私たちは生産者でもある。だからもし愛が見つからないなら、みんなでここに愛を生めばいい

今までも何度も言ってきたように、私たちが普段

「自分の考え・見解」

だと思っているものは、実のところ育ってきた環境や時代背景、それに社会全体から知らず識らずのうちに刷り込まれているものであることも多い。

そして、そのような観点から私たちが生きている現代社会を見つめなおしてみると、ここでは

自分は、消費者なんだ

という考え・認識が、かなり強く刷り込まれていると言ってもいいのではないかと、私は思うのである。

それにこれは当然、現代社会の根幹に

「資本主義」(≒金銭中心主義)

が根を張っていることとも関係しているだろう。つまり今の私たちは、特別な贅沢品や嗜好品に限らず、それこそ衣食住のすべてに金銭が絡む状態にいるということだ。だから、そんな環境において

カネがない……

ということは、単に「余裕がない」ということに留まらず、文字どおりの「死活問題」にもなり得る。だがだからと言って、その基礎となる収入を急に増やすことは容易でないうえに、なんらかの突発的な環境変化によって逆に「収入が急減する」ことさえあり得るとなれば、私たちが

今あるものを、どこにどのように消費するか?

ということに意識の焦点を奪われやすくなるのも、かなり自然な流れだろうと思うのである。

たとえば、ある場所で私が2万円で買ったものが、次の日にセールで1万8千円に値下げされていたとする。いや、このくらいならまだいいとして、たとえばその2万円の商品とまったく同じものが、その同じ日に別の店では1万5千円で売られていたとする。そしてもし私がその事実を知ってしまったら、私は反射的に

しまった!なんて軽率な判断をしてしまったんだ……

と、多少は落ち込んでしまうと思う。これは言い換えると、

購入を決める前に、なんでもっと慎重に比較検討しなかったんだ……

と思ってしまったり、あるいは

この商品の売れ行きや販売時期、それに販売店の例年の傾向をもっとよく精査していたら、これがセール対象になり得ることを予測できたのではないか?

と思ってしまったりする可能性があるということだ。

もちろん冷静に考えれば、それは後からいくら考えてもキリがない話だし、そもそもそこまでの労力と時間が、その「もらえたかもしれない割引」に比べて割に合うものかどうかを総合的に判断すれば、

今さらそんな考えに囚われることのほうがずっと愚かだ

ということになると思う。

だがだからこそ、私がここで本当に考えたいことは、

今の社会の流れは、私たちをどのような思考に誘おうとしているのだろうか?

ということ、さらに言えば

もしそれが「消費する」という意識への集中だとするなら、それが「まだ足りない」という意識や「奪われる前に奪う」という意識につながるとしても、そう突飛な話ではないのではないか?

というところにあるのである。

そしてこうした流れは、別に

賢い消費者になりましょう!

というような直接的な呼びかけを受けるまでもなく、たとえば

「消費者庁」

だとか、

「消費生活センター」

といった概念・存在にそのまま顕れているものだとも思う。だからこそ、冒頭で言ったとおり

今の社会で生きていると、私たちは知らず識らずのうちに、自分(たち)を「消費者」だと見なす視点を極端に強化されることになる

と、私は思うのだ。そしてこれはもちろんこれだけでも厄介ではあるのだが、私は実のところ、

この誘導・刷り込み・洗脳の最大の問題点は、本来私たちが「生産者」(創造者)でもあるという認識・自覚をどんどん薄れさせ、削り落としていくことにある

と、そう思っているのである。

もし私たちが自分のことを専ら「消費者」と見なすようになり、同時に相手(他者)のことも同じように見なすことに慣れていったとすると、それが究極的に

「消費者同士の奪い合い・場所取り合戦」

になったとしてもまったく不思議はないだろう。

それは最初に例示した

「月々の収入と支出のやり取り」

のような素朴な領域から、

「限りある自然環境・地球資源」

あるいは

「有能な人材・人的資源」

に至るまで、すべてに応用され得る認識なのだから。

だからこの考えかたをまっすぐに推し進めた先には、あらゆる領域においての奪い合いが起き得るということなのだ。それは言い換えれば

供給(全体量)は限られているが、需要(競争相手)は無限にある

という認識によるものだと言っていいと思う。そしてこれは別に「予想」でもなんでもなく、今の私たちが冷静にこの世界の現状を見つめたら、それはもうほとんど「現実化」しているとも言えるだろうと、私はそう思っているのである。

だがだからこそ、少なくとも私個人的には、そんな流れや現状が、まったく好きではない。たとえ精いっぱい譲歩して、今までのことや現状は受け容れる(しかない)としても、これをこのまま未来に引き継ぎたいとは、まったく思っていない。というか、もしこの流れが変わらないのであれば、私たちもそのうち自滅する以外にないだろうと思っているし、私はそんな未来はまっぴらごめんなのである。

