして、家族が希望を見出せるように、絶望にとらわれないようにサポートしていくこと。
      微々たるものでも、少しづつ少しづつでも確実に進めたい

      と思っているという事実は、私にとっても本当に大きな励みになります。

      実際私が伝えていることや取り組んでいることというのは、現代の常識から見ればなおさら不興や顰蹙を買うこともあります。もちろんそれは最初から覚悟のうえのことでもあるのですが、だからと言ってまったく無視できるわけでもありません。
      なのでもし私のところに寄せられるメールや声がそういう否定的なものばかりだったとしたら、私もここまで活動を続けられた自信はないんですよね。

      ですからその意味でも、あなたが

      助けられるだけではなく、私も助けたい

      とおっしゃっていることは、少なくとも私に対しては確かに実現していると言っていいと思うんです。

      そしてだからこそ改めて、本当に、ありがとうございます。

      私も今までいろいろなことがありましたし、

      不幸だから死ぬのではなく、不幸だからこそまだ生きなければいけない
      生きていることは罰ではない。私たちはしあわせになるために生まれてきた。しあわせにいるために生まれてきた。だから本当には、いつもしあわせを感じられていて当然だとも言えるし、そうでないような状況は、「異常事態」である。

      と書いたときは、実のところそのなかでも特にひどい心境のなかにいたときでもあるのですが、だからこそそこから生まれた言葉や想いがあなたにも響いたということなのであれば、それは本当によかったと思いますし、これからも未来を信じられなくなったとき、あるいはそうなりそうなときには、お互いにこうして声をかけ合いながら、なんとか生き抜いていければと、そう思っています。

      どうぞよろしくお願いします。

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