感情の伝染。霊の存在を信じることは難しくても、まずはここから一緒に考えてみよう

「霊」という言葉を見聞きしたとき、今のひとたちがいちばんに思い浮かべるのは、おそらく

「幽霊」

ではないかと思う。これは「お化け」とか「死者の魂」などと言い換えてもいいと思うが、とにかく今の多くのひとにとっての「霊」の認識は、だいたいこのあたりにあるのではないかと私は思うのだ。

だが、私はずっと

「霊」とか「魂」と言われるものの本質は、その「エネルギー」そのものにあるんだ

と言い続けてきた。だからこそ、私たちは肉体を保っていようが保っていまいが相変わらず

「エネルギー体」

だということができるというわけなのだが、今回はそれをまた少し違った角度から、一緒に考えてみようと思う。

たとえばこの日本には、

「数霊」

という概念がある。またこれとよく似たものとして、同じように

「色霊」「音霊」「言霊」……

といった概念も受け継がれている。だがこの「霊」をもし「幽霊・お化け・妖怪……」のようなものとして捉えて、

「数の幽霊」「色の幽霊」「音の幽霊」「言葉の幽霊」……

と解釈するのにはちょっと無理があるというか、それだとなにがなんだかよくわからないというのは明らかだと思う。

だからこうした言葉・概念が伝えようとしているのはそういうことではなくて、

数や色、それに音や言葉にもそれぞれのエネルギーがあって、それは私たちにも影響を与えている

という考えかたなのである。だからやはり、「霊」の本質は「エネルギー」にあるというのが、最も素朴な定義だと言っていいだろうと思うのだ。

しかしそんな私は一方ではいくら私(たち)がこんなことを言ってみたところで、

でもじゃあその「エネルギー」は、具体的に私たちにどんな影響を与えているって言うんですか?結局そうやって「目に見えないもの」の話をされても、私には実感がないので信じようがないんですよ!

と言われてしまってもしかたがないとも思うのだ。だから今回はその「エネルギー」という広すぎる概念をさらに絞りに絞って、あるひとつの切り口から一緒に考えを深めていこうと思う。それは、

「感情」

という切り口である。

そしてこの趣旨に沿ってものすごくざっくりと言ってしまうと、

エネルギーを保っているものは、私たちの感情を動かす。あるいは少なくとも、感情を動かす可能性がある

と言うことができると思う。つまりこの観点から言えば、さっきの話は結局、

数や色、それに音や言葉にもそれぞれのエネルギーがあって、それは私たちの感情にも影響を与えている

という話として捉えなおすことができるということなのである。

そうすると、たとえば言葉や音(音楽)にそうした力があるというのは特にわかりやすい話だと思うし、色や数についてもよくよく考えてみれば、それが私たちの感情に影響を与え、その感情を様々に動かすというのも、そんなにおかしな主張ではないとわかってもらえるのではないかと思う。

そしてなぜ私が今この観点をこんなにも強調しているのかと言えば、つまり私はここから

私たちがどんな感情のなかにいるかによって、私たちの選択のしかたも大きく変化する。つまり「私たちの感情は、文字どおり私たちの人生そのものを左右する」んだ

ということを確認したいからなのである。

たとえばもし私が恐怖に囚われていたとしたら、そのなかで大胆な行動(選択)をすることはできないだろう。あるいはもし私が怒りや憎しみに囚われていたら、そのなかで相手のいいところを見つけるのは至難の業だ。だからこうした感情は、私たちの世界に対する認識そのものを左右する。そしてそうなればそこから紡ぎ出されるひとつひとつの選択、ひいては人生そのものがその感情に左右されるというのも、別に大げさな話ではまったくないと思うのである。

だからこそ、私たちの本質が「エネルギー体」であるということをどこまで受け容れるかにかかわらず、私たちがいつも多くの感情を宿している、言うなれば

「感情体」

であるということであれば、おそらくあなたにも実感的に理解してもらえるのではないかと思うのだ。そしてこうやってひとつひとつを一緒に確認していくうちに、話はだんだんと核心に迫りつつある。では次に、

感情は周りに伝染・伝播する

というところに話を進めていこう。

だがこれも本当には、別にそこまで難しい話でも、荒唐無稽な主張でもない。だってこれは結局

「感情移入」

の話にすぎないからである。

さらに言うならこれを

「ミラー・ニューロン」

のはたらきなどから見ていくこともできるが、別にそんな複雑なことを考えなくても

周りにいるひとたちの感情と自分自身の感情はまったく独立しているわけではなく、お互いに影響を及ぼし合っている

ということは、普段の生活からでも実感的に理解できると思う。つまり自分のすぐ傍にいるひとがずっと怒っていたら自分も怒りやすくなるだろうし、ずっと泣いていたら自分も泣きたくなってくるだろう。逆にもし周りのひとたちがずっと笑っていたとしたら、そこにいるだけで自分も少なからず、楽しい気持ちをわけてもらえると思う。これはただ、それだけの話なのである。

だからこそさっき言ったとおり、

感情は周りに伝染・伝播する

という話になるのだが、ではそこからもう1歩進んで

じゃあその感情は、いったいどこから来るのか?

と問うところまで行ったら、ついに私たちは今回の話の核心にまで、一緒にたどり着いたことになるのである。

だからここでこの問いを

私たちの感情の選びかたや出しかたは、いったいどうしてひとによって違うのか?

