生きているだけでいい時代。これまでの私たちのすべてを、惜しみなくぶつけるときが来ている

生きているというのは素晴らしいことなんです

あなたは存在しているだけで、かけがえのない価値があるんです

というようなことは、たくさんのひとが言っていると思う。それに私自身、こういった趣旨のことを伝えることもある。

だがその一方で、そんなことを何度言われても、

毎日こんなに苦しいのに、それが素晴らしいなんて思えない!

ろくに仕事もしていないし、友人や話し相手もいない。誰の役にも立っていない自分が生き続けることは、価値がないどころか害なのではないか?

などと思ってしまうことはあると思うし、私にだって何度もある。

しかしだからこそ、私は今ここであなたにも

今までのことはともかく、今これからは本当の意味で、「生きているだけでいい時代」だと言っていいんだ

と、今までのどの瞬間よりも強く断言しておきたいと、そう思うのである。

基本的に人生はそれぞれにたくさんの特色があるし、そのリズムや展開の速さ、それに変化を迎える時期も、そうそう一致することはない。まして今の地球のように、肉体人だけでもこれほどたくさんいるのであればなおさらだ。

だがそれでも、2020年から今までの流れは、日本だけでなく世界中のひとたちに

なにかが明らかに、今までとは変わってきている

という認識を持たせる、大きなきっかけになっているとは思う。そしてそのこと自体は、私にとっても喜ばしいことなのである。

しかしだからと言って、この流れはもはやこんなところでは収まらないだろう。そしてこれは

私たちはこれからもずっと、新型コロナウイルス(Covid-19)への対応に右往左往し続けることになる

という意味ではなく、むしろその真逆だ。つまり私が言っているのは

昨今の動きは、「今までの様々な動きや綱引きの一部が、ようやくわかりやすいかたちで、全世界的に顕れてきただけ」なんだ。だからこれからその動きがもっと活発化したら、いつまでも「こんなこと」だけにかまっているヒマはなくなるだろう

ということなのである。

そしてもっと簡単に言えば、これは

これからの私たちには今まで以上に、「やること」が増えていく

ということだ。だからいったんそうなってしまったら、

私に生きる意味はあるんだろうか?

私にできることなんて、なにもないんだ……

などと言うこともなくなると思う。なぜならそれは、私たちそれぞれの目の前にはっきりと顕れてくるからだ。だからそこではもう、

「なにをすべきか」

と迷う必要はない。となればそこに残るのは

「やるか、やらないか」

つまりは

生きるか、生きないか?

であり、これは実のところ、生まれる前の私たちが、それぞれに

生まれ変わるか、ここに居続けるか?

を自問自答したこととまったく同じだとも言えるのである。

だから私がさっき

これからの私たちには今まで以上に、「やること」が増えていく

と言ったのは、言い換えると

これからの私たちには今まで以上に、「決めること」が増えていく

という意味でもある。そして

「なにかを決める」

ということは、確かに大変なことだ。だからこそ、今これからの時代は本当に、

「生きているだけでいい」

のだと、私は思う。

これからの一瞬一瞬、ひとつひとつの選択には、これ以上ないほどに「あなた自身」が問われ、反映・凝縮されることになる

からだ。私が言っているのは、そういうことなのである。

山の行より里の行

という言葉は昔からあるが、これはこれからの時代に、本当にぴったりの話だと思う。それにもっと言えば、

これからの時代には、もはや「特別な修行」も、「気負い」すらも要らない

のである。それよりもはるかに大切なのは

「それぞれが今までの経験から、なにを学んだのか」

なのだから。それに比べれば、どんなお経も祝詞も、または修行や教えも、

「単なる道具」

でしかないから。もうこれ以上、

「新たなきっかけ」

を探し求める必要はない。それはもういちいち数え切れないほど、次々に顕れてくれるから。だから私たちはその日々のなかで自分と向き合い、自分を磨き、成長させていけばいいのである。それは本当に、「生きているだけ」でできる。これからは本当に、そうなるのである。

とはいえ私は別に、あなたを急に煽りたいわけでも、急かしたいわけでもない。明らかに世界は変わってきているし、その流れが今さら止まることはないとしても、それがはっきりと

「次の段階」

に移行するまでには、まだ多少の時間があると思うから。

それに私は、あなたが今までも今この瞬間も、既に一生懸命に生きていることを知っている。だからそのうえさらにあせって無茶や無理をしてほしいわけでもない。だからとりあえずは、今のところは、まずそれでいいのである。

ただ本当の土壇場になって、急に

もう時間がない!急げ急げ!

