過去・現在・未来。この基本的で奥深い概念を、一緒に改めて見つめなおす

こないだ、私は

のなかで、

本当は私なんかが、楽観主義者なはずはないのだ。それはただ

私は今のあなたより、「未来はどうやって生まれ、育まれるか」という原理を理解している・腑に落としているというだけ

 

なのだから。だがだからこそ、そこが私とあなたを隔てている唯一の分岐点なのだ

と言った。そしてそれはその後の

にも、そのまま受け継がれている想いである。

それに私は今までにも、何度となくこうした話題、つまりは

「過去・現在・未来」

について取り上げてきたのだが、これはやはり見れば見るほど、とても基本的な概念でありながら、同時にどこまでも奥深いものだと思わずにいられない。

だから私は今回ここでもういちど、あなたと一緒にこうした概念、そしてときの流れについて見つめなおしながら、一緒にその理解を整理し、深めていきたいと思う。そして最初にその大きなポイントを挙げておくと、それはつまり

今の私たちの「常識」においては、実のところ本来の「ときの性質」が1段階ずつズラされているんだ

ということを、確認していくということなのである。そしてこのたとえは古くから多くのひとが言い伝えてきたことなので、私が言うまでもなく馴染みがあるひともいると思うが、これは言い換えればまず第一に、

誰かが種を蒔かない限り芽が出ることはない。ということはすべての芽や花や実(≒現象)の根源・背景には誰かが蒔いた種(想い・意図)があるんだ

ということを理解することが肝になると言ってもいい。逆に言えばここさえ理解できればあとの話はなんということもないものだと言えるのだが、とりあえずいったんこの視点を念頭に置いて、一緒に考えてみてほしいと思う。

するとまず「過去」についてはどうなるだろうか?

多くのひとは現在、

「自分に直接関係するいちばん古い過去」

を、

「自分が胎内から出て、この世に生まれた瞬間」

とし、それを以って

「自分の人生の始まり」

だと見なすのではないかと思う。だがこれは本当は、少なくとも今の私からすれば、既に「1段階過ぎた後」の話なのだ。

では「私たちの人生の本当の始まり」はどこなのかと言えば、それは

「私たちが生まれ変わることを決めた瞬間」

であると私は答える。ただ実はこれさえも精確ではない。なぜならそれをさらに遡れば、

「私たちが生まれ変わることをぼんやりと計画し始めた瞬間」

もあったと言えるし、そうやって突き詰めていけば本当にはどこまでだって遡っていくことにもなるだろう。

だがとりあえずひとつの核心として

過去は必ずしも「すべての起点」とだけ言い切れるものではなく、それは実際には「さらなる過去に蒔いた種の結果」なんだ

ということ、私はまずこの認識を、改めてあなたと共有してみたいと思うのである。

ただだからと言って、私はいわゆる

「因果応報」

を攻撃的・懲罰的に解釈して、

あなたが苦しいのは、あるいは生まれつきひどい環境のもとに生まれたのは、あなたの前世の悪行の結果なのです

などと言って冷たく突き放すような態度は好きではないし、そもそもそんな考えに与したくもない。だから私としてはその代わりに

あなたの今生は、そしてその「初期設定」は、あなたがそれまでの過去生を振り返ったうえで「その先」に進むために、あなたが自分で選んできた、かけがえのないものなんです

と、そうお伝えしたいのである。

もちろん私は、既にここまでの認識においてさえ様々な立場や見解の差があることもわかっている。だがもしあなたがこれを理解し受け容れてくれるのであれば、次の「現在」についてはもっと簡単だ。だってこれは

現在は、過去の結果だ

というだけのことなのだから。ただここからもう1歩踏み込んで、

今見えているすべてのものは、本当は、「過去の残像」に過ぎないんだ

ということを腑に落とせれば、もう話はほとんど終わりなのだ。

そう、つまり私が最初に

今の私たちの「常識」においては、実のところ本来の「ときの性質」が1段階ずつズラされているんだ

と言ったのは、そういう意味なのである。

今の私たちは「今生の始まり」を起点として自分の人生を捉えるか、あるいは単に「今現在」を中心として、そこまでに至る積み重ねとして過去を認識することを、ほとんど「常識」のように刷り込まれてしまう。これはもう、現状の仕組みから言ってしかたがないとも思う。

