願い・想いを込めながら。私たちは、きっとだいじょうぶです

あなたもどうぞ、お元気でいてくださいね

私はよく、こういうことを言う。

ただ私がここで言いたいのは、単なる

「肉体的健康状態」

の話ではない。それは第一に、

「精神的健康状態」

を指しているのである。なぜならそのほうがはるかに長く尾を引くことになる、重要なものだからである。

だから究極的には、

たとえそのひとが今日病気で死んでしまったとしても、その後それなりに晴れやかな心持ちでいられて、大切なひとを見守りながら活動できるのであれば、そのひとは元気なんだ

というのが、私の立場なのである。

ただ私は一方で、ごく限られた例外を除いては、あなたに

元気ですか?

なんて質問をしたいとは思わない。なぜなら私は、

基本的にこんな世のなかでは、誰も本当に「元気」ではないし、それにそんなことは誰に言われるまでもなく、自分自身がよくわかっている

と思うからだ。自分が生きていることを心から喜んでいるわけでも、いろんなことに充実感を感じているわけでもないときに、

元気ですか?

と問われても、とっさにうまく反応するのは難しい。かと言って表面的に

元気ですよ

と答えてみたところで、そんなものにはほとんど意味がない。だから私はそんな気を遣うやり取りを誰にも求めたくないのである。

まして私は、よくわかっている。

本当に元気なひとは、こんな『闇の向こう側』を読んだりしないし、仮になにかの拍子にふらりと立ち寄ったとしても、長く滞在することはないだろう。もちろん興味本位で読み続けるひともなかにはいるかもしれないけれど、そんなひとはわざわざ私に連絡をしたり、相談を持ちかけてきたりすることはない

ということを。

だって本来、あなたが自分の心を打ち明けたい相手は、あなたの家族や友人、それにあなたが愛したいひとや、大切なひとであるはずなのだから。もちろん、

お互いになにも深くは知らない、いざとなればいつでも関係を断てる相手だからこそ、気軽に話ができる

というのもわかるし、それは私の願いどおりでもあるから、ありがたいとも思う。だがそれでも、だからこそ私は、

本来「見ず知らずの存在」でしかないはずの私にそんな役目が回ってくること自体が、一種の「異常事態」なんだ

ということをいつも意識している。だから私は、あなたが「元気」ではないことを知っている。それなのにそんなわかりきったことを訊いて、あなたを追い詰めたいとは思わない。だからあとは

そんなあなたを見たうえで、今の私には、なにができるか?

という、私の問題・課題なのである。

これはたとえば

だいじょうぶですか?

というような言葉でも同じだ。とはいえもちろん、これは一般的に気遣いを示しているということくらいはわかっている。ただこれを私自身が遣うとすると、私はそこになんとも言えない心地悪さを感じる。

これじゃあ「だいじょうぶかだいじょうぶじゃないかはご自分で決めてください」と言っていることと同じじゃないのか?でも本当に切羽詰まった状況においては、ひとの判断力は鈍る。それになにより、なにを以って「だいじょうぶ」と言えばいいのかがあまりに曖昧だ

と思うからである。それにこれもさっきの

元気ですか?

のときと同じで、

だいじょうぶですか?

と訊かれたらまずほとんどの場合

だいじょうぶです

と返すことになる。だがそれは別に自分の状態を精確に・素直に吟味したうえで出した結論ではない。言うなれば

「条件反射」

であり、

「決まり文句・社交辞令」

のようなものである。つまりそんなやり取りは実質的に、なんの意味もないのだ。

だから私は、こういう場合でも

結局のところ、今の私はこのひとになにができるか?

という視点に集中して考えたいと思う。

そして

だいじょうぶですか?

の代わりに、たとえば道で誰かが具合悪そうにしていたら、

救急車を呼びましょうか?

というような、もっと具体的な選択肢を提示したいと思う。もちろん、なんでもかんでも救急車を呼ぶわけではないし、場合によっては

なにか飲みものでも飲みますか?

というような言葉のほうがいいこともあると思うし、さっきの「だいじょうぶですか?」もひとつの

「枕詞」

として活かして

だいじょうぶですか?お連れのかたは誰かいますか?

というように言うことも充分に有効だと思う。

ただいずれにしても私が重要視したいのは、

そんなあなたを見たうえで、今の私には、なにができるか?

という問いなのである。そしてこれは、やはり私の問題なのだ。だから私はただ

もし私にできることがあるなら、たとえば救急車を呼ぶとか、飲みものを飲んでもらうとか、誰かを呼んでくるとか、なにか手助けをする心の用意はあります

ということを伝えたいと思って、ずっと試行錯誤しているということなのである。そしてそのうえで、それが私の単なる過剰反応で、

いえ、だいじょうぶです

とあなたが本当に言うのであれば、それでいいのである。私は別にあなたになにかを「押し売り」したいわけではないのだから。ただそれでも私も自分なりに納得してからでないと嫌なので、

本当にだいじょうぶなんですね?