なんて言われても衝撃が強すぎて、逆に身動きが取れなくなってしまうだろうから、だから私は

今すぐ急に変わらなくても、変わっているように見えなくても、「変わっていくための心の準備」は、一緒に少しずつ始めておきましょうね

と言っているだけなのだ。

そしてだからこそ、私は今から9年も前の2012年から、ずっとここにいるのである。逆にもし当時この界隈で盛んに言われていたように、

2012年末で世界は大きく変わり、ひとびとはそれぞれ完全に棲み分けられることになる!だからもう、一刻の猶予もない!

なんてことが事実で、私もそれを信じていたのなら、その年の1月にこんな場所を創ったところで「もはや手遅れ」だったはずなのだ。だが私は、そんなふうには思っていなかった。もちろん未来には無限に近い可能性があるとは言え、そのスピード感はあまりにも速すぎると思っていた。だから私は、そのときから始めたのだ。それでようやく、ここまで来たのである。

そしてもう半年もしないうちに、ここは開設から丸10年を迎える。そして今までも何度も言ってきたように、

私が当初どうしても伝えたかったことは既にもう書き終わった。だからあとは手を替え品を替え、同じことを伝え続けているだけ

なのだ。だからその意味において、私はここでの活動における

「根本的な悔い・やり残し」

はもうないと思っている。そのために、これまでの下準備があったのだ。言い換えると

もし今から『闇の向こう側』を始めようとしたら、ここまでは来られていないし、単純に時間が足りなかっただろう

ということなのである。だから私は、これでよかったと思っている。私の速度計算は、少なくともそれほど大きくは、間違っていなかったということなのだから。

とはいえもちろん、私もまだまだできる限り、たとえ根本的には

「同じことの繰り返し」

だとしても、精いっぱい私の想いを伝え続ける。それに私にもまだ、その時間はあるだろうと思っている。

ただそうこうしているうちにあなたがいそがしくなったら、そのときはもはやこんな文章を読んでいる場合ではないだろう。だからそのときは全力で、目の前のことに向き合ってほしい。そして存分に、あなたの役目を果たしてほしい。あなたの人生を、生き抜いていってほしい。それがなによりの、私の願いなのだから。私はそのためにこそ、ずっとここに居続けてきたのだから。

もちろん、人生は毎日が本番だ。だがもし今はまだそう思えていなかったとしてもあせる必要はないし、まして悲観したり絶望したりする必要はまったくない。本番は、いずれ必ず来る。そしてそれは日々刻々と迫っているし、本当はもう既に、始まりつつもあるのだ。

だからそのときまで、虎視眈々と準備を整えておけばいい。そしていざそのときが来たら、それまでのあなたのすべてを、それこそ過去世から今に至るまでのあなたのすべての想いを、惜しみなくぶつけてほしい。今生がひとつの集大成になるのは、本当は、私に限ったことではないのだから。

そして私としてはこういうときに

衝撃に備えて、しっかりシートベルトを締めておいてください

なんてことは言わない。というよりむしろ私は

どうかできるだけ、「動きやすい服装・姿勢」でいてください

と言っておきたいと思う。

いくらシートベルトを締めていたって、車ごと大破したり流されたりしてしまったらどうしようもない。しかも今回のことは、「いちどや数回の大きな衝撃を堪え忍べば終わり」というようなものではなく、「断続的に来る波に呑み込まれずに、ときにはうまくかわしつつ乗りこなさないといけない」という感じになるだろう。だからこそ「なにがなんでも絶対に、いちども振り落とされないようにしよう」とするのではなく、「多少の衝撃や傷も受けることも前提に、できるだけ動きやすい状態でいよう」とするほうがいい

と思うからだ。だからどうか気を張りすぎないように、むしろ

たとえ一時的にどんなに乱されたとしても、だからこそそこから少しでも早く自分のリズムを取り戻すにはどうしたらいいだろう?