そしてだからこそ私たちは、その常識に唯々諾々と沿う限りにおいて、

「訳もわからず始まった(両親のわがままにより勝手に生まれさせられただけの)人生と、そこから生まれたもはや変えられない過去」

と、

「まったくなんの手がかりもなく、雲を掴むように虚ろで不確かな未来」

の間で板挟みになり、その両方から圧し潰されそうにもなる。私はこれを、実に当たり前のことだとも思うのである。

だがだからこそ私はこの

「まったくなんの役にも立たない、そのくせやたらと強力な常識」

に対して、

「今はあまりに突飛に思われるかもしれないが、少なくとも私はそれを受け容れたことで人生を理解しやすくなったし、きっとあなたにもいつかはそう思ってもらえるだろう認識」

を、こうしてあなたとなんとか共有しようとしているのだ。

そしてもしあなたがそれを受け容れてくれるなら、つまり

「ときの性質の理解における1段階ずつの、しかし致命的なズレ」

を修正し、

過去はさらなる過去の結果であり、現在は過去の結果・残像に過ぎないんだ

という観点に立ってくれるのであれば、そこからついに最も大切な、

それなら未来は「現在の結果」なのだから、今の自分の選択によって、未来に大きな影響を与えることができるんだ

という認識にたどり着くのももう簡単なことだと、私はそう思うのである。

未来は過去や現在と違って「未だ来ていない」のだから、どうなるかは誰にもわからない

ということ、この認識は確かに正しい。だがもしそこだけを強調して、本当はそれよりずっと大切な要素、

だからこそその未来に向かって、めげず腐らせず諦めずに、「あなたが望む未来の種」を蒔き、大切に育み続けましょう。そしたらきっといつかは、芽が出て花を咲かせ、実をつけることになるから。それこそが、ときの仕組みなのだから

という部分を隠したり蔑ろにしたりするなら、それは一種の「悪意」に近いのではないかと私は思う。そして先日からも言ってきたように、実際そうやって「未来の創造力・創造権」を私たちから削ぎ、そのぶん自分たちの要求が通るように独占しようとしてきた勢力はあって、それにまんまと嵌まってしまったから、だから私たちの現状はこんなふうになってしまったんだと、私は、少なくとも私自身は、そう確信しているのである。

だから私はもうこれ以上、未来を自分から遠く離れたところには置かない。それに対する想像力を、その権限を、むざむざ失くしたり忘れさせられたりはしたくないのである。

それにこれは現代の社会における

「民主主義に基づく選挙権」

によく似ているとも思う。しかもこれは本当にはそんな「選挙」よりはるかに大切なものだ。だって

これは「数年に1度」どころではなく、実際には毎日毎日、毎分毎秒集められ、開票されているものなんだ

から。さらに言えばこの場合には、「選挙管理委員会の腐敗」や「集計機の不具合」などを気にする必要もない。なぜならこの集計は

「神」(はたらき)

そのものによるものなのだから。

だから、彼らはそこに「賄賂」を用いることもできず、かといってなにか「巧妙なごまかし」をするのもなかなかうまくいかなかった。だからこそ彼らは

「他の投票権者をどうにかして棄権に持ち込む」

という唯一の糸口にほぼ全力を傾け、ここまで来たのである。

だからこの「未来創造」の仕組みは、私たちの社会にある「類似品」よりずっと強力で、かつ公平なものである。だってそれは文字どおり

「あらゆる存在に投票権(主権)がある」

ものなのだから。あなたが赤ちゃんであろうが年寄りであろうが、それどころか今日死んだひとであったって関係はない。それでもあなたはまだ、存在しているのだから。あなたの未来はそこから生まれ、育まれていくのだから。

だからやはりこの仕組みはあまりに基本的で、同時に奥深いものなのである。この仕組みを理解したからと言って、すべてを今すぐ変えることはできない。だってそこには「他の主権者たち」もいるし、なにより「それが現実に反映される(ところまで大きくなる)には時間差がある」のだから。

だがそれでも私は、だからこそせめてこの仕組みを忘れさせられて、めちゃくちゃな迷いのなかに囚われ続けることには全力で抵抗する。だってそれではいつまでも、私の望む世界に近づけないから。いつまで経っても、心からのしあわせを感じられないから。だから私は、未来に願いを投げ続ける。しあわせの種を蒔き続ける。そしてもしあなたと私の「好み」が似通っているのであれば、ぜひ一緒に力を合わせよう。そうすれば未来はもっと力強くなり、実現が早くなるから。だから私は今日もここで、私なりに精いっぱい、こんなことを書き続けているのである。

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