世界が二極化しようが多極化しようが、私たちはやはり「同じ地球」のなかにいて、未来を共有することになる

世界は二極化していて、これからはその差や違いが、ますます顕著になっていく

というような見解や思想は、私がこの『闇の向こう側』を創った2012年頃もそうだし、もっと言えばいわゆる

「ミレニアム思想」

が強く影響した2000年頃には、既にあちらこちらで見られたものではないかと、私は思う。

そして実際それから数十年後の今、改めて現状を見てみると、その「二極化」はある面では確かに現実化しているとも言えると思うし、さらに言うなら私自身は

これは「二極化」というより、むしろ「多極化」と言ったほうがより精確なんじゃないか?

と思うところもある。そしてこうした捉えかたをしているひとも、もちろん私だけではないだろう。

ただそれはそれとして、私はもう一方で、

たとえどんなに世界が二極化しようが多極化しようが、それでもそこには依然として変わることのない、「共通の土壌」がある

とも思っている。それはつまり

たとえ多少の立場の違いがあったにせよ、私たちが今こうして「同じ地球」に関わり続けている以上、私たちはその「地球の未来」を、みんなで共有し合うことになる

ということなのである。

以前から何度も

などと言っているように、現代は特に大量の、しかもそれぞれが相反することもざらにある情報群が飛び交っている。そしてだからこそ、ひとびとは自分が信じている

「真実」

を多くのひとに広めることで、その混乱を収めようともする。そしてそれは一方では

「自分の仲間を見つけ増やし、お互いに協力し合うため」

でもあると思うし、私もそれ自体を否定する気はない。というか実際、この気持ちは私のなかにだってあると自覚している。

だがもしそれがさらに「先鋭化」すると、

私たちは「真実」を知っているのだから、まだなにも知らないひとたちにそれを広めていかないといけないんです!

とか、

私たちは「やっと目覚めることができた(覚醒した)」わけですが、世界にはまだまだ「眠っている」(騙されている・ぬるま湯に浸からされている)ひとがたくさんいるんですから、私たちはなんとかして、彼らの目覚めを促していかないといけないんです!

これからの「新しい世界」には真実を理解したひとしか住めないんですから、ひとりでも多くのひとをそこに連れて行くためには、もっとがんばらないといけません!だってあなたの大切なひとを「古い世界」に置き去りにしないといけないのは、あまりにつらいことでしょう?

というような考え・想いに至るひとも出てくると思うし、実際にそういうひともたくさんいるのではないかと思う。

ただ私はこうしたひとに対して、確かに彼らの「情熱」や「心意気」には敬意を表しながらも、もう一方では

それはちょっと「過激すぎる」というか、個人的にはどこかに違和感を覚えるんだよなぁ……

という感想が湧き上がってくることも、どうしても止めることができないのだ。だから私は自分がなぜこうした想いになるのかを、ここで改めて掘り下げてみたいと、そう思うのである。

するとまず第一に、

私はこの「真実」や「目覚め・覚醒」といった言葉を、少なくとも彼らと同じテンションでは、どうしても遣えそうにないんだ

ということに気づく。

確かに、私もここで「真実」という言葉を遣うことはある。ただそれに対して、

それは本当に、絶対に、普遍的で客観的な真実だと言い切れるんですか?

と言われたら、私にはそれをどんなひとにも確信してもらえるように証明することは、少なくとも今の時点では、まったくできないのである。

だからそんな私が「真実」というのは精確には

「私の真実」

だと言うしかないのだが、ただそれは少なくとも私にとってはそう信じるに足るものであり、だからこそ私はそれをできる限り私自身で体現・実践しようとしているものだということは言い添えておきたいと思う。

つまり私が「真実」と呼ぶものの背景には多くの場合

「私の実体験」

があり、もっと言えばそれは

「私が自分なりの葛藤や迷い、哀しみや苦しみ痛みのなかからなんとか見出してきたもの」

を含んでいるということなのだ。

だからその意味において、それは少なくとも

「理論上だけの空論」

ではないということだけは言えると思う。

ただそれは「私にとっては」確かにそうだとしても、一方でそれをあなたが見聴きしたとして、あなたが私と同じ考えや想いにはならないとしても、私はそれをしかたないというか、当然のことだと思う。だって私がいくら

これは私が実際に体験したことなんですよ!