ということを念頭に、自分の好きなもの、たとえば服でも音楽でも場所でもいいから、そういうものを今のうちからひとつひとつ、改めて確かめておいてもらえたらと思う。私自身も、もちろんそうするから。私がいつも

どうかお互いが少しでも、自分らしくいられますように

と言っているのも、そういう意味なのだから。

と、いつもながら私なりにこうしていろいろと伝えてはみたものの、もしかしたら今のあなたには、まだまったくピンとこないかもしれない。だが、それならそれでもいいのだ。だとしたらやはりまだもう少し時間の余裕があるということだし、だからこそ私も今のうちに、これを伝えているのだから。

ただ一方で本当には、こんなことは私に今さら言われるまでもなく、あなた自身も最初から、生まれる前から、ずっとわかっていたはずのことなのである。だからもしよかったら、ときどきあなたも自分に向かって、

今はもう、2021年だよ。それに来年なんて、もう2022年なんだよ?

と、問いかけてみたらいいかもしれない。そしたらそのうちあなたも、なにかを思い出すかもしれないから。そう、今までの練習や苦労は、すべてこれからのためにあったのだ。だから惜しみなく、そのすべてをぶつけていこう。だいじょうぶ、あなたならきっとできる。それに

と言ったとおり、結果がどうあれその責任は私も負うから、そんなに怖がらなくてもいい。独りだったらできないことも、一緒ならできる。それが私の、そして私たちの、大きなテーマのひとつなんだから。

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  1. 小鳥遊 より:

    所謂「風の時代」というものでしょうか。
    確かに最近、雨が降り終わった後の虹のかかった晴天の様な清々しいものが私達の生活に染み込んできてる様な感じがありますよね。
    一見分かりづらいけれどもみんながみんな、何処か清々しく、しかし淡々と以前と同じ生活を営んでいますが、間違いなく世界的規模でなんらかの作用が働いてる様に私は思います。

    ある人(霊体)の言う事では右往左往ありながらも地球には2つの道が存在すると言っています。

    一つは、単純に言ってしまえば破綻の道、人々がエゴや憎しみに翻弄されて戦争し、自分らも地球をも死に至らしめてしまう悲しい道。
    もう一つは愛と調和の道、地球に関わる多くの存在が望んだ、文字通り世界平和の道、昨今の常識や固定概念ではとても考えられないけど、それでも実現可能な皆が幸せに穏やかに暮らせる道。

    未来を築いていくという一大事業は地球の人々の意思にかかっているのだけれど、最終的にはこのどちらかしかないというそんな話でしたが、私としては少し疑問に思うところがあります。
    それは霊的存在や法則をどう認知させ、どのくらいの期間で良くしていくかという話です。見えない、感じない、学術的な存在の証明も出来ない、そんな一種の才能や運でも持っていなければ理解しようの無いこの分野をどう知ってもらい、これから活かしていくのかという疑問です。
    スターシードという言葉があります。闇の向こう側さんがいつか話していた守護霊さんとの対話の少しずつ霊感を持った地球人を増やして霊的世界を社会に認めさせて貰おうという話の子供達のことだと思うのですが、正直あらゆる手を打って今の様な現状が実現しても、個人的にはまだまだこの先は長く、安堵はしにくいんじゃなかという気持ちもあるのです。

    例えば自殺をしてはいけない、肉を食べると共食いになる、物質的な生活は良くない、利他的に生きる事が幸せの道だ、……これらは全て霊的法則を知らなければ、或いはその存在を感じなければ、分からない事ですよね?地球の人と霊的世界の理解の溝は深いものがあり少しずつでありながらも守護霊さん達は全力を尽くして世界を良くしようとして下さいますが、所謂資本社会の支配者(レプリティアンやら秘密結社やらそこら辺は分かりませんが)はいとも簡単に好き勝手ができてしまいます。守護霊さんの灯した優しくも儚く脆い想いを、一瞬で消し去ってしまう力や知性を持っています。そしてここが本題というか一番気になるのところなのですが、完成した世界平和とまではいかなくともあらゆる人が幸せになる為に必要な人間らしい生活を手に入れるにはあとどのくらいの年数がかかるでしょうか?
    今の私もなんだかんだ気持ちの良い日々を送ってはいるものの警戒してしまう事が多くあるのです。

  2. だれか より:

    具体的に何が起きるか書いてくれないと準備の仕様がありません。人によって違うにしても何かしらの具体例すらも提示できないのでしょうか?

    • Dilettante Dilettante より:

      だれかさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      人によって違うにしても何かしらの具体例すらも提示できないのでしょうか?