とさらに言い換えてみよう。するとまず最も素朴な答えとして

それは生まれたときから今までに培われてきた「感情のクセ」による

と言うこともできると思う。つまり

怒りっぽいひとはだいたいどんなときも怒るし、泣きやすいひとはちょっとしたことでもすぐに泣く。愚痴っぽいひとはどんなちいさなことでも愚痴の種にしてしまうし、疑心暗鬼が強いひとはどんなひとのこともすぐに疑う。だからこれは、「それぞれに染み付いたクセ」なんだ

ということだ。またそこからさらに

そしてそのクセは、結局は幼少期の家庭環境、もっと言えば「保護者や周りのひとたちがどんな感情のクセを保っていたか」に大きく左右される

と考えてみるところまで行けば、そこにはかなりの説得力が出てくると思う。そして私自身もこの考えかたには基本的に共感するのである。

ただ、だからこそここで私がひとつ確認したいのは、

確かに私たちにはそれぞれの「感情のクセ」があって、それはあらゆる場面の行動や選択に影響を及ぼしてもいる。だがたとえそうであっても、一方で私たちにはときどき、「自分でもわけがわからないほど、急激に怒りが湧いてきた」とか、「さっきまではこっちでいいと思っていたのに、急に逆の考えが強くなってきた」というようなこと、あるいは「さっきまであんなに泣いていたのに、嘘みたいに心が落ち着いてきた」という瞬間が訪れはしないだろうか?

ということなのである。つまり私たちの感情は、ときどきその直前の感情とはまったく正反対の方向に振れることがあるということだ。

だとすると、その原因を

「自分の内側に培われてきた、自分自身の一部のような感情のクセ」

にだけ求めるのは、やはり無理があるのではないかと思うのだ。

もちろんこれをさっきまでの

「周りのひとの感情の影響・伝染」

として考えることはできる。だがこの感情の急激な変化は、

「周りに誰もいない(はずの)とき」

でさえよく起きる。ではそれを

周りの感情の影響が遅れて顕れたのかもしれない。それに「改めてよく考えてみたら、気が変わった」ということも、誰にだってあることだ

と考えれば、それで話は終わるのだろうか?

私自身、確かにこうした捉えかたもすべてが間違っているとまでは思わない。だが私はやはり「唯物論者」ではなく、「霊媒師」なのだ。だからここまでの話をすべて踏まえたうえで率直に言うなら、

あなたの感情に影響を与えているのはあなたの目に映る存在だけではありません。つまりあなたには「そこらじゅうにいる霊の感情」も、大きな影響を与えているんです

というのが私の立場であり、ここでずっと伝え続けている、ひとつの核心なのである。

ただ今の社会(の価値観)で育ってきたあなたにとって、「霊」というのはあまりにも仰々しい、またわけもわからないし怪しい概念だとも思う。だが私たちは今までの話のなかで

私たちは周りのひとたちの感情からも大きな影響を受ける

ということを確認することができたと思う。だから私はそこにあとひとつ、

そうやってあなたに影響を与えているものは、「今のあなたが認識・自覚できているもの」だけとは限らないんです

ということを付け加えたいだけなのだ。だからこそ別に「幽霊」だとか「お化け」というような概念はまったく気にしなくてもいいから、

たとえば「酸素」や「紫外線」がそうであるように、私たちの肉眼では見えない「感情」も、本当はそこらじゅうに存在しているんだ

ということを、たとえ「多少の可能性」としてでもいいから受け容れてもらえたら、それだけでも私としては、本当にありがたいのである。

そしてもしこの考えを共有することができたら、

感情はいつどこにでもたくさんあるし、その影響を完全に防ぎ切ることはほとんど不可能に近いんだから、あとはそれを認めたうえで、「そこらじゅうから集まってきたいろいろな感情のなかから、自分はどれを選びたいか?」ということをよくよく考えて、訓練していけばいいんだ

という話ができるようになるのである。そしてその観点から見なおせば、

怒りっぽいひとというのは「どんなときも怒りを選ぶのがクセになっているひと」で、逆になぜか「いつも楽しそうなひと」というのは「どんなときも楽しさを選ぶクセがついているひと」なんだ

ということができるようになるのだ。そしてなぜ私がこれをこんなにも躍起になって伝えようとしているのかと言えば、この話の初めのほうでも言ったとおり、

私たちの感情は、文字どおり私たちの人生そのものを左右する

からなのだ。だからこそあなたにその認識や自覚があるかに関係なく、あなたの人生になんらかの影響を与えようとしているあらゆる存在も、あなたの感情に影響を与えるため、自分が送った感情を選び取ってもらうために、日々全力を尽くして活動していると、そういうことなのである。

あなたの人生は、あなたのエネルギーに呼応して育まれていく。だからその「エネルギー」は「力」そのものなのだが、それは言い換えれば「想い」であり、「感情」でもある。そしてその私たちの感情を左右するものが、この世界にはたくさんある。だからそのどれをどう選ぶか、どうやって自分のなかに宿し根付かせ表現していくかによって、人生は本当に大きく変わるのだ。だからこそ、私たちそれぞれの人生はこんなにも多種多様であり、それは私たちの未来についても、まさに同じことが言えるのである。

だからその感情の力を理解することができたなら、だからこそお互いにそれを、よくよく吟味して選んでいこう。そしてお互いに少しでも、願っている未来に近づいていこう。私は心から、そう願っている。

そしてもちろん、あなたが私の文章を読み続けたら、そこに宿っている「私の感情」は、なんらかのかたちで必ず、あなたにも影響を与えることになる。とはいえそれはもちろんあなたの選択次第ではあるのだが、もしあなたがそれを選んだとしたら、あなたはそこからいったいどんな影響を受けるだろうか?だがそれは実のところ、私にも断言はできない。だってそれは「相互作用」(お互いの共鳴)によるものでもあるからだ。

というわけでそれは結局、「読んでみてのお楽しみ」なのである。ただ願わくばそれがあなたにとって、少しでもいいものでありますように。

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