と言ったところで、それだけであなたにそれを確信してもらうことはできないのだから。

それにもしあなたが私と「同じ体験」をしたとしても、あなたがそれを私と同じように解釈し、意味づけるとは限らないのだから。

だからこうした意味において、

少なくとも現時点において、これはあくまでも「私の真実」でしかないんだ

ということを、よくよく自覚しているのである。

そしてだからこそ、私はその「私の真実」が、万人に簡単に受け容れてもらえるほどのものだとはまったく楽観していない。そして私は

今こんなにも混乱しているときに、私が「私の真実」をさも「絶対的な真実」であるかのように、躍起になって拡げようと思えば思うほど、それはむしろ逆効果になるのではないか?

と思っているのだ。

言い換えれば、もし私とあなたが同じ「真実」を本当に共有できているのであれば、それだけで話はほとんど終わりなのである。だが現状は、決してそうなっていない。だから私はずっと

と思っているのだ。

しかもそこでの「立場・見解の違い」は、そもそも純粋な数から言っても、あまりにも大きな隔たりがある。つまりこんな現状においては、私の真実に「真実味」を感じてくれるひと自体がそもそも圧倒的に少数派なんだと、私はずっとそう自覚しているのである。

なのにそんな少数派の立場にいる私が、もしもっと「過激化」して

今のあなたはすっかり眠ってしまって(麻痺してしまって)いるからわからないだけで、本当はこれが真実なんですよ!どうしてわかってくれないんですか!

なんてことをそこらじゅうに言い回るようになったら、いったいどうなるだろう?

もしそれがあなたや他の多くのひとたちにとって、少しでも助けになるのであればいい。だが実際にそううまく行くとは、私はまったく思っていない。つまりもしそんなことをしたら、私は逆にあなたから

あぁ、あのひとはどこかのネジが吹っ飛んで、おかしくなったひとなんだなぁ……

と思われるか、そこまでは行かないにしても、

本当に真実だって言うならもっと落ち着いていればいいのに、あんなに大声で叫ばれたら、やっぱり「押し付け」や「狂信者」にしか思えないよね……

と余計に距離を取られてもしかたがないし、むしろそれこそがごく自然な反応だろうと、私はそう思っているのである。

だからこれを

「目覚め」(覚醒)

について言い換えても、私の立場はまったく同じである。つまり私は

多くのひとが眠っているときに、太鼓や銅鑼を鳴らしながら「起きてください!」なんて叫んだって、それでは迷惑がられるだけだろう。だからそんなことをするくらいなら「静かに起き上がって、いずれ起きてくるひとたちのご飯を作っておいたり、同じく『早めに目が覚めたひと』が不安にならないように、でも他のひとを叩き起こしもしない程度にお互いをそっと励まし合う」ほうがずっといいはずだ

と思っているのだ。

それにもっと正直に言えば、私は今でこそ自分の体験や霊媒体質をそれなりに受容・理解したうえで、自分のなかで咀嚼し、なんとかしていい方向に活用しようと思えるようになってはいるが、それでもどこかでは確かに

私はあくまでも「生き延びるには目覚めざるを得なかった」からそうなっただけで、もしそうでなかったら今でも眠っていた可能性は充分にある。しかもなんだかんだ言って今はまだ深夜か、そうでなくても「早朝」くらいでしかないのだから、「みんなが起きるまでは一緒に眠っていたい」と思うひとが多くいても、それは当たり前だ

と思っているのだ。だからこれもさっきと同じで、「前衛的な彼ら」が

早く起きて、起きて!もう朝の準備をしないとダメだよ!!