      そうですね、これはちょうど上にある小鳥遊さんとのやり取りにも表れていると思うのですが、私は

      未来は決してひとつに決まっているものではなく、それぞれの選択の積み重ねによって、いくらでも変化する余地がある。しかもそれが「地球全体の未来」のように、文字どおり数え切れないほど多くの存在の影響が絡み合うものならなおさら、その分岐の多様さは計り知れない

      という立場にいるので、

      〇〇までにはこんなことが起きます!

      というようなことを断定することはできないんですよね。

      また世のなかにはたとえば

      近いうちに食糧危機が起きるから、できるだけ多く、最低でも数か月ぶんの食糧は備蓄しておいたほうがいいですよ!

      とか、もっと過激なのになると

      ◯◯一帯が災害で破壊されるビジョンが視え続けています!だからできるだけ早く、そのような場所からは避難してください!

      というようなことを言うひともいると思うんですが、私としては

      そういう多くのひとにとって苦しいだろう未来(現象)は、できるなら避けたほうがいい。だからもしそういう映像・光景が視え続けるのであれば、その予言者はできる限りを尽くしてその未来を回避するエネルギーを送るべきだということになる。でも一方でもしそうした予言をしたうえでそれが実現しなかったら、周りから「いい加減なデタラメ、しかもやたらと恐怖や不安を煽るような最悪の予言をするなんて、どうしようもないヤツだ!」なんて非難を受けてもしかたがないだろう。だからこれは「当たったらみんな困るけど、外れてもやっぱり困る」というわけで、自分自身を明らかな「股裂き状態」に置くことになるということでもあるから、そんな予言をしても誰のためにもならないだろう

      としか思えないので、少なくともそんな私自身がやるかどうかで言えば、まったく気が進まないんですよ。

       

      また一方で、たとえばそれが

      「そこまで嫌な内容ではない未来予測」

      だとしても、

      今から100年もすれば、宇宙人と地球の交流はごく当たり前のものとなり、宇宙人が地球に堂々と公式に遊びに来ることも普通の光景になるでしょう

      なんて言われたところで、

      そんなに先のことを言われても、そんなの誰も確かめられないし、そもそもその頃まであなたの予言をずっと意識していることも無理ですよ!

      と言うしかないと思いませんか?

      だからこういうことについても、私自身は少なくともこういう場で軽々しく言う気にはなれないんです。つまり端的に言えば

      私は「予言屋」ではないし、そうなりたいとも思ってない

      ということなんですよね。

       

      ですからそんな私としては、あなたの問いに「明快な答え」を提示することはできない(いついつなにが起きるとは言えない)んですが、それでもあなたのもう少し具体的に言うなら、これは結局

      お互いに自分の人生の要素を、このあたりで改めてひとつひとつ見なおしておきましょう

      という意味でもあります。つまり

      私の住んでいる場所は、仕事や食べものは、それに周囲のひととの接しかたや時間の遣いかたは、本当にこれでいいのか?

      ということを、何度でも自問自答してみるということです。でもこれってそもそも、すべて「生きるということの根幹」に含まれているじゃないですか?だから別にこれは「大げさなこと」でも「特別なこと」でもないというわけで。だから私は

      生きているだけでいいです

      と言ったんです。これは、そういう意味なんですよ。

       

      ただそうは言っても、だからこそ

      そりゃあできることなら、自分だって人生のいろんな要素、なんならほとんどぜんぶを換えたいさ!でも今みたいな社会じゃ、こんな状況のなかではさ、どうしたってそんなの無理じゃないか!

      と言われてしまうかもしれないことは、もちろんわかっています。でもそれでも私としては、

      たとえすべてを一気に換えることは無理だとしても、「じゃあまずは今できるところはどこだろう?」と考えて、少しずつでも「自分の望む方向」に向けて進んでいくこと、あるいはそれさえできなくても、「今はぜんぜん身動きが取れそうもないけど、でももしそのチャンスが来たら、そのときはすぐにでも行動に移せるように、今のうちから気持ちの準備はしておこう」と思うだけでも、いざというときにはだいぶ役に立つはずです

      と、そう言いたいんですよ。しかもここにはもうひとつ

      あまりにも片一方に偏った動きを強硬に推し進めたら、一時的にはどんなにうまく行ったように見えても、いずれ必ず「強烈な反動・揺り戻し」が来る

      という認識があります。私が今このタイミングでこんな文章を書いたのには、こういう目論見も含まれているんです。

       

      しかもさっきは

      あんまり先のことやピンとこないことを話しても効果より弊害のほうが大きいから、基本的にはあんまりやりたいと思わない

      なんて言っていたくせに、それと同じ私が実際には、

      「昔は、肉を食べているひとがいたらしい」。未来の食卓には、なにが並んでいるのか?
      あなたは、「菜食主義者」という言葉からどのようなイメージを受けるだろうか? 信仰者、アレルギー体質、動物愛護家、あるいは、偏執者……。日本人の多くはこのようなイメージを保っているのかもしれない。それに私自身も、昔はそうだった。しかし、

      ...