と確認することもあるかもしれないけれど。

それになによりこれは

私がだいじょうぶだと判断してなにもせずその場を立ち去ったあとで、「本当はやはりだいじょうぶではなかった」ということになったら、その結果は私も自分の問題として受け止める

という含意があるからでもある。関わったことには、知ったことには、より大きな責任が発生する。これは、当たり前のことなのだから。

ただいくら根底にはこういう心構えがあるとは言っても、実際にこんな

「劇的な場面」

に遭遇したり、

「鮮やかな問題解決」

に至ったりするようなことはそうそうない。そもそも、あなたの苦しみを解決したり、あなたを元気づけたりするために、私にできることはもともとそう多くはないのだ。たとえあなたの守護霊さんのメッセージをお伝えしたり、私なりの想いや考えを伝えてみたりしたところで、それは結局

「あなたがそれをどう受け止め、どう活かすか」

にかかっている。だからやはりそれは「私(だけ)の力でできること」ではないのだ。逆に言えば、なにかのきっかけであなたの人生がいい方向に変わったとしたら、それはすべて結局、

「あなた自身の成果・功績」

なのだ。だからこそ、それは他の誰でもない、あなたの人生なのである。

私だって、これくらいのことは理解している。だから私はあなたに対して私がそこまで大きな影響力を及ぼせるとも、画期的な手助けができるとも思っていない。

だがだからこそ、私は

どうか、お元気でいてくださいね

と、心から伝えたいのである。私にできることは、私の持つ力は、それほど大きなものではない。だがだからと言って、私が心から願ったことが、この想いが、あなたにとってまったくの無力だなんて、そんなことも思わない。だから私は私の責任において、私の想いを伝えたいのだ。

元気ですか?だいじょうぶですか?

と、あなたの答えを訊き出したいわけではない。その代わりに私は

あなたがこの先も生き続けていったら、きっと今より少しはラクになれるときも来るし、いい世界にもなると思っています。だからそのときまでどうか1日1日を、乗り越えていってください

と言う。そしてこれは他の誰でもなく、私が私の責任において、あなたに言うことなのだ。だからこそ、私はせめてこのくらいは、心を込めて伝え続けることができるのである。

だからもしあなたが私の想いを受け容れて生きてみて、それでも死ぬまで今よりもラクになれなかったら、私はあなたに文句を言われてもしかたがないと思っている。そう、だからそのときは、たとえ死んでからでもなにかしら埋め合わせをしよう。というか実のところ、私にはむしろ死んでからのほうが、あなたにしてあげられることが多いと言える部分もあるのだから。

ただ、正直に言えば私はあなたにそんな文句を言われる羽目になるとは思っていない。もちろん、今は文句のひとつやふたつくらい言いたくなるのもわかる。だってあなたは、まだまだ苦しんでいるのだから。だから別に、無理はしなくてもいい。でも私は、私に話しかけてきたら、いつだって同じことを言う。

あなたもいずれは必ず、今よりずっと心地好く、笑っていられるようになります。だからどうかそれまで、あなたのいのちを投げ棄てないでください。そうすれば、その気持ちさえ保っていてくれるなら、あなたは肉体人としてでも霊としてでも、必ずしあわせになれます

と。

それに、あなたももうきっとわかっていると思うが、私自身がずっと悪戦苦闘したり落ち込んだり悩み苦しんだりしているからこそ、こういうことを言えるということでもあるのだ。私は何度も失敗してきたし、

最悪だ。もう嫌だ、こんなことになるなんて踏んだり蹴ったりだ

と思うこともたくさんあった。それに私はそういう経験や傷と、これからも何度となく向き合うことになると思うし、向き合う必要があると思っている。

だがそれでも、だからこそ、あなたも私も、きっとだいじょうぶなのだ。何度も言うが、これは私が私の責任において言っていることだ。だから今のあなたにはそう思えなくても、絶対にそう言える気分にはなれなくても、それでも別に問題はない。それに私は、自分の力や影響力を過信して、こんなことを言っているわけでもない。ただ私は、

すべては、想いを掴み育むことから始まる

ということを知っている。そしてあなたも本当は、ずっと苦しみたいわけでも、ずっと絶望していたいわけでもないということを知っている。だからやっぱり、だいじょうぶなのだ。私たちは、独りで生きているわけではないのだから。

私はあなたにメールの返事を書くときも、コメントに返信するときも、そしてこうやって文章を書くときも、いつもあなたへの想い・願いを込めている。そしてそれはもちろん、これからもずっと変わらない。だが今のあなたの苦しみや哀しみは、いずれはきっと変わる。だから最後に優るのは、ずっと変わらないもののほうだ。そしてそれこそが、私たちを創り育み、永遠にしたものなのである。だから私たちは、きっとだいじょうぶだ。あなたは、だいじょうぶなのである。

それから、ここで書いたことはあくまで

「私からあなたに伝えたい気持ちとその背景」

なので、あなたから私に

元気ですか?

などとお声かけいただいたときには、私はいつもありがたく受け止めています。そのうえで私が

ええ、おかげさまで私なりに元気です

と言うのも別に嘘をついているわけではないので、そういうことは気にしないでいただけたらと思います。

むしろ私を気にかけて励ましてくださるあなたには、いつも心から感謝しています。

本当に、ありがとうございます。

果てなく続くストーリー(from 世界遺産劇場 Misia Candle Night at 沖縄 Live Ver.)
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