と躍起になればなるほど、それは眠っているひとから見れば

迷惑だなぁ……。自分たちは「夜行性」なのかもしれないけど、こっちの身にもなってほしいよ……。っていうか、あのテンションはいったいなんなの?怖いよ……

と思われてもしかたがないだろうというのが、少なくとも現時点での私の率直な意見であり、以前

と言ったのも、そういうことなのである。

ただ一方で、こうした私の意見に対して、

どうしてそんな悠長にしていられるんですか!それは一見優しいようでも、実はいちばんひどいじゃないですか?もしそんなことをしているうちに地球が滅んでしまったら、あなたはいったいどうするんですか?

と言いたくなるひともいるかもしれない。だが私は

もしそれが私たちの「結果」だと言うなら、もちろん私もその「地球人」のひとりとして、一緒に滅びるよ

という意味で、ずっとこう言っているのである。

だって、私は「地球の未来に参画するため」に、自ら望んでここに来たのだから。もちろん私も私の望む未来のために、自分にできることはちゃんとやろうと思っているし、実際微力ながらも少しはやれているとも思っている。でもその未来は私だけの都合で動いているわけではなく、あくまでも

「そこに関わる全員の想いの集合」

によって決まるのだから、その結果が自分の望みとは違ったからと言って、

私はこんな結果は認めない!これは私には、なんの関係もない!!

と言い張るのはわがままでしょう?ましてこないだ

でも言ったように、この「選挙の開票」は、絶対的に公正なんだから。じゃあ私もそれに参加した以上、その結果がどんなものであれ、それはちゃんと受け止める。私が言っているのは、そういうことなのである。

つまり私は結局、

これは決して「真実を知っているから偉い」とか、「早く目覚めたひとほど優れている」というような話ではない。ただそれも含めて、「それぞれの選択」なんだ

と思っているのだ。そしてそのうえで、

だから決して「無理にでも起きないといけない」というわけではないんだけど、でももし「嫌でも眠っていないといけない。それ以外に選択肢はないんだから、つらくても苦しくても、みんなと一緒に眠っていないといけないんだ」と思っているとしたら、それもそれで実は思い込みでしかないから、「違う選択肢もありますよ。実は『もう起きているひと』(夜行性のひと)も、けっこういるんですよ」ということも、そっと伝えていきたい

と、そう思っているのである。

だから私は未来がどうなるかについて、はっきりとした確信や自信を保っているわけではない。ただそれはそれとして、

時間は常に流れ続けていて、たとえ今は夜(深夜)だとしても、だからこそいずれは必ず、この地球にも朝が来る

ということだけはわかる。時間は、自分の都合や勝手で止められるようなものではないのだ。だってここは霊界のような

「個人的な敷地」

ではなく、

「みんなで共有している場所」

なのだから。

そしてもし朝の光がどんどん強くなれば、どんなに深く眠っているひとも自然と起き出してくる。だから、それを無理に叩き起こして、相手を不機嫌にさせる必要はないのである。

それにもしそうなったとしても、あらゆる場所が均一に明るくなって、他の選択肢が消えてなくなるわけでもない。それでは、あまりに眩しすぎる。ましてずっと眠らずに起き続けていることがしあわせではないことは、誰だってわかっていると思う。

だからこれからは、眠りの質も目覚めの質も、朝も昼も夜もそれぞれに、今よりずっと魅力を増すということなのである。というかそれが、私が願い、実現に加担しようとしている未来なのだ。

そしてもしそれが本当に実現したら、そのときこそ私は少し横になって、ちょっとのんびりと眠ろうと思うから、だからそのときはどうか、無理に起こさないでくれたらありがたい。だって私は、早朝は苦手なのだから。でも起きるべきときが来たら、またちゃんと起きるから。あなたが呼んでくれたら、あなたがいる世界であれば、私はいつでも、すぐに起きるんだから。

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