      いずれ、霊媒師は「技術職」のひとつになると予測している
      この世には様々な「技術」を持った方々がいる。そしてその多くは「修練」によって身につけ、育んでいくことができる。逆に言えば、どんなことでも最初から完璧にできるひとなどいない。たとえば日本人ならほとんどのひとが「読み書き」の能力を持っているが、...
      どこにいても安全だと言えないのなら、自分の好きな場所にいたほうがいい
      東日本大震災があってから、誰もが放射線について深く考えるようになった。しかし、放射線が人体に与える影響については未だに意見が分かれていて、はっきりしたことは言われていない。つまり、様々な情報をどう判断し、どう行動するかはすべてそれぞれの選択...

      なんて、いろいろな「未来予測」を立てたり提案めいたことを言ったりしているじゃないですか?そしてこれは本当にはすべて

      これからの未来を生きていくにあたって、直接的に役に立つはずのことだ

      と思って書いたことなんです。たとえ

      肉を食べない(食べる量を減らしていく)ことや霊の存在を理解する(もしかしたらいるのかもしれないと思っておく)ことが、どうして「これからの人生に直接役に立つ」と言えるんだ!

      と言われてしまうのが当然だとしても、それでも私自身は本当に、そう思っているんですよ。

       

      そしてこんなことを長々と書いたうえで、最後に

      「私にとっていちばんはっきりしている未来」

      を言うなら、それは

      私はいずれここにいられなくなる。つまりいずれこの『闇の向こう側』は完全に消え去るし、そもそもそれよりもずっと前にあなたはここを読めなくなり、私もここになにかを書き残すことができなくなる

      ということなんです。それにこの

      「読めなくなる」

      にはもちろん

      「(読める状況でも)読まなくなる・徐々に関心が失せていき、読む気がなくなる」

      という可能性も含まれているわけで、だから私は今ここで、こんなことを書いているんですよね。

       

      と、これではあなたにとってどれほど納得できる答えになっているかはなんとも心許ないところなのですが、とにかく今の私が今の私の立場から私らしく書ける範囲ではこんな感じの話になるんだということを、どうかご理解いただけたらと思います。

      どうぞよろしくお願いします。

  3. 小鳥遊 より:

    最初に書いたレプリティアンやら秘密結社やらというのは大変胡散臭く、またそれを記した自分が恥ずかしいので忘れて下さい笑。
    正直、かなり前に話した守護霊さんの地球の磁場を利用したエネルギーについてだったり、他にも、これがマイブームなんですがピラミッドパワーだったり、と世間的には一緒くたに”スピリチュアル”に分別されてしまう様な似非科学も自分自身はそこまで好きではないですが確かに

    「もしかしたら存在するかもなぁ」

    と思うところまで来ているはいるのです。
    実際自分自身ピラミッドテントで瞑想したり睡眠したりすると確かな質の向上を感じられたり、磁場エネルギーにしても某サイトの違法動画ではあるもののそのエネルギーを取り入れた機械が実際に作られていた事を知ることが出来たり、確かに不透明な存在が私達を操作・支配したりしようとはしてるかもしれない…なんて勝手に思っちゃったりしてる訳ですからね。
    つまりこれは

    “陰謀論者にはなりたくはないけれども真実を知るにはどうしたら良いか?”

    という状態なんです。
    世間には染まりたくないけれどもだからといって精神障害者の様な

    “CIAに監視されている!”

    だとか

    “電磁波攻撃を受けている!”