だからそんな私は、まず自分自身に対して

私は確かに「消費者」でもあるが、一方でそれと同じくらい、あるいはそれ以上に「生産者」(創造者)でもある

という自覚を保っていたいと思っているし、できれば同じ想いをあなたとも共有したいと、そう思っているのである。

それに、これは本当はそんなに複雑で難しい話でもないはずなのだ。だってもし私たちが本当に

生まれてから死ぬまでなにかを消費して、利用したり利用されたりしながら、足りないものを奪い合って生きていくしかない

んだとしたら、そんな哀しい話はないじゃないか?

確かに、私たちの世界の現状だけを見れば、それはほとんど「真実」にしか見えないかもしれない。だが私たちが本当の本当にそんな存在でしかないなんていうのは、私は絶対に認めない。だって、

それは単に「巧妙な罠に嵌まって、長い時間をかけて弱め続けられた結果」にすぎない

からだ。

それに実際、私たちはその気になればいろいろなものを生み出すことができる。それはもちろん「モノや物質」でもあり得るが、より本質的には「感情」であり「エネルギー」である。つまり

私たちはその気になればいつだって、周りに愛や励まし、慈しみやいたわりを与えることができる

ということそのものが、私たちが「生産者」(創造者)であることの、この上なく端的な証なのである。

だから、たとえ相手がどんなに巧妙かつ執拗にその事実を忘れさせようとしてきても、あるいは資本主義や経済原則との併せ技で、

先に相手が与えてくれたら、あるいはせめて「相応の対価」を示してくれたなら、そのとき初めてあなたも相手に与えてあげればいいんです

なんてことを言ってきたとしても、そんなものに屈してはいけない。だって愛は取引ではないし、私たちは「ビジネス」がしたくてここにいるわけではないし、そもそも

私たちは「受け取ること」と同じくらい、「与えること」(受け取ってもらえること)の意味や価値を知っているし、あるいは少なくとも、それを知ろうとしているんだ

から。だから私はそれをあなたと一緒にもういちど思い出し、そして今度はもう2度と手放さずにいたいと、そう思っているのである。

あなたが

愛されたい

愛によって育まれたい

と想う気持ち、それを切実に求める気持ちは、本当は私にもある。だがだからこそ、もしそれが今の私たちの周りに見つけられないなら、それをどこかからさらに搾り取り奪い合うのではなく、自分なりの精いっぱいを尽くして、それを生み出し与えてみよう。私たちには、そうできる力がある。たとえどんなに弱められているとしても、それは確かにまだ残っているのだ。

それに私たちは、本当は、世界から受け取ったもの以上に、自分が世界に与えたものをこそ、深く理解することになる。だってこの世界は、与えたものが少し大きくなって返ってくるようになっているのだから。たとえそれにどんなに時間がかかっているように見えても、むしろそのためにこそ、永遠があるのだから。

だから愛を知りたいなら、愛されたいなら、愛に満ちた世界を望むなら、愛を与えてみよう。心を込めて愛を産み育て、大切なひとに手向けよう。たとえそれすらできないとしても、そっとどこかに置いておこう。そしたらきっと、なにかが変わるから。それにこれは別に、上手にできなくたっていい。すべては結局、経験と熟練なんだから。最初からうまくできるひとはまずいないし、100年1000年1万年でも、まだまだほとんどわからない。それにもちろん私なんて、今でさえこんな調子なんだから。

でもだからこそ、私もなんとかやってみるから、よかったら一緒にやろう。それに別にそれを私に報告する必要もない。だって私たちの世界は、つながっているんだから。だから私が私なりにやって、あなたがあなたなりにやったって、結局は「私たち」がやったことになるのだ。だからきっと、これでいいんだ。私たちは生きているだけで、存在しているだけで、なにかを生み出している。それを思い出すことができれば、すべてはそこから、始まっていくのである。

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  1. まさ より:
    1. 愛は取引でもなければビジネスでもない。
    2. 私たちは消費者に過ぎないわけではない。同じくらいかそれ以上に私たちは生産者であり、創造者である。
    3. 私たちは存在しているだけで、生きているだけで何かを生み出している。

    これらは今回一気に私に与えられた真理の砂金3粒です。

    私の持っていた真理の砂金は、

    1. 人間はみな神の分霊を持っている兄弟姉妹だ
    2. すべての命は神の前に平等である。
    3. われわれは死ねばあの世に行く。
    4. われわれは時が来るまでは(望んでも)死なない。