    などと口にする人になりたい訳でもないのです。
    自分は確かにこの世の法則だとか真理を知りたいのだけれど、それはあまりにも不確かなもので、知ってる人がいたとしてもそうむやみやたらと答えてくれるわけではありません。その様な人々は迫害されるリスクを知っているからです。
    上記のピラミッドパワーにしたって磁場エネルギーにしたって何者かの改竄でそのエネルギーを活用した商品がなんの理由もなく生産中止に追い込まれたり、いつの間にか研究所に侵入されて壊されてしまったりと確かに妨害は受けていたという記録がある位なので、確かに知られたら困る人達っていうのはいると思うんです。
    でも宇宙人がどうとか霊的エネルギーを応用した装置がどうたらっていうのは闇の向こう側さんの専門でも無いし、自分自身

    「使えるのなら生活や人生に活用しても悪くないかもなぁ」

    と感じる位でそこまでの思い入れがあるわけではないのです。
    数学者になるわけではないけれども足し算や割り算を知った方が良い、という位に何かあった時にその法則やエネルギーを使えたら良いよなーという感じる程度です。

    ……でもですよ。肉体人達が知らないのに自然と働いてる霊的法則なんかだと話は大きく変わってくると思うんですよ?以前記した様に殆どの人達は何故自殺も物質的な生活もいけないのかが分からない状態なのだから、それで死んだ後に「採点」されたって腑に落ちにくいじゃないですか。
    直感・感情的にいけないとは強く感じられる筈ですが、それでは中々納得は出来ないと自分も感じてはいますからね。

    そしてここからが本題なのですが、どうすれば確かな「事実」と言える様な誰からも否定の出来ない答えを知る事が出来るのでしょうか。それに特別な訓練や忍耐が必要でしょうか。それとも詳しい人の著作を読めば部分的なところだけでも知る事が出来るしょうか。又は生まれてくる前に自分がその答えを知る事が出来る様予定を既に組み立てていていたり、心から願い凛として生きれば自ずと辿り着くものでしょうか。自分はこの混沌とした世界の中でネット上とは言え、あなたと出会えた事を幸運にも思っています。守護霊さんの霊言をして下さった事も感謝していますし、毎週必ずブログを更新してくださることもとてもありがたく思っています。あなたほどの優しさも強さも持ってない私ですがそれでも苦しみの理由くらいは解明したいのです。そしてこれからも見えない同士とはいえ繋がっている仲なのでこれからも宜しくお願いします。

     

    追記
    切羽詰まった様な文章になりましたが今の自分はそこま深刻な状況下にはいません。
    友達も家族もいて、毎日それなりに健康的で優しい職場の人たちと仕事をしています。
    ただ自分はこれからもたくさん苦しむ事になるのでその為の知識を知っておきたいのです。
    それにしてもアレですね、余談になりますが現実世界でもネット上でも似た者同士というものは集まるものですね。金持ちには金持ちが、マニアにはマニアが、不良には不良が集まっていくというか、実際他の星々もそういった仕組みの中で生きていますし、その人々の性質や感受性、世界観は共有され、集団は個人の様な動きや性格を見せるというか。
    でも私って上手く言えないけど自分に似た人を見た事が無いんですよね。

    「貴方みたいな変わった人は中々居ないよ」

    なんて結構言われてます。人は使命や目的があって生まれてきたとか全てのものには意味があるなんて言いますが、私の個性にはどんな意味や役割があるんでしょうね。ひょっとしたら闇の向こう側さんと似てるところも多かったりして笑笑。

    • Dilettante Dilettante より:

      どうすれば確かな「事実」と言える様な誰からも否定の出来ない答えを知る事が出来るのでしょうか。

      そうですね、今の私の素直な見解を言うなら

      たとえそれがどんなものであれ、「誰にも反論されたり否定されることもない、疑いの余地すらない絶対的な真理真実」は存在しないんじゃないか?

      と思います。つまりたとえば

      「この世に絶対はない」と言うけれど、それでもただひとつ、「私たちはここに生まれて生きている以上、いつかは必ず死ぬ」ということだけは「絶対」だ!

      といったものはかなり「強い意見」のようにも思えますが、それでも

      でも私たちは本当に「生きている」のか?もしかしてこれが「ただの長い夢」だとしたら(夢のなかで「架空の過去」を背負っていることもいくらでもあるし)、その「死」の前提さえも覆る・つまり「絶対」ではないのでは?

      といった反論の余地は充分にあるというわけです。それにさらに言うなら

      誰のどんな意見であれ、「とにかくなにがなんでも反論・拒否してやる!少なくとも俺は絶対に、そんな話は認めない!」という強硬な態度・先入観を保っている相手に対してはほとんど無力・無意味なんだ

      と思うんですよ。だから少なくともそういった意味においては、「誰にも有無を言わせない絶対的真理真実を突きつける」というのはおそらく無理だろうというのが、私の考えです。

       

      ただたとえそれを認めたとしても

      でもやっぱり今の「常識」や「世界観」だって、やっぱりどこかおかしいんじゃないか?

      と感じることを止められなかったひとが、

      じゃあ私も私なりに、自分なりの真実を追求しよう

      と思うことは、やはり当たり前のことだとも思うんですよ。そして少なくとも私の場合、これは結局

      こうして自分も存在している以上は、それにせめてもう少し納得できるようになりたい

      という動機が根本にあるのであって、別に

      真実を知ろうともしないひとはおかしいし、騙されていることにすら気づかないのは話にならない!

      とか、そんな「優劣」や「比較」の話をしているわけでもなくて、ただ

      この違和感や疑問から眼を背け続ける限り、私は本当に「生きている」とは言えない

      と思っているだけなんです。だから私は様々な紆余曲折や葛藤もありながら、結局まだこうして生きているんですよね。

       

      そのうえでもし今の私の考えや未来予測が当たっていたら(実現したら)、将来的には霊の存在も(たとえば「酸素」や「赤外線」の存在が認められているのと同じように)、ほとんどのひとが当たり前に認めるものになるだろうと思うのですが、仮に私がそれを見たとしても

      ほら、だからやっぱり私が正しかったのに、なんでもっと早く認めてくれなかったんだ!

      と思うことはないんです。だって

      あの時代(未来から見た現在)において、あれだけの多数派の意見に反して霊を信じることができないのは、ごく当たり前のことだろう

      と思うからです。つまり私は

      多数派は「たとえ間違っていても正しい」し、逆に少数派は「たとえ正しくても間違っている」んだ

      ということをよくよく知っているので、たとえ将来的にその立ち位置が逆転したとしても、「かつての多数派」を責める気はないんですよね。

      ただその代わり、もし本当にそのときが来たら私はひとり静かに

      よかった、どうやら私に見る眼がなかったわけじゃないみたいだね。けっこう不安だったけど、よかったよかった。助かったなぁ……

      としみじみその喜びを味わうでしょうね。だってそれだけが唯一

      「信じ抜いたひとだけが受け取れるご褒美・願い続けたひとだけが見える景色」

      なんですから。

       

      それにもし私が今生のような

      「少なくとも私にとっては、絶対に無視できない霊体験」

      (「常識」の万能さや確かさを疑わせるには充分すぎる衝撃)

      に出くわすことがなかったとしたら、私自身もあなたのように

      今の常識や世界観がすべて正しいとは思わないけど、だからってすべてが間違っているとも思わない。だから結局は、なんがなんだかわからない

      言うしかなかったかもしれないと思うんですよ。だからあなたが

      ひょっとしたら闇の向こう側さんと似てるところも多かったりして笑笑

      には、私もその意味でけっこう共感するんですよ。

      そしてだからこそもうひとつだけ言うとすれば、

      「信じる」(なにをどの程度信じるか)という行為の核心にあるのは結局「それぞれの主体的・能動的選択」なのであって、その意味で「信じる材料が完全に揃ったし、他にもたくさんのひとが信じているから、これなら安心して自分も信じる」というのはその本質からはむしろ対極に近いところにある、言うなれば「計算」にすぎないんだ

      と、私は思っているんです。

      でも私は別に、そうした「計算」を(するひとたちを)蔑んでいるわけではないですよ。ただ

      「信じる」というのは「未知への飛躍」であり、「不安への能動的突入」なんだ。だからこそ「その不安やリスクをなんのために負うのか」はよくよく考え続けないといけない。でももし「その先」に見えたものが自分の望んでいるものだったときには、その喜びの大きさは、信じたひとにしかわからない

      というだけで。

      だから私は自ら望んでこの生きかたをしているのであって、もしあなたがそんな私と似通っているものを感じると言うなら、私はそれを若干の苦笑いとともに、でも心から応援しているんです。

      それに私がここにこんな名前を付けたのには、実はそういう想いも最初から籠められているんです。だからまぁ、そういうことなんですよね。

  4. 小鳥遊 より:

    一つ聞きたいことがあります。
    争いがなくなり皆が幸せになった星の具体的な例やそこまでに至る過程を知りたいのですがそんな記述のあるブログや書籍は存在するでしょうか?