    の4粒くらいです。

    与えられるのを待つのではなく、与えに行きます。そう努力できるひとを目指します。

    • Dilettante Dilettante より:

      まささん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうでしたか、あなたがそうして私の文章や想いを少しでもご自分の糧にしてくださったなら、とても嬉しくありがたく思います。

      それにこれはいつも私が私自身に言い聴かせていることでもありますし、

      与えられるのを待つのではなく、与えに行きます。そう努力できるひとを目指します

      というのももちろん私自身の大きな目標なんです。

      ですからこれからもお互いに自分と向き合いながら、それぞれの理想に向かって1歩1歩近づいていけたらと、そう思っています。

      どうぞよろしくお願いします。

  2. だれか より:

    それなら金欠で困ってるから金をくれ

    • Dilettante Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      おそらく今のあなたにとって、ここで私が言っていることは

      「なんの意味(力)もないきれいごと」

      でしかないのでしょうね。それに、私は確かに私なりにあなたを愛そうとも思っているのですが、一方で

      「今のあなたにとって、なにが『愛』の顕れなのか」

      を決められるのはあなただけなので、その意味で私があなたが求める愛(充分なお金)を与えられない以上は、今の私があなたを納得させることはほとんどないということは、ちゃんと自覚しています。

       

      ただそうやってあなたから私がもう既に充分すぎるほど疎まれ興ざめされているのなら、この際開きなおってもう少しだけ言うとすると、そういうふうに今のあなたがどうしようもなくお金に困っているのであれば、どうかひとつの選択肢として、

      「生活保護」

      を受給することを検討していただければと思います。

      私独りではあなたの生活を充分に、しかもその場しのぎの付け焼き刃でもないかたちで長期的に賄い続けることはできないわけですが、それでもそうしたひとりひとりの力を集めて、その共同体全体であなたの生活を賄うことくらいは、今の日本なら一応できるようになっているんです。しかもこれについては、今の日本のトップである菅義偉総理大臣自身が、

      対応策もある。政府には最終的には生活保護という仕組みも。

      菅首相「最終的には生活保護ある」コロナでの困窮問われ:朝日新聞デジタル
       菅義偉首相は27日の参院予算委員会で、新型コロナの感染拡大によって生活に苦しむ人たちへの対応を求められた際、「政府には最終的には生活保護という仕組み」があると述べた。野党は「生活保護に陥らないように…

      と直々におっしゃっているくらいなので、それを受けることは絶対に間違っていないんです。

       

      ただたとえそうだとしても、生活保護は現状では決して「受けやすい」(敷居が低い)ものではないとも思いますし、いわゆる

      「水際対策」(申請取り下げへの誘導)

      と言われるような対応への恐怖や疑心暗鬼も根深いものだろうと思います。ですからその場合は、たとえば

      生活保護申請書作成システム PASS

      のような支援サービスも活用して、

      「自分で申請書類を用意して、自分の意志や状況をはっきり示す」

      という方法もぜひ検討しつつ、少しでもあなたの負荷を軽減していただけたらと思います。

      また、こうした生活保護に限らない他の様々な支援策についても、たとえば

      支援検索ナビ:トップ
      支援検索ナビは、あなたの状況に合わせて利用できるさまざまな支援制度を探すためのサービスです。制度の内容だけでなく相談できる窓口もあわせて知ることができます。ぜひご活用ください。

      といったところから情報を得ることができるようになっていますので、ぜひ併せて活用していただきながら、今のあなたにとっていちばん望ましい選択肢を模索していただければと、そう願っています。

       

      ただ、最初にも言ったとおり、今のあなたにこんなことを言ってみたところで、あなたの苦しみや哀しみが本当に晴れることはきっとないだろうと思います。

      それにあなたが本当に必要としているのは、「生活保護」でも「お金」でもなく、もっと根本的で本質的な別のもの、つまり

      「今のあなたが心から愛だと感じられるもの」

      なんだということも、本当は私にだってわかっています。

      でも今の私には、それをあなたにあげる力はありません。だから代わりにこの程度のものを提示するのが精いっぱいなのですが、これではかえってあなたを苦しめてしまう可能性すらあるかもしれません。ですからそれについては、心から謝りたいと思います。本当に、ごめんなさい。

       

      ですがそれでも私は、あなたに生きていてほしいのです。今の社会においてお金がないということがどれほどつらいことなのかはわかっていても、それでもだからと言ってそのせいで生きることを諦めたり、すべてに対して自暴自棄になったりはしてほしくないのです。

      だからあなたがあなたの率直な気持ちをこうして伝えてくださったように、私も私の気持ちを、素直率直に伝え続けたいと思います。

      どうか、生きていてください。未来を、諦めないでください。

      どうぞ、よろしくお願いします。

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