    • Dilettante Dilettante より:

      そうですね、なんと言うか、もちろん宇宙には様々な星があるわけですし、そのなかにはとてもひどい状況から這い上がって調和的な状況を手に入れた星(文明)も多々あるんですけど、でもそうした記録は今の地球ではまず手に入らないうえに、仮にそれを垣間見ることができたとしても、それは今の地球の状況にそのまま応用できるようなものではないと言っていいだろうと、私としてはそう思っています(とはいえもちろん他のひとがそのひとの責任でいろんな発信をすることについて私がとやかく言うつもりはありませんし、そのような他のサイトは数多くあるので、私の知らないところで素晴らしい活動をなさっているかたも多々いるんだろうとは思います)。端的に言えば、今の地球の状況が過酷すぎるからです。

      ただ、それはここまで多様な存在(価値観)を雑多に詰め込んだ時点で最初から予期されていたことでもあり、だからこそ

      今までの、そしてこれからの地球の変化の顛末こそが、その他のあらゆる星にとってかけがえなく貴重な資料・先例になるんだ

      と思っていますし、その計画の骨子は前からご紹介している

      大日月地神示【前巻】|新泉社
      「大日月地神示」は、日本のシャーマンである神人を通じて、異次元世界より降ろされ続けた、地球人類に対しての救世の神示である。この神示はかつて、艮金神が出口ナオを通して「大本」のお筆先として伝え、さらには岡本天明を遣って「日月神示」を表した霊団からの、現代の霊言である。

      のなかでも示唆されているかとは思います。

       

      ただたとえこの状況が

      「予期されていた経緯(途中経過)のひとつ」

      だとしても、だからこそ

      じゃあこんな状況からどうすればそんなに素晴らしい未来にたどり着けるのか、その道筋をもっと具体的に示してください!そうじゃないととても信じきれないし、単なる妄想・夢物語としか思われなくてもしかたがないでしょう?

      と言いたくなるのも当然かと思うのですが、それについては

      未来はひとつに定まったものではないですし、そこには様々な意図を保つ存在の駆け引き・綱引きがあるのでなおさらです。また、お互いが「自分とは違う目論見・計画を保っているひとがいる」ということを理解しているので、「自分たちの計画を1から10まで明かすことはできない」(明かした瞬間に対策を練られる)ということなんだ

      ということを、どうかご理解いただければと思っています。

       

      そのうえで、改めて今の段階で言っても支障のないギリギリのラインに挑むとするなら、

      守護霊(調和的な未来を望むグループ)は現状の劣勢、そして「少なくとも一時期は今よりさらに追い詰められることもあり得る」ということを最初から作戦に織り込んでいる。つまり彼らは最終的に「相手(負の霊)の力を逆用して一気に逆転する」ことを狙っているのであって、これは言い換えれば「極限まで無理を押し通せば、やがて相手は自らの重みに耐えかねて潰れる」という作戦・目論見なんだ

      とは言えると思います。つまりこれは

      本人たちが「これで間違いなく勝った」と思ったまさにその瞬間から、負の霊は負け始めることになる

      ということなんですが、たとえそれをわかっていても彼らはもう引き返さないでしょう。だって彼らは、

      俺たちは本当に勝っているんだ

      と思っているからです。しかもこの地球の現状を見れば、むしろ彼らが日に日に自信を深めている可能性さえ大いにあると思います。まして彼らだって、あなたやたくさんのひとの不安や疑心暗鬼を、いつもはっきりと認識しているんですからね。

       

      だからこれは結局、

      本当の意味で世界(の仕組み)をより深く理解しているのは、いったいどちらなのか?

      という話であり、その結果が、これからの地球にはっきりと顕れてくるんです。だから今の地球には、これほど多くの存在が関与しているんだと、そういうことなんです。

      そしてこれは

      それぞれが自分の全力を出し尽くさない限り、本当には納得できない

      という認識に基づくものでもあります。つまり、

      どうせやるなら最高の舞台で徹底的にやり合うしかない

      ということです。ここで決まることは、そのくらい大きなことだからです。お互いの数千年、数億年、あるいはそれ以上に亘る未来を決定するのであれば、それも当たり前でしょう。それにどちらが正しいとか間違っているというような「優劣」の話ではなく、「信念」(それぞれの好み・理想像)の問題なんです。ここで違う道を選んだ相手とは、次にいつ会うことができるのかさえ、まったくわからないのですから。

       

      と、相変わらず微妙な言いかたではありますが、これが「今の私の責任でこの場に公表できるギリギリのところ」なので、どうかゆるしていただければと思いますし、いずれにせよ私もできる限りのことは続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

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